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(^_-)-☆どうしたのかな [思うこと]

 3288 ネット用のプルサを20万Rp無駄にした。ANDROMAXという、モデムを使っているのだが、店へ行くと、必ずといていいほど、新しいチップに変えられる。勿論、番号も変わる、その番号はモデムに張られる。そして、店のPCで、つながったことが、確認され、金額分の13GBとでる。これで、OKとなる。ところが、一日後、使ったのは3時間程度、ハビストいう表示が出て、繋がらなくなってしまった。分からませ~~~ン、買った店へもっていっても、そんなことはないはずだ、それだけ、使ってしまったのだろう、と、言われるだけだった。

自分でやると、何やら、ごまかされているような気なするので、会社の事務の人にプルサを頼んだ。32GBで17万Rpだそうだ。二三日後に、ハビスhabisにならないことを祈るしかない。

夜勤から朝勤へ引き継ぎをしているとき、8時、停電mati lampuになった。停電の状況は以前と変わっていないという。9時に、電気が来た。明らかに、予告なしの計画停電だ。稼動していたラインが再稼働しはじめたのは、11時を回っていた。この場所にいる限りは、この状況を受け入れなければならない。


再びMM2100へ、ナンブで仕事の打ち合わせ。押出部門の客先インドネシアほとんどの仕事は、私が引き受け軌道に乗せたもの。昨日も触れたが、それぞれの客先からの注文が増えてきたが、生産設備を増やしていない。増やす場所もない。生産スピードアップの技術を待っている人もいない。今や全休日も休みなしで生産している。それでも、納品が間に合わなくなっている。その中の車関係など、とにかく、納期厳守の客先が優先になり、どちらかというと、強く言えない客先へ納期遅れになってしまう。もともと、私が作り始めた製品なので、それらの会社から私に、何とかしてほしと、言ってきているのです。

で、私のところで、一部を引き受けることになるが、間に合わない分を少しだけ引き受けるというわけにいかない。価格は、今までと同じか、下げてほしいわけだから、ある程度の量がなければ、客先希望の見積もりは出せない。だから、一部でなくて、その客先の仕事を徐々に、私の方で引受けることができるように、一応、お願いということで行ってきた。
金型の問題もある。金型を使わなくなるのだから、固定資産になっていなければ、捨ててください、私が拾うから、と頼んだ。もともと、私が作ったものだし。一寸、考えさせてといわれた。

金曜日に来て、雨期のはずが、曇ってはいたが、雨が、ほとんど降らなかった。今日は、初めての雨季らしい雨だった。大雨で、カリマランなどは使わないで、インドネシアに戻ってから始めて、チカランバラットからジャラントールに入った。カードを使うのは初めてだった。

タッチパネルをちょっと通り過ぎてしまったので、降りてタッチした。ゲートが開いてほっとした。後続車がなかったので、ちょっとゆっくり、車に乗ろうとしたとき、支払った金額と残り金額が電光で示された。ここは、前払いだから、そういう数字が出たと思うが、前払いでない場合、タッチした時に、いくらカードに残っているか、示されないという。後払いのゲートに入ったときの方が、残りの金額を示されることが必要だと思う。
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チカランウタマのゲートの横を通った時に、インドネシアらしい、風景がった。ゲートとゲートの仕分け部に、コンテナトラックが乗り上げていた。まかよ。こういう姿は、珍しくないのがインドネシア。
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中央分離帯では、高架高速道路の建設中、いつできるのでしょうか、楽しみだ。ここは、マスピオンの辺り。
ところで、ジャバベカ1からのゲートはいつから?5年ほど前にジャカルタ方面からの出口はできていて、ジャカルタ方面に入る高架や侵入道もできている。しかし、ゲートができていないようだ。
タグ:調整 状況 頼み
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(^_-)-☆往来 [行動]

 3287 朝、MM2100へ、P,BEDへ挨拶。ベッドには、頭側、足側、サイドに押出製品が使われている。10数年前から、私が、それら全部をお手伝いしている。主に今は南部だが、すでに、最新のものについては、ENDOTAでも、製造を始めている。
昨日のKOHONOそうだが、南部のキャパシティーに余裕がなくなってきているようで、増産に対応できないし、装置の増強の計画もない、というより、押出工場の面積が一杯一杯で、どうにもならなくなっている。会社の方針として、そのままにしておくだけだという。
そこで私のところをバックアップとして使いたいらしい客先が増えている。他にも、何とかテックや何とかシートも同じ状況だ。
S-PVC以外の押出成形をできる会社がほとんどないから、仕方がない。昨日の訪問先でも、押出成形ができる人はいないと、いろいろな人に聞くと、私の名前が出てくるそうだ。その名前を出した人は、私は面識がない人ばかりだった。その人達、一様に、太田さんは、今どこのいるのか知らないといっていたという。

新しい住宅を見た。同じコンプレックス チタフィラの中の奥の方だった。今が1.5ジュタ、今度の家は、1.4ジュタだ。ただし、台所に屋根がない。洗濯機を置くところは、土や石ころのまま、これが、スンダードだという。スタンダードだといわれても、雨が降る場所で、炊事や洗濯は、私でもできないから、少し高くしてもいいから、床を作って、屋根も頼むよと、言っておいたが、返事がない。別を探すよう、会社の担当者に頼んだ。引っ越し予定は20日だが、見つかるだろうか。
エアコンもない。
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ソプイガを食べた。久しぶりに良い匂いを嗅いだ。紅茶とこれで、3、5万Rp(300円)安い、美味しい。お腹いっぱい。だが、普通のレストランなら7万Rp,ジャカルタ辺りの高級レストランなら15万Rpするでしょう。味と雰囲気は、好みだ。

ナンブの第二工場が売りに出されているという話を初めて聞いた。キタガワの時に私もいた場所だ。私が紹介して、ナンブが買った。しかし、なぜでしょうか。二年ほど前には、射出成型機が10台以上稼動していた。IMG_3029-.JPG
ジャラン カリマランでMMに向かう。この場所でゴミを捨てたやつはトラックに引かれて死ぬ、と書いてある。こんなでは、既に、大勢の人が、トラックにひかれて亡くなっているでしょうね。
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スンガイ カリマランにかかる橋を渡ったときの風景
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(^_-)-☆出勤久しぶり [行動]

 3286 5か月以上ぶりのご対面、新入社員が2人いた。

日本にいるときに、テルコムセルから、妙な電話とメールが入っていて、先ほど、確かめた。以前と変わらず8;10、モーニングミーティング、メンバー全員そろって、出席、挨拶の後、皆さんの報告を聞いた後、ヘニー君と現状についてのミーティング。大きな問題はないが、今後のこと、客先の要請、機械の稼動率のことなど、生産を増やしてゆくための計画、段取り、担当などがテーマになった。
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チバトゥの高架橋を渡って、オレンジカントゥリーに入って、EJIPに向かったが、途中、メイカルタの建設状態がすごかった。こんなに一遍にやってしまって大丈夫かと、思うほど、あちこちに、クレーンが林立していた。びっくりである。

早速、EJIPのKOHONOを訪問する。ここは、16年ほど前、KITAGAWAの時に、ボトルの上につくポンプの下のチューブで手伝いを始めたが、その後、手伝い場所が点々と変化があって、現在はNANBUで、私の教え子がやっている。
しかし、新しいチューブの仕事に対応できないとかで、3カ月ほど前から、ENDOTAでやってほしいといわれていて、現在流れているチューブも、やってほしいといわれているらしく、私に、インドネシアへ戻ったら、すぐ来てほしいと言ってきていた。何代目かの社長さん、担当が変わっていて、昔話から始まったが、どうも、聞いていた話と違っていて、それなりの対応をしなければならないとの印象だった。気が進まない。
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訪問先から近かったので、ついでに、開通したという、MM2100までちょこっと入ってみた。の、つもりだったが、橋を渡って行ってみると、ちょこっとという分けにいかず、かなり、南へ遠回りをさせられる。本当は、すぐそこなのに、すぐそこという感じがしない。工場がある場所に到達しても、MMの高速道路の出入り口まで、工業団地の中を延々と通り過ぎなければならない。私は、そこまで行っていないで、引き返した。
感じとして、MM2100へ向かうというか、通過する車の方が多いようだ。MM丸紅が、よく、承知したと思う。これで、一応、MM2100からデルタマスまで、ジャラントールを使わなくても、大型車以外の車の道は通じたことを確認した。

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(^_-)-☆物価 [思うこと]

 3285 ヘアーサロン 日本でカットとカラーリングをすると、格安のチェーン店で、4000円。日本では、5カ月以上の間に二回行っただけ。最終は、2カ月前だった。寒くなってからは行かなかった。だから、今日は、10万Rp(850円)ですっきりした。ただし、日本人が多く行く、リッポチカランモールの中のヘアーサロンでは、40万Rp(3000円)くらいするでしょう。

ジャバベカのファーマーズマーケットで、牛肉を2Kgほど仕入れた。オーストラリア産だ。100gが13000Rp(110円)くらい、半年前には10000Rp(85円)だったから、30%上がっていたが、日本なら、300円以上だった。日本では、豚も200円くらいしていた。
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ただし、日本の百円ショップで買えるものは、インドネシアの普通の値段より安いから、台所用品や文房具などの小物は、日本から持ってきた方がやすい。

ガソリンや高速道路の料金は、日本では、あきれるほど高すぎる。高速道路料金は、そんなに安いなら、取るなよと思うくらい安い。だからだろうか、現金で払えなくなった。

今回、しばらく、インドネシアに居なかったが、その間に、以前、定年退職などで、日本にも戻っていた友人の何人かが、また、インドネシアに戻って仕事をしていた。私が戻ったことを知って、早速、ゴルフの誘いがあった。
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ここは、EJIPの方から、チカランバラットのトールゲート向う道です。相変わらずの渋滞、そのずっと向こうに、建設中、大分、高くまで延びている多目的ビル、使用が始まれば、もっともっと、大渋滞のもとになることは明らか。どうでもいいが、駐車場はどこになるのでしょうか、地下だと思うが、出入口はどこになるでしょうか。
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家から会社までの狭い道の途中に盛り上がった橋があたらしく出来上がっていた。例によって、この種の端、上り下りが急激の上に、アールがない、橋の向こうがどうなっているのか、見えない、向こうから何が来ているか見えない。よくこんな橋で、OKが出るなと思う。
タグ:友人 渋滞 物価
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(^_-)-☆行動開始 [インドネシア]

 3284 早朝、5時過ぎに会社へ行った。三交代の人たちが仕事をしている。挨拶の後、事務所に行ってみた。机の配列が変わっていた。また、ここで、しばらく、仕事をすることになる。右の端だ。
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早速、ゴルフ。ジャバベカゴルフもキャンセル料を取るようになった。三日前なら、不要、2日前25%、1日前50%、当日75%だそうだ。キャンセル待ちをしている組が多いのに、前々から、何組も予約しておいて、土壇場までキャンセルをしないで、前日になっても、電話連絡もしないまま、フライト数を減らす不届き物が多く、当日になって、空きが出てしまって、ゴルフ場も困っていた。カラワンなどは、すでに、突然のキャンセル料は取っていた。

