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(^_-)-☆しっかり予備知識 [情報]

 2479 今日も新製品のトライ、また、H-PVCのパイプ、インドネシアのローカル企業は、H-PVCの仕事は苦手だから、私のところに回ってきてしまう。

Buruh berdemo dengan menutup pintu tol Cibitung. Karena aksi ini, kepadatan kendaraan menjelang pintu tol Cibitung hingga 6 km.
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今朝、イジップの入り口に。装甲車と警官が大勢、屯していた。デモがあるという、知らせだ。ここが、そうなら、MM2100もジャバベカでも、あるということだ。昼過ぎに、MM2100は、入り口ゲートが封鎖されていて、出入りができなくなっているとう情報が入った。Cibitungチビトゥンというのは、町側と工業団地側両側に出入り口があるが、今日の場合は、MM2100工業団地側が封させれた。

http://otaenplaext.net/newpage89.html
個人で、ある程度の資金をだしてもいいから、何かの仕事をしながら、日本での定年後を、インドネシアで、過ごそうと考えている人達への注意です。色々なことがあります、予備知識は十分ですか、進出する前に、確認してください、

日インドネシア文化経済観光交流団は、インドネシア日本友好協会主催によるインドネシアの要人も出席するレセプションなどに参加11月20日~22日には、ジャカルタのショッピングモールにおいてJNTO(日本政府観光局)主催による日本の観光情報発信や訪日旅行販売を行う「ジャパン、トラベル、フェア」を実施するほか、11月23日には訪日旅行の商談会や観光交流会拡大シンポジウムなどが開かれる。
これとは、別なのかどうか知らないが、同じ11月23日に日本インドネシア友好協会とジョコウィ大統領が主催する、「日本インドネシア交流の夕べ」と題して、ホテルムリアスナヤン(泊ったことはないが、泊っている方に会いにったり、日本食やタイ料理レストランで食事をしたりしたことが何度もある、渋滞が酷い地域で、裏の駐車場に入るにも分かりにくい、行きたくない場所である)でレセプションが催される。本当かどうか、日本の各界から1000人、インドネシアからも1000人、参加するという。
なななんと、さる日本の筋二か所から、「私を招待したいが如何でしょうか」というのが来ていて、月曜なので、行くのは厭だと、断った。その代わり、前日の日曜の夜なら、指定の場所にいって、求められる情報をお話しできますと伝えた。とにかく、ジャカルタへ自分で運転して行くのは、ご免こうむりたい。

今日、聞いた話によると、日本人がワーキングビザを収得するに当っての条件が増えたとか、日本人一人当たり最低十人の従業員を雇っていなければならないと。本当かな?何処からの発表なの?本当なら、ますます、進出しにくくなる。11月の交流会には、沢山の県の県知事さんや進出の後押しをしようとする県の職員も大勢来るという、こんなわけのわからない条件の事を知っているのでしょうか。従業員とは、契約でいいのでしょうか、正規従業員でなければならないのでしょうか、ビザを取った時に10人いたが、辞める人がいて10人より少なくなったら、ビザは取り消されて、その会社はどうなるのでしょうか。立ち上げ準備に来ている人は10人など邪魔だ。多分、ガセネタでしょうが、インドネシアだから、有りかなとも思う。取りあえず、インドネシア語能力のことと、大卒以上でなければだめだと言い出したことは、曖昧になったらしい。

それでも、日本からの企業進出は止まらない、今ごろ来てどうするの。と思う。
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アルファマートで見つけたセラミックの包丁、SANTOKU Knifeと書いてある。三徳の意味でしょうか。


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(^_-)-☆事件その後 [災難]

 2478 HDPEで、角棒の試作をした。断面長方形、30×20 一発目としては上々の出来、金型を一回修正するだけで、良品が取れそうだ。角パイプにしたかったが、上手くゆかなかった。直ぐに、ジャバベカ 1にある客先に届けた。その客先はスラバヤだそうで、早速、明日。スラバヤへ送って、評価をしてもらうという。というのも、想定して通りの形状で出来なかったが、むしろ、このままの方が、実用的ではないか、という。サンプル通りでなくても、使えれば良いという考えのようだった。
しかし、私としては、そいてい通りの製品ができるように金型を改造する、そして、出来そこないの製品の方がいいという評価になれば、それも、できるように、部品の交換という改造をする。とにかく、期待されてしまっているので、何とか、期待に答えたいというプレッシャーを感じる。来週末には、結果が出る。
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丸い金型から長方形の製品を作る。

MM2100のマンダムの事故だ。7月10日でしたか、インドネシア全体が、レバラン休暇に入る頃でした。マンダムでも、多分、仕事納めの人が多かったと思う。故郷へ、その次の日に出発予定の人が、大部分だったと思う。衝撃的な事件でした。最初は、5人と発表されていた死者は、その後、17人と発表があり、現在のところ28人になっている。まさかと思う人もいるかと思うが、これ以上、増えないとは言えない状態だと思う。

6月12日に、何とか大臣も迎え、華やかに工場と本社の竣工式をやったばかり、まさか、そっちの方とは思わなかった。ナンブ第二工場の隣の以前からの工場で、何か老朽化が原因の爆破かと思った。私は、その工場なら、何度か、工場見学や情報交換をしたものでした。2002年のジャカルタ大洪水の時、スンタールの本社に保管してあった製品が水浸しになり、売り物にならなくなり、処理に困り、この工場の広大な空きスペースに持ってきて、山積みにした。その内、その場所に埋めてしまった。何十トンという、製品が今でも、埋まっていると思うので、それらから、ガスが発生したのかとも思った。

この事故のその後の処置についての報道がほとんどない。じゃかるた新聞も控えめだと思う。何故でしょうか、マンダム、ギャツビーのテレビコマーシャルは事件まえには、かなりの頻度で流れていた。番組のスポンサーを沢山やっていたが、事件後は、消えてしまった。今はどうでしょうか、今も、私はギャツビーのイクラン(宣伝)は、流していないと思う。事故が起きた新鋭工場は稼働の見通しがついていないと思うし、古い方の工場も減産になっているのではないかと思う。保証も半端な金額ではないと思う。事故前までは、急成長をしていたが、一転、厳しい業績になってしまったと思う。  

責任はどこに?損失の補償や犠牲者への支払いはどこがするのか?相当、長引く問題だと思う。警察、保険会社、下請け会社の情報もほとんどない中、イワタニの現地会社のインドネシア人が逮捕されたというニュースが入った。原因も一部だと思うが、発表された。日本人社員(ポジションは?)にも事情を聞くために、インドネシアに戻るように警察から、呼び出しがいっているという。どうするのでしょうか、まだ、本人は、戻っていないようです。

日系の工場で、インドネシア人が事故によって亡くなったという話は、一人とか二人だが、何回か聞いている。その場合は、下請けではないが、その会社のその責任者は、例外なく、ほとんど、その日の内に、日本に戻ってしまうという。本社から、脱出命令が出るのだそうだ。危機管理の一環でしょうが、そういうことらしい。逆上したインドネシア人に袋だたきをされることを想定するからだ。今回も、例外ではなかったようだ。本人は、どうにも出来ないから、従うしかないし、気持ちは分かる。しかし、犠牲者やその関係者にとっては、許せない行動だと思う。これも、十分分かる。日本人としては、余り、話題にしたくない問題だが、相当、尾を引く問題だと思う。

様々な問題が早く終息し、コマーシャルが流れるようになることを願うし、こんな事件、二度とないように願うばかりだ。
 

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(^_-)-☆その人へ [人]

 2477 妻や従業員人には、40才の時に50になったら、社長を止めて、どこか海外にいって技術指導をすると宣言してあった。そして、今年、4月に、妻や会長には、来年2月で、インドネシアの仕事はお仕舞いにすると伝えた。いずれも、意志がぐらつかないように、だった。しかし、その他、その人を含めた友人にも、取引先にも、銀行など関係者にも、一言も言っていなかった。言ってしまって、実現しなかったら、恰好が悪いと思ったからだ。そして、ぴったり50の年末一杯で社長を止めて、単なる顧問になった。その時に初めて、皆さん、なぜやめたのか、今後何をしたいのか、機会ある毎に説明をした。中には、太田化工で何かあったんじゃないの、大丈夫?と心配した人もあった。慌てて偵察に来る商社もあった。
会社は、順調そのもの、何の心配もない。突然、赤字に転落したとしても、数年は、借金をしなくても済む蓄えは充分あった。私も直ぐにいなくなるわけでもないので、経営者交替は突然だったかもしれないが、移行期間は充分あった。

その人のことだが、実際には社長を止めてから約2年半後に日本から出たのだから、少しずつ、離れて行く、そして、いつ戻るか分からない私をかなり意識していてくれたようだった。ボランティア的な仕事を多くするようになっていったようだった。自分が身体障害者(私はそう思っていないが)なのに、身体障害者の世話をするようになっていた。

ほとんど、すべてを、振り払って、突き放して、単身、日本から脱出なのだから、私が日本にいなくなれば、その人の行動を助ける人が一人、少なくなる。精神的にかなり負担だったと思う。そして、その日が来て、黙って、赴任してしまった。

妻や会長には4月に伝えてあったが、今日、先ほど、コミサリスに、私の来年の行動希望を伝えた。ビザが切れる二月に、延長はしない。要するに、インドネシアでの仕事はお仕舞にする。ただし、リタイアビザを個人的に取る。主な生活の場は、日本になる。やっと、踏ん切りがついた。この決心が変わらないように、ここに書いた。

生きていれば、色々なことがある。完全なる変化ではないが、また、次の何回か目の違った人生がある。

スマトラ、リアウ州に大雨が降ったそうだ。森林火災も下火になったらしい。
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家に戻ったら、停電をしていた。21;00過ぎに回復した。PCの画面は会長が、バリのニルワナ(しつこいようですが天国という意味です)ゴルフ、7番 ブルーティ 海越えのショートホール、向こうに、有名が観光スポット、タナロットが見えます。引き潮の時には、子供が大勢下にいて、ボールが降ってくるのを待っている。会長、お気に入りの写真です。実は、海に落としたのでした。白から打つ人も、このホールだけは、青から打ってみてください。2月に仕事を止めると伝えたのは、この方です。
http://otaenplaext.net/newpage0.html私のウェブサイトの表紙は、タナロットですが、向こうに、この7番のティーグラウンドが見える。
http://otaenplaext.net/newpage46.html
http://otaenplaext.net/newpage47.html
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0302.html


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(^_-)-☆その人が [人]

 2476 その人は、活動的な人だとは分かっていたが、ママさんバレーや水泳や卓球の大会に、良く出かけているそうで、その人の地区の、ママさん仲間ではリーダー的な存在だということが、話からわかる。なるほど、な、その人ならと思う。息子が、また、目だった存在らしく、陸上中長距離では、県で上位だという。その息子、それから二三年後に、高校の私の後輩になった。三千障害でインターハイにでた。ところが、二年の時に、中退して、アメリカのソルトレークシティへ行ってしまった。その人、息子を誇りに思っているが、かなり、拍子抜けで、寂しそうだった。その息子、日本に帰って来た時に二か月余り滞在し、資金稼ぎのために、私の会社でアルバイトをさせてやった。親からの援助は受けたくないというのだ。破格の時間給で、彼を使ってやった。母の中途半端な幼馴染だし、高校の大先輩の私の生き方について、興味があったようで、彼から、根掘り葉掘り質問を受けた覚えがある。その息子、アメリカ人と結婚して、アトランタに住みついてしまった。今はどうしているのか。

その人とは、何回かの同級会、そして、同級会をする幹事になる人がいなくて、同級会を開けないクラスの人から、同学年会をやってほしいという話があり、それではと、二人で、それを引き受けた。私達が、という理由は、1組と2組から、幹事役をしましょう、でした。11クラス、600人、名簿をかき集めて、静岡の中心地の会場を予約し、開催した。クラス平均、25人で約300人の出席、恩師は11人全員、見えられた。皆さんに、大変喜んでもらった。その後、もう一回、5年後に、本当は3,4組担当なのに、確か、結局、私たちも協力した。その後は、どうなったか聞いていない。同級会も5年毎ということで、インドネシアに来てしまってから、一度戻った時に開いた。その人と最後に会ったのは、その時で、2003年だったと思う。流れでカラオケに行った。その時に、インドネシアでよく歌っていた、広瀬香美“Dear-again”を歌った。

