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(^_-)-☆しっかり予備知識 [情報]

 2479 今日も新製品のトライ、また、H-PVCのパイプ、インドネシアのローカル企業は、H-PVCの仕事は苦手だから、私のところに回ってきてしまう。

Buruh berdemo dengan menutup pintu tol Cibitung. Karena aksi ini, kepadatan kendaraan menjelang pintu tol Cibitung hingga 6 km.
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今朝、イジップの入り口に。装甲車と警官が大勢、屯していた。デモがあるという、知らせだ。ここが、そうなら、MM2100もジャバベカでも、あるということだ。昼過ぎに、MM2100は、入り口ゲートが封鎖されていて、出入りができなくなっているとう情報が入った。Cibitungチビトゥンというのは、町側と工業団地側両側に出入り口があるが、今日の場合は、MM2100工業団地側が封させれた。

http://otaenplaext.net/newpage89.html
個人で、ある程度の資金をだしてもいいから、何かの仕事をしながら、日本での定年後を、インドネシアで、過ごそうと考えている人達への注意です。色々なことがあります、予備知識は十分ですか、進出する前に、確認してください、

日インドネシア文化経済観光交流団は、インドネシア日本友好協会主催によるインドネシアの要人も出席するレセプションなどに参加11月20日~22日には、ジャカルタのショッピングモールにおいてJNTO(日本政府観光局)主催による日本の観光情報発信や訪日旅行販売を行う「ジャパン、トラベル、フェア」を実施するほか、11月23日には訪日旅行の商談会や観光交流会拡大シンポジウムなどが開かれる。
これとは、別なのかどうか知らないが、同じ11月23日に日本インドネシア友好協会とジョコウィ大統領が主催する、「日本インドネシア交流の夕べ」と題して、ホテルムリアスナヤン(泊ったことはないが、泊っている方に会いにったり、日本食やタイ料理レストランで食事をしたりしたことが何度もある、渋滞が酷い地域で、裏の駐車場に入るにも分かりにくい、行きたくない場所である)でレセプションが催される。本当かどうか、日本の各界から1000人、インドネシアからも1000人、参加するという。
なななんと、さる日本の筋二か所から、「私を招待したいが如何でしょうか」というのが来ていて、月曜なので、行くのは厭だと、断った。その代わり、前日の日曜の夜なら、指定の場所にいって、求められる情報をお話しできますと伝えた。とにかく、ジャカルタへ自分で運転して行くのは、ご免こうむりたい。

今日、聞いた話によると、日本人がワーキングビザを収得するに当っての条件が増えたとか、日本人一人当たり最低十人の従業員を雇っていなければならないと。本当かな?何処からの発表なの?本当なら、ますます、進出しにくくなる。11月の交流会には、沢山の県の県知事さんや進出の後押しをしようとする県の職員も大勢来るという、こんなわけのわからない条件の事を知っているのでしょうか。従業員とは、契約でいいのでしょうか、正規従業員でなければならないのでしょうか、ビザを取った時に10人いたが、辞める人がいて10人より少なくなったら、ビザは取り消されて、その会社はどうなるのでしょうか。立ち上げ準備に来ている人は10人など邪魔だ。多分、ガセネタでしょうが、インドネシアだから、有りかなとも思う。取りあえず、インドネシア語能力のことと、大卒以上でなければだめだと言い出したことは、曖昧になったらしい。

それでも、日本からの企業進出は止まらない、今ごろ来てどうするの。と思う。
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アルファマートで見つけたセラミックの包丁、SANTOKU Knifeと書いてある。三徳の意味でしょうか。


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(^_-)-☆事件その後 [災難]

 2478 HDPEで、角棒の試作をした。断面長方形、30×20 一発目としては上々の出来、金型を一回修正するだけで、良品が取れそうだ。角パイプにしたかったが、上手くゆかなかった。直ぐに、ジャバベカ 1にある客先に届けた。その客先はスラバヤだそうで、早速、明日。スラバヤへ送って、評価をしてもらうという。というのも、想定して通りの形状で出来なかったが、むしろ、このままの方が、実用的ではないか、という。サンプル通りでなくても、使えれば良いという考えのようだった。
しかし、私としては、そいてい通りの製品ができるように金型を改造する、そして、出来そこないの製品の方がいいという評価になれば、それも、できるように、部品の交換という改造をする。とにかく、期待されてしまっているので、何とか、期待に答えたいというプレッシャーを感じる。来週末には、結果が出る。
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丸い金型から長方形の製品を作る。

