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(^_-)-☆あれから14年3 [体験]

1218 コタを過ぎて、高速のガードを潜り、パサールイカンやスンダ クラパ方面へ北上した。そこから、西に向かい、以前、押出しの連中とアイススケートやボーリングを楽しんだメガモール プルウィットを目指した。これがまた、途中のルコは、店の商品はなくなった状態で、ことごとく黒こげ。人っ子ひとりいない。こんなところまでやられているのかと思った。しかし、最終目的のメガモールは無傷だった。ここにも装甲車がガードしていた。モール全体はしまっていたが、右端のマタハリだけは開いていた。食料品を求めた中華系の人々で混雑していた。私も、食料品をかなり大量に買った。自分の為ではなく、当時から資金援助をしていた学生や従業員へ後で配るためでした。
 帰りは、もと来た道をたどるように南へ向かった。スマンギを通りブロックMを横に過ぎ、ジャラン ファットマワティをなお南進して、ポンドック インダーまで行った。途中は荒らされている気配はなかった。ただし、そこかしこの施設や建物、店の前に、ここはスハルトとは関係なし、という、垂れ幕が張り付けてあった。ターゲットが中華系とスハルト系だったことの証拠である。アスファルトが溶けている場所は数え切れないほどだった。
 ポンドック インダーには私が当時技術指導をしていた若者と家族が住んでいた、彼らは、翌日、帰国することになっていたので、撮ったばかりの写真のネガを託した。本社に現状を伝えるように頼んだ。そして、何事なかったように、グラハ チカランへ戻った。大暴動後のジャカルタ ツアーでした。言葉には、すでに自信がったし、軍がそこかしこでガードしていたし、何の不安も躊躇もなかった。デジカメの時代になっていなかったので、パソコンに写真が保存されていないのが残念です。
 会社は一週間休みになり、何もすることがない、旅に出るというわけにもいかず、当時、ドライビング レンジは私が知る限りではリッポ チカランのホンピンパの側とハリム空港の手前とハリム ゴルフ第二にしかなかった。まったくゴルフをやったことがなかったが、暇なので、ハリムの打ちっぱなしで初めてレンタルのクラブを振った。その時がなかったら、ゴルフをいつから始めることになったか、わからない。ずっと後になっていたでしょう。
 アムラ ウイラント グリンドゥラ プラボー
 後日、仕事で、さまざまな方面へ出かけて行ったが、そのたびに、暴動の跡を目撃することになった。
 ブカシバラットはメトロポリタンモールの建物は無傷だったが、その向かいの今はサイバーパーク問い建物になっているが、当時はスーパーヘローだった。その他にもその並びや裏に沢山のルコがあった、全部、焼き討ち略奪にあっていた。今のジャイアンやブカシスクエアーの建物はなかった。
 コタ チカランはラマヤナとその周辺がやられていた。

 タンゲラン方面の国道沿いは惨憺たる状態で、高速から出たあたりのルコも全部焼かれていた。その次のインター、リッポカラワチのショッピングモールも略奪、放火に見舞われていた。
IMG_3500.JPGIMG_3505.JPG
 タマンアングレックのアパート、当時はその他のビルはなかった。その向かい側が、トリサクシ大学(日本でいえば早稲田大学に似ている)がある。国会議事堂、惨事の10日前ごろから、学生デモで完全に機能を失っていた。

スホイ関連
 もう、次第にニュースから消えてゆく、6月には、話題にならないでしょう。

25日に切れる短期滞在ビザを30日延長する手続きを頼んだ。労働ビザの申請が遅れていて、今月中にシンガポールへ行けないことが確実になったためです。とくに、焦る必要もないから、それまで、まだまだ、遊べるぞ。

   

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(^_-)-☆あれから14年3 [体験]

1218 コタを過ぎて、高速のガードを潜り、パサールイカンやスンダ クラパ方面へ北上した。そこから、西に向かい、以前、押出しの連中とアイススケートやボーリングを楽しんだメガモール プルウィットを目指した。これがまた、途中のルコは、店の商品はなくなった状態で、ことごとく黒こげ。人っ子ひとりいない。こんなところまでやられているのかと思った。しかし、最終目的のメガモールは無傷だった。ここにも装甲車がガードしていた。モール全体はしまっていたが、右端のマタハリだけは開いていた。食料品を求めた中華系の人々で混雑していた。私も、食料品をかなり大量に買った。自分の為ではなく、当時から資金援助をしていた学生や従業員へ後で配るためでした。
 帰りは、もと来た道をたどるように南へ向かった。スマンギを通りブロックMを横に過ぎ、ジャラン ファットマワティをなお南進して、ポンドック インダーまで行った。途中は荒らされている気配はなかった。ただし、そこかしこの施設や建物、店の前に、ここはスハルトとは関係なし、という、垂れ幕が張り付けてあった。ターゲットが中華系とスハルト系だったことの証拠である。アスファルトが溶けている場所は数え切れないほどだった。
 ポンドック インダーには私が当時技術指導をしていた若者と家族が住んでいた、彼らは、翌日、帰国することになっていたので、撮ったばかりの写真のネガを託した。本社に現状を伝えるように頼んだ。そして、何事なかったように、グラハ チカランへ戻った。大暴動後のジャカルタ ツアーでした。言葉には、すでに自信がったし、軍がそこかしこでガードしていたし、何の不安も躊躇もなかった。デジカメの時代になっていなかったので、パソコンに写真が保存されていないのが残念です。
 会社は一週間休みになり、何もすることがない、旅に出るというわけにもいかず、当時、ドライビング レンジは私が知る限りではリッポ チカランのホンピンパの側とハリム空港の手前とハリム ゴルフ第二にしかなかった。まったくゴルフをやったことがなかったが、暇なので、ハリムの打ちっぱなしで初めてレンタルのクラブを振った。その時がなかったら、ゴルフをいつから始めることになったか、わからない。ずっと後になっていたでしょう。
 アムラ ウイラント グリンドゥラ プラボー
 後日、仕事で、さまざまな方面へ出かけて行ったが、そのたびに、暴動の跡を目撃することになった。
 ブカシバラットはメトロポリタンモールの建物は無傷だったが、その向かいの今はサイバーパーク問い建物になっているが、当時はスーパーヘローだった。その他にもその並びや裏に沢山のルコがあった、全部、焼き討ち略奪にあっていた。今のジャイアンやブカシスクエアーの建物はなかった。
 コタ チカランはラマヤナとその周辺がやられていた。

 タンゲラン方面の国道沿いは惨憺たる状態で、高速から出たあたりのルコも全部焼かれていた。その次のインター、リッポカラワチのショッピングモールも略奪、放火に見舞われていた。
IMG_3500.JPGIMG_3505.JPG
 タマンアングレックのアパート、当時はその他のビルはなかった。その向かい側が、トリサクシ大学(日本でいえば早稲田大学に似ている)がある。国会議事堂、惨事の10日前ごろから、学生デモで完全に機能を失っていた。

スホイ関連
 もう、次第にニュースから消えてゆく、6月には、話題にならないでしょう。

25日に切れる短期滞在ビザを30日延長する手続きを頼んだ。労働ビザの申請が遅れていて、今月中にシンガポールへ行けないことが確実になったためです。とくに、焦る必要もないから、それまで、まだまだ、遊べるぞ。

   

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(^_-)-☆あれから14年2 [体験]

1217 多くの日本人の慌てふためきをよそに、帰宅も自分で運転して、MM2100から高速に乗りジャカルタと反対方向のチカランから、ルマーアバンのグラハチカランまで何の問題もなし、暴動はどこの話という雰囲気だった。しかし、高速道路はフリーパスだった。
 次の日は、流石に、家にいた、そして、スハルトの退陣劇をテレビで見ていた。と、同時に、焼き討ち後の惨憺たる状態も見ていた。外へ出て行って、ゴレンガン(揚げ物)を買って、セキュリティーに渡し、近所の様子もチェックした。外国人に何か危害を加える気配があるかを確かめたかった。まったく問題なしだった。
 軍のタンクが各交差点、重要建物の前で警護をしている様子も映し出されていた。家にじっとしていられなくて、2日後、チッポチカランまで行ってみた。当時はEJIPとMallに分かれる四つ角がロータリーになっていて、Mall側に戦車が侵入を止めていて、モールへは行けなくなっていた。そのまま、家に帰っても意味がないので、思い切ってジャカルタへ行くことにした。チカランバラットから高速に乗ったが、チケットを渡す人がいない、そのまま入った。高速道路は貸し切り状態、前後に一台も車が見えない。対向車線にはジャカルタまで数台とすれ違ったかどうか。ポンドック グデティムール当時は4500Rp払うが通過、チャワンで5500Rp払うがこれも人がいないので通過一旦、クニンガンで降りた。高速道路に下に戦車が二台警備していた。信号は働いていなかった。そのまま、ガトゥットゥスブロトを通ってスマンギの交差点まで行った。ジャラン スデイルマンに降りて北へ向かったが。ここでも戦車数台があった。ジャラン タムリン
へ入ったところの噴水の周りには多分、ざっと見て10台位に戦車、装甲車とともにNHKなど外国のTV局に中継車が数台あった。そこまでは、何も暴動の後はなかった。ジャラン タムリンからジャラン ガジャマダに入ったころから、道の両側のビルの窓ガラスが割られ、道にはタイヤなどを焼いたような跡が見えはじめた、グロドックの陸橋が見えてきたときには、すでに両側のビル全部のガラスが割れて、黒こげになっていた。陸橋は真っ黒に焼けていた。その左側に曲がる道沿いに様々な商店があるが、これらも全部破壊されて真っ黒だった。ただし、グロドックの中は無傷のようで、入口を装甲車が塞いでいた。もう、悲惨を超えていて、良くここまで、やってしまうものかと、集団が狂気になった時の恐ろしさを目の当たりに見た気がした。
ホテル バタビアやスタシューム コタ周辺は健在。結局、中華系の商店、ビル、人が対象だったのです。
 
 スホイ関連
 HPやカメラが多数回収され、それの放映も始まった。全員がはしゃぎまくっていて、席に座っている人はほとんどいない。一瞬の間に木っ端みじんになってしまった。何も考えるいとまもなかった。
 必ず、こういう事件がると、乗り遅れた人がいるもので、ジャカルタの渋滞で遅れ、渋滞さまさまだった女性がいた。
20120515black-box1[2].jpg
 ブラックボックスが見つかったと書いたが、私の間違いでした。今朝10:00頃、機体の最後尾から100mほど離れた場所で、黒く焼けた状態で見つかったらしい。
それよりも、見つかったら、どちらが、分析するのか、もめているらしい、場合によっては、アメリカで分析してもらうという案もささやかれている。
 今日はたったの2袋、病院へ届けられたとか、合計、29袋です。
IMG_4080.JPGIMG_4081.JPGIMG_4082.JPG
 近道、抜け道、狭い道をジャラン ティクスと言います。その様子です・私は、ここに限らず、あらゆる場所で、近道、抜け道があれば使います。三か月前、高速道路をバイクで封鎖された時も、この道を使った。
   

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(^_-)-☆あれから14年1 [体験]