約半年振りに、現れた私に、皆さん、寄ってきて、元気でしたか、そして、一時的ですか、仕事ですかと、聞く。仕事だよ、というと、また、しばらく、一緒ですねと言われる。人畜無害の私だから、歓迎してくれる。皆さんが話しやすいのだと思う。

ゴルフの後、何やかやの買い物に出かけた。途中の果物屋で、ドリアンが入荷したばかりでしょうか、匂いをチェックしながら、店の前に吊るしていた。季節だ~~。すぐに一個買ってしまった。そして、すぐに食べた。うまい!!!IMG_3009.JPG
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(^_-)-☆インドネシア [思うこと]

 3283 早朝、6時に家から出た。6;22発、こだまで、品川へ、7;51京急で、羽田、到着8;15ころ、Lカウンターで搭乗手続き、バゲジが28kg、ヘビーのマークを付けられた。しかし、私の場合、何故か、46kgまでOKだ。8;55、イミグレ通過が9:10、搭乗予定時間まで、2時間以上、余裕ありすぎ。

HANEDA-FREE WIFI(2,4G)パスワードいらずで、ネットに接続できる。機内は、有料になる。

日本人のCAが何人か、混じっているが、日本人かインドネシア人か、顔だけでは、わかりにくい。日本語対応とスッテッカーでも、張っておいてもらった方がいい。インドネシア語か日本語か迷う。

小田原付近でサンライズ。
11:45オンタイムで出発、シートは右の窓際Kだ。何故かというと、右の方が地上の景色が良いからだ。場合によっては、機長が本州の南海岸に沿ったルートをとる。今日は快晴、富士山も昨日に写真のように、かなり下まで雪が来ている。この頃の富士山が一番見栄えがする。はやりのインスタバエだ。どうですか。
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ターミナル 3に到着。また、インドネシアに居る。21時半に我が家に着いた。いきなりびっくり、部屋の電灯の大部分が付かない。ランプを変えようにも、高すぎて届かない、そして、水の出は、以前から改善されていないので、漏れるし、溢れるし、排水は詰まっていた。この家、契約が今月いっぱいだから、次をさがしているらしい、まだ決まっていないが、この家にはそう長くいない。

空港を出たのが、17時を回っていた。相変わらず、ターミナルが新しくなっても、18時ちょっとすぎに機内から出たのに、バゲジが出てくるのが遅い、イミグレは、キタスホルダーとして問題なく通過なので、ほとんど。バゲジを待っていた。そして、やっぱりというか、当然というか、やたら重い、バゲジなので、チョークのマークが左右と上の三か所に付いていた。カスタム通貨の時にX線チェックをされたが、無視されたように通過した。酒2Lを二本、米麹が1kg×3袋、その他、何だろう、プラスチックハンマーや小型シャコマンが怪しいといれば怪しいが、何でもなかった。ということで、入国は、スムーズだった。
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マネーチェンジ、ATMの暗証番号をうろ覚えで、間違ってしまうかもしれないので、ATMを探すより先に、マネーチェンジャへ行った。3万円、ゴルフ二回やタクシー代で、最低、1,5ジュタは必要だからだ。新デザインの札が渡された。初物である。

タクシー乗り場が遠い、聞きながら、ちょっとずつ近づいていると、タクシーか、アバンザどう?と、例の通りの誘いがあった。最初ジャバベカまで70万Rpだったが、50万Rpで、トールフィー込みでまとまった。日本にはないシステムでしょうね。個人交渉でタクシーのように使う、もちろん、メーターはついていない。運ちゃん、
渋滞だよ、金曜の夜だから、3時間かかるかもしれないねという。案の定、ジャカルタに入る前に渋滞が始まった、アンチョールに回った。チャワンでも大渋滞、ブカシバラット、ティムールずっと渋滞、運ちゃん、カーナビにチタフィラコンプレックスをインプットして、チェックしている。渋滞情報も入っていた。そこで、チビトゥンから国道を使うことした。そこから、順調になって、空港から2時間半後21;30に到着した。

 途中、高速道路の北側に沿って、LRTの工事が着々と進んでいるようだし、中央分離帯だったところと中央車線二車線で、工事をしている、聞いたら、フライオーバー(高架高速道路)を作っているという。何やら、どんどん、新しいものが出来てきて、それが、加速されている印象だ。高速鉄道はどこでやっているのか?と、聞いたら、ハリムの駅の工事は始まっているらしいが、チカンペックまで高速道路から見えるところでは、工事を見たことがないという。今になって、まだ、計画路線の買収が完了していないとも言っていた。

 インドネシアもカーナビが、まともに使えるようになったんだと思った。

 空港までのLRTの運行が始まったと聞いていたので、使ってみようかと、ちょっと、思って、どこまで行っているのか聞いたら、タンゲランまでだという。タンゲランのどこかは知らないが、タンゲランで、下ろされても、困るから、タクシーにした。

 高速道路の支払いは、現金はダメになっていた。いろいろ、呼び名はあるらしいが、e-toll cardもその一つでしょう。システムについて、聞かなければならない。高速に入るときには、カードでタッチすれば、いいが、出るときに、足りなかったらどうなるの?これを,解決しなければならないと思っている。
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(^_-)-☆最終日 [生活]

 3282 最後の買い物、例によって,納豆と黒はんぺんを仕入れた。インドネシアになく、日本でも安い。業務スーパーへ行った。安い。一般スーパーより2~30%安いような気がする。30人ほどにばらまく、どら焼きとキットカットも仕入れてしまった。これらは空港の免税店でも売っているが、三分に一の価格だ。納豆三パックで53円、黒はんぺん一パック10枚入っていて、75円、この辺りにスーパーでは、85円と100円だ。
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日本の夏に来て、その時には使っていたインドネシアからの衣服をそのまま持ってゆく。しかし、いつも、迷うのは、空港までどんな服を着てゆくかだ。結局、着て来た服そのままで行く、周りからは、非常に薄着に見えられると思うが、我慢するのは、移動中とホームだけだ。車内や空港内は、暖かい。

爺が女高生を引いてしまったしまった事件が起きたばかり、ブレーキを踏んでいなかったという、私も間一髪の急停車をさせられた。太田化工から自宅に向かう途中、左右の見通しが悪い、交差点、横断歩道のマークがある。普通に40kくらいではしていた。急に左から自転車がその横断ほどに入ってきた。止まって、左右の確認した様子はない、突然、前を横切った。急ブレーキをかけて、1mくらい手前でストップした。その老人、まったく、右の私の車を見ないまま、横切って行ってしまった。ご本人、何事もなかったようだった。 

「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず、未だ覚めず池塘春草の夢階前の梧葉すでに秋声」
若者はアッという間に年をとってしまい、学問はなかなか完成しにくい。だから、少しの時間でも軽軽しく過ごしてはならない。
 池の堤の若草の上でまどろんだ春の日の夢がまだ覚めないうちに、階段の前の青桐(あおぎり)の葉には、もう秋風の音が聞かれるように、月日は速やかに過ぎ去ってしまうものである。
朱 熹(しゅき) 1130-1200 南宋の哲学者・詩人

中学のころ、こんな漢詩にあっていた。私自身は今やその最後の秋声に至っている。おじさん、動いていないと死んじゃうマグロのようだね、と、甥辺りから言われる。すると、“カツオだから”と答える。納得らしい。

「ふゆのえんがわ ひねもす のたりのたりかな」春の海、ではないが、買い物に出る以外、最後の爪切りや金魚がいなくなった水槽の掃除など、縁側で日向ぼっこをしながら、過ごした。隠居老人はこんなものかと思うが、今日一日だけである。
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富士山の雪は5合目辺りまで降りてきていた。
タグ:光陰 業務 秋声
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(^_-)-☆最終ゴルフ [思うこと]

 3281 明後日、出発というのに、付き合い。義理堅いというか、暇だねというか、真面目というか、私も体を動かしていたいというか、ちょっと、遠出の運転をしたいというか、何でしょうか。6時出発、藤枝岡谷インターから、新東名に入り、西に向かう。スタート時間は8時45分、初めての場所で、時間が読めないので、早めに出発した。浜松浜北付近には7時前についてしまった。早すぎ、そのあたりのPAで休憩して時間をつぶした。日の出の時だった。新城で降りたのが、7時20分ごろ、早すぎる。151号線で、なお、西に向かう。301号に右折すれば、もう、到着したも同じだが、そこで、7時40分、コンビニでお握りを買い、駐車場でまた休んだ。日が差して明るい、ゴルフ場の方向を見ながら、こんなところまで、来たもんだと思う。8時を回って、301号線でゴルフ場へ、8時10分到着、駐車場はガラガラ、三組しかいないという。ロッカールームは広いし、明るい。日本では6っか所でしかやっていないが、初めてのここが一番いい。
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平野部から、ちょっと山の中に入ったところにある山岳ゴルフ場だが、コースは平坦、そして、コースの両側が盛り上がっている。プレーヤーにとっては親切なレイアウトになっている。OBになりにくい。球拾いで谷底まで降りるというコースはないし、崖の上に上るコースもない。コース方向で登りくだりもほとんどない。
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静岡よりちょっと寒いのでしょうか、バンカーはコチコチ、グリーンも凍っていた。日が当たる場所は溶けだしていたが、日陰の部分はツルツルに凍っていた。
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途中、一本だけ柿の木があった。その柿は、小さかった。こんな小さな柿は初めて見た。誰も取らないのでしょう。多分、鳥がつっ付くだけでしょうか、下に、食べかけの実や種が散らばっていた。
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右が9番、左が18番。池を迂回するか超えるか、どちらも迷う位置がある。

とにかく、日本のゴルフの付き合いは滞りなく終わった。次は7月かそれとも12月か、今回のような長期滞在はないと思う。またいつか、元気でいてください。

金魚が20匹以上、大きくなった。3cmくらいだったが、5cm以上になっている。しかし、私がいなくなれば、面倒を見る人がいなくなる。仕方がないから、太田化工へくれてやることにした。迷惑なら、従業員の誰かにやってもいいと。たまたま、太田化工へ来ていた水野さんに会った。肩が痛い、膝が痛いなどといて、ゴルフどころではなくなっていた。同年齢の友人、H-PVC押出の職人をしていた人で、ゴルフを一緒にしていた人だ。3月からやれるから、次に、私が戻ったら、やろうということにした。

http://animalkun.org/archives/757 この文章、ひどい。ラフレシアを知らない。適当に書いている。自分で確認していない。気の毒なほど、匂いについてはでたらめ。マレー語、インドネシア語でブンガ バンカイといわれている意味など全く知らない。匂いがきついというのは嘘、開いたばかりの花でも、相当、においに敏感な人でなければ、感じることができない、かすかな、においだ。私は、何十回とそのにおいをかいで、わかるようになった。地元の人、ガイドでも、感じる人と、頼りにならない人がいるくらいだ。
探すとき、花を探すというより、まず、匂いを探す。感じたら、風向きを確かめて、匂いを発する方向を確認して、探し始める。

この人、ドリアンと間違えているのでしょうか。多分、ドリアンのことも知らないのだと思うが。
タグ:金魚 最終 平坦
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(^_-)-☆気持ちは南 [生活]