MM2100のマンダムの事故だ。7月10日でしたか、インドネシア全体が、レバラン休暇に入る頃でした。マンダムでも、多分、仕事納めの人が多かったと思う。故郷へ、その次の日に出発予定の人が、大部分だったと思う。衝撃的な事件でした。最初は、5人と発表されていた死者は、その後、17人と発表があり、現在のところ28人になっている。まさかと思う人もいるかと思うが、これ以上、増えないとは言えない状態だと思う。

6月12日に、何とか大臣も迎え、華やかに工場と本社の竣工式をやったばかり、まさか、そっちの方とは思わなかった。ナンブ第二工場の隣の以前からの工場で、何か老朽化が原因の爆破かと思った。私は、その工場なら、何度か、工場見学や情報交換をしたものでした。2002年のジャカルタ大洪水の時、スンタールの本社に保管してあった製品が水浸しになり、売り物にならなくなり、処理に困り、この工場の広大な空きスペースに持ってきて、山積みにした。その内、その場所に埋めてしまった。何十トンという、製品が今でも、埋まっていると思うので、それらから、ガスが発生したのかとも思った。

この事故のその後の処置についての報道がほとんどない。じゃかるた新聞も控えめだと思う。何故でしょうか、マンダム、ギャツビーのテレビコマーシャルは事件まえには、かなりの頻度で流れていた。番組のスポンサーを沢山やっていたが、事件後は、消えてしまった。今はどうでしょうか、今も、私はギャツビーのイクラン(宣伝)は、流していないと思う。事故が起きた新鋭工場は稼働の見通しがついていないと思うし、古い方の工場も減産になっているのではないかと思う。保証も半端な金額ではないと思う。事故前までは、急成長をしていたが、一転、厳しい業績になってしまったと思う。  

責任はどこに?損失の補償や犠牲者への支払いはどこがするのか?相当、長引く問題だと思う。警察、保険会社、下請け会社の情報もほとんどない中、イワタニの現地会社のインドネシア人が逮捕されたというニュースが入った。原因も一部だと思うが、発表された。日本人社員(ポジションは?)にも事情を聞くために、インドネシアに戻るように警察から、呼び出しがいっているという。どうするのでしょうか、まだ、本人は、戻っていないようです。

日系の工場で、インドネシア人が事故によって亡くなったという話は、一人とか二人だが、何回か聞いている。その場合は、下請けではないが、その会社のその責任者は、例外なく、ほとんど、その日の内に、日本に戻ってしまうという。本社から、脱出命令が出るのだそうだ。危機管理の一環でしょうが、そういうことらしい。逆上したインドネシア人に袋だたきをされることを想定するからだ。今回も、例外ではなかったようだ。本人は、どうにも出来ないから、従うしかないし、気持ちは分かる。しかし、犠牲者やその関係者にとっては、許せない行動だと思う。これも、十分分かる。日本人としては、余り、話題にしたくない問題だが、相当、尾を引く問題だと思う。

様々な問題が早く終息し、コマーシャルが流れるようになることを願うし、こんな事件、二度とないように願うばかりだ。
 

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(^_-)-☆その人へ [人]

 2477 妻や従業員人には、40才の時に50になったら、社長を止めて、どこか海外にいって技術指導をすると宣言してあった。そして、今年、4月に、妻や会長には、来年2月で、インドネシアの仕事はお仕舞いにすると伝えた。いずれも、意志がぐらつかないように、だった。しかし、その他、その人を含めた友人にも、取引先にも、銀行など関係者にも、一言も言っていなかった。言ってしまって、実現しなかったら、恰好が悪いと思ったからだ。そして、ぴったり50の年末一杯で社長を止めて、単なる顧問になった。その時に初めて、皆さん、なぜやめたのか、今後何をしたいのか、機会ある毎に説明をした。中には、太田化工で何かあったんじゃないの、大丈夫?と心配した人もあった。慌てて偵察に来る商社もあった。
会社は、順調そのもの、何の心配もない。突然、赤字に転落したとしても、数年は、借金をしなくても済む蓄えは充分あった。私も直ぐにいなくなるわけでもないので、経営者交替は突然だったかもしれないが、移行期間は充分あった。