1216  1996年夏にインドネシアへ始めて仕事をしに来た。16年前です。それから、2年足らず、98年5月に大暴動を目の当たりに経験した。その一週間前ほどから、不穏な空気が膨らんでいった。トリサクティ大学(タマンアングレックの高速を挟んだ向かい側)の学生のデモへ水平射撃で数人の犠牲者がでたことを最大として、スハルト政権打倒のデモはインドネシア中に広がっていた。また、暴動2日前にガソリンの30%位の値上げが実施された。デモの弾圧に警察では手に負えず、軍も参加していた。その時の国防大臣がウイラント、軍の最高司令官がプラボーだった。二人とも、現在、ミニ政党の党首をしていているが、この暴動の黒幕だったという疑いは晴れていないが、当時、追及もされなかった。
 昼前、会社にいて、ジャカルタ北部で暴動が始まったというニュースが入ってきた。キャンティーンのテレビを点けっぱなしにした。タンゲラン方面とブカシ方面東西に暴動が連鎖していった。MM2100へは来なかったが、国道沿い、ブカシティムール、タンブン、チビトゥン(MM2100の高速を挟んで北側)を通りコタ チカランに15:00ごろには達した。だんだんMM2100に近づいてきて、通過する模様が伝えられた。私が当時住んでいたルマーアバンの手前で終息した。
 暴動、略奪、焼き討ち、暴行など、完全に理性がなくなった集団がやりたい放題のことをしてしまった。暴動が襲った付近の高速道路のゲートもすべて焼かれた。後で知ったが、中華系の人がターゲットにされ、残忍な暴行も各地であった。

 ジャカルタに住んでいる多くの日本人は、夕方、会社から出て、あちこちが通行止めになっていたため、翌朝にやっと家に着いたという人が多かった。
 
 日本人に対し、国外脱出勧告がだされ、翌日にはチャーター機も到着していたが、脱出希望の人数が多すぎて、さばききれない、ホテル日航集合、バスでスカルノハッタ空港に向かい、日本やシンガポールなどへ脱出する計画だが、処理しきれず、各場所で最長2日待機した人もいたという。実際には、その後、何も起きなかったのだから、私のように、休暇と思って、ゆっくりしていればよかったのですが。それぞれの会社の本社や日本政府にとっては何もしないわけにいかないから、脱出勧告を出したのですが、それにしても、危機管理というか、対策というか、手段というか、全てに、場当たり的で、計画性がなく、ただただ、慌てふためいて、うろうろしていたとしか思えなかった。私は、それに振り回されなくて正解だった。

 迅速だったのはアメリカとオーストラリアだった。翌日の朝にはハリム空港(スホイ、デモ機が飛び立った空港、東南ジャカルタ)に本国からチャーター機が到着していて、その日のうちに脱出をしていった。場所も空軍の空港だから安全だ。

スホイ関連
 一週間過ぎた。ブラックボックス(実際にはオレンジ、Flight Data Recorder)が発見され、回収された。例のブンクス(包み)は25になった。一人一包みにしてもまだ半分である。もう、後は細切れになってしまっていて、カントン(袋)と表現しているが、小さな袋で、回収するようになるでしょう。ハリムへ5袋ついたと言っていた。
 ブンクスの中身の身元が判明し始めるのは二週間後からだという。そのころには、インドネシア人の関心は失せているでしょう。
IMG_4084.JPGIMG_4083@.JPGIMG_4083.JPG
 タンブンへ行ってきたが、行きは高速を使い帰りは途中MMへ寄ったので、ジャラン ティクス(jalan tikusネズミ道)を使った。その入口と出口、バイクの通勤道路でもある。

 

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(^_-)-☆JKT48 [思うこと]

1215 JKT48のこと、グローバルTVと何らかの提携をしているのでしょう、グローバルTVに頻繁に出るが、その他のTVには全く出ない、出演依頼が来ないのでしょうか。日系企業のTVコマーシャルには頻繁に登場する、これは、全TVで流されている。ジャカルタ新聞では盛んに状況を伝えている。
 しかし、一向にランクインしてこない、他のTVの歌番組にはまったく登場しない。ベストテンなどには程遠い。何故でしょうか、今、インドネシアで人気なのはK-POPです。そのスタイルの、スマッシュという男性グループ、チェリーベルという女性グループを始め、類似したグループがベストテンの常連になっている。また、根強い人気のコタック、ゲイシャ、ニジなどといったインドネシアンPOPが固定していて、JKT48が入ってくる可能性は非常に小さい。躍起になって、売り出そうとしている様子は伝わってくるが、空回りをしている。日系の男性化粧品のコマーシャルに使えば、売れるようになると思うのだが、どうでしょうか。

 イスラムでも腿出し、胸半出しは認められている。臍出しはだめらしい。インドネシアでは女性歌手に求められているのはダイナミックな色気です。伝統的にダンドゥットゥの腰ふりダンスを強烈にすれば、すぐに、人気が出る。K-POP女性グループもひらひらの超ミニスカートで胸も半だしの生地が少ない節約コステュームで大人の色気を発散している。韓国語の歌詞は入っていない。歌詞やメロディー、ハーモニーはどうでもいいことです。
 そこへ行くと、日本語で言う、かわいさ売りのJKT48は、色気がないので、全然、注目されないし、どうでもいいと言ったって。歌詞は理解できないし、カタカナ(英語のはず)歌詞が一つの音符になっていないので、英語になっていない。インドネシア人には不思議な日本語に聞こえている。
 ということで、私の予測では、ジャカルタ、インドネシアではJKT48は成功しない。まず、インドネシアでJKT48もどきの女性歌手グループが誕生してくるか来ないかがバロメーターです。多分、出てこないでしょう。
IMG_4074.JPG
 ジャバベカゴルフNo17ショートホールのグリーン上でトムチャット(Tomcat)火傷虫を見つけた。JABOTABEKで被害が発生しているという注意勧告が出ているニュースは伝えたが、私もインドネシアで初めて確認した。キャディー全員は初めての出会いで、興奮していた。芝の葉の大きさと比較してもらうと分かりますが、長さ7~8mm太さは1mm程度。自分で、よく見つけたと思う。
Lokasi-Pesawat-Sukhoi.jpgEvakuasi-Korban-Sukhoi.jpg
厳しい捜索活動、道なき、ジャングルの急斜面を切り開くことから始まった。21包みが警察病院へ運び込まれたが、運び込まれる頻度の間隔が開いてきた。一人が胸の前に抱えて軽々運び込んでいる小さな包みもあった。
 ロシアチームも捜索に参加した。飛行中写真を撮って地上の人に送られていた写真が多数紹介されている。
  

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(^_-)-☆ミステリアス [変!]

1214  スホイ サラック山に激突、機長は高度1万フィート(3千m)から、6千フィート(1800m)に下げると言った後消息を絶った。なぜ、高度を下げたのでしょうか、これが、一つの疑問、何故、サラック山を目指したのか、5百mほど右か左へ寄っていれば1500m高度でも衝突しなかった。

テスト飛行、デモ飛行では普通、山岳地帯を通るコースは許可しない、そして、今まで、このコースをテスト飛行で許可したことがなかった。なぜ、申請したのか、何故、許可したのでしょうか、これは、インドネシアの航空局にも責任がある。

前方に山が迫っていれば何十キロ先からでも自動的に回避されるシステムになっているはずだし、警告も出されるはずだと思うが、システムをオフにしていたのでしょうか、それとも働かなかったのでしょうか。働かなかったとしたら、原因は何だったのでしょうか。
 
国家事業になってしまった捜索活動、芸能人や一般人まで、ボランティアで捜索に参加している。何千人、救急車、輸送車、ヘリコプター何機、何十台、さまざまな機材、医療機関、既に5日過ぎた。これから何日かかるでしょうか、膨大な費用はロシア、スホイ社が負担するのでしょうか、ディスカウントしても膨大な費用になると思う。遺族への慰謝料もばかにならないと思う。責任の割合を確定するには相当時間がかるでしょう。
 また、今回の捜索活動はインドネシアの警察、陸軍、空軍総動員の合同作業だが、インドネシアのその実力が明らかになることと、彼らにとっては、実戦訓練の機会でもある。経験しない方がいいが、経験のないことをするのですから。
IMG_4071.JPGIMG_4072.JPG 
ビンタン島へ出発した飛行機の座席の前の警告を写真アップし、インドネシアらしいと書いたばかり。その日の午後です。スホイが消息を絶って、間もなく、TVで搭乗直前の記念写真、出発直前の機内の様子、コックピットの様子(パイロットも写っている)食事か飲み物を配っている様子、キャビンアテンダントとの記念写真などなどが、紹介された。私は何故、これらの写真を家族や同じ会社の人、報道陣が手に入れられたのかと思った。可能かどうかは知らないが、一つの方法として、招待客の多くがHPで送ったに違いない。また、手段として、そうとしか考えられない。それが原因かどうか知らないが、罰金や懲役と書いても意味がない。その飛行機には、書いてなかったかもしれないが、アナウンスは有ったはずです。インドネシアでは地位も知識もモラルも高い人たちがやったことです。誰も、注意をしなかったのでしょうか。計器を誤動作させなくても、もしかしたら、機長と地上との交信を邪魔したかもしれない。そうなら、ロシアの最新鋭旅客機をぶち壊したのは、インドネシア人の招待客だったのかもしれない。一つの説です。インドネシアの報道もそのことについて論議している。

ブラックボックスはまだ見つかっていない。

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/page0403.html
西部ジャワの地図です。左側の上JakartaとBekasiの間にHalimの空港があります。そこから離陸し途中、Salak(2211m)があり、インド洋に面する港湾、Pelabuhanratuを目指したのです。
と書いているときに、新しい情報が入って、パルンクダの上空を通って、西に旋回し、サラック山の南側に激突した、その旋回中に高度を下げたと。なお、ミステリアスになった。
遺体の一部はハリム空港までヘリコプターで運ばれ、救急車に移して東ジャカルタの警察病院に安置されている。プラスチックの袋に包まれているが、すべてが異常に小さい。担架で運ぶような姿をしたものは全くない。今晩までに16カントン(包み)(インドネシア語ではそう言っている)運び込まれた。身元は誰一人確定していない。

  

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(^_-)-☆キジャンから [日常]

1212 サンがないサンセット タンジュン ピナンの港付近、バタムへ向かう水上バスが見える。
IMG_3976^.JPGトヨタの車じゃないよ。P.Bintanの南三分の一ほどはキジャンという地方です。タンジュン ピナンの空港の名前も通称キジャン空港と言うそうです。
 と、言うことで、今日は、コタ キジャンの南の港からポンポン船に乗って島めぐりをしてきた。クプラウアン リアウ州というくらいだから小さい島が沢山ある、その島巡りを狙ったが、本当に島巡りだけで何もなかった。マングローブに囲まれた島々が大多数だが、その島のマングローグ林を引き裂いて、真っ赤な土の道が海辺まで来ている。そして、島々の上の方は河童の頭のお皿のように真っ赤な地面が広くむき出しになっている。シャベルカーやダンプカーが見える。また、海辺のところどころには、岸から斜め上方へ向かって海にベルトコンベアーが伸びている。その下には大型の箱舟が待機している。何の積み出しでしょうか、カリマンタン ティムールなら石炭の積み出しです。ここはなんとボーキサイトの積み出しです。
 IMG_3976@.JPGIMG_3976.JPG真っ赤な土はボーキサイトだったのです。地元に人の話によると5年前まで日本へ大量に輸出していたそうです。そういえば、父親が勤めていた蒲原の日本軽金属の海側に真っかな三角山がいくつも聳えていたことを思い出した。小学校の頃、アルミニュームの原料はボーキサイトと行って、日本では産出しないので南方からすべて輸入していると教えられたことがあった。今日、初めてその産出地を確認した。現地の人は、あれはボルキシだといい、日本へ輸出していたという、何のことか、最初、なにを言っているのか、分からなかったが、アルミの原料だと聞いてなるほどと思った。

 しかし、今は輸出ストップ、採取もストップしているとか、日本は今は、どこから、輸入しているのでしょうか、そこまでは知らない。
 山が真っ赤になりジャングルが消えてゆく、自然破壊の典型です。掘れば掘るだけ限りなくボーキサイトは産出できるそうですが、さすがに政府も中国やベトナムへの輸出をストップし、掘削もやめさせた。聞くところによると、この採掘に関してもかなりの贈収賄の疑いがあるという。
IMG_3976[.JPG
 今は、漁業の町になっている。私は観光地として開発したらいいと思う。このマングローブの島々を多くの人に紹介したらいいと思う。