 3280 ヴィザの問題が指摘されたらしいが、一応、KITASホルダーとして、そのまま、入国できることを確認した。もしだめなら、観光目的で行こうかと思っていた。違いは、エアーチケットを片道でいいか、往復が必要かということだ。片道切符で行く。もし、何か指摘されても、問題を知らなかった、エポをしていないのだから、エポのスタンプが押されていないといえばいいし、それでも、なんだかんだ言うなら、5000円も渡せば、イミグレ通過は、できる。それが、インドネシア。
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以前漢方薬局で、煎じ薬を処方してもらって、頻尿の軽減を狙ったが、約一か月経過、効果があまり見られなかった。そこでもう日にちがないので、別の医者へ相談に行ってきた。処方されたのが、この薬、漢方薬です。そして、効目を確認する時間がないからといって、タムスロン塩酸塩という薬を渡された。三か月分。飲み続けなければならないらしい。手術の話もしたが、どうも、難しいらしい、おしめ生活になってしまう可能性もあるとか。私の場合は、手術の時間がないから、それ以上の話はしなかった。また、何故か、アルコール類は控えた方がいいといわれた。アレルギーだから、まったくの飲んでいませんよ、でも、作って他人にあげる。
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明日のゴルフ仲間のために、濁酒を絞った。三日前に仕込んだ。あげてから出発だ。
あまり寒いと発酵が遅れるので、炬燵で温めていた。こんな状態になれば、多分15%以上になっている。
コメを炊いて、イースト菌、ヨーグルト、米麹、それに水、これらを適当な割合で混ぜ、数時間後には、泡が登り始める、(二日前の写真)これが,確認されれば、あとは、放っておけばいい。
そして、夕方絞った。道具は全て百均で買ったもの、金属は避ける方がいいらしい。米三合で1.8L×3本できた。酒粕は、出発前に、甘酒として私と家族が飲んでしまう。

ショックなニュースが入った。大学の同級生、親友が筋萎縮症で、50歳で亡くなった。一般的には10万人に一人か二人という。それは、書いた。
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0067.html
彼の三女37歳が父親と同じ病で亡くなったという知らせが入った。先月末、父のもとに旅立ったという。難病中の難病、遺伝するのでしょうか。家族性ALS、親子でALSとは。確率的には微小だが、長女や次女も心配でしょう。今回、長泉の家に前を通っただけだったが、次回、訪問する。
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(^_-)-☆いろいろこんな事 [思うこと]

 3279 車が直った。まともになった。保障で只だった。これで、最後のゴルフ、三河へ行ける。新東名の新城インターから近いと聞いているので、調子を確認するために、新東名の藤枝岡部インターまで、下見を兼ねて行ってきた。

孫の一人の誕生日が1月27日、今まで、この日に、日本にいたことがなかった。ほかの家族の誕生日には、日本にいるときがって、いれば、デコレーショオンケーキを買ってやって祝っていたが、彼女にはそれができなかった。そして、今回も不在になるので、先ほど、ケーキの予約をして、27日には、本人が受取りに来ると伝えておいた。

中学の同級会に出席になっていて、当日の三日目前に、ドタキャンをした女性、急に倒れて救急車で病院に、という連絡を、家族の方から受けていた。私と一緒に組の委員をしてくれた人の内の一人だった。そして、その人から、メールが入った。メールが出せるようになったんだ、と、思った。くも膜下出血で、気を失ってから、8時間後、気が付いた時には、手術が終わっていたとか。一か月半、入院していて、今は自宅療養、明日からリハビリに通うとか、よかった。中学の同級生の中に、すでに、何人か、外出できない状態の人がいる。

13,14日は、インドネシア、ジャバベカで早速、ゴルフをする。すでに、予約をした。
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一昨日の霜から一転して、一日中の雨、うすら寒い一日だったが、明日、晴れれば、相当下まで真っ白になった富士山を見ることができるでしょう。

成人の日の催しの晴れ着、大変だったでしょうね。逃げちゃった貸衣装屋、ひどい話だね。逃げちゃった旅行会社もあったよね。いやな世の中だね。詐欺天国日本、ということか。

今年成人の人、私がすでにインドネシアで仕事をしているとき生まれた人たち。思えば、長い間、竜宮城住まいだと思う。
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(^_-)-☆不毛政治 [思うこと]

 3278 是唯足知 天龍寺のつくばい、中学の修学旅行で、しっかり見た。そして、高校の修学旅行、その後ももう一度訪れてみていた。この影響は現在に至っている。
インドネシアの住処は家賃一か月13000円くらいだし、食費は二万円くらい、酒たばこは無し、着るものは作業服(ユニフォーム)かTシャツ、下は、ゴルフも仕事も同じ。ゴルフが2万円くらい、旅に一番使っていると思うが、飛行機代を入れても一回平均3万円で年5回くらい。これでも、旅やゴルフ三昧、“本当に仕事やってるの、遊びに行ってるだけだろう”と、誰かさんに言われても仕方がないような行動ができている。
余談だが、沼津で会社を始めたとき、真向かいに、名取製作所という射出成型の会社があった。駐車場が、私の工場の真横の空き地だった。そこの社長さん、真横の窓から、顔を出して、お前、仕事やっているように見えないな、いつもぶらぶらしていて、どうして、そんなに儲かるんだ、いい商売だな“よくいっていた。後に、その人、私が作った自動スパイラルチューブカッター付きの押出成形ラインをそっくりまねして、作ってしまい、エッジングのラインもそっくりに作ってしまった。その後が、また、面白い、結局、うまくできなくて、私に謝りに来て、装置を買ってくださいと頼みにきた。断った。その後、大安売りで、太田化工の売り先に侵入してきた。しかし、まともな製品を納めることなく、二三年後には、押出製品を売っているのか、どうか分からなくなった。太田化工から客先が逃げることはなかった。

日本の高齢者は、どんどん増える、その増えた人たちが、お金を使わない。貯蓄の総額がどんどん増えている。日本の借金総額をはるかに上回っている。日本の国債が多額なのに暴落しない、そして、日本が破綻しない大きな原因になっていることは確かだが、金が使われなければ、景気は上向きにならない。その大きな原因は、老後の生活費が心配で、節約するといわれているが、そうではなくて、私にしてみれば、買うものがない、今、持っているもので、十分満足だし、新しいものを買っても、今までの方が使いやすいに決まっているからだ。ガラ系が良い例だし、デジカメも手放さない、スマホやアイホーンを使わないのも、軽の車が多いのも、高齢者にとっては、その方が使いやすいからだ。

今後、20年は、国民の貯蓄総額は増える一方だし、人口減少も続くでしょう。デフレ脱却は、進まないでしょう。団塊の世代が就職したころから、少子化防止対策を劇的にしなければならなかった。そして、対策をしなければ、どうにもならなくってしまうことは明らかだったにもかかわらず。政治家も国民もそうしなかった。

デフレ脱却というが、日本の物価、滅茶苦茶高い、今日も、妻の頼みで、10kgのお米などをスーパーへ買いに行った。全く、私自身、買いたくないし、食べてみたいものがあっても妻に、これ買いたい、と、言い出せない。牛肉、どこ産か知らないが、それほど高級ではない、100g250円もする。豚は150円くらい。インドネシアの倍以上だ。果物も野菜も魚もすべてが倍以上だ。これで、インフレに誘導するとはどういうことだ。もっともっと、デフレになってほしい。年金が少なくなっても、その分、デフレになればいい。それと、円高になればいい。こういう発想をする政治家が幅を利かせてほしい。日本の政治は50年以上不毛だ。

娘の誕生日でした。47才だ。当たり前だが、それにしても、彼女も年を重ねたものだ。
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準備の一つ
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(^_-)-☆準備開始 [能力]

 3277 一週間後に迫ったインドネシア行き、準備を始めた。先ず、ラップトップ、予備に買ったラップトップのセッティングの完成をした。今使っているラップトップと同じメールアドレスで受送信ができるようにしよとして、以前、同じようにセティングしたが、受送信のうち、送信ができなかった。何かが、同じになっていないだろうということは、わかるが、どこが違うのか、わからなかった。そして、今日は、どこかに、隠れた数字とか、設定があるのではないかと、詳細設定を開いて見た。そこには、特別気になるところはなかった。その詳細設定の中にまた、詳細設定があった。開いて見ると、受信サーバーと送信サーバーがあった。数字があった。セットしようとする方を確認したら、数字が何故か異なっていた。そして、それを同じに設定した。見事に、受送信できるようになった。一寸、わからないですね。ヤフーやジーメールなど、無料アドレスのネットでのセッティングは、登録するだけで、案外簡単にできるし、移動も簡単だと思う。
ま、とにかく、10は、扱いにくい。

次いで、百円均一によって、駄菓子類を仕入れた。インドネシア人も日本人も空港の免税店で、過剰包装の人気?高級?菓子やチョコレートをあまり喜ばない。安いものを沢山上げた方が喜ばれるし、多くの人にあげられる。嵩張らないのもいい。振りかけやお茶漬けの元など、ご飯にかける物もここがいい。三千円も買えば、十分ばらまける。土産にはしないが、店の前の自動販売機、これも、百円均一だった。
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ところが、26万円の車、何やら、バイクの排気音のように、ないやら、ぼこぼこしだした。急にパワーが小さくなった。ちょっとした登り傾斜道で速度が落ちてしまい、橋の前の登りでは、アクセルを踏み込まないと登れなくなってしまった。三気筒が二気筒になってしまっているようだ。走れないことはなさそうだが、買った中古車店によって、事情を話した。10日には、三河まで行かなければならないから、何とかならないかと。整備屋さんが明日来てくれることになった。ただ、部品が直ぐ手に入るだろうか。心配だ。出発前には、何とか、直しておきたい。

いつものように、米麹も手に入れた。日本でも、好評で、何本かを日本の友人のも置いておくための準備も始めた。
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南アルプスと富士山
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(^_-)-☆今日もゴルフ [思うこと]

 3276 小雨降る中、今日も、うすら寒いゴルフ。なんで、こんな日に、ゴルフ?と思いながら、ただ、付き合っただけだった。そして、途中トイレに頻繁に行く、途中の休憩所だけでは、我慢できない人が全部で、ティーグランドから、ちょこっと、いなくなる人が多い。

中間の休憩の時、食事が終わって、まだ時間がある。私が行っている外国の話から転じて、自分は、ヨーロッパにいたとき、風呂場とトイレが同じ部屋になっているのに、何故か、とんでもないと、びっくりして、その後、どこのホテルでも、同じ、だから、外国へ行きたくないといっていた。確かに、日本以外では、そういうスタイルだ。

そこからトイレの話になっていった。日本式の便座、これは、私もびっくり、未だに、公共のトイレ、公園など、日本式便座が残っている、そればかりではなく、新築にも和式を付けている場所もある。私の家は、長泉に新規した時、50年近く前に洋式にしている。25年以上前に自動式便座を使っている。孫が公園のトイレに行って、飛び出してきて、仕方がわからないと、叫んでいた風景を思い出す。中国や韓国人はびっくりしないだろうが、欧米人は、びっくりだし,抵抗を感じると思う。
ホテルや旅館、公共施設、補助金を出して、洋式に変えるようになってきているようだが、せっかく、世界中で評判な、日本のモダンなトイレとそのシステム、清潔、安全、健康な見本を示して、世界中に普及させたらいいと思う。その道筋ができている。