日本から離れる前、何年間か、その人とは、良く、スキーに出かけた。私はスキー仲間が何人かいて、毎年その人たちと数回、会社の連中とも二三回、出かけていた。その中に必ずその人が含まれるようになった。“私をスキーに連れて行って“の頃でした。八方、志賀には頻繁に行っていた。お気に入りはジャイアントだった。草津、湯沢、赤倉、斑尾などにも出かけていた。インドネシアに出発する年の春まで続いた。

その期間中、その人にアクシデントがあった。確か、乗鞍だったと思う。その人、スキー中に突然、胸が苦しい、と、座り込んでしまった。中間にある休憩所で休んだ。なかなか、苦しいのが直らなかった。大丈夫だから、あなた達は滑ってきて、というので、一時間ほど、その場を離れて滑って、戻った時には、もう、治ったという。しかし、気になるので、滑って車までもどって、その日は帰った。そういうことが、その次の時にもあった。病院へ行って検査をしてこいよ、と勧め、やっと本人その気なって、検査した。不整脈で、このままでは、スキーに行けなくなるどころか、危ない、直ぐに、ペースメーカーを入れた。直ぐに決心して良かったと思う。一級の身体障害者だそうだ。その後も、スキーは続けた。もう、気持ちが悪くなって坐り込むことは無くなったし、お陰で、その人が一緒だと、高速代が半額になった。変な制度だと思った。こんな元気で、どこも悪く見えない、心臓発作で亡くなる確率は、ゼロに近い。普通の人より強い心臓がより強固になったのだから。どこが、一級身体障害者だよ、と、思った。

それはそれとして、中途半端な幼馴染というか、気心が知れた友人の一人として、子離れの手伝いに一役かっていた感じだった。良い間柄だと思っていた。
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Jalan tikus ジャラン ティクス、ネズミの道、近道、抜け道の事です。国道からチビトゥンのゲートに向かう大通りが大渋滞している時でも、ここは、空いている。大型は進入できない。コカコーラの西側にある。
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軟質塩ビチューブ用の引取機とカッター、来週から稼働する。
  

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(^_-)-☆その人に [人]

 2475 大学を卒業したら、皆さん、お待ちかねだったと思っていた同級会を開くことにしていた。そんな時に、ばったり、同じバスでその人と会ってしまったのでした。その約、一か月後、5月だった。静岡のある喫茶店で、待ち合わせて、現状を話し始めた。その人、会社は止めた、結婚するためだった。職場結婚だという。9月何日に結婚式だという。あなたは、どうしてる?というので、就職をして沼津の方に住みだした。そして、決まっていたわけではないが、結婚を前提に付き合っている人はいて、これから、資金を蓄えなければならない、と、そんな話をした。かなりのショックだった。大学を卒業し、自立できる資金ができたら、その人に心境を打ち明けようと、心の一部で思っていたからだった。そのあと、同級会を一月にするつもりだが、その人に手伝いを頼めなかった。“15年後、皆さんの生活が落ち着いたころに次の同級会をする” と約束もした。他に何を話したか覚えていない、一時間ほど一緒にいて、“幸せにね”といって、別れた。後ろ姿を見送った。その人は振り返らなかった。9月何日、その日は会社で休日出勤をしながら、その人の幸せそうな結婚式を想像していた。56人中40人以上集まったが、全てが、まだ結婚していない人でした。その一月の同級会にその人は現れなかった。

それから、15年後 37歳、当然、皆さん、結婚し、小学生や中学生の子供もいて、家庭の事、仕事のことも、落ち着いて安定時期に入っているころだ。私も結婚をし、自分で仕事を始め、身の回りのことも順調に推移していた。案内状を出すために現住所を出来るだけ、知らなければならない、そこで、その人の実家に電話し、その人の苗字と電話番号を聞いた。静岡にいた。早速、電話をし、“約束した通り、同級会をするので手伝ってほしい”と頼んだ。待っていたかのように、声が弾んでいた。その声からすると、家庭や生活が順調だと感じたが、打ち合わせをしたいという。その人の方から、会いたいという気持ちが伝わってきような気がした。ちょっと、様子が違うかなとも思った。多くの人にとっては油に乗りきっっている時期だと思う。

まず、15年ぶりの再会、場所は覚えていない。目的の同級会を理由にして、二人きりで、同級会をやったようなもの、夫の事、子供のこと、私が聞いても仕方がない事ばかり、話したかったのでしょう。自分の境遇、環境を洗いざらい、話した。話す相手として、その人は、私からの連絡を待っていたように、でした。その人の中では、私は、そういう、存在になっていたのかな、と、ちょっと、複雑だった。

二人きりで会うのはそれが最期になった。女性の現住所のメモを貰って、私が二人の名前で、皆さんに案内状を送った。その半年後の同級会は先生も楽しみにしていただいたようで、30人ほど集まった。出席できなかったが、現住所が刑務所の奴もいて、かなり、中学3年1組同級生、ピンキリの人間模様になっていた。私は、会社も個人も新聞に紹介されるようになっていた。一応、太田君ならね、と言われる状態にはなっていたので、良かったと思うし、その人をがっかりさせることもなかったので、よかったと思う。

それから、約15年後、私が、インドネシアに行ってしまうことになるとは、その人、思っていなかったと思う。しかし、私は、50過ぎたら、社長を止めて、静岡の片隅から、外国、東南アジアに出ようと既に決めていて、それを実行した。その当時は妻にも話していなかった。
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チビトゥンの金型屋からの帰り、ジャラン カリマランの渋滞ぶりとジャラントールのチカランバラットの出口のガラ空きの様子 
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(^_-)-☆その人と [人]

 2474 その人も大学へ行くのかと思っていたが、就職をした。私は静岡から離れた。夏の最終の試合の時に、卒業してからも連絡先を知らせ合おうということになっていた。こんなことがあった。大学一年の秋、葡萄の季節、私が住んでいた甲府に行ってみたいという話になり、友達と一緒に、その日、何時の列車に乗って行く、駅まで迎えに行くという約束がった。
 その列車の到着を友人と二人で、ホームで待った。しかし、その列車に乗っていなかった。朝9時頃だった。次の列車が到着するまで、一時間以上ある。約束の列車に乗っていなかったということは、もう、来ないと判断してしまった。今なら、携帯で連絡をするが、当時は、連絡しようがなかった。友人の手前、彼も行ったことがない、その人が来たら一緒に行こうと思っていた昇仙峡へ2人だけで行ってしまった。全く、面白くない二人のブラブラ散策だった。彼には気の毒なことをしたと思っていたし、彼も、私の傷心を分かっていた。
夕方、下宿に戻ると、おばさんから、私を訪ねてきた人がいたよ。直ぐに、どこかへ行ってしまったが、という。ショック、その夜、その人が家に戻っただろうと思う時間に下宿の電話を借りて掛けてみた。

友人が遅れてきて、その列車に乗れなかった、次の列車で行ったが、あなたがいなかったので、住所の下宿を訪ねてみたが、そこにもいなかった。大学辺りと神社と街を歩いて、静岡にもどったという。

その年の暮れ、静岡で会って、その時の事を謝るとともに、何かの映画を一緒に見た。オリオン座(とっくになくなっているが、当時は洋画の封切館)だった。ジョージキャキリスとチャールトンへストンが出ていたことを覚えているが、映画の内容は上の空だった。それを最後に、その人と会うことはなくなったし、手紙のやり取りも、なんとなく、しなくなった。私の方は、身近なことで、かなり、忙しくなっていたし、その人の事を思う瞬間はほとんど無くなっていた。意識をしなくなった。
大学生活を謳歌した。クラブ活動や研究を自由な雰囲気の中で、充分にやったと思う。多くの友人、学芸学部との付き合いでは、多くの交際も生まれた。

その人も、多分、身の回りの事で、充実しているだろうと、思う。それぞれの世界があった。私に方は、卒業する時までには、何人かの学校の先生候補者の女性と知り合うようになり、スキーやスケートに一緒に出かけたり、家庭訪問をしたり、その家(ブドウ園の娘が多かった)の手伝いをしたり、付き合いも多かった。将来を語り合ったりもした。私を慕ってくれる後輩も何人かいた。

そして、静岡の東部にある会社に就職が決まった。そして、機会を見て、その人に同級会をするための手伝いを頼もうかなと思っていた。
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蓮の花、ピンクは昼前に閉じてしまうが、白っぽい方は、閉じない事を、最近知った。
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会社の押出しラインがやっと4ラインになった。そのための準備を休日の今日、した。
   

Pergi Untuk Kembari” Elloの歌です。数年前に大ヒットした歌ですが、その20年以上前の他の人が歌っていたのを聞いたことがあった。これも、私に心境に似ていたと思った。しばらく、どこかへ行ってくるよ、また、会いましょう。といった内容です。
https://www.youtube.com/watch?v=4M9AC5cbhg4&list=RD4M9AC5cbhg4#t=62
Walaupun langit pada malam itu Bermandikan cahaya bintang Bulanpun bersinar betapa indahya Namun menambah kepedihan oh
 Ku akan pergi meninggalkan dirimu Menyusuri liku hidupku Janganlah kau bimbang dan janganlah kau ragu Berikan senyuman padaku
 Selamat tinggal kasih Sampai kita jumpa lagi Aku pergi takkan lama Hanya sekejap saja Ku akan kembali lagi Asalkan engkau tetap menanti

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(^_-)-☆その人 [人]

 2473 先月も二日、異常アクセス回数の日があった。今月は今のところ三日あった。通常一日数100回から700回くらい、時に1000回を越す時もある。しかし、異常とは3000回以上4000回以上アクセスがある日だ。突然、多くの人がアクセスしたとは思えない。ということは、個人かそのグループが、その日の投稿にアクセスするのではなく、過去に遡って、幅広くアクセスしていたと思う。一人だけでは無理だろうから、何人かでチェックしていると思う。何のためでしょうか。

昨日の続き。中学に入って、小学校から引き続き、中学校に行っても、クラスの委員長任せられることが多く、生徒会の代表委員会にも出席していた。その人は、別の小学校からだったが、他のクラスの委員として、出席していたという、しかし、全く、二年間、知ることはなかった。三年になって、同じクラスになった。クラスの選挙で私が委員長に、その人が副委員長になって、初めて、存在を知った。その、初めての代表委員会に二人で出席した。そして、生徒会長と副会長の立候補を募ったが、誰もいない。そこで、出席者で選挙のようなことをして、選ばれた3人が強制的に立候補をさせられることになっていた。そして、その一人に私が選ばれてしまった。びっくりしたのはその人、私のことを何も知らない、初めて会って、一週間くらい後のことだった。選挙まで二週間、私は、全く、選ばれたくなかったので、何もしなかった。ところが、いらぬお世話だと思っている私を無視して、その人、私のために、ポスターや推薦文を書いて、掲示板に張ったり、他のクラスへ行って、私に投票するように頼んで回ってくれたりしてくれていた事を知っていた。それで、意識をするようになった。クラスの仕事、生徒会の仕事も一緒にやらされる機会が多かった。

しかし、中三の時は、あっという間に通りすぎ、卒業、私は、静高へその人は、直ぐ近くの女学校へ行ってしまった。私は、中学校からそのまま、卓球部に入った。何と、そのは、中学校の時には運動部に入っていなかったのに、卓球部にはいったのでした。それを知ったのが、中学卒業して二か月後に、クラスの卒業文集を完成させるために、担任の先生から二人が中学に呼び出されて、製本作業をしている時に、先生が、その人も卓球部に入ったということ私に話したのでした。本当?そうだよ。という会話をした。
その人と、個人的に会うことはなかったが、高校の時、その人と共同主催の一回だけの同級会の時と、卓球の中部大会や県大会の時には会場で必ず会っていた。互いに、自分が試合をしていない時には、コートサイドで応援もしあっていた。私たちの周囲の人達は、私達が中学で同級生だったということを知っていた。しかし、それだけだった。私は大学へ行かなければならないので、それが私にとっては最優先だった。特奨生だったし、それなりに恰好を付けることが優先だった。17の頃でした。一回だけ、その人の家を訪ねたことがあった。同級会の打ち合わせだった。質屋さんだった。初めて質屋というのはこういう作りをしているのかと、思った。兄弟や両親にも会った。静高生大歓迎といった印象だった。
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二番ホール、もう、プレーする人はいないので、スプリンクラーからの散水が始まっている。
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帰り、左に曲がればタマンセントサ、警官が小遣い稼ぎをしている。
タグ:記憶 他人 遠い
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(^_-)-☆時々思う [人]