 夕方になると西海岸の広場にプラスチックの椅子と机がどこからかわいて出てくる、1Km長さで、幅が5m~30mくらいある椅子の数はざっと来て千以上はある。カキリマが道沿いに並ぶ、ジャグンバカール マサック、ミーバソ、サテカンビン、アヤム、オタックオタック、ナシゴレン、ミーゴレンなどなど、一般的なインドネシアの食べ物と飲み物の店が並ぶ。家族ずれ、恋人、若者同士、こういう姿をみていると、なんだかんだと言っても、多くの人は満足しているように見える。

 スホイに関して、19:00 ぶつかった崖の下へ落ち始めているが、まだ、3km以上ある散乱地に到達をしていない。道がないので先ず道を切り開かなければならない。今日は行動を止めたそうです。乗客のほとんどは、インドネシアの航空会社の地位の高い人でしょう。
 
サラック山(2200)のすぐそばの1800mに激突300mほど下に散らばっているという。11日17:00まだ、落下地点に到達していない、遺体を発見などということはないし、落下傘が降下したなどということもない。降下できる場所もない。ヘリコプターのフォバリングで人を下せる場所でもない。遺体を発見してもヘリコプターが待てる場所まで運び出す必要がある。
もし遺体を発見したとしても肉の破片のようなものだから、一人とか二人とか断言できることはないと思う。御巣鷹山の事故とは比較にならないほどの激突状態で、世界貿易センターへ突っ込んだよりも木っ端みじんだと思う。
  

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(^_-)-☆プラウ ビンタン [情報]

1211 今日のサンライズ
IMG_3882@.jpgBintan Argo Hotelに二泊してゆっくりつもりだったが、何もすることがなさそうなので、11:00に今晩の宿泊をキャンセルしてTanjung Pinangへ向かった。ホテルを探す前に、観光をすることにした。しかし、運転手とコミニケーションがちぐはぐで、ホテルへ先ず、連れて行かれた。ポイントはワイアレスランを使えることでした。使えることを確認して泊まることにした。
13:00オジェックを頼んで市内観光をした。初日にはほんの一部の新興地区を散策したが、今日は、旧市街というか、昔から引く継がれた港起点の街を通った、随所に仏教のお寺があり、中国人がこの町を開拓したことを象徴していた。
そのお寺は、また、中国人で成功した人が自分の成功を強調するかのような目立った建築をしてある。日本の侘びさびの世界とは全く、正反対のギンギラで原色で塗りたくってある。二百何十年前の建築だと近所の人が自慢げに話してくれるが、私から見るとコンクリートの建築物に原色塗りたくり、派手なだけで安っぽく見える。毎年、塗り重ねるのだそうです。中国人は派手な彩色が好みのようだが、私は好きになれない。赤と黄色が大量に使われている。
そういうお寺が一角にある住居地といったら、木造で汚い、その環境はゴミに囲われていて、見ただけで、臭いが漂ってくるようで、よくこんな場所に住んでいるなと。感心してしまうほどだ。住民が皆でゴミをなくそうという運動をしないのでしょうか。人が住むところではないと思うが、人が大量に住んでいるから、不思議である・私は我慢できないでしょう。吐き気がしてくるくらいだ。
色々な船毎に桟橋の場所が異なる港がいくつかある海岸沿いに街が形成されたのでしょう。その町の後ろに小高い山があって、山頂付近は各種パラボラアンテナ用の鉄塔がいくつか聳えている、山頂に展望台があり、そこまでオジェックで上って港や市街を一望した。景色はすばらしい。それはそうです。匂いがここまで登ってこないし、川や海に流れ込んで淀みに堆積したゴミもここからは見えないからです。
IMG_3882^.JPGIMG_3882[.JPGどうですかこの対象は、こんな場所にこんな立派な家を作るなら、他の場所を買えると思うのですが、どうしても、今までの腐ったような家を壊して、ここに新築したかったのでしょう。私には理解できないこの風景です。
バタム島とは全く違う汚さで、7日に歩いた付近は、シンガポール化が進んでいるようだが、もともとの街はどうしようもない感じがする。

オジェックは速い、しかし、3時間の観光ツアーのうち二時間乗っているとお尻は痛いし、腰も痛くなった。ポリシティドゥールがたくさんある道はきつい。ところで、綱引きのような太い縄をポリシティヅールにしてある道があった。これはいい方法だと感心した。

スホイ スーパージェット100 37人招待 乗務員含めて46人 ボゴールのパンランゴ山とサラック山付近で消息を絶った。空軍の空港ハリムからテスト(デモ)飛行に飛び立った。ロシア製です。10:00には、まだ、見つかっていなかった。ヘリコプターで捜索するしかない、ジャングルで、厚い雲がかかっていることが多い、スホイが差し掛かったころの天候は穏やかだったらしい、高度は3000mで通過する確率が高かったどうです。しかし、昨日の夕方から天候が悪化し、今朝も捜索するには難しい天候になっているらしい。捜索隊のリーダーは天候が回復するのを期待するとだけ、言っていた。
14:00ホテルへ戻った時には機体を発見した、現地へ救援隊が1千人向かっている、地上からはまだ誰も到達していない。
16:00のニュースの映像では斜面や平地のジャングルへ突っ込んだというのではなく、完全な絶壁に機首から突っ込んだ状態で、その場所からほとんどすべてがどれほど下か見えないが、落下したようです。機体も木っ端みじんになって落下したと思う。激突した個所は緑ではなくなっていて、白い破片?が散らばって張り付いているのが見えるだけです。一瞬のうちに全員がなくなったと思う。空中分解より凄まじい激突ではないかと思う。
   

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(^_-)-☆バタム島 [体験]

1210 今どこにいるかというと、良くわからない。選択を間違えたと思う。P.Bintanの南海岸近くのホテルということで、タクシーの運ちゃんに頼んで、選んだのが今のホテル、値段は高いし、WiFiが機能していない、テルコムフラッシュの電波もほとんど届いていない。グルグのアップが難しい。その上、海はきれいではないし、散策するにしても散歩道がない。二泊することにしたが、お金を使いたくないし、じっと、海を見ながらのんびりするしかない。
新しいウェブサイトのトップページの紹介は1週間ほど延期することにした。なかなか、体裁が整わない。この準備をするにはいい機会かもしれない。
しかし、一日、走り回った。シンガポールへは何度も来ているがそのすぐ南のインドネシア領の島々には縁がなかった、そして、その島々について何の知識、情報を持っていなかった。そのまま、その地に来てしまった。唯一、知っていたことは、バタム島には工業団地があって、日系企業が多数進出しているということだけでした。そして、先ほど、バタム島に行って状態を眺めてきた。
08:00タンジュン ピナンのホテルから出発、08:30発でバタム島には09:15に着いた。水上バスは15分間隔で出ているので、いつ行ってもすぐ出発できる。二か所あるロケットの上に何時発と書いてあるのでそこで買えばいい。4万Rpです。バタムの港も同じようなシステムで、わかりやすい。
バタムへ着いて、タクシーに乗る、メーターである。バタムの見どころを4時間で回ってほしいと頼んだ。港地区から出ると、金属パイプの工業団地が見える、そこを皮切りに、バタムの中心地、バタム センターへ向かう道の両側は、さまざまな工業団地が造成されていると同時に分譲住宅地やルコの開発も発展途上である。赤土が荒々しく広がっていて、殺伐としている。ジャングルを切り開いたと思うがその名残はない。

バタム センターへ近づくに従って、茶色の土地は見えなくなり、緑の中を道が走り、近代的な建物が目立ってくる。インドネシアの各省のバタム官公庁の建物が集中している。ジャカルタの中心地にあるようなショッピングモールもそう古くない状態でみられる。シンガポールとの窓口になる港もこの一角にある。港は何箇所かあるようだが、水上バスやフェーリーで45分から1時間だそうです。
IMG_3807.jpg
バタムの北側を主に回った。土日なら多くの家族連れで賑わいそうな海浜公園やシーフードレストラン地区も各所にある。その辺りから、シンガポールを見ることができた。真中にシンガポールの高層ビルが見える。

バタムの町はジャカルタの縮図でありシンガポールの縮図だと思う。十分繁栄していると思うし、町の清潔さはシンガポールに近い。木々の中をうねっている道や両側の店、レストランなどの佇まいはシンガポールにそっくりだと思う。洗練されていて落ち着いた雰囲気で私は気に入った。町の中心地を丘陵の道から見下ろした。
IMG_3807@.jpg
日系企業が20年以上前から進出している工業団地はいくつかあり、その佇まいはインドネシアの工業団地より明らかに落ち着いている。やはり緑が多い。行き交うコンテナートラックボックスカーも日本のようにきれいな状態でほっとする。日本の大企業といわれる企業は軒並み進出している、そして、溶け込んでいるように見える。郊外の造成したばかりの場所はインドネシア企業や中国企業が入っているようで、日記企業は新しくバタムに進出していないようです。私が入って見て回った工業団地は、Batam Industri Cakrawala Kawasan Muka Kuning というところで、広大な緑の中でした。初期に進出してきた外国人のための住宅もその中にあったが、今は使われていないそうだし、古い工場は新しい場所に移り、後の工場は壊され、今はだだっ広い緑の広場になっている土地もあるが、これから、この団地に進出してこようという企業はない、そうです。価格と人件費がシンガポールに近いからだそうです。

シンドル立て、何でもかんでも、価格はシンガポールドルでいわれるので戸惑う。価格表がほとんどシンドルになっている。ルピアでいくらになるかいちいち計算しなければならない。日本人の私には100%英語で話しかけてくるし、示される価格はシンドルである。私にとっては煩わしい。シンドルを待っていないのが悪いのかと言いたくなるほどだ。ここはインドネシアだろお、と言いたくなるほどだ。

バタムは完全にシンガポールの一つの地域だと思う。今後ともP Bintanも同じようにシンガポール化が加速すると思う。インドネシアの金持ちはこの辺りに住み着く傾向が増えると思う。
P.Bintanへ戻る港へ着いたのが14:20 タクシー代は41万Rpでした。びっくりするほど安い。45万Rp渡した。
15:00にはP.Bintanへ戻った。タクシーでこのホテルへ落ち着いた。

  

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(^_-)-☆タンジュン ピナン [旅]

1209 グロドックの話から一転して、今朝 04:30に家を出て空港へ向かい、08:00発のタンジュン ピナン行きに搭乗した。それで、現在、プラウ ビンタン(P,Bintan)のタンジュン ピナン(Tanjung Pinang)という町にいる。どこら辺りかご存知ですか。シンガポールの真南にバタム島があります。その東隣の島で、面積はシンガポールの約2倍だそうです。Kapbaten Kepurauan Riauの首都。
 IMG_3743.jpg空から見た印象と空港からホテルまでの景色の印象は赤土の島という感じ、至る所でブルドーザーが土地を掘り返して均している。その音が街のあちこちから聞こえてくる。だどんどん、開発が進んでいる様子。そして、もう一つの印象は、中華系の人が多いこと、シンガポールやバタムに親戚がある、兄弟がいるという話を会う人ごとに聞きもしないのにしてくる。ということは、ここらあたりの人は、インドネシアの南のほうから移ってきた人より、はるかに北の方から移り住んで来た人の方が多いようだ。だから、シンガポール化していっているように感じる。おそらく、そう遠くない間に、シンガポール化すると思う。マンダリンの次は英語である。インドネシア語は既に三番目になっているようだ。そして、どんどん、造成、開発が進んでいるようだ。
 モスジッドは目立たない、スピーカーからのコーランの声も聞こえてこない。共同墓地はイスラムもクリスチャンもブッディストもごちゃ混ぜである。いいことだと思う。街を歩いていると、マンダリンしか聞こえてこない。店へはいっても人は中華系である。当然、しゃべっていることが分からない。ホテルの従業員にインドネシア語で、話しかけてもキョトンとしている人が多い。
 IMG_3762@.JPGIMG_3762.jpg面白いというか、困っているのでしょうと思う。インドネシアらしいと思う。機内のシートの真ん前に書かれていたことと、ホテルの部屋の扉の内側に書かれていたことです。何となくわかるでしょうが、盗まれたり壊されたりすることが多いのでしょうね。ハンドホーンを切っていなかったり、ライフジャケットを移動したり、そのほかも書いてあるが、200万円の罰金か懲役2年が科せられる。ホテルの方は、壊したり持って行ってしまったりしたものの値段が書いてある。報告がなければ払ってもらうよと書いてある。
 11日朝までプラウ ビンタンをベースにして、気まぐれな旅を楽しもうと思う。
   