ところで、また、インドネシアのトイレ事情、基本は、カマールマンディ(kamar mandi水浴び部屋)だから、紙は使わない、水が出て、水を溜める場所がある小部屋。来ていたものをひっかける場所はある。柄杓もある。和式に似ているが、向きが反対に座る便器がある。用を足したら、柄杓の水で、手を使って、きれいにし、便器に水をかけて,流す。立ち上がって、お尻だけを洗うし、体全体を洗う。そして、それは、朝の習慣にしている人が多い。日本人が朝、マンディ(水浴び)をしないことに、不潔だといわれる。
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新しい、住宅は、やはり、カマールマンディだが、便座は、洋式になっていて、水を噴射するホールが伸びる水鉄砲が横に付けられている。そして、会社や家庭トイレでは、ロールティッシュ(トイレットペーパーとは言わない)を置いてある場合も多くなっているが、紙は便器に流しては、詰まるから、禁止になっていて、壺に入れることになっている、うん子が付いた、紙がその中に溜まっていって、ふたができないほどになっている場所も少なくない。紙は水に溶けないということになっているらしい。私は、必ず、トイレットペーパーかティッシュぺーパーを持って入る。

日本人が利用するホテル、アパートはトイレ、バスタブ一帯の洋式になっているし、ショッピングモールやデパートなどは、洋式(ただ、便座に座って用を足すだけ、温水洗浄便座ではない)になっている。

やはり、欧米人に評判が悪い、和式トイレは、高齢者にとっても、苦労の一つになる。リラックスしすぎて、便座に座って、長時間、スマホをいじっているなどは禁止にしなければならないほどの、気持ちのいい環境のトイレに全部がなればいいと思う。それと、日本人にとっては、トイレと風呂場は別ですよね。
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家に戻ったのは18時ころ、丸、一日ゴルフで使ってしまった。
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(^_-)-☆初打ち [ゴルフ]

 3275 極寒の中、6時半に出発、日の出前、スーパームーンが西の空高く輝く幻想的な雰囲気。7時過ぎ、牧之原インター手前で、サンライズ。パット、茶畑が明るくなった。と、間もなく、ゴルフ場に到着。車から降りると、ゾクッ寒い。空は真っ青、風が強い。8時スタートだったが、その前に、パッティングの練習場へ、ポケットからボールを二個つかんで、グリーンに落とした。コツンと音がした。凍っている。
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スタートの順番が来た。ティーグランドが凍っている。ティーが刺さらない。そこで、穴あけ道具が活躍をする。この道具を使う時が来た。一寸、持ち上げておいて,すとんと落とし、穴をあける道具だ。正式な名前は知らない。毎ホール、前に行った人たちが作った穴を探すが、適当な場所に見つからないときには、自分で開ける。

急な坂道が多いコース、滑りやすい、斜面が左右交代である。そして、斜面に突き刺さっていて、下から見ると、いろいろな色のボールが見える。多分、斜面が叢だったのでしょう。その草を刈った後で、ボールを回収していないからだと思う。そこに登って、取る人がいないのでしょう。穴あけ器といい、ボールが壁になっている景色といい、インドネシアなら、想像できないことだ。

もう一つ、インドネシアにはないものを上げるとすれば、早くやれ、渋滞をなくせの意味である制度の矛盾、前四や前三という制度、OBの場合に、そこで、打ち直さないで、前方から四打目や三打目で打つ制度だ。なるほど、プレーを早める制度だ。しかし、一番、渋滞しやすいショートホールで、コールオンを進めていない、あるいは、後ろの組が来ているときには、必ずコールオンをしなければならないという制度がないこと。こちらは、プレーが遅くなることを、黙認している。

手がかじかむ、鼻水が滴る、厚着なので、腕が回らない、こんなゴルフは、あと二回、藤枝、そして、三河だ。もう、日本での付き合いは、それで終わる。
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行き、大井川からの日の出。
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帰り、大井川にかかる木造の橋、蓬莱橋が見える。
タグ:矛盾 鼻水 極寒
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(^_-)-☆縁側 [思うこと]

 3274 ヴィザに書かれているポジションと定款に書かれているポジションが違うと指摘された件、まだ、どうなるか、インドネシアから、知らせが入っていない。12日フライト、片道だけ確保してある。何も問題なければ、それで十分のはずだが、どうなるやら。

何十年ぶりに疑問が解けたことがあった。昨日の集まりで、現在は無くなってしまっている、以前、住んでいた頃の家についての話が出た。ポポーという木の話も出た。食べるのは私だけだった。誰もが、臭いとか、気持ち悪いとか言って嫌っていたが、私だけは、おいしいといって食べていた。大学進学と同時に、私が家から出た、その後、すぐに、切られて無くなってしまった。そして、先日、家の庭に苗を植えたという話をした。

そのついでに、お手洗い(トイレット)の話になった。当時は当たり前のおつりがくる甕式だった。それは、それとして、高校に入ったころ、しゃがむと、目の前の壁に、“この世の中”と書かれた。鉛筆書きだった。毎回、座るたびに目のまえにある。私はおふくろが、書いたとばかり思っていた。誰にも確認しなかった。この世の中のことを考えろ、という、哲学的文字と思いっていた。何年も、この家が壊されるまで消えることはなかった。たまに、家に寄ったとき,薄くなっていれば、なぞって、復元した。そのことを、話題に出した。すると、妹が“それ、私だよ”と、あっさり言った。60年越しの疑問が解けた。大笑いだった。妹は、昨年末まで、静岡ホームの理事長を務め、今年から、フリーになったそうだ。彼女は年女だ。

物心がついたころ、隣の家に遊びに行っていた。その家には縁側があった。その端に、便所があった。その反対側の端には、そば粉を挽く道具が固定されていて、おじいさんがよく挽いていた。その姿がいいなと思ってみていた。そして、縁側の有る家を見るたびに、家を作るときに、縁側を作るぞと決めていた。そして、そこから、庭が広がっていると思っていた。そして、便所は別として、粉ひき道具もないが、その通りにした。
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縁側の碁盤と鳥籠と菜の花。日当たりの縁側で碁敵とのんびり打つのが夢の一つだ。そう思って、碁盤は25年以上前、この家を建てた当時に買って、ここへ置いた。それ以来、一度も使っていない。碁石はどこへしまったか、覚えていないし、探そうともしていない。これを使うために、誘う人もいない。使うのはいつになるだろうか。十姉妹のつがいと、ヒナが入っている。鳥籠を日向に出してある。そして、庭には、菜の花。ここにいれば、のんびり平和に暮らせるのにと思う時だ。
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(^_-)-☆墓参 集い [思うこと]

 3273 習慣の墓参りと安西の家に集合、今年も習慣通り実行。バイパスを通って、富士川の手前、日本軽金属の脇から一号線に降りない東に向かう。坂を下り切ったところから富士市になっていた。そうか、蒲原が静岡市になって、富士川町は富士市になったということらしい、私の生まれ故郷は、庵原郡富士川町岩淵だったが、庵原郡ではなく富士市になった。

富士川駅前の信号を左折して、上りになる。地元では有名な野田山への方向だが、まっすぐ行って、富士川楽座方向に向かう。その手前を右に曲がって右に曲がれば、お寺の駐車場に入る。
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http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage102.html
バイパスを東に向かう、奥津から由比に入る境目、右の崖の上は、薩埵峠(さったとうげ)、そこから見える景色は、広重の作にもある有名な場所だが、この写真は、バイパスができる前は、砂浜を歩いて、行き来した場所だ。
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墓参りが済んで、静岡の集合場所に戻る前に、できたばかりスカイビュー観覧車から、百人一首に出てくる、田子の浦の方向だ。南方向、富士の町、駿河湾、伊豆半島を一望する。ここからの景色を見ると、60年以上前のこの辺りの環境が様変わりだ。足元近くに見える、すべての施設、道路、建物は、何もなかった。
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北の山の方角。ただ、ミカン畑か田んぼ、そして、茶畑だった。高速道路は、その山が削られて通っているが、富士川から、山道をずっと奥まで登りながら、ミカンを頬張りながら、カブトムシ、クワガタやメジロや蝶を追いかけた。この山も川も、私が駆け回る縄張りだった。まさか、昔、こんな風に、鳥のようになってこの景色を見るとは想像できない。
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http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage101.html
お墓、お寺からの景色、故郷の山から、見た景色だ。右の富士川橋のこちら側に私が小学校の時に、毎年、一週間ほど泊っていた、おじさんの家がある、今は、いとこがいる。太田石材店だ。

先ほどの“ぶらタモリ”と“家族に乾杯”のジョイン番組で、“三茄子”が何となく、納得になった。三保というより、それだけでなく、静岡市、駿府、駿河が大いに関係することが分かった。久能山東照宮、日本平の有度山が削られたのは、黒っぽい泥岩で成り立っていて、川(安倍川?)からの流れだという実験をして見せたが、どうも、理解できない、安倍川の河口は、今より、何キロも東にあったということは分かっている、静岡市市街の真ん中を流れていた。それなら、削るというより、川の水で運ばれた山からの土砂が堆積するはずで、削られる、の反対だと思うから、実験は川の流れの影響ではなく、海流がなせる業とすれば、納得できる。それは、それとして、茄子の話は、一応納得だ。 “富士山と鷹と茄子は家康のお気に入り“ということで。

東京からの身内を混ぜて、12人、妹の家(私が小学校に入る直前から高校卒まで住んでいた)に集合、当然、私が最年長、話が合わない点が数々あるが、いることに意味があると思っている。
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(^_-)-☆元旦 [思うこと]

 3272 Selamat tahun baru kepada teman-teman Indonesia 明けましておめでとうございます、インドネシアの友人達。
毎年、決まって、寿司パーティー、予約していないで10時半ごろ買いに行った、10分遅かったら、売り切れていた。売れ行きがよさそう。
 何もない、静かな新春でした。
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 庭の苗木に小さな新芽が付きだしていた。春には、何枚かの葉が出始めるでしょう。

https://www.youtube.com/watch?v=iR3jJK6Sjp0
2017/12/10 に公開 Pada kesempatan kali ini saya mengunjungi proyek pembangunan Mass Rapid Transit (MRT) Jakarta 日本企業が引き受けているインドネシア中、大注目のジャカルタ中心南北道路(ファットゥマワティ、スディルマン、タムリン)の地下を主に貫く、MRTの工事現場の訪問記録です。ここはホテル インドネシアの前です。向かって左前方に日本大使館が映っています。
スカルノハッタ空港までのLRTは完成し、すでに使われているようですね。ほとんど、高速道路沿いで高架のブカシまで、ボゴールまでのLRTもかなり出来上がっていると思う。今年中には、使用になると思う。
https://www.youtube.com/watch?v=m3Arahdc8kw
Progres MRT Jakarta! Kontruksi Rel Dikebut,Interior Kereta, Kunjungan Ke Jepang, Desember 2017
MRTの車両のことですね。
https://www.youtube.com/watch?v=kdvsaulqVd0
Kereta MRT Akan Dikirim Secara Bertahap Mulai 2018
日本製へ信頼と期待が大きい。早ければ今月、輸入が始まる。
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Suasana pesta kembang api saat malam tahun baru 2018 di kawasan Bundaran HI, Jakarta. Sejumlah warga ibukota dan sekitarnya memadati kawasan itu untuk merayakan malam pergantian tahun 2017 ke 2018.
ジャカルタ、ホテル インドネシアのロータリー辺り2018年新年の花火の雰囲気。首都とその周辺地域、年の変わり目を祝うための夜は混雑した。

https://www.youtube.com/watch?v=n8vkkDmuh88 Amazing!! Inilah Detik-Detik Malam Tahun Baru 2018 - CNN Indonesia Outlook 2018, Happy New Year!
youtubeで、3時間に渉るライブです。日本時間と同じパプアなど東インドネシアから新年を迎え、中部インドネシア、バリ、ロンボックなど、一時間遅れ、そして、二時間遅れで、西インドネシア、ジャワやスマトラ、カリマンタンなどが新年を迎える。4月のアジア大会の準備状況なども紹介している。