 2472 19年前の事である。インドネシアに来て、いきなり“心の友”っていう歌を知っているか、歌詞をアルファベットで書いてください、と頼まれた。暫くして、ネットで調べて書いてやった。インドネシアで一番有名で親しまれている日本の歌です。今でも、知っているかと聞かれる。歌ってみてくれと言われる。先日、五輪真弓さんが、インドネシアへきて、歌ったそうですね。

その当時、私は、インドネシアで売られているCDを買ってみた。その中に“雨宿り”という歌があった。まったく、知らなかった歌だった。詞を読んで、男女反対にすれば、若い時の私だと思った。

大学を出て就職し、就職先に向かうためにバスに乗って静岡駅に向かった。それから、いくつか先のバス停で、その人は乗ってきた。直ぐに、目があった。離れて座っていたが、彼女も駅で降りた。私は、ちょっと遅れて降りた。先を歩くその人に声をかけようかどうか迷ったが、声を掛けた。待っていたように、スッと振り向いて、私に向かって来た。時間がないので、今はどうしている?などと、話したかったが、出来ずに、何日か後に会う約束をして、別れた。その後、日本にいた30年、思い出を沢山作った。この歌を覚えて、口ずさみながら、日本での、ちょっと前までのことを思い浮べていた。
https://www.youtube.com/watch?v=srDOA-riP3Y
“駅のホームで見かけたあなたは昔の恋人、そのなつかしい横顔、思わず声をいかけた私、あなたは驚いたように、煙草を落としてしまった。砕け散った炎の日々が、束の間に蘇り、見つめ合う、どうしてる今は、あれから君は、元気にしてるは、いつだって私、お茶でも飲もう、少しの時間、電車は通り過ぎて行く、あなたはコーヒーカップに、角砂糖二つ入れて、今の僕はこんなものさと、笑いながら、神を掻きあげた、そう、だけど不思議ね、あの日分かれたことも、只、余りにも若すぎただけだと二人、互いに許しあえる。愛したわ私、あなたのことを、今は別々の、夢を追うけど、めぐり合いは、素敵なことね、雨宿りするように、二人、愛したわ私、あなたのことを、今は別々の、夢を追うけど、めぐり合いは、素敵なことね、雨宿りするように、二人”

あれから、19年、この間、その他大勢といっしょに、二回ほど、会っているが、もう、10年以上。会っていないし、話もしていない。ペースメーカーの人、今は、どうしているでしょうか、今年の7月、車で家の前を通りすぎた。家の中にいるのだろうか、と思いながらだけだった。電話をしたいが勇気がない。その人は、まだ、Surgaへ行っていないことを祈るだけ。
書いてしまった。今日、突然、蘇ったことでした。“我思う故に我あり“
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桜祭りがリッポチカランなら紅葉祭りはジャバベカだというのでしょうか。
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先ほど訪問したスルヤチプタ工業団地、ここのも日本食レストラン、大和?がオーピン?でしょうか・
 

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(^_-)-☆よくある話 [日常]

 2471 何度も書いていますが、以下のような情報がまたまた、入ってきました。10月21日(水)午前11時ころ GIIC(Greenland International Industrial Center)Delta masに、ブカシ県の2名の入国管理局職員が来社し、Surat Perintah Tugas(令状)を元に抜き打ち査察開始。
以下の5点の書類の提示を求める。
1 PASSPORT 
2 KITAS(滞在) 
3 IMTA(就労)
4 LPTKA(外国人雇用計画書)
5 社内組織図(社内関係者の署名済み)
 よくある話です。忘れたころというより、また?という感じで、こういう情報が入ってきます。会社ばかりではなく、ホテルやアパート、コンドミニアム、カラオケ、マッサージへも立ち入り検査があったという話はよく聞く。ゴルフ場にも突然現れたというのもほんとにあったらしい。短期滞在がノービザになってから、頻度が増しているような気がする。組織図とポジションがその人のビザへの表記と一致していない場合も問題になるので、注意です。最近は、以前あったブクビルを受け取らないですね。以前は、ブクビルも見せろと、イミグレで言われたものでした。
 http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0100.html2009年と、ちょっと古いですが、参考にはなると思う。KITASはカードになっていますね。
 
ついでの話。私はいつもパスポートとキタスとNPWPとSIMのオリジナルを携行しています。無くさないように、盗まれないように、必ず、リックサックと財布の中に入れて持ち歩いています。車から離れる時には、持って出ます。車の中に置いておくことはしない。車上狙いは数分など掛からない、一分くらいで、やってのける。リッポチカランのシンガラジャ、デルタマスの大通り、ブカシバラットのメトリポリタン、サイバーパークでやられた話を聞いている。思わぬところで、あなたは狙われているかもしれません。ゴルフ場のカートに小物入れを置いてプレーする人が多い。その中に、パスポートやキタスを入れて置いて、盗まれたという話もありましたね。ゴルフ場は垣根、金網フェンスで囲われているが、ほとんど、どこからでも自由に出入りすることができる。

また、別の話で、しかし、いい度胸をしている人もいる。その会社で仕事をするのでなく、個人で、何かをしたい人のために、会社の空きポジションで、ビザを取ってやるのです。個人的に手数料を受け取るのです。二三人そういう手伝いをすれば、結構な収入しなる。本人が常時、会社にいなければならないという分けではないから、調査に入られても問題はないということらしい。いつかはばれるでしょう。
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 ガソリンスタンドだが、正面がバイク専用ポンプ。
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 気に入らないトカン パーキルTukang parkir駐車場係員、必要ないがいて、車の出入りを仕切る人、チップを渡さなければならない。コンビニの前には一二台しか駐車できない、バイクが邪魔をしていて、入ろうとして辞めるくらいに、駐車スペースが狭い、それでも、多くのコンビニに係員がいる。店が頼んでいるのではないと思う。勝手に、自分の職場にしてしまって、小遣い稼ぎをしているのだと思う。ましかして、インドネシアの社会は、これを認めているのかもしれないが、私にとっては、かえって、邪魔なうえに金を払わなければならいという、存在が、気にくわない。通りがかりのコンビニに入ろうとしても、変なオヤジがいるのを見ると、入るのを止める。タマンセントサの中にあるコンビニにはいないので、よく利用する。
 

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(^_-)-☆スペダ モートル [日常]

 2470 Sepeda motor“モーター付きの自転車”日本では一般的にバイクと言っていますね。インドネシアでは、通常。スぺダ モートルと言わないで、単に“モートル”と言っています。
凄まじい勢いで、売れていましたが、ここ一年ほどは、前年同月比割れの販売台数になっているようです。30%以上落ち込む月もあるようです。車も似たような情況になっている。インドネシアも4人に一台保有という数になっているそうです。まだまだ、ベトナムなどに比べれば、売れる可能性が高いと言っていました。
 どうでしょうか。ジャワ島に限っては、又、西ジャワに限っては、又、ジャボタベックに限っては、印象では、一家に一台どことか、一人に一台、日本の自転車が一人に一台(今はどうか知りません)時代がバイクに変わったような気がする。子供も自分のバイクを買い与えられている時代になってしまっているような印象だ。

 “日本では、自転車を使っているから、バイクはほとんど走っていないよ”と、話すと、“日本のメーカーは、日本では作っていないのか”と聞かれる。私も、そう思う、日本では作っていないのではないかと。
 日本の自転車並み以上に溢れているバイクだから、それなりに社会も対応をしなければならない。昨日、書いた、バイク一時預り所もその一つです。バイク専用の施設が増えている。ガソリンスタンドのバイク専用ポンプ、車用のポンプとは離れた奥の方にある場合が多い、そちらに長蛇の列が出来ている場合も多い。だから、車のポンプに並んでしまうバイクも多い。どうでしょうね、真面目人間と要領のいい人間との差が出る場所になっている。駐バイク場、これも、車とは場所を区切ってある。ここも、人に依って、駐車場に置いてしまうバイクもある。バイク用の駐バイク券、発券機も車とは別にしてある場所が増えている。こればかりは、車の方を使えないらしい。新しい橋や道やトンネルではないが、両側からの落石を防ぐために、覆いがある道などの両脇にバイク専用レーンが設けられるようになっている。
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 これだけバイクが氾濫していれば、もう、そろそろ、販売も頭打ちになって当然だと思う。これからは、毎年、多くても600万台、月に50万台平均程度かそれ以下の販売台数になると予想する。バイク販売会社も下請けも、増産を考えるより、シェアー争いを考えたほうがいいと思う。品質と価格とサービズで勝負するようになったと思う。ジャワ島以外の島は、まだまだこれから、伸びるでしょう、と、という意見もあるが、再び増産するようにはならないと思う。バイクバブルははじけたと思う。
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この会社にはバイク専用入り口があり、その奥に駐バイク場がある。
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この会社、歩行者専用の入り口がある。写真の左側のほうだ。右の車やバイクの入り口が広い、それらも今は入ってきていない。歩いて、車の入り口に入って行ったら、セキュリティーに、呼び止められ、あなたの入り口は向こうからだと、強い口調で言われた。いったん外に出て、向こうから入りなおすのかと聞いたら、そうだという。こっちは客で、買い物に来ているのに、規則かもしれないが、それはないでしょう。それに、歩行者はここから入らなければならないと、書いてないし、正門のようなところが、乗り物専用入り口とも書いてない。無視して、そのまま、入って行った。
何しに来たのかと聞くから、ショールームへ行って買い物をすると、話した。かれは、無言だったので、そのまま、中へ入っていた。買って、帰りには、その、歩行者専用の入り口というか、ゲートを通って、外に出た。セキュティーに、ちゃんとわかるように書いておけと、言いたかったが、やめた。私のように歩いて来る客はいないのでしょうね。歩行者専用出入り口とは、従業員用なのでしょね。


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(^_-)-☆H-PVC透明 [押出成形]

 2469 日本のある会社からの注文で、硬質塩ビ透明パイプを作ることになった。軟質塩ビのトウメイチューブは、原料メーカーは沢山あるし、成形も水槽に通すだけで、規正が要らないので、非常に簡単、猫も杓子もやろうと思えば、すぐにできる。ところが、硬質塩ビの押出成形ということになると、これが、結構、厄介で、インドネシアではほとんど成形をしていない。ということで、原料メーカーも少ない。成形も難しい、そのうえ、原料の長期在庫、多分3カ月くらい過ぎると、色が変わるし、硬度も変わる、分解をしやすくもなるらしい。

 私自身は、何度も書いているが、塩ビの成形は嫌っていた。塩素ガスがでること、錆の原因になる。塩ビの押出しをしている会社は、どうしても、規模を大きくしなければやっていけなくなるし、そればかりの成形になってしまっていた。彼等は、エンプラの成形に手をだせない。少量生産で、小さい押出機と小さい工場でやっていける塩ビ以外の樹脂だけの押出しをしていた。それで正解だったし、インドネシアで仕事が出来ている理由にもなっている。しかし、インドネシアでは、どうも、硬質塩ビの押出し技術は遅れていて、ショーケースや冷蔵庫などのフレームの多くは中国からの輸入に頼っているのが、現状で、なかなか、メイドインインドネシアに変える勇気もない。

 そういう情況になかで、私に透明のH-PVCのパイプの注文が回ってきた。この会社の若社長さん、私を新らしてくれているので、出来ないとは言えない。面倒だが、引き受けた。原料、先ず、少量のサンプルを作って、打ってくれる原料メーカーを捜さなければならなかった。規格品として、透明H-PVCを持っている会社はない。あれば、一握りもいいから、サンプルを貰って、どんな色や硬さかを見ることができるが、それができない。