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(^_-)-☆グロドック [体験]

1208 待機中なので自由に過ごしている。自由といっても、じっとしてはいない。先日、久しぶりにグロドックへ行ってバキュームポンプを物色した。17年前に、初めていて以来、100回以上入っているが最近5年間では10回程度である。98年の大暴動の2日後にも、相当ひどく焼き討ちされていると聞いて、様子を見に行った。確かに、目を覆いたくなるほどの惨憺たる状態だった。今、その面影を探すのは難しい。
ジャカルタの秋葉原というのが表現として近いかもしれない。工具、電気、電子機器、金属材料、配管資材などなど、ピンからキリまでそろっている。インドネシア製、中国製、台湾製、ドイツ製、日本製、すべてがそろっている。
最近は各工業団地の近所にグロドックの支店のような店も出来ていて。かなりのものはグロドックまで行かなくても手に入るようになったし、無いものでも、カタログなどから製品を指定すれば、グロドックの店から届けてもらうこともできるようになっている。

実際に目で見て価格と相談し、すぐ手に入れたい場合は、グロドックへ出かけるしかない。私は、グロドックの雰囲気が大好きなので、いつでも、行けたら行ってみたいと思っているが、交通事情を想像すると躊躇してしまう。土曜日の昼から日曜日は休業なので、行くなら平日しかない。
行くときに先ず、決断しなければならないのが、南から行くか北から行くか迷う。分かっていれば、渋滞が比較的少ない方を選ぶが、勘に頼るしかない。一般的には北から周る。高速道路をタンジュンプリオク方面に行き、アンチョールの次がグロドックへの出口である。バタビアホテルなどオランダ統治時代の旧市街を通ってグロドックに向かうが、ここも渋滞が凄まじい。コタ駅の前を過ぎれば500mくらいである。チカランから二時間はかかる。それも、最後の30分はせいぜい4kmくらい走るだけ、競り合い、割り込みあいの連続である。

最近は車の数が増えているが駐車場の受け入れ台数は増えていない。朝、10時を回れば一杯になってしまう。私が選ぶ北から入ると駐車場が狭いのでなお一杯になりやすい。運転手を使っているならい、買い物にさっさと行けるが、私の場合はまず駐車しなければならない。買い物をする店よりかなり離れた場所に駐車するはめになってしまう。

帰りは、南下する。ガジャマダ、タムリン、スディルマン通りとジャカルタが誇る南北の幹線道路です。大統領宮殿、国立博物館、モナス、バンクインドネシア、日本大使館、ホテルニッコー、サリナデパートなどなど、インドネシアの一等地である。スマンギの交差点から高速道路に入る。最初、迷うには、この道を行くときにも使おうかどうかである。10時前なら当然3イン1の関係でこの道は使えない。

LTC(リストゥリック トレーディング センター)三年前ほどにできたショッピングビル、ワルンガ集合したレストランスペースもあって、ごちゃごちゃ、汚い場所が苦手な人はそこで比較的洗練された食事ができる。しかし、グロドックの雰囲気とはちょっと違うような気がする。
IMG_3807.JPGIMG_3818.JPGLTCの階段からグロドックを見下ろした写真と、その逆でLTCを見上げた写真。
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(^_-)-☆まったく!!! [勘違い]

1207 今夜の満月の月の大きさは平均の14%増だそうですね。月が楕円で地球を回っているので一番近い日が今日から明日にかけてだそうです。また、6日未明にみずがめ座なんとか流星群も現われるそうですが、西に満月があって明るいので見にくいとか。天体に興味のある方は、今晩、眠れませんね、明日日曜だからよかったですね。写真を撮ってみたが大きさは比較できない。

日本は子供に日で休みでしょうが、インドネシアは5月1日を休んだ会社は今日が振替出勤しているので、渋滞は平日と変わらなかった。 

 毎年恒例のゴールデンウイークの山の遭難騒ぎ、遭難者や家族の方々には申し訳ないが、勝手にしてくれよという感じ。天候は変化しやすいに決まっているし、2000m以上なら雪はまだたっぷり残っている山も沢山あるし、冬山装備をしないで食料も予備までは持っていかないし、高齢だし、死んでも構わないと思って、決行しているとしか思えない。無事に戻ればラッキーと思っているとしか思えない。それも、一般的には良識があると思われている人々です。自分たちは死んでしまえば、後のことはどうでもいいだろうが、捜索する人、輸送をする人、葬式を出す人に多大な迷惑をかけているし、多額な費用もかかっている。山の遭難保険はあるのかどうか知らないが、多分ないと思うが、そういう類のものに入っているのでしょうか。

 何年も何十年も繰り返している春山の遭難、誰もが常識的に知っている十分な装備と十分な体力を備えていなければならないということを、守らないで上ってしまう人たちが後を絶たない。あきれるばかりです。状況は異なるが、私は若いころ山も沢山登ったし、スキーでもかなり無茶をした。遠泳にも何度も参加したことがある。しかし、今は、無理は絶対しないようにしている。他人に迷惑をかけるかもしれないとちょっとでも思った時には、そのことをしないし、手伝いを頼んだ方がいいと思った時には手伝いを頼む、高い山に登るときにはポーターを雇うし、ちょっと沖で泳ぐときにはライフガードに私を監視するように頼んでからインド洋の大波を何度も潜って沖へ出てぷかぷか浮いている。万が一、足がつってしまった時には、腕で大きな輪を作って知らせることにしている。滝つぼや湧水の池で泳ぐときには一人では泳がない、誰かにそばで泳いでもらっている。海でなぜそうしないかというと、一般のインドネシア人は私がゆくところまでは一緒に泳げない。ライフガードは、泳げるが、彼らを引っ張り出すわけにはいかない。
 
とにかく、他人に迷惑をかけるような状態を作らないことが大人の良識である。
もう一日休みがるが、遭難者が増えないことを願う。
 IMG_8174.JPGIMG_3739.JPG今夜の月 たびたびのラルレシア ファトマ
   

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(^_-)-☆うまい話に乗るな [欲望]

1206 私の財テクはささやかな規模で為替の差益を狙っている。バブルがはじけて以来、20年になろうとしている。その間、ほとんど一環として株価は下がり傾向だった。手出しをした人は先物買いで全員が大損をした。公共のお金を預かっている団体も、増やすつもりで金融商品に手出しをし、逆に大幅な目減りをさせてしまっている。地価や部屋価格の上昇をもくろんで投資した人も大損をした。日本の全体の資産は、私の感覚ですが、半分を大幅に下回ってしまっていると思う。

 株にしても商品にしても為替にしても先物の取引はハイリスクハイリターンというが、素人が玄人の言いなりになって手出しをすると、一方的に損をする可能性が高い。とにかくに手数料の比率がばかにならないから、しょば代を払ってギャンブルをし、それも、ディーラーの言いなりになってしまう。売ったり買った頻繁にさせるのがディラーの狙いでそのたびに手数料が手に入る、客が儲かろうが損をしようがどうでもいいのです。近のことでは競輪や競馬や競艇やパチンコの方がまだ、かわいい。
 大損をした人は、言わない、儲かったときだけ言う。パチンコでも同じことでしょう。とにかく、先物はその商品を実際に使って物を作る人以外は手出しをしてはいけません。

 小金があって、財テクを考えるなら、現物取引だけにしましょう。金や白金も買うなら現物を買いましょう。株もその額面、その時の相場で買いましょう。

 私は株を勧められたり商品先物取引を勧められたりしましたが、自分の腕で稼いだ金だけしか信じない主義です。他人にお金を預けて運用してもらって、財産が増えるなどということは全く信じません。
 今日は久しぶりに円を売ってRpを買った。113Rpが1円でした。相変らず円はしっかりしていますね。MM2100のエックスチェンジの人が時々、動きを言いながら売らないか、買わないかといってくる。しつこくないので、長い付き合いをしている。

 どうせ、自分の財産を減らすなら、人を手玉に取るような業界に持っていかれるより、私が見込んだ若者に学資の援助をした方がよっぽどいい。

バンクマンディリとい銀行が独占でしょうか、最近、高速道路の料金支払いゲートが一か所プリペードカードをかざすだけで通過できるようになっている。ETCとは違う、止まってカードをパネルにかざすか押しつけるかしなければなりません。その隣の普通の支払いゲートの横でカードを売っている。10万Rpで10%分余分に使えるよ、と言っている。テレビではバンクマンディリ サジャと宣伝をしている。どうでしょうか、普及するでしょうか、半年前ほどから、こういうゲートが現れたが、そのゲートに行列はできない。ゲートでカードを買う人も見たことがない。

 ゲートへ到着するまでに大渋滞、そのカードで通過してもたちどころに渋滞の中に入る。これでは、支払いを急ぐ意味がない。10%くらいの割引きのメリットが全くない。昔の日本のプリペードカードのように残額が印刷されるとは思えない。残額をどうして知るのでしょうか、そういう話がコマーシャルの中に入っていない。
IMG_3552@.jpgIMG_3552.jpg
 バナナ(pisang)と田植え前の田圃、インドネシアの棚田で一番豪快なのがガルットからタシクマラヤへ向かう左側です。ずっと続きます。5km以上です。見下ろしますが、200mくらい下に川があります。カンプンナガもある。バリも有名でガイドブックに日程ますが、比ではない。ボゴール方面ゴルフ場が点在している辺りにも広い丘陵地の田園風景がありますがこれもガルットの豪快さには及ばない。

   

タグ:為替 両替 差益
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(^_-)-☆指導者の条件 [人]

1205 シンコンのことで毒について書かなかったのは手落ちでした。しかし、土産物屋やスーパーやコンビニで売られている限りは気にする必要はありません。毒が残っているものを売っていません。道端に植わっているものを引っこ抜いて生でかじるようなことをしなければ、問題ない、というより、捨てる部分がない、最高の植物です。捨てるのは根っこの食べる部分の皮だけです。私はそれも研究すれば化学薬品を抽出できると思う。すでに実用化しているかもしれません、そこまで調べていない。テンペイと並んで国民的食糧です。シンコンサーン イラッシャーイです。

今のところ,私が想像していた通りです。私を裏切らなかった。彼を気に入っている人や身内の方々には悪いが、リーダーとしての役割をできるタイプではない。単なる目立ちたがり屋です。就任して早々からはしゃぎまくっていて、地道に若者を指導している様子は全くなかった。違っていたらごめんなさい。フアンサービスというかオーナーへのサービスというか、素人受けをするタイプなのでしょう。もう一人同じようなタイプで清原というのがいる。彼に頼む人はいないでしょうが監督にしては、彼の功績を打ち消してしまうことになりかねない。中畑監督は現役時代も目立った割に成績はたいしたことがない。ジャイアンツでなかったら、もっと、成績は悪かったでしょう。本人は向いていると思っているのでしょうか、そういうことを考える人でもないようだ。一年でやめた方がいいと思う。もしかしたら、一年、持たないかもしれない。
とにかく、監督タイプではない人を監督に頼んだオーナーは球団の成績や収入を期待していないことが分かる。話題性重視で会社の名前を覚えてもらう宣伝費と取れていることは明らかです。
この会社に経営を任せる承認をした各球団のオーナー達も、その行く過ぎを警戒して賛否を決断しにくかったと思う。