その人のことだが、実際には社長を止めてから約2年半後に日本から出たのだから、少しずつ、離れて行く、そして、いつ戻るか分からない私をかなり意識していてくれたようだった。ボランティア的な仕事を多くするようになっていったようだった。自分が身体障害者(私はそう思っていないが)なのに、身体障害者の世話をするようになっていた。

ほとんど、すべてを、振り払って、突き放して、単身、日本から脱出なのだから、私が日本にいなくなれば、その人の行動を助ける人が一人、少なくなる。精神的にかなり負担だったと思う。そして、その日が来て、黙って、赴任してしまった。

妻や会長には4月に伝えてあったが、今日、先ほど、コミサリスに、私の来年の行動希望を伝えた。ビザが切れる二月に、延長はしない。要するに、インドネシアでの仕事はお仕舞にする。ただし、リタイアビザを個人的に取る。主な生活の場は、日本になる。やっと、踏ん切りがついた。この決心が変わらないように、ここに書いた。

生きていれば、色々なことがある。完全なる変化ではないが、また、次の何回か目の違った人生がある。

スマトラ、リアウ州に大雨が降ったそうだ。森林火災も下火になったらしい。
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家に戻ったら、停電をしていた。21;00過ぎに回復した。PCの画面は会長が、バリのニルワナ(しつこいようですが天国という意味です)ゴルフ、7番 ブルーティ 海越えのショートホール、向こうに、有名が観光スポット、タナロットが見えます。引き潮の時には、子供が大勢下にいて、ボールが降ってくるのを待っている。会長、お気に入り写真です。実は、海に落としたのでした。白から打つ人も、このホールだけは、青から打ってみてください。2月に仕事を止めると伝えたのは、この方です。
http://otaenplaext.net/newpage0.html私のウェブサイトの表紙は、タナロットですが、向こうに、この7番のティーグラウンドが見える。
http://otaenplaext.net/newpage46.html
http://otaenplaext.net/newpage47.html
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0302.html


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(^_-)-☆その人が [人]

 2476 その人は、活動的な人だとは分かっていたが、ママさんバレーや水泳や卓球の大会に、良く出かけているそうで、その人の地区の、ママさん仲間ではリーダー的な存在だということが、話からわかる。なるほど、な、その人ならと思う。息子が、また、目だった存在らしく、陸上中長距離では、県で上位だという。その息子、それから二三年後に、高校の私の後輩になった。三千障害でインターハイにでた。ところが、二年の時に、中退して、アメリカのソルトレークシティへ行ってしまった。その人、息子を誇りに思っているが、かなり、拍子抜けで、寂しそうだった。その息子、日本に帰って来た時に二か月余り滞在し、資金稼ぎのために、私の会社でアルバイトをさせてやった。親からの援助は受けたくないというのだ。破格の時間給で、彼を使ってやった。母の中途半端な幼馴染だし、高校の大先輩の私の生き方について、興味があったようで、彼から、根掘り葉掘り質問を受けた覚えがある。その息子、アメリカ人と結婚して、アトランタに住みついてしまった。今はどうしているのか。

その人とは、何回かの同級会、そして、同級会をする幹事になる人がいなくて、同級会を開けないクラスの人から、同学年会をやってほしいという話があり、それではと、二人で、それを引き受けた。私達が、という理由は、1組と2組から、幹事役をしましょう、でした。11クラス、600人、名簿をかき集めて、静岡の中心地の会場を予約し、開催した。クラス平均、25人で約300人の出席、恩師は11人全員、見えられた。皆さんに、大変喜んでもらった。その後、もう一回、5年後に、本当は3,4組担当なのに、確か、結局、私たちも協力した。その後は、どうなったか聞いていない。同級会も5年毎ということで、インドネシアに来てしまってから、一度戻った時に開いた。その人と最後に会ったのは、その時で、2003年だったと思う。流れでカラオケに行った。その時に、インドネシアでよく歌っていた、広瀬香美“Dear-again”を歌った。

日本から離れる前、何年間か、その人とは、良く、スキーに出かけた。私はスキー仲間が何人かいて、毎年その人たちと数回、会社の連中とも二三回、出かけていた。その中に必ずその人が含まれるようになった。“私をスキーに連れて行って“の頃でした。八方、志賀には頻繁に行っていた。お気に入りはジャイアントだった。草津、湯沢、赤倉、斑尾などにも出かけていた。インドネシアに出発する年の春まで続いた。