 作ってもらうしかない、ある会社は、全く相手にしてくれなかった。量産になっても、量が少ないからだ。もう一社は、担当が変わったばかりで、私とは初めて話をした人から、軟質塩ビを買ってくれるなら、硬質でも協力しましょうということだった。やっと、軟硬質の二種類の透明原料を25kgずつ手に入れて、パイプを作ってみた。ノズルマンドレルを出来るだけ製品に近いサイズにして、引き落としを少なく、出来るだけ狭い隙間から樹脂を出すようにし、スパイダーからのウエルドラインが出ないようにして、一応。満足いくものが出来た。
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作ってみた、二種類のサンプル。写真では良くわからないが、二本はブーイングになっていて、一本は、ちょっと、茶色っぽく、焼けたような色をしている。ブーイングの方が良いに決まっている。これで、サンプルを出す。透明といっても、無色というわけにはいかないようで、これも、色合わせを難しくしている。
二本がしっくりセットできるように、双方の内外径に注意しなければならない。また、この製品は両端のバリ取りも重要な仕事の一つになる。
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バイクの駐車場というより、一時預かり場、この前の通りが、長距離バスの発着場になっているので、ここまで、バイクで来た人達が何日間、戻ってくるまで、預けるのです。日本には、どうでしょうか、自転車の預かり場がバイクも預かるのでしょうか。ちょっと、日本にはない施設ですね。
  

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(^_-)-☆途中で計画変更 [災害]

 2468 また、変な話が現れた。スラバヤからスマトラのパレンバンまで、鉄道を敷くというのだ。先ずはジャボタベック内から着工するという。多分、10年以内には、全線で繋がることはないでしょう。路面電車と普通鉄道の間くらいの規格でしょう。ヨーロッパでは、これが普通のような気がする。床が低いのが特徴か。一部だけ出来て、途中で消えてしまうような気がする。それでも、いいのでしょう。
Presiden Joko Widodo (Jokowi) beberapa waktu lalu telah meresmikan proyek kereta ringan alias Light Rail Transit (LRT) untuk Jakarta, Bogor, Depok, dan Bekasi (Jabodebek). Jokowi meminta proyek ini juga dibangun di beberapa kota besar lainnya, seperti Surabaya, Semarang, Yogyakarta, Makassar, Medan, dan Palembang.

それにしても、3年以内に開業させるという、中国高速鉄道、ジャカルタ、バンドゥン線は、いつ着工するのでしょうか。まさか、着工までに3年掛かるということはないと思うが。3年で完成というのは、いつから3年でしょうか。土地の買収から、開通までの、具体的な日程が示されていない。これも、もし、バンドゥンまで、できても、その向こうは、話が消えてしまうと思う。

森林火災、野原の火災が一向に下火にならないどころか、今まで、スマトラやカリマンタンが主だったが、今やパプアでも煙害が深刻になっている。また、昨日は、東と西ジャワ島、境界の山岳地帯で大火災が発生し、少なくとも6人が犠牲になった。
毎日、煙害による呼吸困難などの子供、赤ちゃんが病院に運び込まれるニュースが続いている。各地のそれらの地方の空港の閉鎖が続いている。

一昨日は、日本からの消火剤が現地(パレンバン付近)に運ばれる様子が伝えられていた。オーストラリア、マレーシア、シンガポールからは、航空機やヘリがきて、水を撒いている。“焼け森に”だが、効果は、あるのでしょうが、とにかく、煙の凄さは衰えない。衛星から見た、煙の流れは、恐怖を感じる。地上の温度も何百度以上を表す点が、離れていないで、面になってしまっている。
今年は、特に酷い。インドネシア国内では、中南部スマトラ、大都市パレンバン(Palembang)ジャンビ(Jambi)の被害が突出している。その北リアウ州と島。外国では、その北に位置する、マレーシア南部やシンガポールが最大の被害者だ。

全く、別の話だが、パレンバンと聞くと、直ぐに思い出すのが、東プラの上司だった、又、富士プラの社長だった塩崎さんのこと、習志野の空挺部隊の猛者だった。機会あるごとに、パレンバン落下傘部隊の降下作戦の話を聞かされていた。この話は、父親からも子供の頃、聞かされていた。それと同時に“空の神兵”という歌を耳にたこができるほど聞かされていた。ブンガワンソロやラフレシアと共に、パレンバンに行ってみたいと思っていて、実現した。街の印象は、ムシ川(Sengai Musi)と、アンペラ橋だ。橋の近くに戦争博物館があって、そこにしか、戦争の面影はない。ムシ川の港は海から何キロあるでしょうか、大河だから、大型貨物船やタンカーがここまで来ている。
http://otaenplaext.net/newpage37.htmlパレンバンの写真です。
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その博物館のすぐ隣にあるアンティークショップで手に入れた。軍票とでもいうのでしょうか。軍が発行したルピア札です。当時、1US$が1Rpだった?とか、1円も1US$だったのかな?
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この橋の辺りの視界が100m以下になることもあるという。空港は閉鎖されるが、船の航行も禁止になるそうだ。


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(^_-)-☆日没までゴルフ [ゴルフ]

 2467 ここ一か月、予約がなかなかとれなくなっていて、仕方がないから、他の予約が要らない安いゴルフ場でやることが二回あった。今日も、他のゴルフ場にしようか、どうしようかということだったが、午後のスタートなら、何とか入るというので、13時スタートで予約した。
 実際にスタートしたのが、13時半をまわっていた。前後にいつも、午前中にプレーしている顔なじみのグループがいて、彼等も、いつもの時間には予約がてれなかったという。日没は18時前後、それまでには、4時間半しかない。急いで回りたいがこればかりは、前の組を追い越すわけにはいかないので、焦っても仕方がない。

 午後スタートは記憶がない。やって事はると思うが、12時前にはスタートしていたと思うので、13時半というのは、一番遅いスタートだと思う。日本で冬なら、17時前に暗くなってしまうことがあるので、日没で最後までできなかったことはあった。今日はどうだったでしょうか。15番でチャディーマスターがカートでやってきて、間もなく、暗くなって、最後まで、このまま、前の組を待ちながらやっていては、終われないと思うから、今から、残り4ホール分を、もう、前の組がいない11番に戻って、14番までやって18ホール回ったことにしたらどうかと、気を利かせて、言ってくれた。しかし、何とか最後まで、このままでできるだろうと判断なし、それは、こことわった。それに、最後まで、できなくても、仕方がないよね、ということにした。太陽の位置と時間の関係は正直、15度、一時間、その時が、もう、10度くらいになっていた。
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 17番ショート、もう、飛んだ方向が一瞬分かるだけで、どこまで行ったかは分からない。二階建、私がオンをしていた。他の人は、バンカーに入っていた。ここでパーを取れば、6点入る。ところが残り10m以上のパット、それに、私達のシステムは、ショートだけは、乗ったら自動竿になっている。パーが取れなければ、-3、もう、傾斜も距離も読みにくくなっている。バーディーどころではない、スリーパットをしないようにしようと思っていただけ、それが、いけなかったのでしょう。読めていないのに、慎重になっていて、下りを打ち過ぎた、そして、残り1mくらいのパーパットも外して、ボギー、+6のつもりが-3になってしまった。
 18番は、もう、全くと言っていいほどボールが見えない。二打目、キャディーに言われても、目の前のボールが見えなかった。クラブを半分くらいに短く握って、やっとボールに当てた。ダボで終了、もう、辺りは真っ暗、照明が眩しいだけなので、その他の場所は、何も見えない。

 一斉に、各ホールに連中が終了したので、カートの戻り場所が大混乱、混乱は、ロッカールム、シャワーまで続いた。土日の日没時間の一斉終了の雰囲気はこんなものかと、初体験だった。メンバーではない人達が午後の安くなってからの時間にスタートする。このゴルフ場だけでなく、すべてのゴルフ場で、そういうひとたちは、なんども、こういう状態になっているのだろうなと想像する。

 食事を終って、家に戻ったのが19時半、疲れで洗濯をする気になれず、直ぐに、うとうとし、寝てしまった。無が覚めたのが、23時半でした。

 午後から、特に13時過ぎからは、やらないようにしようと思う。
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(^_-)-☆ラグラグLagu-lagu [歌]

  2466 こちらはガルーダインドネシアのランディング ソングにもなっている、タナー アイルクtanah airku
https://www.youtube.com/watch?v=iWKhYvfJOk4
Tanah air tidak kulupakan, Kan terkenang selama hidupku
Biarpun saya pergi jauh, Tidak kan hilang dari kalbu,Tanah ku yang kucintai, Engkau kuhargai,

Walaupun banyak negri kujalani, Yang masyhur permai dikata orang, Tetapi kampung dan rumahku, Di sanahlah kurasa senang, Tanahku tak kulupakan, Engkau kubanggakan

Rayuan Pulau kelapa椰子の島の誘惑は、 
https://www.youtube.com/watch?v=doKGDdW0r1Q
Tanah airku IndonesiaNegeri elok amat kucintaTanah tumpah darahku yang mulia Yang kupuja sepanjang masa
Tanah airku aman dan makmur Pulau kelapa yang amat subur Pulau melati pujaan bangsa Sejak dulu kala
Reff:
Melambai lambai Nyiur di pantai Berbisik bisik Raja Kelana
Memuja pulau Nan indah permai Tanah Airku Indonesia

Tanah土地、土 Air水、ですが、合せて、国土になる。

Bengawan solo, riwayatmu ini. sedari dulu jadi perhatian insani, musim kemarau, tak seberapa airmu. di musim hujan air meluap sampai jauh ...mata airmu dari solo terkurung gunung seribu, air mengalir sampai jauh. akhirnya ke laut ...itu perahu, riwayatmu dulu. kaum pedagang s'lalu naik itu perahu

Mata目 air 水、水の目で湧水を想像してください。水源とか源流の意味です。ちなみに、Air mataは、読んで字のごとく、目の水ですから涙です。

子供頃、あこがれた南の島の清き流れも、愛も、星も、夢も、グサンさんの歌詞には、全く、見当たらない。しかし、ブンガワンソロには日本の熟年層が観光に来る、ソロの人達は、なぜ、こんなに多くの日本人がこんな所まで来るのか不思議に思っている。私は、この歌、インドネシア語で、書いてあるものを見なくても歌える。心の歌だから、いつも、口ずさんでいる。インドネシア人の大部分は、この歌を歌えないどころか、存在を知らない。
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赤い花の木と赤い絨毯。

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(^_-)-☆ラグ インドネシア [歌]

 2465 妻の誕生日 しばし、私と同じ年。Selamat ulang tahunである。
インドネシアの曲というか、歌は大変、歌いやすい、現代の歌でも歌詞と曲がぴったり合っているような気がする。日本の現代の歌のようにアクセントが違ったり、単語が途中で切れたり、別の単語が繋がってしまっていたりすることがないと思う。それと、ちょっと昔の歌は、日本の昔の歌から影響を受けているのではないかと思うくらい、なんとなく、懐かしい旋律になっている。曲からのイメージと歌詞と現実は違うかなと思うが、それは、ブンガワンソロ“Bengawan Sola“も同じだ。それはそれとして、ガルーダインドネシアの機内で流される曲、深夜のテレビの終了の時に流される曲、全てが、私にとって心地いい。クロンチョンも大好きだ。インドネシア語は日本人にとって数倍以上の覚えやすいので、歌詞も覚えやすい。
また、インドネシアの歌の指導者は、AIUEOアイウエオの発音をはっきりするようにしつこく言う。歌のオーディションの審査員は、このことを重視する。
https://www.youtube.com/watch?v=Knn2UhNLTWE
インドネシア プサカ “Indonesia Pusaka”
Indonesia tanah air beta Pusaka abadi nan jaya Indonasia sejak dulu kala Tetap dipuja-puja bangsa
Disana tempat lahir beta Dibuai dibesarkan bunda Tempat berlindung di hari tua Sampai akhir menutup mata。(betaは、私という意味です。Ayo mamaの歌詞にも出てくる、私を叱らないで、と)
Sungguh indah tanah air beta Tiada bandingnya di dunia Karya indah Tuhan Maha Kuasa Bagi bangsa yang memujanya
Indonesia ibu pertiwi Kau kupuja kau kukasihi Tenagaku bahkan pun jiwaku kepadamu rela kuberi

https://www.youtube.com/watch?v=CXAhT_E5vxA こちらは、インドネシアが独立した当時の国歌インドネシアラヤ”Indonesia Raya”です。このフィルムの最初にどこかで聞いたことがある、日本の軍歌?が、ちらっと、流れる。そのすぐ後に日本軍人が出てきたり、旭日旗がちらっと出てきたりします。これだけを見ると,日本が大きな役割をしていたのかなと思う。勇ましい演奏や歌になっているが、今も、勇ましいが、ずっと、おとなしくなっている。
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コリアは面白くないだろうが、インドネシアでは、時々、旭日旗に似たデザインの看板や画面を見かける。この場面の後ろにも、朝日新聞のマークのようなものが見える。
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  インドネシアの川の典型だ。ゴミが沢山浮いているのが普通だが、ゴミがなくても、こんな色で、とても、清流と言えるものではない。山岳地帯の水源に近い場所まで行かなければ、透明な水にはなかなか会えない。