 適材適所ということはすべての立場に言えることで、能力の大小はあるが、業種にもよるが経営者に向いた人と向かない人がいると同じようにスポーツの指導者にも向いた人と向かない人がいる。名選手必ずしも名コーチというわけにはいかないというより、名選手はコーチには向いていないタイプの人が多いし、そうでなければ名選手にはなれない、と、言えるかもしれない。他人に教えることが上手な人は、その人の立場に立って考えるのが上手、自分と同じようになれと思いながら指導する人は指導者に向かない。
 私自身は経営者には向いていないし、指導者にも向いていないと思っている。自分がやりたいし、他人に任せても、自分が期待しているようにはできないと思う。不満に思う。一技術者として自分ややりたいようにやることに向いていると思う。経営者にもサラリーマンにも向いていないので、一人で思うようにやるのが一番、気持ちがいい。

 創業社長で世間が一般的に成功と認めている人は、人一倍も二倍も行動的で俺の言ったとおりにやっていれば、間違いないと思っている。内部には、どなりまくる人で、対外的には、いつもニコニコ現金払いのような顔と態度ができる人です。

 オペラバンジャバ(OVJ)という、人気番組にHARADAという日本人が出演して、奇妙な海苔巻を作って、スレやアンドレらに御馳走していた。ワサビの辛さ、初体験らしく、口を塞いで舞台から一時消えていた。
 IMG_3691.JPG路肩で横になっているトラック、何もない路肩の様子がよく分かる写真でしょ。
IMG_36910.JPGMM2100を出てチカランへ向かうとき高速道路の上を越えて向こう側に降りる。その橋の手前で警察官に止められた。あ、高速道路をVIPが通過するのか、とすぐ、理解した。一分くらい後にチカラン方面からジャカルタへ向かう一団が取り過ぎた。後にニュースで知ったが、エンダン前健康省大臣が肺がんで亡くなった葬式からの帰りの大統領の車列だった。
その後すぐストップは解除された。止まっていたのはほんの3分くらいだったと思う。しかし、私が写真を撮ったくらいだから、スナイパーが狙おうと思えば狙えるし、路肩の様子では高速道路で、待ち伏せは簡単だ。何となく、間抜けな感じがする。

  

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(^_-)-☆インフォマシ [日常]

1204 日本はすでにゴールデンウイークに入っているようで、こちらの日本人は、日本から、なにやかやと、うるさい話が来ないので、ちょっと気楽に過ごせる時です。

ジャカルタ マンガ ブサールで夜になると道沿いのワルンで、サテアヤム(鳥の串焼き)のような姿をしたコブラの肉を食べられるそうです。7万Rpで5串だそうです。目の前で、コブラをさばいて、お決まりの血も飲めます。心臓そのほかの臓器も勿論、サテやソプにして食べるそうです。如何でしょうか。ニュースでやっていました。

インドネシアのメールアドレスが完全に変わりました。まだ、仕事はしていませんが、予定の場所から、アドレスを借りています。nanbuのところがaskaになっただけです。nanbuの方もまだ生きていますが、老衰のPCにしかセッティングしていないので、確認するのは三日に一回ほどです。また、送信には、まったく使っていません。 
 仕事をしていないので、時間があって、ちょうどいい。現在、新ウェブサイト公開の準備をしています。今、公開しているサイトは書き込みも修正もできない状態です。何かすると、全部が消えてしまう恐怖心があって、何もできません。今のまま、そっとしておきます。新しいサイトを作って、今までのサイトにリンクできればそれでいいのですが、それもできない。だから、アクセスは別々にしてもらうか、新しいサイトには今のサイトをリンク出来るので、新しいサイトからアクセスしてもらえば、今のサイトにもアクセスできるようにします。サイトの様子は今までと同じです。どこでも配置シートを使っています。
 新しいURLは来週、月曜日に公開する予定にしている。
IMG_3546].jpgIMG_3546.jpg
 英語でキャッサバ、根を粉にしたのがタピオカです。根はサツマイモをもっと細長くした感じ、シンコン(singkong)です。インドネシア中、到る所に植えられています。都市から一歩外へ出れば、道の両側、田舎へ行けば、どの家の周りにも、農業用の道の両側に、田圃の周囲に、必ず育っています。何も手入れはいりません、肥料などやっては却って成長のバランスが狂います。貧乏人でもこれさえあれば食に燃料に困りません。その辺りにマンゴーの木もあるので、植えることは絶対ないし、寒さをしのぐこともできます。
 根っこは芋のように食べます。てんぷらにしてもいいし、乾燥させて切干にしてもおいしいし、発酵させてどぶろく(イモ焼酎)も作れます。コンビニにはシンコンチップスも人気です。ジャガイモやサツマイモで作る料理やスナックはシンコンで全部できます。観光地の土産物屋やドライブインのようなところでは白い粉を吹いたシンコンを売っている。目につきやすい。ちょっと、粉が酸っぱい味がする。
 葉っぱは野菜として料理します。サラダで生のまま、サンバルなどの香辛料を添えて食べます。細い木や枝は燃料になります。簡単にポキポキ折って使えるし、乾燥も簡単にできる。
 捨てるところが全くない上に全てが無料で手に入ります。収穫の時に種シンコンを残しておくだけです。写真のシンコンは三か月ものです。もう、いつ収穫してもいい。

 日本人はいたるところで見ることが出来るこの木を何だろうと疑問に思う人は少ない。シンコンは、ウビ(サツマイモ)より遙かに有用で手間がかからない植物だと知らないでしょう。私は道端のカキリマでゴレンガンをよく買います。三十円でお腹がいっぱいになります。

  
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(^_-)-☆穏便だったメイデイ [インドネシア]

1203 Hari Buruh メイデイ、会社の多くは休日にした。それも、あわてて休日にした会社が多い。というのも、会社カレンダーを作るとき、去年の11月頃には、労働組合の過激な動きを予想していなかった。ところが、二月三月の最低賃金決定時期に高速道路バイクで封鎖するという手段を成功させ、メイデイも同じ手段に出るのではないかという不安が経営者は感じたのでしょう、あわてて休みにしたのです。
 結局、何事も起きなかった。ジャカルタの中心地でデモが実施されたが、羽目を外すことはなかった。ジャラントールの封鎖もなかった。
彼らが一番問題にしていたことは、アウトソーシングを止めろ、という事でした。その会社の正規社員はできるだけ、少なくして、掃除をする人、運転手、セキュリティー、駐車場の管理者、などなどは、派遣業者から派遣された人が担っている、それを止めて、正規社員を使えと言っているのです。

経営者にとっては、異常に高い残業手当、退職金をできるだけ少なくする手段として、当然、利用するはずである。まずいのは、その、労働基準法を決めてしまった。政府である。労働組合も、既得権としてしがみついているのが原因です。

今日から、新しいウェブサイトを作り始めた。先日、日本へ行った時にホーメページ ビルダー16を手に入れた。初めて作った時には11でした。それを駆使して、プロバイダーは、無料のヤフーやFC2などを使ってきた。しかし、この頃、それを担ってきたラップトップに機能が衰え始め、また、内容が入り組んでしまって、上乗せができなくなってしまったどころか、転送したはずが、何らかのデータや写真が消えてしまったりするようになってしまった。そのサイトをいじれなくなってしまったのです。もう、何もしないで、そのままに、そっとしておくしかなくなってしまった。 IMG_3679@.jpgIMG_3679.jpg

 今日のゴルフからの帰り道、多くの会社が休みのジャバベカ サトゥ付近
   
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(^_-)-☆知識を駆使して [状況]

1202 昼過ぎにチビトゥン(MM2100)へ向かった。こちらのジャカルタ方面行きは、なんとか流れていたが、反対車線(帰りに使う側)はチカランへの引き込み車線もいっぱいだったし、チビトゥンよりもっとブカシ寄りから、高速道路は車で満たされていた。これは、帰りにほかの道を使おうと思わされた。
 チビトゥンのある会社へ遊びに行って、そこからのチカランへ戻るには、どこを通ったら、比較的渋滞に会わなくて済むかを考えた。高速道路を使うことは考えなかった。一般国道を東に向かい、コタ チカランへ向かったが、途中でジャラン カリマランを使う気になった。道はでこぼこのはずだが、多少はすいているだろうと思ったことと、どの程度,ひどいでこぼこに成長してるか確かめてみようと思った。一般国道からカリマラン川沿いの道まで2km程ある。一キロmほど行ったところで車の流れが止まった。10ほど我慢したが、前方からの車も来ない、何かの理由で道がふさがれてしまっていたのでしょう。カリマラン道を見るのを諦めて、もと来た道を一般国道へ戻った。コタチカランまで順調だったが、そこから、ジャバベカへ向かう道がまた渋滞、渋滞でなければ10分でジャバベカの工業団地へ着くはずが、40分かかった。ジャバベカの工業団地の前は平日は直行できない。ジャバベカ2へ左折し、1km暗い道なりにいたところでUターンして戻り、先ほど直進できなくて左折した交差点に戻ってまた左折すれば、直進したことになる。そしてチカランバラット高速道路のゲートの方に向かうのです。しかし、その道全部が車で一杯。
IMG_3674.jpgおそらく、30分以上かかると判断し、Uターン場所を通りすぎて、ハラパンクルアルガ病院の前を右折し、ジャバベカ3の中へ入り右折左折を繰り返し、工業団地を通り抜け、ジャラン カリマランへ出た。その道を西に1kmほど走るとカリマラン道に掛かる橋の手前で、先ほど、避けた大渋滞の道のずっと先へ割り込むことができた。多分20分以上は短縮したでしょう
IMG_3678.jpg橋を渡って高速道路のゲートを通り過ぎたところで渋滞が解消していた。高速道路の上を超えるが下を見るとチビトゥウ方面から来る車は、相変わらず、大渋滞にはまっていた。
 渋滞がなければ20分でチカランバラットにつくが、今日は三倍の距離を走って、一時間20分かかった。それも、私の知識をフルに利用してである。

  
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(^_-)-☆同じ原因の繰返し [異常]

1201 間もなく5月というのにまだ雨期が明けていないようです。午前中のゴルフ、ずっと雨の中だった。小雨なので、続行したが、球が転がらなくて参った。ゴルフ場の様子の一部です。黄色い大きな花が散り始めていた。上と下のコントラストが気に入った。ムンクの叫びがありました。どこにあるのか、気が付いている人はいないと思う。
IMG_3672.jpgIMG_3672@.jpgNHKを見ない私でも、いち早く、インドネシアTVのニュースでも伝えられました、また、日本で悲惨なバス事故があったようですね。ひどい状態ですね。天災ではなく、人が原因での事故で、被害を受けたか方々は、なお、やり切れない思いでしょう。居眠り運転だったとか。一人で、ずっと運転していたのでしょうか、交代の運転手や助手のような人は同乗していなかったのでしょうか。運転勤務状況を見ると、とんでもない状態を会社は強要していたというか、許していたというか、それだけ、日本の状況は厳しいのでしょうね。がっかりである。