静岡に縁がある“一富士二鷹三茄子”、これらをテーマにした初夢を見ると、何か良いことがある、と、子供のころ、いわれていた。富士山は街のどこからでも望める、鷹は今の鷹匠町に鷹匠が住んでいた。しかし、茄子は?駿府に縁があるの。こじつけ理由はあるが、どうも、しっくりしない。茄子の有名な産地だったのかな。さて。今年の初夢は何でしょうか。

私が先代の北川弘二創立社長に大変、お世話になり、今は、息子さんが後を継いでいる。業績的には、安定は早かったが、先代からのしがらみ、人的なこと、株式のこと、大変難しい、厄介な状態で後を継いで、それらの解消に、腐心したと思う。そして、昨年末までには、諸問題をほとんど解消した。肩の荷を下ろして、ほっとして、新年を迎えられていると思う二代目、一人、何もできないが、応援している人がここにいます。安定成長を祈っている。50年以上、SPP、SPN,SPF,CE,CSGの製品でお世話になっている。

恒例のウイーンフィルハーモニーオーケストラのニューイヤーコンサートに聞き入った。ラデツキー行進曲まで。聞きながら、この文章を書いた。最後に一緒に拍手をした。 
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(^_-)-☆大晦日 [思うこと]

 3271 ♫昔、昔、浦島は、助けた亀に連れられてえ♫ではなく、助けるつもりで出かけたインドネシアは21年過ぎた。玉手箱は開けないまま、また、できるだけ、早いうちに、インドネシアへ逃げる。♫月日の経つのは夢のうち♫、だ。

今年は、今まで、5カ月日本にいる。久しぶりの長期滞在である。この間に、会っておきたい方の多くに会うことができたし、大学と中学の同級会にも参加することができた。沼津、長泉時代の人たちにも会えた。そして、独立から、譲った工場にも付近まで行ってみた。新婚時代に住んだ場所付近も訪ねた。

ゴルフも誘われるままに、何人かの人達と一緒させてもらった。“今年も無事に通り過ぎた、来年はどうかな”という話が、誰からともなく出る。そのたびに、いちいち、“まだ、まだ、体も口も達者でしょ、来年も、再来年も、まだまだですよ”と、わたしが言ってやる。すると、そういう、“まだ、まだ、というやつが、ぽっくり行くんだから、そういう話は、社交辞令に過ぎないよ”と、理屈っぽいことをいう人もいる。社交辞令で言っているのに、そういう会話が普通になっている。面倒くさい年齢になっている。同年代の5%が亡くなっていて、5%が動けない状態になっているようだ、というのが実感だ。特に山川君、野桜君、静高の同級生どこへ行った。インドネシアでは、栗崎さん。

“逃げるは恥だが役に立つ“説明が必要なフレーズだが、私にはぴったりだと思う。会社から逃げたことは、その裏にある、様々な、面倒なことから逃げるためだ。経営からも逃げた。社員や客先に対する責任から逃げた。日本から逃げた、家庭からも逃げた。いろいろな、役割から逃げた。そして、これからも、逃げる、止む負えないときだけ戻るが、基本は逃げだ。

逃げるが基本だが、一つだけ、言い訳を書く。私がいると、私の周りの人が私に頼りすぎる。私がいると、私がやってしまうので、楽ができる。小学校の時からそうだった。班を作って何かを作るということになると、私がリーダーに自然になってしまって、私一人で作ってしまう。ほかの人は見ているだけだった。仕事でも、私がやってしまうことが多かった。だから、なかなか、自立できない。自立させるために、私が手を引くのです。その時、残った人たちのスタート地点は、マイナスからでなく、プラスからにしているのです。金銭、技術などの十分な資産を残して去っている。当然、一年以上、それ以上前から予告しているのだが、残された方は困るというか、それは仕方がない、自立を促すためだから。

そして、逃げるとき、逃げる前に逃げ先を確保しておかないのが私のポリシーだ。
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逃げて、自分の会社をこの貸工場、左側だった。
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そして、その工場から逃げて、手も引いて、独立してもらった会社がここだ。
この正月、どこへも、出かけられない方、私のウェブサイトで旅をしてください。読む、見るだけで、多分,三日間は、インドネシアの隅から隅まで旅をした気分になれると思う。浮世から逃げれば、こんな旅ができるという証拠です。
http://otaenplaext.net/newpage01.html
http://otaenplaext.net/newpage2.html
http://otaenplaext.net/newpage327.html
http://otaenplaext.net/newpage350.html
近場でお勧めは、ブリトゥン、インドネシア国内で一番遠くでのお勧めは、ムラウケのソタ村です。

http://otaenplaext.net/newpage29.htmlこちらがムラウケ関連。
http://otaenplaext.net/newpage28.html
紅白を全員で見た。  
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(^_-)-☆ラップトップ [生活]

 3270 新しいラップトップを購入し、立ち上げた。買った店で、立ち上げサービスを頼んだらいくらかかるか聞いてみた。1万5千円だとか、インストールやデータの移行など、今、使っているPCと同じような状態にするには、それぞれで、3000円くらいかかるから、いくつかによるが、もし、私が頼めば、合計25000円くらいかかりそうだ。だから、当然ながら、自分で全部やることにした。

これとか、直接関係ないが、Windows 10 の更新プログラムが、突然、現れると、厄介が待っている。その一つ、時間がかかる。更新しています、お待ちください。と出てくる。終わるまで、何回か再起動しますと、出てくる。大体、70%過ぎたころ急に遅くなる。1%に5分以上かかることもある。次に、構成していますで、またかかる。終了まで3時間かかることもある。その間、何もできない。後で、にして、夜、寝る前にやるようにしている。それにしても、見張っていなければならない。パソコン教室など、たくさんのパソコンを持っている職場や教室ではどうしているのでしょうか。

私は、以前の7の方がよっぽど使いやすかったし、へんな操作も必要なかった。10に変わってから、トラブルが多くなったし、操作が厄介になった。何がどこにあるかも分かりにくくなった。それに、エッジは使いこなせない、エクスプローラーのままの方がいい。封筒の絵のメール、これも、厄介で使いたくない。アウトルックのまま、何も不自由がない。

そして、問題は、どういう訳か、今まで使っていたものが使えなくなってしまうこと、訳の分からない説明が出て、アウトルックが開けられなくなった。また、ワイファイが接続しているマークがパスワードを入れる前は出ているに、パスワードを入れて立ち上げると、マークが出てこない、そして、接続してくださいという説明が出てきてしまう。初期化してシステムの回復をしても、接続マークが消えたままだ。

丸一日掛けたが、結局、アウトルックは、セッティングができなかった。メールの受送信がこのPCではできていない。何故だろう分からない。

ゴルフ仲間で、やはり、ネットやブログをアップしている人から同じようなことを相談される。
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私にとって、予備のPCがどうしても必要なのです。
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風花の話を書いたが、静岡の平野部では、快晴が続いている。遥か北の南アルプスだろうなと思う山に雪が見えるが、望める場所は少ない。
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(^_-)-☆TPS後 11 [押出成形]

 3269 逃げの一手、気ままの二手目、行き当たりばったりの三手目。逃げ人生の始まりだった。将来、背負ってたつ気で入った会社から、これじゃ、できそうもいない、持ちそうもないと諦めて、ほうほうの体で逃げ出した。逃げたはいいが、逃げだしてから、何をするのか、まったく、決めていない、手を打っていない、就職先を決めてから,辞めるなどという段取りなど全く考えていない。ただただ、その場から逃げただけだった。説得する人、すべてから聞かれた。それなら、決めてから辞めればいいとも言われたが、そんなことはできないというしかなかった。

さて、どうするか、やめてしまって、考えた。妻の収入があるから、生活にすぐ困ることはい。一応それは計算ずくで、妻からの了解は得ていた。しばらくすると、どこで知ったのか、富士のポリプラのプラ研の所長から、来ないかという誘いがあった。押出に関して研究や指導をしてほしいと。また、大田区の日本エクストロンからも誘いがあった。どちらも、面接には出かけた。しかし、やはり、勤め人は無理だと思った。そして、自分で会社を始めることにした。

貯金がない。どうしよう、親にどうするつもりか聞かれていたが、開業資金を出してもらう訳にはいかない。どうしたかというと、フジプラの塩崎さんのお世話になることにした。この会社、その、二年ほど前に、私が紹介した大学同級生の小山君が、すでに、大番頭として勤めていた。しかし、彼は、営業、そこで、私が現場の手伝いを引き受けることにした。といっても、三交代勤務の現場で、私は夜勤だけ12時間、昼間は工場長?の弟さんがいた。22時から8時までだった。給料か固定で20万円だった。当時の大卒初任給が10万円だったので、夜勤で残業4時間としては、普通だと思うが、当時の29歳の会社員としては、かなり多かった。それを資金に充てた。一年半で、200万円以上溜まっていた。あと半年頑張って、それから、開業準備にかかろうと思っていた。

ところが、ある程度、フジプラも現行の生産に関しては、技術が向上し、私の存在を必要なくなってきたのでしょう。取引先(御殿場のアオイなど)や押出成形関連の装置、例えば五十嵐機械(アイメックス)など、押出機、引取機を作っている会社から是非来てほしいという話を持ち掛けられて、どうか、ということになって、面接に行かされたりした。もう、フジプラ潮時かなと思って、逃げ出した。

東プラ時代の倉庫の係長で、沼津に住んでいる人から、自分でやるなら、貸工場を持っているから、どうだといわれていた。そして、沼津の志下というところで、始めることにした。押出ライン一式、中古、100万円で準備した。当初の原料費やその他設備、50万円、トラック5万円などで始まった。仕事は、お前がやるなら、すぐに、そちらへ回すよ、という、会社から、50万円の仕事(LDPEチューブ、スパイラルチューブ用、当時は、後工程でスパイラルチューブに加工していた)が、すぐに始まった。太田化工の始まりだった。1973年4月、30歳でした。一人で始めた。
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茜色の富士山
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ゴルフ場にあった木。  
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(^_-)-☆TPS 10 [押出成形]