その期間中、その人にアクシデントがあった。確か、乗鞍だったと思う。その人、スキー中に突然、胸が苦しい、と、座り込んでしまった。中間にある休憩所で休んだ。なかなか、苦しいのが直らなかった。大丈夫だから、あなた達は滑ってきて、というので、一時間ほど、その場を離れて滑って、戻った時には、もう、治ったという。しかし、気になるので、滑って車までもどって、その日は帰った。そういうことが、その次の時にもあった。病院へ行って検査をしてこいよ、と勧め、やっと本人その気なって、検査した。不整脈で、このままでは、スキーに行けなくなるどころか、危ない、直ぐに、ペースメーカーを入れた。直ぐに決心して良かったと思う。一級の身体障害者だそうだ。その後も、スキーは続けた。もう、気持ちが悪くなって坐り込むことは無くなったし、お陰で、その人が一緒だと、高速代が半額になった。変な制度だと思った。こんな元気で、どこも悪く見えない、心臓発作で亡くなる確率は、ゼロに近い。普通の人より強い心臓がより強固になったのだから。どこが、一級身体障害者だよ、と、思った。

それはそれとして、中途半端な幼馴染というか、気心が知れた友人の一人として、子離れの手伝いに一役かっていた感じだった。良い間柄だと思っていた。
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Jalan tikus ジャラン ティクス、ネズミの道、近道、抜け道の事です。国道からチビトゥンのゲートに向かう大通りが大渋滞している時でも、ここは、空いている。大型は進入できない。コカコーラの西側にある。
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軟質塩ビチューブ用の引取機とカッター、来週から稼働する。
  

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(^_-)-☆その人に [人]

 2475 大学を卒業したら、皆さん、お待ちかねだったと思っていた同級会を開くことにしていた。そんな時に、ばったり、同じバスでその人と会ってしまったのでした。その約、一か月後、5月だった。静岡のある喫茶店で、待ち合わせて、現状を話し始めた。その人、会社は止めた、結婚するためだった。職場結婚だという。9月何日に結婚式だという。あなたは、どうしてる?というので、就職をして沼津の方に住みだした。そして、決まっていたわけではないが、結婚を前提に付き合っている人はいて、これから、資金を蓄えなければならない、と、そんな話をした。かなりのショックだった。大学を卒業し、自立できる資金ができたら、その人に心境を打ち明けようと、心の一部で思っていたからだった。そのあと、同級会を一月にするつもりだが、その人に手伝いを頼めなかった。“15年後、皆さんの生活が落ち着いたころに次の同級会をする” と約束もした。他に何を話したか覚えていない、一時間ほど一緒にいて、“幸せにね”といって、別れた。後ろ姿を見送った。その人は振り返らなかった。9月何日、その日は会社で休日出勤をしながら、その人の幸せそうな結婚式を想像していた。56人中40人以上集まったが、全てが、まだ結婚していない人でした。その一月の同級会にその人は現れなかった。

それから、15年後 37歳、当然、皆さん、結婚し、小学生や中学生の子供もいて、家庭の事、仕事のことも、落ち着いて安定時期に入っているころだ。私も結婚をし、自分で仕事を始め、身の回りのことも順調に推移していた。案内状を出すために現住所を出来るだけ、知らなければならない、そこで、その人の実家に電話し、その人の苗字と電話番号を聞いた。静岡にいた。早速、電話をし、“約束した通り、同級会をするので手伝ってほしい”と頼んだ。待っていたかのように、声が弾んでいた。その声からすると、家庭や生活が順調だと感じたが、打ち合わせをしたいという。その人の方から、会いたいという気持ちが伝わってきような気がした。ちょっと、様子が違うかなとも思った。多くの人にとっては油に乗りきっっている時期だと思う。

まず、15年ぶりの再会、場所は覚えていない。目的の同級会を理由にして、二人きりで、同級会をやったようなもの、夫の事、子供のこと、私が聞いても仕方がない事ばかり、話したかったのでしょう。自分の境遇、環境を洗いざらい、話した。話す相手として、その人は、私からの連絡を待っていたように、でした。その人の中では、私は、そういう、存在になっていたのかな、と、ちょっと、複雑だった。

二人きりで会うのはそれが最期になった。女性の現住所のメモを貰って、私が二人の名前で、皆さんに案内状を送った。その半年後の同級会は先生も楽しみにしていただいたようで、30人ほど集まった。出席できなかったが、現住所が刑務所の奴もいて、かなり、中学3年1組同級生、ピンキリの人間模様になっていた。私は、会社も個人も新聞に紹介されるようになっていた。一応、太田君ならね、と言われる状態にはなっていたので、良かったと思うし、その人をがっかりさせることもなかったので、よかったと思う。