 インドネシアのバスやトラックは当たり前のように、会社の人は二人体制です。それだけ、交通状況がもう一人を必要としているのでしょう。人やバイクがうろうろしている、渋滞での競り合いは日常的。荷物の積み下ろしはマンパワーですから、人は多い方がいい。バスが、人を乗りおりさせる時も、低速で走りながらのときには人の手助けが必要。道の反対側の人を呼んで乗せる時にはその人が横断できるように、案内が必要。ふた知体制にはいろいろな理由があって、当たり前のシステムです。ロジスティック以外の日系企業でもトラックには二人乗るのが普通です。

 どう考えても、日本の運転手のおかれた現状は気の毒というしかない。お客さんのサービスばかり考える経営者は従業員へのサービスは削るばかり。経営者自身が運転手に強いていることを自分がやることになったら、どう思うでしょうか。とっても、耐えられないでしょう。率先してやるというわけにはいかないでしょう。同じような事故は繰り返される。
 この種の事故は無くならないでしょう。それに乗り合わせた客こそ大きな迷惑どころか、取り返しのつかないことになる。

   

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(^_-)-☆交通事故原因違い [思うこと]

 1200 エンジ ソーダという女性議員が収監された。今のトップニュースです。元ミスインドネシアで亡くなった俳優でスポーツ省の幹部をしていたご主人と国会議員同士の結婚をし、前妻のレーザーという有名歌手を追い出した女性です。シーゲームという東南アジアのスポーツ大会の施設を巡って彼女に賄賂が6千万円ほど渡されたという、疑いです。KPKの声明では証拠も十分整っているといっていた。とりあえず、20日間の収監です。
 日本とインドネシアでは交通事故の種類が違う。車の車検制度はないので、整備不良車が多い。ブレーキランプやウインカーが点灯しない車も普通に走っている。車の運転ライセンスは買うだけです。テストも講習もない。交通法規の本など見たことがない。民間の運転指導業者で練習する人は1%以下だと思う。たま~~に、練習中という看板が屋根の上に着いている車に会うことがある。日本のように教習所は私がする限りではインドネシアに一か所だけ、東ジャカルタのプルガドンにあるだけです。それがいいかどうかは判断できないが、三千円出せば一時間以内にライセンスが買える社会と、高校生が30万円くらい払って、何十時間も練習し、法規の勉強もし、テストを受け、路上訓練もしてやっと免許が取れる。どちらが、いいのでしょうか。私は、インドネシアの方が良いと思う。それでも、インドネシアの方がはるかにライセンスを持っていない人が運転している確率は多い。
 
インドネシアで起きる事故の原因は車の整備不良と道の悪さです。朝の高速道路の居眠り運転も原因でしょう。
 酔っ払い(飲酒)運転の取り締まりがない。速度出し過ぎの取り締まりがない。どちらも、チェック機能を交通警察は持っていない。一般道路に最高速度の標識はない。一時停止の標識はない。そして、それが原因での事故はほとんど無い、聞いたことがない。渋滞場所での物売り、Uターン場所や交差点で交通整理をして小遣いを稼ぐひと、おかまや子供や身体障害者の物乞い、これらは、いたるところでみられるが、こういう人が交通事故に遭ったという話も聞かない。

 渋滞の競り合いは日本の比ではない。車線など有ったものではない。路肩走行は違反だが、渋滞のときにはみんなでやれば怖くない、路肩走行の方が進行が早い。私も渋滞の後ろに着いた時には中央線から次第に路肩側に依ることにしている。右折,左折車線もあるがそんなことはお構いなし、空いていればどんどん入っていく、そして、割り込む、割り込む方が強いので、真っすぐ、前の車についていてはどんどん、遅れるばかりです。

 車の整備はいい、無免許の運転はわずか、道はいい、車線は守る、信号は守る、物売りは出てこない、最低と最高速度の差が少ない。休憩所はいくらでもある。運転や法規の勉強は十分している。子供が運転をしていない。信号の数はこれでもかというくらいたくさんある。その他にも至れり尽せりの日本の交通事故は多いのでしょうか。
原因は至れり尽くせりだからです。緊張感が足りない。インドネシア人の運転はあらゆる方角からの危険に常に対処の姿勢を持っています。歩行者も同じです。横断歩道などほとんどないし、信号で横断などということは全くない。

 日本人の若者は温室育ち、病気のも弱いが、環境にも弱い、車の運転では緊張感が欠如している。
 IMG_3664.jpgIMG_3667.jpgもうひとつ、前にも書いたが、車道を横断する突起物、インドネシアではポリシ ティドゥール(寝ている警官)の効果は大きいと思うし、踏切の手前やバス停の付近に、突起の線がある。そこへ、さしかかると、車が凸凹と走る。どうしたって、速度を落とす。前の車はブレーキをかけている。

   

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(^_-)-☆慣れ、順応 [能力]

1199 車がまた児童を撥ねてしまったようですね。インドネシアの交通事故は日常茶飯事で、バスの事故が一番多くて目立つ。高速道路の路肩へ突っ込んでいる情景はほぼ、毎日、見ることができる。しかし、車の整備状態や道の悪さを考えれば、よく、これだけで済んでいるなと思う。私に関しては自分で起こした事故はない。ただし、車に追突されたり、坂道で前のトラックが後退してきて車の前にぶっつけられたりしたことがある。バイクに関しては、車の横にぶっつけれあれたり、追突されたことは何度もある。傷をつけられた程度で、危険を感じたことはない。唯一つだけ、危機を感じたことがある。10年以上前に、真っ暗な高速道路を100Km以上で走っていた時にフロントガラスに何かが飛んできて、木端微塵になった事でした。
 
 児童の列に車が突っ込んで死傷者を出したという事故は聞いたことがない。こんなにむちゃくちゃな運転をするインドネシアで、また、免許証はテストなしで買うだけのインドネシアで、道の脇に立っている人をはねたという話は聞いたことがない。高速道路を横断したり、路肩を歩いていたりする人を見ることは珍しくない。しかし、そういう人をはねたという話は15年以上インドネシアにいて一回だけです。

 インドネシアのバスは例外なく、どこでも停める、どこでも下ろすし、どこでも乗せる。高速道路も例外ではない。ということはバス停でないところで、おろすし、手を挙げればバス停でなくても止まって乗せてくれる。その時に低速で走りながら、それをする。それでも、その状態で事故が起きたという話も聞いていない。当り前の風景です。バス停は勿論ある。そして、日本のように一般の道の脇に印の看板が立っているだけというのはない。バス停の位置は車道より10cm以上は高くなっているか、道から1m以上は左側に入ったところにあるか、もっと高い位置にあって、ハルテと書いてある。そこに待っている人に車が突っ込んだという話も聞いていない。

 小学生の時から無免許でバイクを乗り回す。それも、友達を乗せてである。物心が一日気には親のバイクにハンドルの前に立って乗る、そして、長距離でも親子四人くらいならバイク一台に乗って移動する。日本では絶対あり得ない光景です。しかし、それで、大事故につながったという話も聞いていない。

 あくまでも、平均の話です。反射神経、視野の広さと視力の違いでしょうか。私たち日本人ではイメージできないくらいに彼らの視力は優れている。遠くのものがはっきり見えているらしい。ドライバーを使っている日本人は感じることができると思う。目的の建物の看板や文字をいち早く見つける。知った人がずっと向こうにいるのを見つける。車の競り合いには慣れている。横からの飛び出しにも除ける反応は早い。私の運転はそういうインドネシア人がよけてくれると信じているところがある。
Jakarta jalan tol.jpgJakarta jalan toll.jpg
 ジャカルタ、クニンガン付近
 
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(^_-)-☆問題なし? [体験]

1198 インドネシアにいます。ガルーダは成田第一に変わっているが、チェックインカウンターは北ウイングの一番奥の端です。
成田空港で支払う、インドネシアの短期滞在ビザの金額は25US$です。チェックインの後、一番、右隅のカウンター支払います。US$ノミの支払いで、そのほかの通貨は受け付けない。US$の現金なら、おつりをくれます。トラベラーチェックではおつりはもらえません。US$を持っていなければ、そこら辺りに両替所が沢山あります。しかし、本当にガルーダは、助かる。IMG_3663.jpg

バゲジを開けさせられた前回と同じものを同じ量と、酒を4リットル(2リットルパック2)、バゲジに入れた。それと、老衰したラップトップを入れた。これらの比重が大きいので、それだけで10Kgある。バゲジの底へ並べて入れておいた。その他は、カップ麺やポテトチップスなど軽いものでバゲジの隙間がなくなるようにしてある。今回は成田で何人かの日本人が呼び出されていたが、私は呼ばれなかった。
インドネシアではどうか、バゲジの四方に前回より多くのチョークのチェックが書かれていた。以前のチェックも薄くなっているが、消えずに残っている。それを見たポーターが、自分が手伝えば、大丈夫と言ってきた。私は、別に開けられても前回のように説明すればいいし、今回はMSDSを持っているから、もっと、大丈夫だと思っているので、断った。カスタムは混雑していた。三列あって、一番好いている場所の係員が手招きしていたのでそちらへ行ったら、私のバゲジに全く目がいかないまま、日本語で、手に持つだけ、と言ってくれた。X線チェック後、呼び止められることもなく、開けさせられることはなく、通り過ぎた。

車の宿泊費は5泊6日で24万Rpでした。やはり、安い。往復タクシーを使えば65万Rpは掛かる。
ところで、17:30ジャカルタ着、18:30車の宿泊場から出発、21:35チカランの家に到着、3時間かかった。ギラである。大渋滞、原因は車が多いです。IMG_3663@.jpg流石、ジャカルタである。ほとんど動かなかったタマンアングレック辺りで写真を撮った。普通に走っていれば、夜にジャラントールの横の景色は撮影できない。 
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(^_-)-☆ぽかぽか陽気 [能力]

1197 春うらら、庭の藤の花も開き始めた。間もなくGW、一週間以上の休みで、旅に出かける人も回復しているようで、何よりだと思う。ツアーの費用が安くなっていることを感じる。第一次、第二次産業が下降線をたどっていて、底がまだ見えないのだから、第三次産業で日本は元気な振りをするしかない。元気に動ける老人は、金をため込むばかりが、よいとは思わないので、ぜひ、お金を使ってほしいと思う。財産で残そうと思うなら、何とか詐欺に引っ掛かるくらいなら、自分でどんどん使った方がいい。私は、持っているお金のほとんどを生きていれば80歳までに、ゼロにしてしまいたいと思っている。15年くらい前から、受け取る金額より使う金額の方が多くなっていて、預金は少なくなる一方です。計画どおりです。
自分のために支出していて、多分、平均より多く使っているのは旅費用だけです。生活費とその費用の合計は、私の全支出の五分の一くらいでしょう。五分の四は、他人や組織のために使っている。そして、それは自己満足のためである。また、残高は15年前ピークの三分の一になっている。

目的の品物がぎりぎりで届けられた。これで、今回、日本へ来た目的を果たしたことになる。今回は英文和文でMSDSを準備した。これらの費用は、もちろん、自己負担です。そして、大部分は他人に技術を指導するためです。
IMG_3561.jpgIMG_3553.jpg
インドネシアの田園風景の一こまですが、広大な平野の田んぼと山に駆け上る田圃の二種類に分かれる。どちらにも共通しているのは、ヤシの木とバナナの木がその風景の中に必ずあることです。

  

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(^_-)-☆日本人社会は異質 [変!]