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(^_-)-☆イスラムっ? [習慣]

 2464 レバラン前のラマダン断食プアサは年々、厳格さが無くなってきている。会社はこの時期、昼食は支給しない代わりに食費を渡す。昼休み時間も短縮する。しかし、従業員の多くは、断食から脱落する。外出して食事をするし、会社の周りに来ているカキリマに群がる。それが、楽しみにしているように罪悪感など全くないように見える。最後まで、断食を通しきる人は10%もいないと思う。
 毎日の断食明けの時間には、その期間の方が、豪華な食事が楽しむし、アルコール類も普段より多く飲む。

 ラマダン以外の時にもアルコールの消費が増えている。コンビニでビールなど酒類の販売を禁止された。子供たちが簡単に買えないようにしたのでした。しかし、やはり、スーパーで売られているのだから、消費は落ちたが、禁止の趣旨に対して効果はなかったようだし、ビール会社は扱い関係者の要求もあって、間もなく、また、コンビニで売ってもいいことになるらしい。

 政治と宗教は別物、というのが日本では常識だが、ここインドネシアでは、別物どころか、切り離せない。イスラムは支配者が、都合の良いように作った宗教だから、コーランが憲法だ。政治はイスラム教徒が牛耳っている。それでも。他の宗教が少しあるのだから、それらと之、もめごとを少なくするために、スカルノさんは、パンチャシラという国民の義務として五原則を作った。宗教の融和を図っているが、イスラムの気を使って、信教の自由は唱っていない。イスラムは、改宗を禁じているからだ。

以前は、ナショナルホリデー、国民祝祭日は、正月、独立記念日以外は全て宗教関連だった。今は、メーデーと春節が追加されている。日曜に重なっても、移動はしない。

私にとっては、これらの事は、どうでもいいことで、宗教以前に人として、どう生きるかの方が、重要だと思うので、イスラム教の人にも、その他の宗教の人にも、宗教などどうでもいいと思っている人にも、言いたいことは、嘘をつかないようにしてほしいことと、ゴミのポイ捨ては辞めてほしい、ということです。宗教家はお説教の時に、こういうことを、言って欲しいし、実際に先頭に当たって、ゴミ拾いをしてほしい。土曜の夜の公園は、多くの人が、集まって、何をするのでしょうか。適当に、遊んでいるだけだと思う。日曜の朝、足の踏み場のないほどのゴミだらけ、ゴミを拾う人、片付ける人が、どこかからか出てきて、10時ごろまでには綺麗にする。また、日曜の朝に別の広場や広い通りの道端に多くの人が集まってくる。体操などをしている。それも10時頃には、解散になる。この場所もゴミだらけになる。そして、12時ころまでには、ゴミがほとんどなくなる。イスラム教徒はゴミが身の回りに氾濫していて、異臭を放っている、その状態が気に入っていて、良しとしている。借金している意識はない。しかし、自分が責任の赤字と相殺すると、日本語の文章として変だと思うことを言っている人と同じで、モハンマドさんも、そういう環境が気に入っているのでしょうね。豚は不潔、臭いと言っていて嫌うのは、矛盾していますね。失礼ですが、こちらの人達より、日本の豚の方が数倍も清潔で良い匂いだと思うですが。マンダムの男性香水が飛ぶように売れていることからも、気にはしているようですが。

モハンマドさんというかアラーの神様か。解釈が幅広過ぎるような経典(コーラン)を残したことは、部外者として、もっと、はっきりと書いてほしかった。後に、色々な立場の人が、好き勝手に解釈できないようにしてほしかった。お陰で、禁止事項も曖昧だし、イスラム関連の国や民族の悲惨な状態が絶えないし、世界中で一番問題が多い地域はイスラム勢力圏だ。

そして、どこも、掃除はするが、ゴミが全くなくなることはない、また、その近くの川の両側に凄いゴミの山が築かれている。時々、燃やしている。
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ハリム空港の入り口 スカルノハッタ空港の前は、ここが国際空港だった。その前が、クマヨラン現在見本市会場に使われている付近でした。ハリムは空軍の空港になっているが、民間ドメスティック路線で何社かが入っている。スシエアーのパンガンダラン行きも、小型飛行機がここから出ている。


タグ:ゴミ 民間 空軍
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(^_-)-☆ハリムドゥア [情報]

 2463 HALIM 2 何年ぶりでしょうか、10年以上ぶりだと思う。ハリム2のゴルフ場へ行ってきた。このゴルフ場には思い出がある。1998年5月の大暴動の後、会社が休業してしまった。社会機能が一時ストップしてしまい、従業員の送迎もできなくなってしまったからでした。ゴルフに関して、私は、そんな暇がなく、全く、やっていなかった。1996年にインドネシアへ赴任してからも、仕事と旅を優先で、ゴルフをやってみよとは思わなかった。日本人との付き合いは、必要ないと思っていた。赴任して半年後には運転手を使わないで自分で運転していたし、自分ひとりの方が、自由に色々なことができるからでした。
 
ところが、日本人と会うと、他にないのかと思うが、必ずといっていいほど、ゴルフを話題にしたがる。話を合せることができない。55歳になって、ぼちぼち、老後の趣味としてゴルフでもやってみようかなと思い、ドライビングレンジにちょくちょく行くようになった。そして、大暴動でした。当時、ルマーアバンのグラハチカランというコンドミニアムに住んでいて、暴動の次に日は流石に、家に閉じこもっていたが、二日目には、我慢できなくなって、無料になったジャヤントールでジャカルタに向かい、結局、スマンギからプルウィットまで往復し、ポンドックインダーの、明日、日本に逃げるという、同僚の日本人若者のアパートへ行って、撮影したばかりのネガを渡して、本社の人達に見せるように頼んだ。その帰途、チャワンを通りかかった、ハリムにゴルフ場があり、空軍の所有だということは知っていた。アメリカやオーストラリア人は、いち早く、ここに本国からのチャーター機が迎えに来て、昨日の内に、インドネシアから脱出したことも知っていた。そこで、もし、オープンしていたら、ここでゴルフをしてみようと思い、くねくねした、分かりにくい道をゴルフ場まで行ってみた。プレーできるという。ここなら100%安全である。5万FRpだった。その札、スハルト大統領の顔が入っていた。(このお札、約、2か月後に通用しなくなってしまった、スカルノの顔に変わった札しか受け取ってくれなくなった)その数ヶ月前に20Rpga1円だったのが、この時には120Rpが1円になっていた。
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 ということで、私がゴルフコースを始めて回ったのは、このハリムドゥアでした。一人で飛び込みでした。今でも予約なしで、プレーができ、キャディーは、その当時からずっといたでしょう、かなり高齢の男性。若い女性も少しいた。カートを使う人が多くなっているようだ、当時は、カートは無かった。プレー費は、60万Rpくらいだ。カートが12万Rpくらいだと思う。平坦で広いと思う、椰子の木がほとんど見当たらない。砲台の山なりで早いグリーンが多いと思う。バンカーは土である。時々、ドメスティックでしょうか上空を通過する。
 
ローカルの人が50%以上、コリアが30%、日本人が20%弱か、6時ちょっと前についたが、受付に並んだ時に私たちの後ろに、直ぐに、20人以上の行列ができた。多分、一番後ろの人達は1時間以上待つのではないかと思った。私達はほとんど待たずに6時ちょっとすぎにスタートしたが、後半スターの前、1時間半待たされた。結局、終わったのは、12時を過ぎていた。カート組が1番スタートで、歩き組は10番スタートのようだった。
 

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(^_-)-☆イスラムって何 [習慣]

 2462 明日はイスラム関係の年明けでしょうか、休日です。そこで、夜、先ほどまで、外ではドンチャン騒ぎ、単に煩い、迷惑なだけでした。
どのテレビでも、毎朝、30分から1時間、イスラム教の番組がある。ウスタッと言われるイスラムの宣教師が、色々な質問に答えるとともに、コーランを読んで、その内容の説明をしているようだ。有名なタレントが、進行を手伝っている。聞く側の中にも何人かの芸能人が坐っていて、質問したり、質問に答えたりしている。私は、わけのわからない、つまらない番組としか受け取っていないので、一二分眺めていて、チャンネルを変えてしまう。生まれながらに、イスラムに浸っている人達にとっては、有難い番組なのでしょうが、生まれながらに、宗教に浸っていなかったと思う私にとっては、全く、意味のない、無駄な事をしていると思う。

というわけで、宗教の力というか、信じてしまえば、疑うことがないというか、それにしても、多くの人が同じ行動をするというのが、私にとっては不思議でならない。大の男が、全員そろって、頭を床にくっ付けて、何やら、お祈りをする。読も向き座りをして、どこかの方向を指さしている。右を向いたり、左を見たり、何かの意味があるのだろうけれど、イスラムの神様は、何故、そうした方が良いと言っているのでしょうか。
ブタを食べてはいけないと言われていて、見むきもしない、犬はどうでしょうか。食べてはいけないと言っているのでしょうか。犬を皆さん怖がる。子供は逃げる。生まれたばかりの愛らしい子犬にも恐怖を感じるのでしょうか。一説によると、牙にある動物を食べてはいけないらしい。モハンマドさんが生きていたころは、豚がイノシシと同じ、牙があったというより、豚はイノシシだったのでしょうか。一説によると、汚い、不潔だからだという、現在の豚が、残飯など、腐りかけたような食べ物を与えて大きくしているから、そういう状態かもしれないから、今のイスラムの宣教師が、そう言っていると思う。モハンマドさんが生きていたころは、野生で牙も鋭かっただろうから、汚いとか、臭いという状態ではなかったと思う。では、なぜ、食べてはいけないと言ったのでしょうか、納得のできる説明を私にしてくれる人は全くいない。
以前、味の素にごく微量の豚肉から抽出したエキスが混ぜられていたという事件?があった。よくぞ、発見したと思う、微量だったそうだ。味の素は、イスラム国家にある味の素全製品を回収したと共に、多分、多額を宗教団体に払ったと思う。そして、ハラルを取りなおすために、又、多額を払ったと思う。今は、そんなことを知る人もほとんどいないほど、味の素の製品はイスラム国家にも浸透している。
ハラルというのが、又、不思議。何の検査をしてOKならハラルになるのでしょうか。豚や他の牙がある動物の肉やエキスが入っているかどうかチェックして、入っていなければ、ハラルと認定するのでしょうか。そかに、ハラムとする原因というか、理由があるのでしょうか。アルコールはハラムだと思うから、どうでしょうか、アルコールは、ハラムでも例外でしょうか。
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これは、インドネシア人、イスラム教徒も大好きなコーヒー(イスラムで禁止になっていないのでしょうか)様々な種類が売られている。私は溶けない粉が入っているコーヒーは、苦手だ。昔はインスタントコーヒーと言えば、苔ない粉が入っていた、しかし、今は、インドネシア人にも苦手な人が多くなっているのでしょう、全てが溶ける粉のものが多い。そして、袋入りのものは、やたらと甘くしてある。これは、カプチーノです。1袋で15円くらい、これを、ワルンやカキリマでお湯で溶いてもらって、コーヒーとして飲むと、一杯、50円くらいになる。
  