それから、約15年後、私が、インドネシアに行ってしまうことになるとは、その人、思っていなかったと思う。しかし、私は、50過ぎたら、社長を止めて、静岡の片隅から、外国、東南アジアに出ようと既に決めていて、それを実行した。その当時は妻にも話していなかった。
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チビトゥンの金型屋からの帰り、ジャラン カリマランの渋滞ぶりとジャラントールのチカランバラットの出口のガラ空きの様子 
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(^_-)-☆その人と [人]

 2474 その人も大学へ行くのかと思っていたが、就職をした。私は静岡から離れた。夏の最終の試合の時に、卒業してからも連絡先を知らせ合おうということになっていた。こんなことがあった。大学一年の秋、葡萄の季節、私が住んでいた甲府に行ってみたいという話になり、友達と一緒に、その日、何時の列車に乗って行く、駅まで迎えに行くという約束がった。
 その列車の到着を友人と二人で、ホームで待った。しかし、その列車に乗っていなかった。朝9時頃だった。次の列車が到着するまで、一時間以上ある。約束の列車に乗っていなかったということは、もう、来ないと判断してしまった。今なら、携帯で連絡をするが、当時は、連絡しようがなかった。友人の手前、彼も行ったことがない、その人が来たら一緒に行こうと思っていた昇仙峡へ2人だけで行ってしまった。全く、面白くない二人のブラブラ散策だった。彼には気の毒なことをしたと思っていたし、彼も、私の傷心を分かっていた。
夕方、下宿に戻ると、おばさんから、私を訪ねてきた人がいたよ。直ぐに、どこかへ行ってしまったが、という。ショック、その夜、その人が家に戻っただろうと思う時間に下宿の電話を借りて掛けてみた。

友人が遅れてきて、その列車に乗れなかった、次の列車で行ったが、あなたがいなかったので、住所の下宿を訪ねてみたが、そこにもいなかった。大学辺りと神社と街を歩いて、静岡にもどったという。

その年の暮れ、静岡で会って、その時の事を謝るとともに、何かの映画を一緒に見た。オリオン座(とっくになくなっているが、当時は洋画の封切館)だった。ジョージキャキリスとチャールトンへストンが出ていたことを覚えているが、映画の内容は上の空だった。それを最後に、その人と会うことはなくなったし、手紙のやり取りも、なんとなく、しなくなった。私の方は、身近なことで、かなり、忙しくなっていたし、その人の事を思う瞬間はほとんど無くなっていた。意識をしなくなった。
大学生活を謳歌した。クラブ活動や研究を自由な雰囲気の中で、充分にやったと思う。多くの友人、学芸学部との付き合いでは、多くの交際も生まれた。

その人も、多分、身の回りの事で、充実しているだろうと、思う。それぞれの世界があった。私に方は、卒業する時までには、何人かの学校の先生候補者の女性と知り合うようになり、スキーやスケートに一緒に出かけたり、家庭訪問をしたり、その家(ブドウ園の娘が多かった)の手伝いをしたり、付き合いも多かった。将来を語り合ったりもした。私を慕ってくれる後輩も何人かいた。

そして、静岡の東部にある会社に就職が決まった。そして、機会を見て、その人に同級会をするための手伝いを頼もうかなと思っていた。
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蓮の花、ピンクは昼前に閉じてしまうが、白っぽい方は、閉じない事を、最近知った。
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会社の押出しラインがやっと4ラインになった。そのための準備を休日の今日、した。
   

Pergi Untuk Kembari” Elloの歌です。数年前に大ヒットした歌ですが、その20年以上前の他の人が歌っていたのを聞いたことがあった。これも、私に心境に似ていたと思った。しばらく、どこかへ行ってくるよ、また、会いましょう。といった内容です。
https://www.youtube.com/watch?v=4M9AC5cbhg4&list=RD4M9AC5cbhg4#t=62
Walaupun langit pada malam itu Bermandikan cahaya bintang Bulanpun bersinar betapa indahya Namun menambah kepedihan oh
 Ku akan pergi meninggalkan dirimu Menyusuri liku hidupku Janganlah kau bimbang dan janganlah kau ragu Berikan senyuman padaku
 Selamat tinggal kasih Sampai kita jumpa lagi Aku pergi takkan lama Hanya sekejap saja Ku akan kembali lagi Asalkan engkau tetap menanti