 3268 寒い、昨日、静岡のどこかで風花が舞ったという。しかし、私が移動した時間と範囲には、その雰囲気は全くなかった。
今朝、6時過ぎ、ゴルフに出かけようと外に出た庭に霜柱が立っていた。静岡市街では、霜柱も非常に珍しい。何日か前に、うっすらと、それらしきものは出ていたが、今日は、はっきりした霜柱だった。土を押しのけ、高さは5Cm以上だった。サクサクと踏んでみた。
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今年の打ち納だった。静岡カントゥリー島田コース、私もちょっと在籍していた南部化成本社の前を通って行ってみた。近い、

TPSで、誰よりも生え抜きの従業員から頼りにされていると認識していたし、技術的にも、私がひっぱらなければ、何もできないとも思っていた、そして、入社の時には、この会社のトップになって引っ張ろうと決意していた、その私が辞めよう、いや、見放そう、放り出そう、放棄しようと決めたわけだが、その理由の主なものは既に書いた。要するに、腰掛出向で来ている上司の無責任さと手柄探しと給料の格差とその人が私たちを評価する、その状態が、人が変わっても10年、20年と続くだろう、ということにあきれて、自分が自分で無くなると思ったからだ。

しかし、やめた理由は、それだけではない。会社の経営というより、技術者が自分に向いていると思うようになり、将来、その道に進むと決めた。経営というか、人を束ねるということの難しさを、子供のころから、やっていたというか、その役目をやらされていた。しかし、それは、自分には向かないといつも思っていた。就職して、やめる前には、35~40人ほどの部下を束ねる立場になってしまっていた。このくらいに人数が限界だと思った。また、間接的(部下がその部下を束ねる)にしてもだ。この考えは、自分で会社を作ってからも同じで、社長を他の人に任せたのも、経営者にならざる得なくなってしまったことと、36人以上になってしまったのが大きな理由だった。

そして、もう一つ、望まない付き合いが苦手だったこと、客先との付き合い、社員同士の付き合い、酒を飲めないことが大きな障害だとは思うが、それだけではない。やはり、面倒なのだ。サラリーマンでいる限り、必要なことだと思うので、サラリーマンは向かないと思った。これからも、楽な方に逃げたかった。
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国道150号を焼津から東に向かう、前方は、日本坂トンネルだ。右は新幹線の高架。
 

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(^_-)-☆TPS 9 [押出成形]

 3267 静岡市は南アルプス、北岳、まである。日本で富士山が一番、ここが二番3192m、静岡市に雪が降ることは非常に珍しかったが、北岳など白根三山には、富士山とどちらが早いかというくらい、早く降る、そして積る。そして、今日、静岡に初めて雪が降った、風花も舞った、というニュースがあった。このニュース、ちょっと変、南アルプスにはとっくに雪が積もっているのに。市街地の北部に降ったのでしょうか、それとも、梅が島辺りなのでしょうか。場所を言ってもらった方がよかったと思う。

風花(かざはな)といえば、小学校の時、授業中、窓の外を見れば、風花が舞っていた。もう、授業どころではない。運動場に飛び出して、両手を広げて、受ける、すぐ消えてしまう。地面に落ちて、すぐ消えてしまう。空を見上げて、真っ青な中に、舞う粒を追う。静岡の平野部には、年に一回か二回だった。積もることはない。

 入社して5年目頃に、仕事の成果について虚しさを感じるようになってきた。やはり、親会社の東レや極貿から出向できている人たちに存在だ。35~50歳くらいで、各部署の係長、課長、部長、工場長、その間に、何人かの補佐もいた。創立間もないのだから、仕方がない、当然ながら、塩崎さん(当時、係長、私が5年目まで、直属上司、係長)以外、すべてが出向者だった。押出の課長は極貿からの出向者だった。係長補佐になっていた私は、塩崎さん(初代組合長でもあった、私は三代目)が独立してからは、その人が直上司になった。そして、私の係の範囲と課の範囲は同じだった。要するに、どちらかがいなくてもいい組織になっていた。塩崎さんが辞めて自分で始めてしまった経緯がはっきり読めてしまった。

会社全体の従業員からの頼られ方、私の部門の技術、取引先とのつながり、私がすべてを引き受けているという意識があった。35人の部下を纏めていた。しかし、課長さん、何もしない、給料は私の三倍、会社にいる時間も定時以下、現場にはほとんど来ない。偶に出てきて、製品がうまくできていないと、何やってんだ、というのが、口癖、自分では、何もできないのに、手を出さないのに。

新規の話が持ち込まれた時に、私が応対する。できるかできないか、私が返事をする、できないといったことはないが。そして、試作が始まる、うまくいかない、納期に間に合わない、どうしようと、悩んでいるとき、休日無しで、改良したり試作したりして、どうにもならないとき、お前が引き受けたからお前が悪い、と、あからさまに言う、何回か、頭にきて、その場を放り出して、工場の外に出て、会社の周りを何回か回って、頭を冷やして、戻ってきた、ということもあった。その時、その場に、その人はいなくなっている。また、挑戦をする。納期が間に合わないときは、出来損ないのサンプルを持って、客先に状況を話し、納期を伸ばしてもらう。時には、客先が様子を見に、工場に来る。その人が、私に頼んだ責任者だから、社内的に説明をしなければならないからだ。上司は知らん顔、というより、対応しても意味がないから、顔を出さない。

そして、やっと、これなら承認をえられると思う製品が出来上がったとき、その人が、自分が届けるといって、持ってゆく。感謝されてご機嫌で帰ってくる。その後、寸法公差や検査標準書、限度見本などを作ってからの打ち合わせは、私が行くことになる。

総合力が、私より少ない人が、その人が、私を評価する。たまったものではない。入社から6年過ぎた3月末日に、時の工場長に直談判、そんな事情を話して、その人を返して、自分から仕事を覚えようとする他の人に変えてほしいと。そして、一年待ちます、何も変わらなかったら、辞表を出します。自分でやりますと。それから1年、何も変わらず、何の話もなかった。そして、ピッタリ、一年後、入社して七年後、3月31日に辞表を工場長に出した。そして、4月1日は、もう出勤しなかった。その後、呼び出されて、会社へ行ったが、説得だけだった。お世話になった臼井国際の社長さんやそのほか、囲碁などで知り合いになった、他社の経営者に近い方々からも、頼まれたのでしょう、呼び出されて撤回するように説得されたが、一年、何の話もなく、辞表を出されて、慌てている工場長や製造部長の姿を見て、体裁を見繕いたいだけだと、寂しく思った。だめだ、こりゃ、私の真剣な頼みを放っておいて、決心を変えようがない。

半年後、やっと、離職票を受け取ることができた。晴れて、フリーになった。1966年 22歳で就職し、1970年 26歳で結婚 1973年 29歳で退職でした。7年半(実質7年)TPSに在籍した。時代だったのでしょう、新しいことに次々と挑戦ができた密度が高かった。
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長泉町まで行ってきた。行き帰りの途中、富士川サービスエリア付近からの富士山と愛鷹山。
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そして、この通りの右側に、私たちの家があった。今は、建て替えられて当時の姿はない。
タグ:評価 辞表 程度
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(^_-)-☆TPS個人的 8 [押出成形]

 3266 25歳のころ、組合長をしていた、そして、三交代勤務を卒業し、日勤になっていた。入社して直ぐ三交代勤務になったとき、車の免許を取った。たまたま、IHIに就職していた大学の卓球部の先輩が、アメリカ勤務になるということで、車を使わなくなるから、免許証を取ったばかりの私にはちょうどいいといって、ルノーのポンコツを貸してくれた。二年間借りた。

その車で、箱根越えで横浜へ頻繁に通った。結婚の半年ほど前からだった。浦島町の下宿まで、箱根新道、小田原バイパス、第二京浜などを通って横浜に、また、東名で新横浜から南下して横浜に入った。所要時間2時間、到着が19時過ぎ、2~4時間ほど、一緒にいて、帰路に就く、会社の寮に到着は、23~1時だった。この頃から、今、日本でも、インドネシアでも長距離運転は苦になっていない。横浜の山下公園とか、その辺りが主にぶらつく場所だった。

1970年2月に結婚し、長泉の中土狩の借家に住みこんだが、しばらく、横浜の学校に妻は通勤していて、お腹が大きくなっていた夏に、静岡の教員試験を受け採用になり、裾野の小学校に通うようになった、その間に、子供が生まれた。最初から、近所の家や会社の近所の家に頼み込んで子供を預けた。当時、スーパーマーケットが営業するようになっていたが、夫婦で買い物にきて、一週間分の買いだめをする姿は、他に見かけることはなかった。典型的な共稼ぎの走りだったと思う。一週間分、4000円平均だった。

そして、社宅に移ったが、一年住んだだけで、長泉下長窪の分譲住宅地に自前の土地と一軒家を買って移った。妻は、長泉小に移っていた、子供は、近くの保育園に3歳から入った。子供の送り迎えは交代だった。仕事が遅くなり、自分の日だったのを忘れていて、気が付いたときにすぐ迎えに行ったが、7時過ぎ、暗い中、玄関の前の階段で保母さんと並んで座って、迎えを待っていたこともあった。とにかく、HPがない時代だ。何の時でも、遅れる場合に連絡が難しかった。

車は、パブリカ、千ドルカーと言われた。36万円だった。土地の価格が急騰し始めた時代だった。無一文から結婚生活がスタートしたが、二人でためたお金で、頭金を払えるようになったので、社宅から一早く出ることができた。その時、間もなく、会社を辞めることになる可能性があるとも感じていたからだった。それに、会社を辞めても、ローンを払い続けることができる自信はあった。その後も、妻ではなく、私が払った。

この七年間、まず、独身寮に入り、結婚して、中土狩へ、次いで、会社に隣接の社宅に世話になり、下長窪に自前の家を手にいれて移った。ここで、TPSの社員ではなくなった。知恵の勝負でもあったが、何より、体力勝負の世界だということを感じた。
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太田化工の来年のカレンダー、この月捲りのタイプ、創業の54年前に私が採用したものです。待ってくれている会社や人が大勢いる。私も毎年欠かさず3本もらってくる。
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用宗駅から500mほど東の踏切からの富士山。
  
Aktris Jepang Aoi Miyazaki baru saja menikah dengan seorang anggota boyband V6, Junichi Okada, tulis keterangan agensi Johnny & Associates pada 24 Desember.インドネシアでこんなことが報道されている。

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(^_-)-☆TPS個人的 7 [押出成形]

 3265 どこかで,書いたが、休日、装置が止まっているとき、人や車の出入りがほとんどないとき、何かのメンテナンスで外部から、工事をする人が入ってきていた。平日でもよく見かける、契約をしている会社の責任者、その人達が仕事をしているとき、私がいつも出勤していて仕事をしている。あの人はいったい何者?と、聞いていたよと、工事などの外注の責任者から言われたことがあった。また、後に、その工事に来ていた人と、交渉したり、依頼したりする立場になったときに、その人(第一工営)から、太田さん、なぜ、いつも、会社に出てきていたのか、何をする人なのか、気になったといっていた。

三交代シフトに入る前、あまりにも不良が多いので、私が志願して、夜の20時から朝8時までの12時間勤務で、連続で、できている製品の検査をマシンサイドですることにした。月曜日の夜からはじめて、日曜日二回挟んで3週間、夜勤の休日出勤48時間、ちょっと待を置いて、二回やった。二回目には、最終土曜日、突然の腹痛に襲われた。我慢をしていたが、どんどん、ひどくなるばかり、先輩に一人が心配して、その人の車で近くの東静病院に運んでくれた。ところは、すぐそこの病院なのに、到着したころには、痛みがなくなってしまっていた。

