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(^_-)-☆ファミリー ギャザリング [インドネシア]

 2509 日本の社員慰安旅行とは別物だ。社員旅行インドネシアでは、ファミリー ギャザリングという。なぜか、この11月から12月の半ばに、各社は集中する。なぜでしょうか。ベースアップの運動時期なのだから、組合員の意思を統一するためでしょうか。ほとんどの会社は、総務と組合が共同でおこなう。参加者は、事前に申し込むが、社員数の三倍ぐらいになるのが普通。家族の他に、恋人もOKが多い。

それぞれの会社は、事前に取引先に知らせて、品物の寄付を求める、主催者も準備するが、ゲームやくじ引きの賞品にするためだ。テルビや洗濯機などもあるのが普通。ムカデ競走やパン食い競走ならぬ、クルプック食い競走、二人三脚など、日本でも、町内会の運動会があれば、こんな種目がある、似たようなものです。スイカ割りも、みなさん、結構、楽しんでいる。

日帰りでも、このあたりの会社が、行く先は、結構ある。地元出身の人は非常に少ないし、行楽地へ出かけたことがない人が多いので、みなさん、大変楽しみにしている。ブカシやカラワンの地方から出てきた人は、ジャカルタに行ったことがない人も多い。
行く先は、アンチョールの中の何種類かあの施設や海岸、タマンミニ インドネシア インダー(TMII),ラグナン動物園、ちょっと、遠くなるが、ボゴール方面のボゴールラヤ、タマンサファリ、プンチャック、チボダス、その周辺の植物園、ちょっと、東なら、タンクバンプラフとチアトル温泉、ジャティルフール人工湖、高速道路の延長に伴い、カラワンからチレボンにかけてのジャワ海海岸の各地海水浴場、ちょっと、遠くなるが、ジャワ島の西海岸、ムラックからタンジュンルスンにかけての海水浴場などがある。距離的には、100km以内、高速道路が通じていれば、150km以内が目安だと思う。バンドゥンの南まで行けば、もっとたくさん、観光地はあるがちょっと、遠すぎる。一泊なら行ける、プラブハン ラトゥも一泊なら行ける。

雨季なので、雨にたたられる確率は高い。どこへゆくにも渋滞はつきもの、渋滞がなければ二時間以内の場所でも倍以上かかる場合が予想される。バスの中のドンチャン騒ぎ、トイレなどの突然の駐車、目的地でのつまらない催しへの強制参加、日本人出向者のオジサン族にとっては、苦痛ばかりで、まったく、楽しめない人が多い。一回付き合って、こりごり、二度と一緒に行かないという人が多い。
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火炎樹(火焔樹)もそろそろ花の散りどき、花をアップで撮ってみた。
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眠り草(オジギソウ)通常は地に這うような状態だが、踏まれない場所なら、かなり大きな木になる。合歓の木も似たような葉をしているので、同じなんとか科だと思うが、別物だと思う?


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(^_-)-☆この頃 [行動]

 2508 爆買いというのですね。今の日本の外国人観光客?の行動ですね。以前、孫を連れて富士山麓の公園へアイススケートをしに行った時のこと、「おじいちゃん、この人たちなに?」と、聞かれたことがある。セルフサービスのレストランで、並んで食券を買い、テーブルについて番号で呼び出されるのを待っていた。水やお茶は自分でディスペンサーに行って、持ってきた。すると、中国人団体さんが50人以上、どっと入ってきた。リザーブの席へ着くなり、予約してあったのでしょう、レストランの女性が数人で、トレーに乗せた日本食セット、各人の前に並べ始めた。早い、5分もしないうちに全ての客に前に置かれ、次々と食べ始めている。お茶や水も店員が運んできていた。そして、それから10分後には、みなさん、そこから立ち去った。その人たちが、食器やトレーを返すことはしない、そのまま、テーブルの上に置いたままだった。ガイドは日本語が話せる中国人だった。

私達といえば、その観光客が到着してから、彼らに、全てが並べられたころ、呼び出された。そして、食べている間に、みなさん、いなくなってしまった。私たちは、当然、トレーは返還し、テーブルの上もティッシュで拭いた。