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(^_-)-☆嘘は見過ごせない [行動]

 2461 ナイフ式の自動カッターの修理がやっと終わった。4か月も前に、修理が終わったと、前ダイレクターから聞かされた。実際には、どうだったか、これも、彼の嘘だった。センサーが働いて、自動的に切ることはできるようになったが、長さが揃わない、長さのバラツキ範囲が10mm以上ある。これでは、使い物にならない。その事を、話したら、そのセンサーではその程度だという。おいおい、そのセンサーではまずいでしょ。ご本人すまし顔、オペレータは以前と同じようハサミで切っている。頭がおかしいんじゃないの?この人、仕方がないから、私が、そのセンサーを交換して、長さの公差が、今迄通り±1mm以下になるように、外部に人間に頼んだ。それが、やっと、先週土曜日に、直った。今日から、人が付きっきりでハサミで切る必要が無くなった。

午前中、ある金型屋へ新ダイレクターと共に訪問し、そこの社長さんに会って来た。私が、注文し、支払いの責任を負っていた数年間は、信用抜群で、POを出さなくても、私が口頭で制作に掛かってと言えば、直ぐに金型を作ってくれた。支払いは、確実2週間以内にしていた。ところが、この金型屋にもそうだったが、支払いを全然していなかった。それも、電話に出ないし、メールの返事もしない。私も、何も言いようがない。金型の注文をしようとしても、金型屋は。前の金型の支払いをしてもらっていないのでは、新たに作る筈がない。前ダイレクターは、他の金型屋に注文する、そして、そこにも、支払わない。また、別の金型屋に注文する。

一体、お金はどこに行ってしまっているの、コミサリスにも、会計報告が行っていない。良く、それで、何カ月も、任せていたなと、感心するくらいだ。赤字なら赤字でしっかり報告し、現金がたりないなら足りないで、報告し、対策を一緒に考えてもらい、場合によっては、ダイレクターを辞退するくらいの気持ちで、仕事をしなければならないと思うのだが、自分の報酬はしっかり、確保して、支払いをしないで、当然だと思っていたということでしょう。呆れるしかない。そして、どうも、自分で会社を作ってスタートさせているという噂がある。神経が図太いというか、全く、罪悪感がないように感じられる。前にいた会社の社長さんと相通いじるところがある。まだまだ、この人達とのしがらみというか、後始末は終わらないし、終わらせるわけにはいかない。嘘で護身を図ろうとする人間を見過ごすわけにはいかない。その周りには必ずその嘘に依る、立場の弱い被害者がいるからです。地位を利用して、嘘を通してしまおうとする人を見過ごさない。正直者が割を食わされるのは許せない。

そして、やっと、引取機自動カッターの完成を確認してきた。これも、前ダイレクターが残した損失のリカバリーだった。
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オジギソウ、ネムリソウ、ミモザ、プトゥリ マル、ルンプットゥ ティドウールですね。10mmくらいの花も見つけた。
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 この花の名前は知らない。5mmくらいの大きさです。


タグ: 欺く
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(^_-)-☆疲れピーク [ゴルフ]

 2460 疲れて、選択した後、朝まで、爆睡、全く朝まで起きなかった。約、7000m、ほとんど、登りの印象のコース、ひたすら歩き、日本のニュースに、何歳会場の高齢者が、歩き続けることができる時間について書いてあったのを呼んだばかり、5時間くらい、歩き続けた。どうでしょうか。疲れるのが当たり前ですね。でも、18番、最終ホール3人ともバーディーでした。サービスホールですね。
9番のショート、180mのティーグランド脇で、いつものように、蜂蜜を売っている90歳の老人、そうは見えないが、ローヤルゼリー多分、700mlくらいだと思うが、20万Rp、友人は、二本買った。
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昨日と今日のキャディーの違い。この違いだけで、楽しさと気楽さが大きく違う。それでも、ここの来るという理由は、先ず、昨日のゴルフ場にブッキングができなかった。メンバー制度ではないので、予約なしで突然行ってもできる事、一人でもできる事、そして、プレー費が33万RPと安い事。ククプ クジャン通称チカンペックゴルフである。カートもあるが、一台レンタルフィー23万Rpだそうだ。使っている人はいることはいるようだが、ほとんど見ない。

 ラグビー、アメリカにも勝って、三勝一負、それでも、決勝トーナメントに進めなかった。残念ではあるが、南アやスコットランドと比較して、やはり、実力は劣ると思う。仕方がないと思う。2019年、日本開催の時には、8強以上になれるように、強くなって欲しい。
気になったことがある。試合日程だ。どういう、決め方をしているのでしょうか。くじ引きでもしているのでしょうか、試合間隔が一定ではないので、公平性に欠けていると思う。どう見たって、格闘技、疲労も相当なもの、怪我もするでしょう。次回大会は、その点を改善した方がいいと思う。天候など運も左右する事は分かるが、住環境、移動距離や練習環境、試合日間隔などで公平性は大切だと思う。ラグビーに限ったことではない。


タグ:疲労 登り 過酷
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(^_-)-☆ブッキング [ゴルフ]

 2459 私たちは月末に翌々月の休日全部に一組四人、人名は適当に参加しそうない人にして予約を入れる。しかし、三分の二以上はウエイティングになる。ウエイティングでも、ほとんどが、結局、ギリギリの予約日の二三日前にキャンセルが有って、ティオフ時間が知らされる。しかし、一月に、一回か二回、空きがなくて、プレーできないことがある。その場合は、大きなコンペが入っていて、元々、厳しい状態の日だ。明日はその日に当たった。12時からなら、入ると言って来た。昼過ぎに用事がある人がいて、3人にならなくなったので、結局、キャンセルした。私たちは朝早くから、他のゴルフ場に行くことにした。

 どうも、腑に落ちないのは、ギリギリの空きが出てプレーできるようになる日が多いのにもかかわらず、その三分の二は、案外、空いているのです。朝、駐車場に入る時の車の数で分かる。駐車場がガラガラの時もある。聞くところに依ると、三か月前から予約を入れているグループが多くなっていて、それも、二組、三組と入れているという。そして、キャンセルを二三日前にするグループが多いとか、酷いのはキャンセルをしないまま、来ない組みもあるという。

 昨日書いたように、ビジター、ゲストのプレー費が高いと思う。そして、その高いビジターやゲストが多いコンペを優先にするのは、分かるから、早い段階で申し込みを受けるのは分かるし、多めのフライトを申し込む幹事の気持ちも分かる。それに、対抗するために、個人もグループも早めに申し込んでしまう、その気持ちも分かる。正直者は、わりを食う、という状況だ。

 そこで、聞くとことによると、11月からの予約受け付けは、メールかファックスで月曜日から週末土日のブッキングを受け付けるということ、一週間以上前には受け付けない、それも、電話では駄目だ、になる。という。キャンセルをできるだけ少なくするためだと思うが、コンペの申し込み受け付けはどうするのでしょうか、今迄通り、何カ月も前から受け付けるのでしょうか。個人はいちいち、一週間以内前に申し込まなければ成らなくンって、手間がかかるようになる。一か月分に一遍に申し込むことができなくなる。

 それで、どうでしょうか、やはり、キャンセル待ちは、減らないような気がする。前日、当日のキャンセルは、コンペも含めて、ペナルティーを科すようにしているゴルフ場もある。やはり、そうしないと、ドタキャンの問題は減らないのではないかと思う。それでも、ある国の人は、ドタキャンでもペナルティーを払うことは拒否するでしょう。
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 今、7番と8番ホールのカート道沿いのマンガが旬になってきている。ちょっと高くてクラブでも届かない場所に沢山なる。半月後から熟れ始め収穫に適するでしょう。インドネシア人は硬い状態の実をスライスして、サンバルなどを付けて食べる習慣があるので、必ずしも、柔らかく成りかけでなくても、ちょっと、大きめになれば、取ってしまう。売っているものも硬い。
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 ミーアヤム、2万5千ルピア(200円くらい)、1番ホールの手前にある休憩所で食べることができる。後半スタートの前に食べる人が多い。待ち時間があるからだ。しかし、今日のように、空いていて、前半から後半、ほとんど休憩なしでやる場合がある。その時は、カートまで、出前をしてくれる。このラーメンはそのデリバリーのものです。日本のラーメン屋さんが次々とジャカルタ、チカランなどの進出して来ていて、700円とか800円だが、このミーアヤムの方が、私には合っている。
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 彼女達はほとんどピクニック気分、仕事をしているという緊張感が全くなし。実に楽しそうにしている。しかし、このうちの二人には一歳の子供がいるが、離婚をしている。そういうキャディーが結構多い。四人の平均年齢は二十歳以下である。
  


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(^_-)-☆如何でしょうか [ゴルフ]

 2458 仮の名前で、ジャバベカ同好会、と、どなたかが言っている、ジャバベカゴルフで、休日にプレーをする仲間です。この一年以上、人数が徐々に少なくなってきていて、最近は、土日、3人ずつというのが、決まった人数になっていて、たまに、一人が入って4人になるくらいです。以前は8人、少なくとも6人でしたが、寂しくなってきたし、私を含めて、どなたかが、一時帰国したり、他のコンペに付き合わなければならなかったりすると、3人にもならなくなる時がある。そこで、この仲間に、参加してみようかなと思う方をお待ちしております。
プレーに自信がないので、ちょっと、自信を付けてみたいと思っていらっしゃる方。インドネシアでの雑知識と雑情報を求めている方。インドネシア語日常会話を自然の内に吸収したい方。アルコール類が苦手の方。インドネシア、30年、20年、在住の人がいますから、一緒に回りながら、自然にそれらが身についてくるでしょうし、インドネシアに関する何でも知識がえられると思います。特に赴任して、間もない方で、一年会員(年30回やれば、十分元は取れる)になれる方が最適だと思います。プレー費、ゲストやビジターは多分13000円(1,5ジュタ)くらい(休日、午前中)会員は2000円(0.275ジュタ)くらい、一年会員25万円(30ジュタ)くらいです。
08111007012がノモール ハーペーです。Kota02@y6.dion.ne.jpがメール アドレスです。
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私がこのゴルフ場で気に入っているところは、金網フェンスの向こうの売店が充実している事、他のゴルフ場を全部知っているわけではないが、品ぞろいと値段には満足している。ロストボールやビールは、お買い得だと思う。ゴルフ場経営の売店や食堂で買うと滅茶苦茶高いから、皆さん、ここで買う。キャディー価格があるので、食べ物。飲み物に興味があるなら、キャディーに買ってもらった方が良い。コース内に上り下りが少ないと思う。カート道から離れた墓所から打った後は、カートにいちいち戻らないで、歩いた方が、適度な運動になる。カートを使わないで、歩きで回る人が案外多いと思う。私は、ティーグラウンドから二打目の近くまではカートを使うが、その後は、カートの近くから打っても、ほとんど使わない。


南部化成が買収されることになりましたね。動きますね、世の中は。私もちょっとだけ手伝った会社ですから、知り合いもいる。インドネシア、ナンブやスタンダードに友人がいる。買収の話を皆さん知っていたが、だから、どうなの、でした。ナンブの押出も車関係が増えてきているので、ラインを増やすと聞いている。

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(^_-)-☆軟質塩ビ引取機 [押出成形]

 2457 インドネシアでは、新聞には小さく紹介されているかもしれないが、私は読まないので知らない。ノーベル賞に関するニュースは、全く見ていない。会社の人間に聞いても、ノーベル賞って何?である。クイズ百人に聞きましたではないが、50人以上に聞いた、アルフェッド ノーベルという人を知っていますかと、全員が知らなかった。英語、アラビア語がペラペラのダルマ プルサダ大学出身者や日本に5年いて、日本語や経済学を学んだユニフェスタス ナショナルのサストラ ジャパン出身者にも聞いた。彼等はノーベル賞というのは、聞いたことがあると言っていたが、ダイナマイトやアルフェッド ノーベルを知らなかった。
ところで、文学賞、村上春樹さん、また、だめでしたね。文学賞は、純粋文学というより、政治的な要素を含んでいるので、政治的要素が薄い文学は対象になりにくいのかもしれない。今回の人も政治色が感じられる。