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(^_-)-☆その人 [人]

 2473 先月も二日、異常アクセス回数の日があった。今月は今のところ三日あった。通常一日数100回から700回くらい、時に1000回を越す時もある。しかし、異常とは3000回以上4000回以上アクセスがある日だ。突然、多くの人がアクセスしたとは思えない。ということは、個人かそのグループが、その日の投稿にアクセスするのではなく、過去に遡って、幅広くアクセスしていたと思う。一人だけでは無理だろうから、何人かでチェックしていると思う。何のためでしょうか。

昨日の続き。中学に入って、小学校から引き続き、中学校に行っても、クラスの委員長任せられることが多く、生徒会の代表委員会にも出席していた。その人は、別の小学校からだったが、他のクラスの委員として、出席していたという、しかし、全く、二年間、知ることはなかった。三年になって、同じクラスになった。クラスの選挙で私が委員長に、その人が副委員長になって、初めて、存在を知った。その、初めての代表委員会に二人で出席した。そして、生徒会長と副会長の立候補を募ったが、誰もいない。そこで、出席者で選挙のようなことをして、選ばれた3人が強制的に立候補をさせられることになっていた。そして、その一人に私が選ばれてしまった。びっくりしたのはその人、私のことを何も知らない、初めて会って、一週間くらい後のことだった。選挙まで二週間、私は、全く、選ばれたくなかったので、何もしなかった。ところが、いらぬお世話だと思っている私を無視して、その人、私のために、ポスターや推薦文を書いて、掲示板に張ったり、他のクラスへ行って、私に投票するように頼んで回ってくれたりしてくれていた事を知っていた。それで、意識をするようになった。クラスの仕事、生徒会の仕事も一緒にやらされる機会が多かった。

しかし、中三の時は、あっという間に通りすぎ、卒業、私は、静高へその人は、直ぐ近くの女学校へ行ってしまった。私は、中学校からそのまま、卓球部に入った。何と、そのは、中学校の時には運動部に入っていなかったのに、卓球部にはいったのでした。それを知ったのが、中学卒業して二か月後に、クラスの卒業文集を完成させるために、担任の先生から二人が中学に呼び出されて、製本作業をしている時に、先生が、その人も卓球部に入ったということ私に話したのでした。本当?そうだよ。という会話をした。
その人と、個人的に会うことはなかったが、高校の時、その人と共同主催の一回だけの同級会の時と、卓球の中部大会や県大会の時には会場で必ず会っていた。互いに、自分が試合をしていない時には、コートサイドで応援もしあっていた。私たちの周囲の人達は、私達が中学で同級生だったということを知っていた。しかし、それだけだった。私は大学へ行かなければならないので、それが私にとっては最優先だった。特奨生だったし、それなりに恰好を付けることが優先だった。17の頃でした。一回だけ、その人の家を訪ねたことがあった。同級会の打ち合わせだった。質屋さんだった。初めて質屋というのはこういう作りをしているのかと、思った。兄弟や両親にも会った。静高生大歓迎といった印象だった。
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二番ホール、もう、プレーする人はいないので、スプリンクラーからの散水が始まっている。
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帰り、左に曲がればタマンセントサ、警官が小遣い稼ぎをしている。
タグ:記憶 他人 遠い
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(^_-)-☆時々思う [人]

 2472 19年前の事である。インドネシアに来て、いきなり“心の友”っていう歌を知っているか、歌詞をアルファベットで書いてください、と頼まれた。暫くして、ネットで調べて書いてやった。インドネシアで一番有名で親しまれている日本の歌です。今でも、知っているかと聞かれる。歌ってみてくれと言われる。先日、五輪真弓さんが、インドネシアへきて、歌ったそうですね。

その当時、私は、インドネシアで売られているCDを買ってみた。その中に“雨宿り”という歌があった。まったく、知らなかった歌だった。詞を読んで、男女反対にすれば、若い時の私だと思った。