大騒ぎをした手前、治ったから、帰るというわけにはいかず、診察を受けることにした。しかし、専門の医者が不在、専門外?の医者が、とにかく、入院して経過を見なさいと、痛み止めだけもらって、入院になってしまった。その日の夜、流動食、お腹がすいた、見舞いに来た人たちが持ってきた果物を全部食べた。次の日曜日、まだ、医者がいない。もう、我慢できない、車を持っている先輩が、バーベキューをご馳走してやるから、長岡へ行こうと誘ってくれた。言葉に甘えて、10時には、一応、外出をすると看護婦に行って、出かけた。たらふく食べて、戻ったのが、17時ころだった。私を見つけた看護婦が、かなりの剣幕で私に迫ってきた。あなたみたいな人は、初めてだ。病院を抜け出して行方不明になってしまう人は。平謝りに謝った。でも、その後、月曜の朝も、重湯だった。
10時ころ、医者の巡回が来た。その医者、君はここで何をしている、と聞く、とりあえず泊ってゆけと言われたので泊っていると答えた。なんでもいないなら、出なさいと言われた。多分、昨日ことを報告されていたのでしょう。

持ち込んでもらった毛布や洗面道具を持って、病院からでて、歩いて、会社に戻った。寮に帰って,作業服に着替えて、仕事場に入る前に、事務所に顔を出し、皆様に心配をおかけしてすみません、と、挨拶をした。病院から、問い合わせや報告があったのでしょう。皆さん、笑っていた。

この事件の後、二つのことが問題になった。まず、日勤者が日曜の夜から月曜の朝まで時間外出勤(残業、休日出勤)をして、月曜日は、明けで、続けて仕事をしないで、休すむのだから、私は年休を使った。こんな時でなければ、年休を使って休むことはないからだ。その後、代休という制度があるのだから、代休にしなさいと、総務から言われたが、それじゃ、休日出勤手当がなくなるわけで、後、組合長になったとき、労働協約を、この部分、本人の選択とすることにした。

私は、この時期、所定内給与の24000円の倍くらい受取っていた。納期が間に合わなくて、暮正月休みも、一日も休まず繋げた。事務所の裏側に、従業員の休憩、仮眠の和式の建物がって、そこで、みんなで飲み食いをしながらだった。囲碁や将棋も置いてあったが、麻雀部屋とも言っていた。上司が夕方5時過ぎから、出前を取って、麻雀をやっていたからだ。

もう一つ、誰が、太田みたいな無茶な勤務をすることを認めたんだ。誰が、させたんだ、ということが、上の方で問題になった。後に、やはり、労働協約を改定になって、最大、一か月100時間とし、申請と許可が必要ということになった。平日は、一日4時間の残業、24時間の休日出勤、これだけでも、44時間ですからね。それに、交代手当、夜勤手当もプラスだった。
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二つの水槽を使っている。何故でしょうか、水が濁る方と濁らない方がある。水草や餌やりは同じようにしている。浄水器が違う、その為かと思い、交換してみたが、結果は同じで、濁る方は濁る。何故でしょうか。同じメーカーだが、種類は違う。
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連日の剪定作業、今日は主に柿の木だった。家を建てたときに、苗を植えた。幹は太さ80mmくらいになっている。小枝も短く切って袋に詰めてゴミの日に出せるようにするので、作業は大変だ。腰も痛くなる。
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“茜い色しいた 夕べのお空に そびえる岩木の 山見ていいたら 春風え そよお風え 祈りいを込めて
そおっと きいみいの名 呼んでみる“ 高校時代に、ラジオから何となく覚えてしまった歌です。この空を見ながら、つぶやいてしまった。聞こえたでしょうか。どうですか、知っていますか、57年前の歌です。  
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(^_-)-☆TPS 6 [押出成形]

 3264 給料対象の仕事以外のこと。看板つくり、垂れ幕つくり、何とか週間、何とか月間、その他、スローガンや目標など、何か催しがある時の案内書き、立てかける物、吊ったり張ったり、総務に頼まれたり,組合のことは自分からやっていた。大変重宝がられた。
碁や将棋の、他社との付き合いに突き合わされた。臼井国際や大東精機など、地域の会社との懇親や対抗戦などの催しに、休日や平日でも仕事が終わってから、人数合わせのために参加させられた。断れなかった。
社員レクレーション、忘年会、新年会、誕生日会、何とか会や慰安旅行、ハイキングや登山などのおぜん立てと、進行役。
そして、組合関連の仕事、7年の間、教宣部長、福委員長、委員長をした。社内だけでなく、上部団体にも引っ張りだされた。東レの組合長から、君、全繊同盟の専属にならないかと誘われたりもした、渡辺朗さん応援にも駆り出された。三年目に、組合員の平均給料が25000円くらいだった時に、8300円のベースアップを勝ちとったこともあった。たまたま、同業他社,地域他社の全体が、そういう環境だった。賃金事情という、雑誌が、それを表していた。ガラス繊維手当やテフロンコーティング手当など、環境改善と特別手当など、退職金制度も作ったし、社宅の建設も勝ちとった。社宅といえば、私が入居の第一号だったし、出てしまったのも第一号だった。現在駐車場になっていた。

このころ、学生運動が盛んな時で、学生時代から,共産党系民青と私たち穏健派(運動部系)との確執がって、就職しても、民青系の連中が、私から見れば、気に入らなかった。事実、頼まれたわけではないが、立候補したのは、民青系の外部からの介入で押された人が立候補したからだった。全繊同盟としては、会社としてはありがたかのだと思う。入社当時から、仕事以外にも、私的に、環境、生活面で気にかけてくれた総務部長と、24,5歳の若造が、個人的に予備交渉を重ねた。団体交渉で面倒なことにならないように、私なら、組合員を抑えてくれると、期待してくれていたのでしょう、私が要求したことに対し、無茶な要求ではないと、判断したのでしょう、ほとんど、満額回答で、工場長に進言をしてくれていた
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クルスマスイブでした。いつものように、小さなデコレーションケーキとモンブランで、ささやかなパーティーでした。孫、二人、すでに大きいので、ま、習慣的なものだった。今回から、プレゼントは、ナシ。
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金柑や柿の木の剪定をして、庭に広がっていた枝をなお細かく切って、庭から、隅の木の下に移して、妻の畑の整備も済ませた。時期が正しいのかどうか知らないが、桃と無花果の木を植えた。これで、ポポーが二本、ザクロ、桃、無花果を植えた。ポポーとザクロは芽吹き始めた。何年後でしょうか、果たして、自分で植えた果物の木、食べることができるでしょうか。  

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(^_-)-☆TPS 5 [押出成形]

 3263 溶融押出で、多分、日本で初めて作ったもの
スパイラルチューブ、縦割りチューブ、コイリングチューブ、三次元曲げチューブ、フレアー加工、ラッパ加工、突起加工、蛇腹加工、両端径が違うチューブ、外径一定で内径が違うチューブ、これらはチューブの各種です。
PA6やHDPEで小口径棒(穴が開いていない)巣ができないように、溶融押出で作ること、また、それをスプリングに加工、
小型の異形品、開放型、エッジング,グロメット(切り込み加工もある)、ベルトコンベアーガイド、エスカレーターチェーンガイド、
小型の異形品、密閉型、マガジンケース、ICケースなどなど、
他人がやったこと、他社がやったこと、外国で作られているもの、一切、参考にしていない。というより、関係する文献がなかった。勿論、押出成形加工に関する日本の文献もなかったでしょう。自分で作ったりやったりした人がいなかったと思うから、私が日本で最初だと思う。

固化押出では、もちろん、電磁クラッチを使った押出機を使ったし、丸棒は6φ~200φ、PA6,PA66、POM,PBS,HDPE,LDPE、プレートでは、幅500と300で、厚さ5~50原料は丸棒と同じ。大型異形品(プロファイル)、万力や鉄道の枕木の両側につくリテーナーという名前の製品など、肉厚パイプなどなど、これらの品ぞろえも日本でトップだった。GL樹脂って、今でもあるのでしょうか。印象的な樹脂だった。神戸の三ツ星ベルトまで、届けた覚えがある。

チューブに成型方法では、バキュームボックスの前にそれ用に作ったキャリブを作ったが。それだけでは,うまくできない製品、樹脂もあって、アルミプレートやステンレスプレートを付けたり、その前にエアーや水のリングを付けたりもした。
プロファイルの冷却金型は、冷却用の水、空気の通りやバキュームで吸う場所を様々な、組み合わせができるようにした。どんな樹脂でも、どんなサイズでも、私ならできるようにした。デザイン、完全に私オリジナルである。
あれから、45年くらいの後の今でも、似たようなことをしていれば、インドネシアで誰もやれないことができている。
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ここは、どこでしょうか、パンガンダランではありません。日本です。
タグ:加工 溶融 固化
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(^_-)-☆今になって [情報]

 3262 今になって突然こんなメールが入ってきたしまった。
結論からいうと、間違いが訂正されるまで、インドネシアへ来るには待ってほしいということです。
Selamat pagi
Ota san , mohon maaf sebelumnya .
ini ada temuan dari Dinas Tenaga kerja (disnaker) mengenai posisi Ota san .
Temuan tersebut mengenai IMTA dan AKTE NOTARIS posisi tidak sama .
1. Di akte notaris Ota san sebagai Direktur Utama
2. IMTA posisi Ota san sebagai Direktur Marketing

Temuan ini masih saya diskusikan dengan Ibu Endang . karena dari temuan ini akan ada perubahan IMTA atau AKTE NOTARIS.
Untuk kembali ke Indonesia Ota san tunggu masalah ini selesai.
Terima kasih
肩書き、定款に書いてあるポジションとヴィザに書かれているポジションと違うというのです。イミグレから指摘されたのでした。私も、油断した。ヴィザ申請の前に、自分でチェックしなかった。エージェントや会社の事務の人に任せ過ぎた。
でも、日本いてよかったと思う。間違った肩書きでいて、仕事していたら、高額罰金になっていたかもしれない。

Henisan selamat pagi
1. Visa saya sudah dibatalkankah?
2. Karau begitu nya Pentingnya posisi saya biarkansaja.Dan visa dapat lagi
Karena itu secepatnya bicara dengan Sincinsan SAKURA,Mengenai aprikasi dan
cara dapat.
3. Dapatnya di mana Singapore atau Japan?
4. Dan minta kasih tahu kira-kira berapa lama memakan waktu
5. karau begitunya sebagai pariwisata bias masukkah, Karau OKnya saya datang situ duluya.
ということで、こんなメールを送って返事待ちにした。行きの片道チケットは、買ってしまったので、往復をもっていけば、観光として入国して問題ないか。肩書き通りのポジションで申請して、シンガポールか日本のどちらでヴィザを取るのかなど、問い合わせた。
最悪、買ったチケットが無駄になってしまうかもしれない。