引取機、自動カッター引取機兼自動カッター、インドネシアバージョン。軟質塩ビPVCの小型プロファイルやチューブ用である。S-PVCの押出成形会社は、少なくとも20社はある。主な製品は冷蔵庫のガスケット(ドアの内側に張り付いている額縁の形、中に磁石の細い板が入っていて、ドアの隙間を無くす役目をする)とチューブ(電線や何かを送るチューブの結束や保護の役目をする)だ。この生産は、技術は、いらないので、品質と価格の競争になる。原料も安く手配できて、コネも肝心だし、裏金も動く。MSDSに関しても、最初だけ、取り寄せて、安い原料に変えてしまう。受け入れ側もそれを、黙認している。日系企業であっても、インドネシア人同士の取引は、相当、いい加減なものだ。

先ほど、納入前の試運転チェックをしてきた。前ダイレクターが、手付金を払って、口頭で、注文をしたのが4月末、それから、ずっと,放っておいて、私が何度、催促しても知らん顔を通されていた。結局、彼が居なくなって私がメーカーに確認したら、その装置は、他社に売ってしまった。前ダイレクターからはPO(注文書)を貰っていないという。恐れ入ってしまった。その他社というのが、その前ダイレクターが、ひそかに、準備をしていた会社だそうだ。このメーカーも、いい加減な会社だと思うが、仕方がないから、POを直ぐにだして、直ぐに装置を作るように促したのが、先月の中ごろでした。そして、チェックに漕ぎつけた。早いものである、20日くらいでできてしまう。それが、4月に頼んでおいたものだから、不思議な奇妙な話である。まともじゃない。これは、中古の押出機にも同じことがいえる。

装置自体はシンプルで、引取の力もいらない、ロールの引取り、上下する剃刀の刃で切断し、短いベルトコンベアーで、ふにゃふにゃの製品がどこにも引っかからないで、落ちるようにしてあるだけだ。価格はRp41Juta(35万円くらい)である。
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装置は、こんなものである。見てくれもシンプル、これで充分、インドネシアの塩ビの押出屋さんは、全て、これを使って入る。私たちが何故、これを必要としたかというと、ちょっと割が良いS-PVCチューブの注文を、日系企業から、受けているからだ。ナイフが回転する自動カッターを使っているが、これでは、もったいない。他のちょっと硬めのチューブやプロファイルのカットものに使いたいからでした。

試運転の結果は非常に良かった。ところが、早速、納入してもらうというわけにはいかなかった。向きが違うのです。これを見て、向こうから引っ張ってくる向きになっているのです。私の装置は、22歳で扱った時から、押出し(引っ張り)方向は、右から左なのです。操作を向こう側からできるようにすべての部品、パネルを向こうに付け直してもらうことを頼んだ。私もうっかりしていたが、まさか、向きを最初に言っていなかったとは、思いもよらなかった。それでも、三日ぐらいで改造をしてくれるという。

それで、火曜日に届くことになったが、押出機の改造は終わった、水槽もある、引取機、自動カッターも揃う、で、生産ができるかというと、そうはいかないのが、今のダイレクター、ヒーターの一部が足りないので手配を頼んであったが、どうも、注文をしていない。もう一つ、原料がない。毎月、ほとんど、決まった数量の注文がある製品、当然、原料の在庫があってもおかしくない。ところが、全く今は在庫ゼロ、購入依頼をしたら、注文が入っていないから、入ってからでいいといって、注文しようとしない。二点の関係で、いつ、試験的生産ができるか分からない。一事が万事。
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その装置屋まで行く途中、ゴルフ場やジャバベカ6に近い。
 

タグ:塩ビ 向き 軟質
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(^_-)-☆とはいかなかった [思うこと]

 2456 残念、流石に期待し過ぎでした。来年があるさ。文学賞は、今年こそと思うが、どうでしょうか。化学賞も、今年でなくても、取れるまで、毎年、期待できる。

 ノーベル賞のお話とは、異次元ですね。私はそんな中にいるのです。
新ダイレクターになっても、どれくらいの売り上げがあれば利益が上がるのか、分かろうとしないというのか、分かろうとしても方法をしらない。前の会社もそうだったし、前ダイレクターもそうだったが、総予算からとか、実績からとか、経費の総額予定を知ろうとしないので、基礎になる数字が出てこない、その数字がなければ、今の製品の利益或いは損失がどれ程なのか分からないし、見積もりの計算ができなし、予想利益を知ることもできない。そもそも、基礎数字を出すための前提条件を決めなければならないこともしらない。臨時だか、アルバイトなのか、期間限定なのか知らないが、他の会社で経理をやっていたという人が来ている。この人に話しても、キョトンとするだけ、何度説明しても、そして、数字を出してほしいといっても、一向に、出してこない。
 駄目だろうなと、思うようになった。前の会社の日本人社長も全く同じだった。レベルが同じだった。見積もりの計算を私がしてやる、その時に、色々な前提条件を付けるが、何故、そういう条件なのか、疑問に思わないし、その事で、問いただされることはない。要するに、分からないからです。こういう会社で、手伝いをする意味があるのだろうか。
 もちろん、私の技術の事など、全くの素人と話をするのだから、意味がないと思う。インドネシアでは、出来ていない製品を作ってあげようとしている、私の仕事について、どんなものか分からないのは当然だ。だから、彼等は、私を評価しようがないと思うが、彼らの能力の中で私を評価するのです。

 数々の会社で新しい製品を作り出したが、その時々の会社の経営者は、私を敬遠した。教える対象の部下というか、押出し部門のインドネシア人全員から慕われるが、その他の部門の人や会社の上位の人には、煙たがられたし、多くの場合、無視されたり、嫌がらせをされたり、辞めさせようと画策したり、露骨にパワハラを仕掛けてきた。この会社の前ダイレクターは45歳くらいだったが、営業畑を20年経験していた人、しかし、何度も書いたが、営業に関してでさえスキルが不足、経営に何しては、全くの素人、その上に、空いて構わず嘘をつく。それを指摘し、勉強をするように、正直になるように、頼んだが、結局、何も変わらないどころか、私を無視するようになっていた。最後の4か月は、私がメールで問い合わせたり、頼んだりしたことに、全く、返信がなかった。前の会社の社長さんも、私が辞めてから、お願い事があって、何回かメールを送った。しかし、無視されてしまって、最後のメールに書かれていた事も、嘘だったのでしょう。半年過ぎるが、書いたことを実行してくれていない。私からの催促がないことを幸いに、もう、忘れたのか、忘れたふりをしているのでしょう。私の常識の外の人達が多いようで、困ってしまうばかりだ。
 やはり、就労ビザが切れる来年の二月で、インドネシアでの仕事は辞めることにする。今度こそ、気が変わらない筈だ。
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  ジャバベカ2に入って直ぐのロータリー付近の様子、この付近の、Uターン場所は、塞がれていることが多く、大きく遠回りをして、又、ここに戻ってきてから、チカランバラットのジャラントール、ゲートに向かう。


タグ:無駄 無理 諦め
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(^_-)-☆三日連続ありか [人]

 2455 小柴さん、梶田さん、子弟受賞ですね。ノーベル賞物理学賞でまた、浜松ホトニクスがクローズアップされましたね。ニュートリノなどという、凡人には、縁がないし、理解ができない、わけのわからないものの質量があることを証明したといっても、昨日の薬のように、人類を救うという話とは、別の世界ですね。相当、金が掛かった研究だと思うが、きっと、偉大なのでしょうね。で、ニュートリノの質量って、どのくらい?

 ところで、浜松ホトニクス、その前身は、浜松テレビ、という会社名でしたね。私の梨大の同級生の一人が修飾した。当時は余り知られていない中小企業でした。また、ところで、私の父親が、静岡工業から本当は浜松工専に行きたかったとよく言っていた。実際には蒲原の日本軽金属に就職した。というのも、高柳健次郎さん(ノーベル賞ものだと思う)の話をしながら、世界で初めてブラウン管にイの字を映し出した人が先生をしていた、と言っていた。その先生が関係した会社だから、浜松テレビという名前にしたのだという。浜松ホトニクスは、高柳精神が引き継がれているということでしょうか。

 韓国はこのノーベル賞発表時期は憂鬱でしょうね。毎年、繰り返すように、なぜ韓国人はノーベル賞を貰えないのでしょうか。
 
また、全然関係ないが、私が梨大の応化を選んだのは、人口ダイヤモンドを作りたかったからでした。人工水晶を作った国富先生がおられたからでした。実際は、途中で諦めて、どちらかというと化学工学に興味が移り、石油コンビナート設計に関する勉強をしたものでした。その後、又、興味が変わり、今度は、窯業、セラミック、フェライトに移った。甲府にあった東京電気化学へ行って、勉強させてもらったこともあったくらいだ。結局、就職時期には大不況、希望先は倍率が大きすぎて諦め、東レの子会社に就職、それが、始まりの50年、エンプラを主体の押出成形。
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ということで、先ほど、HDPEの小さい穴空き角棒の金型を注文した。これは、ちょっと難しい。丸から角にすることにした。クーリングダイへの入り口部分の形状がどうなるだろうか。私が思い描いたようになることを期待する。こちらは、道路のコンクリート舗装で大渋滞の中、運転して金型屋へ行って打ち合わせ。ノーベル賞とは、無縁だが、誰もがやれるわけではないことをしているという実感は有る。
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渋滞で道端の風景の写真を撮りやすい。ミニ雑貨屋の前に止められたバソのカキリマと24時間対応の町医者、目立たないが、こういう、個人開業医は実の多い。私は掛かったことはないが。


タグ:医療 物理 化学
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(^_-)-☆うれしいね [思うこと]

 2454 今年も日本人から受賞者が出ましたね。遅かったと思う。長生きしていてくれて良かったと思う。ノーベル生理学、医学賞受賞の大村智(さとし)さん、80歳、何と、山梨大学の学芸学部出身とか、学芸学部というのは、ほかの大学では教育学部と言われていた学部です。小中学校の先生、高校の先生を生み出す学部でした。武田神社までの幟の道の途中、右が工学部、左が学芸学部、学部はこの二つしかなく、教養学の講義は、混ざって受けていた。クラブも一緒だった。後に工学部の発酵生産学科の助手として赴任していたとか。まさに、私の出身大学。私が応用化学科だったので、1,2年の時には発酵生産学科の連中と一緒に基礎教育を受けていた。私が3,4年の時には、藤棚の下の方の同じビルの中にいたことになる。ここで、多くの微生物と出会い、その力に魅了されて、研究者になる機会を得たのではないかと思う。関係有るかないか、私の妻は、この大村氏の9年後輩になる。もっと、どうでもいいが、私は8年後輩ということになる。山梨工専、山梨師範から、山梨大学になったばかりの頃の学生だと思う。
 他人がやらないことをやるという気持ちは私にも良く分かる。英語のスピーチ大丈夫かないと心配だが、打以上でしょうね。きっと。
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 一昨日の花とは違う場所です。この木の下にも多くの微生物ヤバクテイアがいるでしょう。聞くところに依ると、医学の研究者の多くは、インドネシアに行って、日本にない、バクテリアや細菌、微生物の研究をしてみたいというらしい。持ち帰って研究をしたいというらしい。

話は変わって、私のウェブサイト、15万回のアクセスを通り過ぎた。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
http://otaenplaext.net/newpage0.html
なんだかんだと書きこんで、一番、最近は、やはり、9月の末のパンガンダランの事でした。それでも、とにかく、私の生活のベースは、プラスチックの押出成形です。70年以上も生きていれば、身辺に何かと考えさせられ種が出没します。毎日、毎日が、平々凡々というわけにいかない。それらを何とかのり切って今に至っている。何かの参考になればと、自分のために書き、写真を載せている。ウェブサイトは、私が消さなければそのまま残る。以前書いたものは、時代にそぐわない部分もできてくると思う。それらは、ブログで補充をしている。そして、私が居なくなればブログの投稿は途絶えるが、残るウェブサイトにアクセスは続くでしょう。何人の人がアクセスをするのでしょうか。