大学を出て就職し、就職先に向かうためにバスに乗って静岡駅に向かった。それから、いくつか先のバス停で、その人は乗ってきた。直ぐに、目があった。離れて座っていたが、彼女も駅で降りた。私は、ちょっと遅れて降りた。先を歩くその人に声をかけようかどうか迷ったが、声を掛けた。待っていたように、スッと振り向いて、私に向かって来た。時間がないので、今はどうしている?などと、話したかったが、出来ずに、何日か後に会う約束をして、別れた。その後、日本にいた30年、思い出を沢山作った。この歌を覚えて、口ずさみながら、日本での、ちょっと前までのことを思い浮べていた。
https://www.youtube.com/watch?v=srDOA-riP3Y
“駅のホームで見かけたあなたは昔の恋人、そのなつかしい横顔、思わず声をいかけた私、あなたは驚いたように、煙草を落としてしまった。砕け散った炎の日々が、束の間に蘇り、見つめ合う、どうしてる今は、あれから君は、元気にしてるは、いつだって私、お茶でも飲もう、少しの時間、電車は通り過ぎて行く、あなたはコーヒーカップに、角砂糖二つ入れて、今の僕はこんなものさと、笑いながら、神を掻きあげた、そう、だけど不思議ね、あの日分かれたことも、只、余りにも若すぎただけだと二人、互いに許しあえる。愛したわ私、あなたのことを、今は別々の、夢を追うけど、めぐり合いは、素敵なことね、雨宿りするように、二人、愛したわ私、あなたのことを、今は別々の、夢を追うけど、めぐり合いは、素敵なことね、雨宿りするように、二人”

あれから、19年、この間、その他大勢といっしょに、二回ほど、会っているが、もう、10年以上。会っていないし、話もしていない。ペースメーカーの人、今は、どうしているでしょうか、今年の7月、車で家の前を通りすぎた。家の中にいるのだろうか、と思いながらだけだった。電話をしたいが勇気がない。その人は、まだ、Surgaへ行っていないことを祈るだけ。
書いてしまった。今日、突然、蘇ったことでした。“我思う故に我あり“
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桜祭りがリッポチカランなら紅葉祭りはジャバベカだというのでしょうか。
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先ほど訪問したスルヤチプタ工業団地、ここのも日本食レストラン、大和?がオーピン?でしょうか・
 

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(^_-)-☆よくある話 [日常]

 2471 何度も書いていますが、以下のような情報がまたまた、入ってきました。10月21日(水)午前11時ころ GIIC(Greenland International Industrial Center)Delta masに、ブカシ県の2名の入国管理局職員が来社し、Surat Perintah Tugas(令状)を元に抜き打ち査察開始。
以下の5点の書類の提示を求める。
1 PASSPORT 
2 KITAS(滞在) 
3 IMTA(就労)
4 LPTKA(外国人雇用計画書)
5 社内組織図(社内関係者の署名済み)
 よくある話です。忘れたころというより、また?という感じで、こういう情報が入ってきます。会社ばかりではなく、ホテルアパート、コンドミニアム、カラオケ、マッサージへも立ち入り検査があったという話はよく聞く。ゴルフ場にも突然現れたというのもほんとにあったらしい。短期滞在がノービザになってから、頻度が増しているような気がする。組織図とポジションがその人のビザへの表記と一致していない場合も問題になるので、注意です。最近は、以前あったブクビルを受け取らないですね。以前は、ブクビルも見せろと、イミグレで言われたものでした。
 http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0100.html2009年と、ちょっと古いですが、参考にはなると思う。KITASはカードになっていますね。
 
ついでの話。私はいつもパスポートとキタスとNPWPとSIMのオリジナルを携行しています。無くさないように、盗まれないように、必ず、リックサックと財布の中に入れて持ち歩いています。車から離れる時には、持って出ます。車の中に置いておくことはしない。車上狙いは数分など掛からない、一分くらいで、やってのける。リッポチカランのシンガラジャ、デルタマスの大通り、ブカシバラットのメトリポリタン、サイバーパークでやられた話を聞いている。思わぬところで、あなたは狙われているかもしれません。ゴルフ場のカートに小物入れを置いてプレーする人が多い。その中に、パスポートやキタスを入れて置いて、盗まれたという話もありましたね。ゴルフ場は垣根、金網フェンスで囲われているが、ほとんど、どこからでも自由に出入りすることができる。