1196 痛ましい事故ですね。有ってはならない事件ですね。本人は勿論、車の持ち主、同乗者全員を許すことができない。本人に対しては、はねられた小学生のように、はね殺しの死刑にしてやりたいくらいの思いの人は多いでしょう。京都祇園の事件やバスの運転手を刺した事件、狂った事件が多いね、日本は。

と、小学生を撥ねた事件が、この道路がこの時間一方通行では無かったら、いつものように両方向通行可能だったら、この事故は起きなかったと思う。そして、もし起きたとしても、こんなひどいことにはなっていなかったと思う。

私が思うに、この道路が7~9時まで一方通行にした理由は、この近くに並行した広いメイン道路があって、朝のこの時間に渋滞するので、知っている人はこの道を迂回路として使うので車の通行が増えて、危ないからという理由で、この時間だけ一方通行にしたのでしょう。こういう道は全国に数限りなくある。

ご近所の人にとって車が増えること、騒音が増すことに我慢が出来ず、一方通行にさせるのです。それは、そこの人にとってのメリットです。しかし、本当に総合的にみて、よいことでしょうか。両方向通行止めにしなければ片手落ちどころか、危険は増すのです。警察もそのくらいのことは分かっているはずだと思う。スピードを出し過ぎるに決まっている。
外国の住宅地のいたるところにポリシ ティドゥール(道路を横切る小さな山)は有効だと思う。現在の若者の無謀運転を防ぐために日本もポリシ ティドゥールを作った方がいい。
 両方向通行のままで、尚且つ、道に低い出っ張りを作ってあったら、この事故は起きなかった。一方通行にしてしまったのが行政の大失敗でした。

ペーテーオーナンバは高速道路のカラワンティムールを出てスルヤチプタの工業団地の反対側、一般国道方面に出て、すぐ、右側の高速道路沿いの、ローカル工場地帯の一角になるワイヤーハーネスの会社です。進出は早く1965年にはそこにあった。高速道路のカラワンティムールの東北側に高速道路から見える。
今回の社長拘束は労使紛争が裁判沙汰になり、裁判官に賄賂を贈ったという容疑が理由でしょう。運が悪いというか、よくある話というか、日系企業経営者が労使紛争や解雇に関しての裁判沙汰に巻き込まれる例は多い。そのたびに、日系企業は裁判官や弁護士に多額を渡す。そういう話は、何十社からも聞いている。そして常に、係争中の事件はある。今もEJIP,JABABEKA,MM2100の中の会社のいくつかが係争中であることを知っている。そして、それらの会社は、アンダーテーブルの交渉もしているはずである。
日本人が、裁判官に賄賂を贈る理由はほかの理由の方が多い。それは言わずと知れた、離婚裁判です。慰謝料や親権がらみの裁判です。先日の殺人事件に巻き込まれるような話はほとんどないが、二重結婚で第一妻から離婚の訴えをされ留置所に一週間ほど収監され、慰謝料を一千万円要求され、親権は妻側に取られ、月一日の面会時に養育費として15万円、要求され、その係争中は、国外に出られない措置が取られ、インドネシアの中でも所在を明らかにしておかなければならない。そう人を二人知っているが、二人とも、最終的にどうなったかは確認していないが、本人から裁判官や弁護士に払った金額は500万円以上だったと聞いている。日本人は質が良い鴨である。その上に、前妻に慰謝料や養育費をいくら渡したか知らないが、異常に多額の出費だと思う。それのほとんどを会社からの報酬増額にして受け取るようにしているのだから、その会社の従業員や日本人の同僚や本社の経営者にとっては、たまったものではない。
日本人社会は異質だ。
IMG_3657.jpgIMG_3650.JPGパンガンダランで買った孫たちへの土産、麦わら帽子。
 
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(^_-)-☆Pangandaranへの勧め [仕事]

1195 パンガンダラン付近の地図です。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage010.html
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage008.html
半島を中心に東西40kmくらい、合計80kmくらいの海岸沿いと山側(北側)20kmのエリアー内に見どころが沢山あるし、広大な稲作地帯やココナツヤシやゴムの木のプランテーションの様にインドネシアらしい風景を見ることもできる。滝の形態も様々です。海岸は幅広く、遠浅です。すべてがサーフィンスポットですし、観光スポットです。
 ジャボタベック(JABOTABEK)ジャカルタ、ボゴール、タンゲラン、ブカシやバンドゥン辺りに住んでいる日本人の方々へ、車で6~7時間(青の道)で行けます。ゴルフばかりやっていないで、また、プラウスリブ辺りに行っていないで、パンガンダランへ三泊四日くらいでぜひ行ってみていただき、インドネシアらしい雰囲気を楽しんで頂きたいと思います。ドライバーには一日10万Rp渡しておけば宿泊や食事代を含めて十分です。本人たちの費用はピンキリです。
 
カリマンタン ティムールへ行って、パンガンダランへ行って、日本へ行って、と、こんな感じで移動している。どこへ行くのも、すでに、ちょっと出かけるという感覚です。26日にインドネシアへ戻れば、すぐにまた、どこかへ出かける。おそらく、エアーチケットの予約は5月1日にはするでしょう。
IMG_3654.JPGIMG_3653.JPG
今回作った水槽と自動スパイラルカッター付き引取機、自動ナイフカッター付き引取機、巻取り機。スパイラルカッターはメイドインインドネシアの1号機です。二号機を発注済みである。バキュームボックス付き水槽に至っては15台以上作っている。今回、自動ナイフカッター付き引取機も作ったが、こちらは、10号機である。そして、もう二台、発注済みです。それぞれの価格は日本の有名押出成形ラインの装置屋さんの価格の三分の一です。
インドネシアでは私が指導したKI社(撤退)AF社、NA社で合計、水槽は15台、自動ナイフカッター付く引取機は12台、自動丸鋸カッターは7台、プロファイル成形溶融金型、冷却金型セットは20セット以上、PAやPC,POMなどのエンプラチューブ成形用の溶融金型、冷却金型セットは15組以上、PPやPEのどのオレフィンチューブ成形用の金型も10セット以上、それらの会社のために私のデザインで作ってある。それらの会社は、日本で押し出し成型をしているのですが、インドネシアで作っている製品は日本ではできない。日本のベテラン成形社員がインドネシアへ学びに来ている。私はベテランでなくて若者を勉強によこした方がいいじゃないかと提案していたのですが、いうことを聞かない。インドネシア人に教えてもらうには、素直に聞ける若者の方がよいに決まっているのに、それに、人件費も少なくて済むから、押し出し部門の経費が少なくて済む、利益を出しやすい。教えてもらう人の給料が教える人の給料の10倍以上取るのではインドネシア人はたまったものではない。せめて5倍ぐらいの給料の人をよこさないと、まずいんじゃないの?と、思う。だいたい、いずれの会社の時も、指導している私の給料が日本からくるできない日本人の五分の一以下なのだから、変でしょ?
それに、日本の装置は一ライン千五百万円もするのでは、海外企業に負けるに決まっている。私のような人が、海外で装置製造の指導もしているのですから。
   

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(^_-)-☆突然の騒ぎ [状況]

1194 静岡は丸子の家にいる。たったの4泊5日の日本です。なぜ、そんなことをしなければならないの?それには、理由があるのです。27日の夜にはインドネシアにいなければならないが、27日のティケットが取れなかった。
 今日は曇天ということもあって、成田エクスプレスの沿線が殺風景である。いきなり、インドネシアの雰囲気と日本の雰囲気の違いを感じさせられた。外に出ている人を一人も見ない。沈んだ中間色というのでしょうか、明るいとか鮮やかとか目立つ色の家は一軒もない。家々の色は老人の服装の色のようだ。もっと、原色がほしい。

 家に着いて一時間も過ぎないうちに、スイス人の母親と男の子が客としてきた。家に着いて上がったらすぐに、彼女に息子が自分の指に、説明は難しいが、キーホルダーのようなものの輪っかに指を通し、それが抜けなくなったばかりでなく、飾りのトナカイの角の間にその指を挟めれてしまって、二重に指から抜けなくなってしまった。母親が石鹸水を塗って引き抜こうとしていたが。抜けない、私はペンチやプライヤーで広げようとしたができない。その子の指を傷つけたくなったので、無理やり引っ張ることはできない。そこで、娘が消防署に救急医を紹介してもらおうと電話した。消防署の職員からそれは医者でなくて私たちに任せろということになった。早速、消防署へ連れて行ったら、金属カッターの小さいやつで、輪っかを切断した。角も開いてすぐ指がから外れた。超小規模なレスキューでした。それよりも内の孫二人とスイス人の母、息子が突然、妙な騒ぎで現れたのには、消防署の職員がキョトンとしていた。ダンケシェンとお礼を言われて、なお、キョトンとしていた。私たちが出て行ったあと、しばらく、彼らの間で、その出来事について話が続いたと思う。

そんな騒ぎはすぐに忘れたように、チューリッヒが出身地だそうで、私もスイスには4回、行ったことがあるし、チューリッヒへ行ったこともあるし、スイスのことで話が弾んだ。男の子は孫たちとエキサイティングしていた。家中をどたばたと走り回っていた。
挙句に彼女たちの家まで送らされた。久能山近くの高級住宅地光洋台の一角まで。スイス人ご主人は静大の教授をしている。ドイツ文学とドイツ語を一般教養として教えているという。
IMG_3645.jpgIMG_3644.jpg 
 家の庭の春
  
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(^_-)-☆犯人逮捕 [ゴシップ]

1193 安心するために19:00に自宅を出た。順調すぎて20:30に着いてしまった。車は空港へ泊まりである。スカルノハッタ港にいる。23:15発成田行きガルーダインドネシアに乗る。
IMG_3637.jpg
相変わらず大渋滞のチカランバラットのジャカルタ方面からの出口。ジャバベカ1.2.3やイジップやヒュンダイやデルタシリコン1~5などの工業団地へはここからでなければならない。
IMG_3637@3.JPG
ハラパン キタ国立心臓病院、私がパニック障害(この時は何の病気かまだわからなかった)になった時に一週間、心臓検査のために入院した。結局、正常と診断されて、何の安心も得られなかった。インドネシアから脱出を決めて、妨害されてもすぐに空港へ向かうことができるようにこの病院に入院した。空港まで20分ほどで行けるし、ここからなら、渋滞は考えられないからでした。レインボービルやタマンアングレックの近くです。
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0063.html
2006年のことでした。今は完全?にパニック障害は克服しています。
人が、あの人は無理をし過ぎている、と思っても、本人は、なにも、無理をしていないと思っている人が掛かりやすいと、医者からは言われている。毎日、ブログに投稿している私は他人は、どう、思うでしょうか、無理をしていると思うでしょうか、私は無理をしていると思っていません。
一人でインドネシアのあちこちへ行ってしまうことを、他人は、そんなにむきになって無理をしなくてもいいのにと、思うでしょうか。私はじっとしていろと言われた方が私にとっては無理をしろと言われるようなもので、動き回っていることは全然、無理をしているとは思っていない。無茶をしているかもしれないと思うことはある。
脱出した時に気を失いかけながら耐えて座っていた場所から投稿しています。

例のクラウンコート殺人事件の犯人のセキュリティーが逮捕された。それが、その日本人のパチャール(恋人)が三人いて、殺されたのはそのうちの一人、セキュリティーに頼んで殺してもらったのがもう一人のパチャールだったそうです。その女性も逮捕された。本当かどうかは、責任を持てませんが、ありそうなことです。妻や恋人をイスラムでは4人まで認められているといわれていますが、それは、あくまで、対象の女性たちが認めてのことです。現実的には、女性がお互いを認め合うというケースは稀である。実際には嫉妬の塊が現れて、離婚話や賠償の裁判に訴えられた日本人を何人も知っています。日本人の中には勘違いしている人多い。インドネシアから出られない措置が取られます。この日本人も、裁判の証言をしなければならないので、インドネシアからは出られない措置が取られているはずである。いわゆる、ブラックリストに載せられているでしょう。
それにしても、一人に5万円与えていれば15万円も恋人に使っていたのでしょうか。無茶でしょ。
日本人よ、調子に乗りすぎてはいけません。どんなことに巻き込まれるか知れたものではありません。ほどほどに。

  

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(^_-)-☆西海岸は広い [サーフィン]