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(^_-)-☆若者が増えてきた [状況]

 2453 私達四人の平均年齢が、73歳を超えていた。最年長者は1833年生まれの82歳、私より10歳先輩である。失礼ながら、ちょっと、私より、忘れっぽいと思うが、元気そのもの、スコアーは100前後、大したものだ。奥さんと一緒にリッポチカランに住んでいる。私は、平均より下だった。で、インドネシアで現役で、会社の経営や技術指導をしている高齢者は目立つ。元気で頑張っている方が多いと思う。私も負けてはいないと思うが、参考や目標にする方も多い。

 ところで、年々、若い日本人の姿を多く見かけるようになってきている。一目で、30代だろうと思われるグループを見かける機会が増えている。それに、比例して、プレーの速度が遅くなっているような気がするのは、私だけではないと思う。この年寄りグループのゴルフのプレーの早さは、平均より、早いと思う。待たせるより、待つ時間の方がはるかに長いと思う。そして、カートに戻るより、歩いて前進する人も平均より多いと思う。それはそれとして、

 1946年から数年に団塊の御世代、60歳はとっくに過ぎて、65歳も過ぎようとしている。定年を過ぎた人がほとんど、退職してほとんどになっている。海外へ出て行った企業の経営や技術指導をしていた彼等も、今やほとんどいなくなった。そして、未だに、海外に拠点を置くことを生き残りの手段とする会社も多い。いわば、戦線が伸びきってしまっている状態なのです。数年前から、それは感じていたが、はっきりして来ている。若者の外国志向は、衰えていると聞いてはいるが、各企業は、中堅より、若い人を派遣するしか、選択肢がなくなってきているのでしょう。とにかく、リッポチカランの街を中途半端な長さのズボンで、サンダル履きで、中途半端な長髪で、ティシャツ姿で、うろうろしている、どこから見ても、コリアやローカルとは違う様相の日本人の若者が、そこら辺のアパートから、暇つぶしや食事場所をさがして、うろついているという風景が目に入る。
 
 韓国人は、日本より、早く、若者が多いし、家族連れも多い、そして、家族連れもリッポチカランに多く目についていた。ここにきて、日本人の若者家族連れにも、スーパーで合う機会が多くなった。日本語の家族の会話を聞くようになった。
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 ホール毎に、待つ時間が長くなっていて、私は二打目でもグリーンに届かないので打ってしまった後、二打目をグリーンが開くまで待っている人達を待つ。写真を撮ったり、マンガをクラブで叩いて落としたりしていた。私のキャディーも座り込んでしまっている。


タグ:若者 前線 戦線
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(^_-)-☆煙害を無くせ [行動]

 2452 久しぶりのゴルフでした。一週間、抜けただけだが、相当長くやっていなかったような気がした。10月に入っても、各地から、火事のニュースが入る。泥炭でできている、スマトラ中央部の山林の火事は一向に衰えない。マレー半島に甚大な被害を与えているが、手の打ちようがないらしい。多分、日本も毎年、消化の手伝いをしているのだろうが、消しても、消しても、地の底から、燃えだすので、切りがないらしい。それでも、最近、強烈な風が吹くようになってきた。そう遠くない間に雨季になる兆候だ。雨季にならなければ、山林火災は、泥炭火災は鎮火しない。

 こういうことの根本的解決のために日本が資金も人も出して、役割を果たしたらいいと思うが、今のところは、意味がほとんどない程度の。形だけの協力に過ぎない。手伝いの振りをしている程度だと思う。乾季のインドネシアの火災は、インドネシアのジャワ島にはほとんど被害がないので、インドネシア政府も、見て見ぬふりをしている。何とかしようと、近隣諸国にポーズを示そうとしているだけで、真剣に解決しようとする姿勢がない。ジャコウィ大統領は、スンバコを配りに、地方の貧困層の中に出かけて行って、庶民の味方だよというポーズをしているなら、本当に庶民優先の考えなら、火事を消すのが一番庶民のためにあると思うが、そうしない。
 
日本は、国際協力などと言わずに、単独でもやってほしい。もう、何十年も、同じ被害の繰り返しをしているのだから、インドネシアためばかりではなく、地球全体のためにも、直接被害を受ける近隣諸国、マレーシア、シンガポール、オーストラリアのためにも、根本解決のために、日本の技術、ノウハウを持ち込んで、資金も持ち込んで、尽力すべきだと思う。高速鉄道がどうのこうのと言っていないで、是非やってほしい。来年の乾季の時には、せめて、スマトラ南部の火災だけでも起きないような、方策を取ってもしいし、火が出たら、迅速に消すようにしてほしい。壮大なチョバをしてほしい。一年や二年で解決するような簡単なものではないが、毎年、少しでも少なくするようにしてほしい。日本の実力を示してほしい。
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 ゴルフ場は赤い花、黄色い花が満開である。果物のマンガも今が旬だが、今年は、少ない、
日本対サモアは20-0まで見た。


タグ:火災 煙害 泥炭
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(^_-)-☆サンプルと見積提出 [押出成形]

 2451 日本にもう一社ありました。大学卒業して直ぐに務めた会社です。当時、西ドイツからの技術導入で、プラスチックの丸棒や板やチューブを作り出していました。そして、数年の内に、すべての装置を私なりの装置に変えた。改良というには、余りのも、原形と違う形にした。固化押出、溶融押出と、成型方法を区別したのは、私が、やはり、日本で初めてだったと思う。両方をしていた会社は、この会社しかなかったと思う。素材を作っている会社は他にもあったが、エンプラの溶融押出し成型ができる会社は、ここしかなかったというより、私ともう一人しかいなかった。
6ナイロン、66ナイロンのプロファイルは、完全に、日本では草分けでした。11ナイロンや12ナイロン、PCやPOMのチューブやプロファイルも同じような、状況だったと思う。私がその会社を止めてから、何回は、訪問しているが、20年後に訪問した時には、私が作った装置から変化していなかった。ということで、その後、20年以上、訪問していないが、どうでしょうか、同じ製品を作っていれば、方法は変わっていないと思う。特に、丸棒、板の製造方法は、そのままだと思う。だから、今の従業員、私が考えた装置ということは知らないで、使っていると思う。私ですよ。その装置を考えたのは。組合の執行委員長もやりましたよ。
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0069.html
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0060.html
社名が変わっていますね。

インドネシアの今の会社、現在、輸入原料を使う製品が多く、今までは、US$で見積もりを提出してそれで、取引をしていた。ところが、この頃は、Rp取引を義務付けられている。そこで、順次、Rpでの見積もりに換える作業をしている。これが、結構、面倒だ。Rpのレートが安定しないので、どのタイミングのレートを使うのか、また、価格の見直しをどんなタイミングでするのか、一定期間を決めるが、異常に乱高下した場合を想定して、何%以上変動で見直すのか、二通りの方法があるし、両方を適応する方法もある。その取り決めもしなければならない。前ダイレクター、何もしていないので、新ダイレクターさん、大変である。

先ほどは、二社にニューアイテムのサンプルを提出してきた。押出し製品というものは、カットした状態で収める場合が多い。両端の仕上げについては、無関心ではいられない、どういう状態でも、長さがOKならOKというわけにはいかない。ナイフカッターで、自動的にラインで着る製品は、バリは目立たないために、何もしないで梱包、集荷してしまうが、硬かったり,厚かったり、大きかったりする製品は、長く、丸鋸で、切っておいて、後工程で。求める長さに、また、丸鋸で切ることになる。その場合、どうしても、バリが出てしまう。パイプでもプロファイルでも同じこと、その後、バリ取りの作業がある。これが、なかなか面倒、そして、限度見本は有るが、客先のQCの担当者に依って許容程度が異なるので、厄介な代物だ。こちらの作業車も、仕上げの程度が異なる。何十年やっても、この問題が完全に消えることはない。
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ここもある工業団地の導入道である。どこかわかりますか、スルヤチプタです。ジャカルタからこの工業団地辺りまで高速鉄道は東に向かって来て、次の工業団地、ブキットインダーやチカンペックの手前で、南に向かうでしょう。


タグ:素材 バリ 固化
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(^_-)-☆足跡 [押出成形]

 2450 インドネシアの高速鉄道に関してのニュースや情報は、テレビで流されていない。全然、話題になっていない。周りのインドネシア人に聞いても全く知らない。周りのインドネシア人から、このことで、話しかけられることは全くない。その程度です。インドネシアでは。ましてや、どこを通るのか、どこに駅ができるのか、知る人は一人もいない。一般庶民には関係ないことのようです。
インドネシアの高速道路は、Jalan tol(ジャラントール)といいます。直訳は有料道路です。高速道路ではありません。その通り、高速で走る続けることはできません。道の凸凹は、想像以上です。時期に依っては、穴だらけになることもあるし、場所に依っては、轍が深くなることもある。渋滞は日常茶飯事、重い車がちょっとした登りで、速度が極端に落ちるので、全体が遅くなる。昨日は、ボゴールからの帰り、チャワンから、チカンペック方面に向かったが、ジャカルタ方面は、ここで、既に、道一杯(路肩も含めて)の渋滞になっていて、それが、延々と渋滞、ついに私たちがジャラントールから出た、チカランの料金所まで、ずっと、続いていた。
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チカランからジャカルタまで、延々と40Kmの渋滞でした。高速鉄道を敷くより、その路線予定地に第二ジャラントールを作った方がいいのです。
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右はリッポチカランの方からジャバベカに向かっている。左は、これから、ジャラントールのチカランバラットゲートに向かっている。いずれも、大渋滞、私は、ジャバベカからリッポチカランに向かっている、ここの流れは順調でした。

コロッと、話は変わって、今、書きたいと思いついた事。どういうわけか、三社ともエッジング、グロメット、スパイラルチューブを作っている。それが、基本の仕事になっている。
http://www4.tokai.or.jp/SEPIC/index.htmlこの会社、”セピック“私と深い関わりがあります。独特な雰囲気でまじめな仕事をしている。分相応の規模がある。大きくしない方が、安定した経営ができる。これは、私の考えでもある。
http://www.sky-plastic.com/この会社”SKY“も深いかかわりがあります。独自の製品開発に取り組む積極姿勢が頼もしい。既に経営状態は安定している。
http://www2.odn.ne.jp/~hai77780/この会社”太田化工“は、もっとも関わりがあった会社です。
日本に帰った時に、できるだけ、これらの会社へ遊びに行くようにしている。ひっこり、いっても、のこのこ入りこんでも許される。邪魔はしないつもりだ。相談を受けることもある。

いずれも、PVC以外の樹脂、オレフィンからウルトラエンプラまで、何でも、相談に乗るでしょう。バブルがはじけて以降も、皆さん、何とか健全な経営をしている。小規模ながら、多様な業界の客先があるからだと思う。日本での私たちの仕事は、世間の景気に影響される%が比較的少ないし、景気が落ちた時には案外、試作品の依頼が多い。皆さん、何か新しいものに挑戦しようと考えるからでしょう。

日本では三社だが、インドネシアは、どうか、最初、K社、この会社は撤退した。二番、PT,AF社、現在、PT,TP社に名前が変わっている。三番、PT.MA(ここは、PT,Nに吸収させた)四番、PT.AV社、(ここは社内の人間にはならなかったが、外部から指導)五番、PT.Nここは、日本の会社のテクノセンターも手伝った)六番、PT,AS社、ここは、全く、仕事になる状態の会社ではなかったので、逃げ出した。今は、私の技術は全く残っていない。七番、今のPT、E社、現在進行形である。ということで、7社を指導したが、今あるのは、4社である。そして、もう、2社、私が指導した会社から、独立開業した。ということで、明らかに私の技術を使っている会社は6社ある。私の技術の足跡は、日本3社を含めて9社にある。


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