また、別の話で、しかし、いい度胸をしている人もいる。その会社で仕事をするのでなく、個人で、何かをしたい人のために、会社の空きポジションで、ビザを取ってやるのです。個人的に手数料を受け取るのです。二三人そういう手伝いをすれば、結構な収入しなる。本人が常時、会社にいなければならないという分けではないから、調査に入られても問題はないということらしい。いつかはばれるでしょう。
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 ガソリンスタンドだが、正面がバイク専用ポンプ。
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 気に入らないトカン パーキルTukang parkir駐車場係員、必要ないがいて、車の出入りを仕切る人、チップを渡さなければならない。コンビニの前には一二台しか駐車できない、バイクが邪魔をしていて、入ろうとして辞めるくらいに、駐車スペースが狭い、それでも、多くのコンビニに係員がいる。店が頼んでいるのではないと思う。勝手に、自分の職場にしてしまって、小遣い稼ぎをしているのだと思う。ましかして、インドネシアの社会は、これを認めているのかもしれないが、私にとっては、かえって、邪魔なうえに金を払わなければならいという、存在が、気にくわない。通りがかりのコンビニに入ろうとしても、変なオヤジがいるのを見ると、入るのを止める。タマンセントサの中にあるコンビニにはいないので、よく利用する。
 

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(^_-)-☆スペダ モートル [日常]

 2470 Sepeda motor“モーター付きの自転車”日本では一般的にバイクと言っていますね。インドネシアでは、通常。スぺダ モートルと言わないで、単に“モートル”と言っています。
凄まじい勢いで、売れていましたが、ここ一年ほどは、前年同月比割れの販売台数になっているようです。30%以上落ち込む月もあるようです。車も似たような情況になっている。インドネシアも4人に一台保有という数になっているそうです。まだまだ、ベトナムなどに比べれば、売れる可能性が高いと言っていました。
 どうでしょうか。ジャワ島に限っては、又、西ジャワに限っては、又、ジャボタベックに限っては、印象では、一家に一台どことか、一人に一台、日本の自転車が一人に一台(今はどうか知りません)時代がバイクに変わったような気がする。子供も自分のバイクを買い与えられている時代になってしまっているような印象だ。

 “日本では、自転車を使っているから、バイクはほとんど走っていないよ”と、話すと、“日本のメーカーは、日本では作っていないのか”と聞かれる。私も、そう思う、日本では作っていないのではないかと。
 日本の自転車並み以上に溢れているバイクだから、それなりに社会も対応をしなければならない。昨日、書いた、バイク一時預り所もその一つです。バイク専用の施設が増えている。ガソリンスタンドのバイク専用ポンプ、車用のポンプとは離れた奥の方にある場合が多い、そちらに長蛇の列が出来ている場合も多い。だから、車のポンプに並んでしまうバイクも多い。どうでしょうね、真面目人間と要領のいい人間との差が出る場所になっている。駐バイク場、これも、車とは場所を区切ってある。ここも、人に依って、駐車場に置いてしまうバイクもある。バイク用の駐バイク券、発券機も車とは別にしてある場所が増えている。こればかりは、車の方を使えないらしい。新しい橋や道やトンネルではないが、両側からの落石を防ぐために、覆いがある道などの両脇にバイク専用レーンが設けられるようになっている。
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 これだけバイクが氾濫していれば、もう、そろそろ、販売も頭打ちになって当然だと思う。これからは、毎年、多くても600万台、月に50万台平均程度かそれ以下の販売台数になると予想する。バイク販売会社も下請けも、増産を考えるより、シェアー争いを考えたほうがいいと思う。品質と価格とサービズで勝負するようになったと思う。ジャワ島以外の島は、まだまだこれから、伸びるでしょう、と、という意見もあるが、再び増産するようにはならないと思う。バイクバブルははじけたと思う。
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この会社にはバイク専用入り口があり、その奥に駐バイク場がある。
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この会社、歩行者専用の入り口がある。写真の左側のほうだ。右の車やバイクの入り口が広い、それらも今は入ってきていない。歩いて、車の入り口に入って行ったら、セキュリティーに、呼び止められ、あなたの入り口は向こうからだと、強い口調で言われた。いったん外に出て、向こうから入りなおすのかと聞いたら、そうだという。こっちは客で、買い物に来ているのに、規則かもしれないが、それはないでしょう。それに、歩行者はここから入らなければならないと、書いてないし、正門のようなところが、乗り物専用入り口とも書いてない。無視して、そのまま、入って行った。
何しに来たのかと聞くから、ショールームへ行って買い物をすると、話した。かれは、無言だったので、そのまま、中へ入っていた。買って、帰りには、その、歩行者専用の入り口というか、ゲートを通って、外に出た。セキュティーに、ちゃんとわかるように書いておけと、言いたかったが、やめた。私のように歩いて来る客はいないのでしょうね。歩行者専用出入り口とは、従業員用なのでしょね。


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