折角、前回、日本のインドネシア大使館まで二回もいって、受取ったヴィザが基本的なところで、無意味だった。こういう話はよく聞いていた。定款とポジションが違っていて、多額の罰金を払わされた上に、国外追放なんていう話を。まさか、自分とは。
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冬至でしたね。一年で一番早いサンセット,どうですか。Memorial dayでした。
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百人一首の詠み人を連夜している。
タグ:失敗 待機 冬至
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(^_-)-☆TPS 4 [押出成形]

 3261 今年も残すところ、10日になった。今期初霜の庭でした。
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バイパスへ入る途中、通過した、昨日、小学生二人が、車にはねられた場所、学校の正門の真ん前の信号がある交差点でした。
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6ナイロン、66ナイロンに可塑剤入りの原料がない、11や12ナイロンには、可塑剤入りがある。当時、これらのチューブを作るとき、可塑剤が入っていないものは、密着キャリブで、できたが、可塑剤入りの11,12ナイロンのチューブは、うまくできなかった。柔らかいから、キャリブの抵抗で伸びてしまい、伸びが一定しないから、径も一定しなかった。そのうえ、表面が艶消し状態になってしまって、外観が悪い。また、何となく折り曲げをしていると、千切れてしまう。フランスからサンプルは艶があって、落ち曲げてもちぎれることはなかった。つやを出すことに集中した。温度条件や引取速度などで、如何かとやってみたが、変わらなかった。出てくる溶融樹脂には艶がった。それがキャリブへの密着で艶消しになっていたので、キャリブの前に、小さな穴をあけて、水の膜を作ってみた。ちょっと、径が大きいところで冷やすので、縦しわが心配だったが、それはなく、問題は解決した。外径のバラツキも解決した。予備冷却の方法でした。大体、この方法で、PP各種、PS各種、ABSなどの共重合樹脂、PC,PBTなどなど、比較的、硬い樹脂はこの方になった。

その他にも、もっと、軟質の樹脂はどうか、例えば、LDPE,LLDPE、スピードの極端に遅くすれば、密着型で出来るが、それでは、採算が合わない、とにかく、スピードを上げなければならない。で、減圧というか減真空度、バキュームで金型の内壁に引っぱる力を調節できるようにしたかった。キャリブを箱の中に入れて、その箱の中を減圧することにした。間接キャリブということにした。キャリブに前の予備冷却はこれでも有効だった。

その後、PCチューブ、5φ×4,5φのチューブをやはりこの方法で作ったが、肉厚を一定させるために、サイジングプレート(当時がアルミ板に穴をあけて通すだけ、バキュームは使わない)だけを使って、密着で何とかやっていた。これが、技術がいる仕事で、私にしかできなかった。これは、辞めてから後の話に繋がった。http://otaenplaext.net/newpage306.html
素引き法と言っていたが、密着型とただ通すだけで、非常に柔らかい樹脂は、ただ、通すだけで、水は、周りからちょろちょろ出てくる方法だ。一番単純だった。軟質塩ビのチューブは、20社ほどあるインドネシアのローカルでも、簡単にできる。PU(ポリウレタン)もこの方法だ。
技術的には、丸棒板の成型方法についてもドイツから来た技術の面影がなくなるほど変えていった。圧力調整弁からの樹脂も入れの問題、電磁クラッチ付きのモーターを使った押出機を考え出した。金型の内側へのテフロンコーティングも始めた。丸棒、板だけでなく、肉厚のパイプ、例えば、100φ×40φといった具合に、また、50mm厚で幅300mmの板に下駄の足が二本、50mm幅長、長さ100mm、下駄を横から見たようなもの、また、肉厚60mmのT字型 天狗の下駄を横から見たようなもの、切削部分が少なく成るようにと、客先からの特注品だ。そりを無くすことに苦労した。

私が50年前にやったことは、今でもそのまま使っているという。もっとも、変えようがない、全サイズの金型を、新しいデザインに変えるなどは、膨大な費用が掛かる。エクストロン系の会社も、今も,当時のままの成型法だ。
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最近、インドネシアで作った製品、透明S-PVCのプロファイル、私の留守中、よくやったと思う。
タグ:複雑 間接 密着
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(^_-)-☆TPS時代 3 [押出成形]

 3260 品質管理の手法を使って、不良の種類と頻度をヒストグラムに表し、多いものから、少なくするための対策をする、なんていう、部外者がするようなことをのんびりしていても仕方がない。感覚的に、どんな不良が多いか、何が難しくて、製品がなかなかできないのか、感じるので、それらを、行きあたりばったり、解決していった。思い付きですべてをやっていた。指示をして、人にやってもらうのではなく、自分で納得できるやり方でやっていた。半年もしないうちに、私が一番、うまくなっていた。それでも、金型の改良をすれば、もっと楽に、歩留を上げることができると思い,実行していった。

チューブの製造方法は、密着型キャリブレーション(C.Cie直接バキュームで吸って、内壁に押し付けて外径を決める、外径に合わせた内径のC.Dieが必要)しかなかった。このタイプは、製品の硬度がある程度大きい樹脂、バキューム外径を周りから引っ張るので、引き取りで製品が伸びてしまわない樹脂、固まったときの硬さと、引っ張られて伸びてしまわないこと、が重要。硬さもそうだが、径と厚さの関係もある。要するに、限られた樹脂、限られたサイズのチューブしかできない。親会社の一つだった、近所の臼井国際という会社用にナイロン6で8φ×11φのチューブを作っていた。
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C.Dieとそれを取り付けるキャリブラーの一種

その後、HDPEのチューブを頼まれた。これは、また、難しい。固まったときに硬いから、C,Cieは、6ナイロンと同じでよかったが、ノズルから出てきた溶融樹脂が、円錐状に伸びてくれない。キャリブに通すのが難しい、引き落としが三倍以上あってもその他樹脂は細くすることができるが、HEPEは、引き落としをほとんど無くす必要があったが、それでも、難しい。そして、もう一つの問題は、熱伝導率が早く、水を指に付けて引っ張ると、固まってしまって、伸ばせない、水を付けないで摘まんで引っ張るので、完全に摘まんでしまうと火傷をしてしまう。摘まむか、摘ままないか、微妙な摘まみ方を繰り返し引っ張る。それでも、普通に火傷をする。火傷の上に火傷を重ねる。誰もが、一回やってみて、その難しさに、手をださない。私がやるしかなかった。

そのうえ、この樹脂は、他の樹脂と馴染まないので、例えば、LDPEを流しておいて、置き換えるという手法もできない。

もう一つの問題は、C,Dieに通した後、バキュームをしっかり効かせて、外径を固まらせて、引っ張らないと、密着していないところが伸びてしまって切れてしまう。引取機で引っ張り始めるまで、渾身の力で、手で引っ張り続けなければならなかった。すこしでも、C,Dieの入り口で密着しないと、切れてしまった。手で引っ張るとき、速すぎれば、密着しなくなる、遅すぎると、C.Dieの前で膨らんでしまって、ついに引っ張れなくなってしまう。早すぎず、遅すぎず、一定の速さで引っ張らなければならない。そして、引取機で引っ張りだしたとき、直ちに、速度をいじるか、スクリュー回転をいじるかして、C.Dieの前で、適当なふくらみにしなければならない。

多分、今でも、HDPEの立ち上げをうまくできる人は、そういないと思う。HDPEとPOMのチューブの立ち上げとまともな製品ができるようになれば、溶融押出成形では、一人前と言えるでしょう。

そして、その他の樹脂、サイズ、プロファイルなど、あらゆる要求に対応できる成型方法を作り出すことになった。丸棒、板などの成型方法にも不満があって、それにも取り組んだ。義務や役というより、本能的なものだった。
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静岡大橋の西側。
タグ:感じ 改良
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(^_-)-☆TPS 2 [押出成形]

 3259 敷地から、ちょっと狩野川側に下ったところに、独身寮があった。仕事場から2分ほどの距離だ。とにかく、会社の中に常にいたようなもの、仲間のほとんどは、一緒に仕事をする田舎からの先輩たち、そして、夏は沖縄からの、そして、冬は東北からの出稼ぎ者、そして、私の一年後には、山陰からの集団就職の若者、二三年は、毎年、5~7人入ってきた。様々な人種、言葉が、分からず、面白かった。入社して半年後の10月には、組合の教宣部長、(この時、後に独立して富士プラスチック精工の塩崎さんが組合長だった、押出の上司でもあった)そして、寮生の代表にさせられた。張り切って忙しく動き回りだしていた。仕事は勿論、組合のこと、そして、会社の総務がやる仕事の手伝いもした。会社の催しには全て関わった。安全週間、品質管理月間、社内球技大会、社員旅行、誕生日会といろいろなパーティーなどの準備、切り回し、なんでもかんでも、頼まれれば、コーディネートした。一年半後に副、二年半後に組合長、三年後に三交代から出て、押出部門の係長がいない係長補佐として、押出の全てを任せられた。

その間、仕事の方では、半年もしないうちに、私が技術的に一番になっていた。提携で当てが割れた装置を使って、チューブ、プルファイル、丸棒などの素材を作り出しでは、皆さんを指導できるようになっていた。次々と新しい樹脂が日本に現れた時期で、私にチャンスが、どんどん与えられた。enplaextエンプラエクストである。インジェクション、射出成型用の樹脂ばかりだったが、それを使って、押出成形をするのだった。原料を作る側も当時は、押出成形には、MI(メルト インデックス 溶融粘度)が、それ用でなければならないということを知っていなかった。ABSやナイロン6、66樹脂を作っていた親会社の東レに言っても、なかなか、作ってくれなかった。現場で、製造にかかわっていれば、そんなことは、直ぐに指摘できることだが、出向できている上司も、必要性を理解できていなかった。それで、何故、製品が出きないんだと、怒っていた。自分がやってみろよと、何度思ったことか。

とにかく、製品がうまくできるように、私自身ができるだけ簡単に製品ができるように、様々な改良をしていた。そのことで、打ち合わせをする場はなかったし、上司の許可をいちいち取ることはなかったし、金型のメンテナンスをする部門に、私からの頼みが、上司からの依頼書など、正規のルートを省いて、直接頼み込んでいたので、彼らは、戸惑っていた。いろいろな点で、技術導入した姿から、だんだん、別物にしていった。

http://otaenplaext.net/newpage307.html ナイロンとの出会い。
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チューブなど、穴がある製品の基本的金型です。ノズル、マンドレルの組み合わせですね。

また、面白い確率が出されましたね。30年以内に、7~40%の確率で、M9の大地震が起きるというものだ。懲りないなと思う。釧路辺りは、私からしてみれば、地震頻発地帯だと思う。10年間隔ぐらいでM6~8が来ているような印象だ。これらの余地はしなかった。そして、今後何回も起きるだろう、このくらいの地震の確率は言わないのでしょうか。そして、今回の予知?全く、意味不明、こんな予知なら出すなよと言いたい。人心を惑わせるだけだ。何度も書くが、日本中、いつでも、どこでも、巨大地震や津波が起きる可能性がある。そして、何度も書くが、予知していない場所で、巨大地震が起きている。それまでの、対策らしいものが、意味をなさない規模の災害が起きている。いや、何らかの対策をしていた地域なら、何も対策していなかったら、もっとひどい被害になっていたかもしれない。
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