1192 チカランの家にいる。日本への土産物にとタシクマラヤの道端でウビ(サツマイモ)を2kg買った。1kg1万Rp(百円弱)です。空港で没収されないと思うが、ちょっと心配。日本の夏に備えて、パンガンダランの土産物屋で、つばの広い麦わら帽子を孫のために買った。安い、3万Rp(3百円弱)二つ買ったので、5万5千Rpにしてもらった。
 私が到着した日の、一人の日本人が来ていたよ、サーフィンが上手だった。また、来るといっていたよ。と報告が、イワン君の弟のアウェン君からだった。私がウェブサイトで紹介しているラシッド君は今オーストラリアへ語学留学をしている。今年、6月に終了してパンガンダランへ戻るそうです。彼は長男、弟が6人いて、二番目がイワン君、彼が今、サーファーの面倒を見ている。そのことでここ一年の間に変わったことは、それまで、西海岸の一般海水浴場とおなじ海岸で混じってサーフィンをしていたが、私は危険だと思っていた。そこで、今は西海岸でもほとんど水遊びの海水浴をしていなかった、人間でいえば肩に近い方へサーフィンスポットを移動した。18日の写真、パンガンダランの半島が一望できる場所がそのサーフィンスポットでした。そこにはサーファーがいるだけだから、圧倒的に寂しく感じるが、この方が圧倒的に環境はいいと思う。それに伴って、西海岸道路と海岸の間にサーファーの溜まり場というか、情報交換の場所というか、竹の骨組みにヤシの葉の屋根や壁を付けて、欧米人が好みそうな掘立小屋が増えてきた。そこには今まで何もなかった。土産物屋もなかった。観光客がうろつく場所ではないし、今も一般観光客はそこまでいかない。それぞれに、インドネシアらしい名前が付けられている。その一つにイワン君や弟たちも暇があれば行っているようです。先の日本人もその場所のどこかにいてサーフィンをしたのでしょう。日本人のファーストネームを言っていたが、覚えていない。
 パンガンダランのゲートから入って真っすぐ西海岸に突き当たる。左(南)へ曲がって、道なり(西海岸の海を右に見ながら)に500mほど行くと右側にその掘立小屋がある。

 私が泊まるホテルはホテルです、ロスメンではありません。一応、スタンダードとかデラックスとかスウィートとかシングルとかダブルとかの区別があり部屋代の一覧表があります。ピンからキリですが、テレビ、クーラー、冷蔵庫、ヲーターデュイスペンサー付き、シャワーでお湯が出る。ツインベッドで平均50万Rpでしょう、(35万Rp~100万Rpの幅がある)ホテルにプールがあったりバスタブがあったりすれば100万Rpに近い側になります。
 私は、お湯が出ない部屋で30万Rpの部屋を借ります。朝食は二人分仕出し弁当が届けられます。お決まりのナシゴレンやミーゴレン、バナナが仕込まれたパンや辛いからいケチャップがかかっている直径10cmくらいのピザが来ることもあります。

一般的に一人部屋というのはありません。最低二人です。インドネシア人は一人でパンガンダランへ来る人はいないでしょう。家族、親せき、友達の形です。ホテルの二人部屋に四人以上入るし、ロスメンな雑魚寝ですから、畳一畳に一人くらいの割合で押し込めます。トイレやマンディは外です。流石に、私もパンガンダランのロスメンに泊まったことはありません。一人当たりにすると千円以下になります。
IMG_3618.jpg
 東海岸の人間でたとえれば顎の部分に残った漁船の係留所だがその向こうに見える東海岸のほとんどは竹の桟橋で占領されている。
IMG_3628.jpg出前の海老0.5kgアッサムマニスとチャーカンクン、ナシ。6万Rp。美味しい、バンガッ

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(^_-)-☆俗っぽくなった [インドネシア]

1191 平日にもかかわらず若者も中年も大勢の人が観光に訪れている。ホテルやロスメンなどプンギナパンがどんどう増えて新しくなっている。インドネシアの経済成長と同調しているように感じる。
東海岸の様子が本当に俗っぽくなって、興ざめさせられている。バリ島に例えるなら、クタと西海岸、サヌール辺りと東海岸が似てきた。
15年前には東海岸にも2~30m幅の海岸があった。少しずつ狭くなっていたが、2006年の地震と津波を機会に、海岸が一遍に無くなってしまった。以前は西海岸にあるような観光用の小舟も小型の漁船も陸揚げされていて、必要のとき、ここから出港していた。毎朝、毎夕の地引網漁も風物詩だった。ヌサカンバンガンへは東海岸から出港すれば、かかる時間が30分くらい短くて済んだし、半島の先端付近の大波を切りぬけなくてよかったから、ずいぶん、安心度が違っていた。
 ところが今は海岸がなくなって、防波堤が築かれ、50m間隔ぐらいに防波堤が築かれている。漁船や観光小舟も姿を消した。どこへ行ったかというと。観光船は西海岸に、漁船の大部分は、半島の東肩の漁港に行ってしまった。朝、日の出に時間に一斉に出漁する姿はそちらに移ってしまった。地引網もそちらになってしまった。
 それではサヌール風になってしまったというのは、バナナボートの乗り場になってしまったということです。竹製の桟橋が数年前から一つ二つと増え、今では東海岸首の部分全体にできてしまい、15以上の桟橋がある。遠くから見ると竹のガラクタ造形物が乱雑に並べられているように見える。
 それにしたがって、道と防波堤の一部を占領して、竹とヤシ製で覆いは濃紺のシートのワルン(簡易食堂)とババナボート乗船勧誘場所が東海岸沿いのほとんどにできてしまった。これを地方行政は見て見ぬふりをしているようです。上納金が入るからです。
 
パラセーリングやマリンジェットが登場していないのでまだ救われるが、それらが登場したら、騒音もひどくなるでしょう。IMG_3622.jpgIMG_3584.JPGチャガールアラムがほとんど完全に自然が残されているようにパンガンダランの首の部分もできるだけ自然を保ってほしいものです。一ファンとして思う。

   
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(^_-)-☆我家の庭のよう [行動]

1190 お決まりのチャガールアラム(自然保護地区、ジャングル半島)入りをしてきた。まだ、雨季なので、道がぬかるんでいて非常に滑りやすく歩きにくかった。何度も滑って転ぶはめになった。結局,ラフレシアに一個あっただけでした。それも五つの花ベンのうち一枚が閉じたままになったできそこないでした。
 先端近くの滝壺で泳いだ。泳ぎながら滝を背にすると前に広がる景色です。今が一番水量が多い。冷たくない。
IMG_3606@.JPGIMG_3606.JPG ここのチャガールアラムには野生の割合大型の動物がいる。牛、多分家畜の牛が逃げ出して住み着いたようだ。鹿、キギャンです。これは逃げたのではなく、もともとどこかから渡ってきたのでしょう。大型でざっと見て1.5mくらい、立派な角を持ったオスが多い。ビヤワック、オオトカゲです。平均50cmくらいだが、頭から尻尾の先までは1mくらいのものもいる。これらは人が近づけば、一定距離まで逃げてしまう。しかし、完全に見えなくなるまで逃げて消えてしまうことはほとんどないので、写真を撮ることは容易である。
 サル、これは、始末が悪い。ジャングルの中というより入口から100m以内の半径にたむろしている。人間様の持ち物を狙っている。観光客が多いので、いろんなものを上げる。それに味をしめて、奪うようになっている。お菓子の袋や飲み物の瓶や缶、ぺットボトルは彼らの目標である。しかし、手当たりしだい、奪えそうなものは何でも奪い取る。メガネ、ハンドホーン、カメラなどなど、ガイドが注意をするが、土曜日曜には被害者が多く出るという。

 最初の上りがきつい、入口をはいって300mほど、一般観光客が散策する場所を通り抜け、自然保護地区に入るが、急に登りになる。100mで40mほど登る。すると、視界が広がる。ジャングルではなくなるのです。昔は無断侵入者を入れないようにする見張り矢倉がって、監視員がいた。木を切ってしまって、ジャングルへはいる人が見えるようにしたのです。今は矢倉も見張りの人もいないが、名残として残っていて、そこには雑木は育たない。100mくらい広場を通ると、また急な登りになり150mほどで50mは登る。上り詰めたところにちょっとした空間があって一回目の休憩場所になる。ここまで500mで100mは登る。多くの連れは、ここまで来て、とんでもない所に連れてこられたと思うらしい。
 後は10m程度の登たり下りをするが、私のとっては平らな道を歩いているようです。2km先の滝の上まではその調子だが、滝つぼへ下りるとなると30mで30m下る感じで、胸突き坂になる。上りも大変です。知っていれば、滝つぼまで下りなかったという人が多い。

 私はここを数え切れないほど入っている。本当はガイドはいらない。

  
タグ: 快適 ガイド
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(^_-)-☆緊張全く無し [日常]

1189 今朝 4:30に家を出て、パンガンダランへ向かった。タシクの入り口で08:00過ぎから、車の検問が始まる。その前に通過したいからでした。実際には2時間で通過するので、今日は06:30には通過した。チアミスまで4時間、バンジャールまで5時間、そこから南下しバンジャールサリを通過、途中、今まで行ったことがなかった脇道に入ってみたのでパンガンダランに到着したのが12:00でした。寄り道をしなければ、11:00には確実に到着している。
 今の時期、この辺りは間もなく田植えの季節、乾季に一歩手前が田植えの時期らしい。雨季には田んぼが水没しまうからだそうだ。田圃のあちこちに日本では全くと言っていいほど見られなくなった、苗代が見られる。一部田植えが始まっていた。
 寄り道をしたおかげで、ゴムのプランテーションを見つけた。今まで同じ道しか通らないのでちょっと山の中の道に入ってみると発見があるものです。

 新しいゼニアの調子はいい。新車はいい。キジャンに長い間、乗っていて、それはそれで運転心地は悪くなかったが、ダイハツゼニア(トヨタアバンザとおなじ)に乗ってみて、燃費は格段によしし、運転でも小回りは利くし、加速もいいし、チプラランの高速道路の極端な上り下りも難なくこなせる。タシクの町の手前のジャットコースターどうも大型トラックがやっと上っているので、急な坂道発進することが多い、それも、難なくこなせる。
 いいと思う。運転中、運転のことはほとんど考えていない。運転に集中していないのです。何かほかのことを思ったり、考えたりしている。そして、はっと、運転中にすることもない。何となく、今日は6時間が過ぎてしまって目的地へ到着していたという感じでした。全く、運転で、緊張していないのです。景色を見ながら、ちょっといいなと思うところで止めて写真を撮ったり、運転しながら撮ったりしている。
IMG_3572.JPGIMG_3573.JPG
 夕方になると地元の漁師の奥さんがポリバケツにエビや魚を持ってホテルの部屋を回って売る。一人がロブスターを持ってきた。1kg四匹で25万Rpだという。少しずつ高くなっているが、まだまだ安い。久しぶりなので買ってしまった。その女性が家に戻って30分後位に料理(といってもバカールだから焼くだけ)をして戻ってきた。一挙にたいらげた。ほかに人と一緒だと、どうしても、遠慮してほかの人に多く食べてもらうことになって、なんとなく、損をしたような感じがするが、一人だから、そういう心配はない。身は700gくらいだと思う。喉までロブスターが出てきそうだ。旨い。パンガンダランでもレストラン(パサールイカンなど)で食べたら40万Rpはするし、ジャカルタのホテルやレストランで食べれば100万Rp以上である。得した感じ。ヌサカンバンガン(監獄島)へ行って漁民から買って食べれば15万Rpだ。
IMG_3571@.jpgIMG_3571.jpgゴムのプランテーション。西から見たチャガールアラムのジャングル、明日,このなかへはいる。


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