箱根の大涌谷へ行った時のアジア系の観光客もすごかった。そんなに、必死にならなくてもいいと思うのだが、どういう感覚なのでしょうか。買い物の行列がなかなか進まないことに、怒っている様子がはっきり見て取られた。多分、同じグループの人たちだと思うが、原因は分からないが、レジでの支払いがうまくできないらしい。通常生活で、ご自分の国のスーパーでのレジの行列がなかなか進まないのには、慣れているはずだと思うのに、である。
多分、その人は、日本で買い物をしたときには、長時間レジに並ぶ必要なく、さっさと、買い物ができたのでしょうね。温泉卵売り場にも我先にと殺到していた。

インドネシア人は日本に行ったときに何を買うのでしょうかね。美白剤?サンブロック?ニキビを消す薬?日本企業が日本にあるものと同じような製品を、こちらで、作っているので、あまり、ないと思う。コメを炊く、炊飯器も日本と同じようなものを安く売っている。
 Baru-baru ini,Wisatawan orang asing akan liar berbelanja di Jepang最近、外国人観光客が日本で爆買いをしている。
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ゴルフ場で最近、会う人と動物と植物、最近、手伝いをしてもらっているキャディー、ビアワック、中型のトカゲです。結構,よく会う。びっくりする必要はない。向こうがびっくりする臆病な動物で、20mくらいまでしか、近づけない。全方向で見えるのでしょう。池があれば、すぐにもぐってしまって、待っていても、見ることは、できない。パンガンダラン近くのグリーン キャニオンにわんさといる。木の上で休んでいることもある。テン、インドネシアではヌサンという動物もいる。また、この間書いたが、三つ葉のクローバー、地に張り着くように小さいので、なかなか、目に入らない。一見、苔のようにも見えてしまう。
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紅葉Momijiという日本食レストランの場所が分かった。まだ、行ったことは無い。建設中のサッカースタジアムのそば、15番ホールのグリーンのわきに専用の門はある老人ホームのなか?近く?にあるようです。チバトゥの高速道路ゲートに向かい道の老人ホームの看板と同じ所に看板がある。


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(^_-)-☆統一地方選挙 [インドネシア]

 2507 ジョコウィさんが、12月9日は、統一地方選挙の日で、水曜日ですが、休日にすると決めました。予想されていたこととはいえ、製造工場では、週半ばの突然の休日宣言、対策に苦心するでしょうね。
面白いですね、日本なら休日を選挙日にするのに、平日を選挙日にして、直前に休日にすると決めるのですから。どちらのほうがいいのでしょうか、私は、インドネシアのやり方のほうが、投票率は上がると思うが、どうでしょうか。インドネシア方式も、金曜や月曜ではだめですね。選挙に行かないで、どこかに遊びに行ってしまうからです。
Presiden Joko Widodo memastikan, hari pemungutan suara Pilkada Serentak pada 9 Desember 2015 mendatang, menjadi hari libur nasional.
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今朝の会社の前の様子、右がてんぷら油の向上、左の黄色いラックの向こうの左がエンドオオタ。向かいの会社の何人かがデモに参加するために、集合をしている。9時に出発するという。そして、私が外出した9時過ぎに、彼らが、だらだら、歩いているのを追い越した。そして、選挙休日の翌日10日に、また、大規模なデモをすると上部団体が指示したそうです。
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このトラックに“暑がり、寒がり、寂しがり””と、書いてありますね。日本のどこからやってきたのでしょうか。日本では、排気ガスの規制などで使えなくなったトラックが、インドネシアにあふれている。ほとんどのトラックに“速度制限装置付き“と書いたステッカーが貼られている。日本語を消していない車が多い。「このトラックは、日本から輸入したのだぞ」と、強調したいのかもしれない。


タグ:選挙 休み スト
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(^_-)-☆言い訳以前 [インドネシア]

 2506 スト、デモ、今日で三日目、会社の中に一日中いるので、外の様子は分からないが、荒れている工業団地は無いようだ。何人かは連れだされるが、大部分の従業員は通常の仕事をしているという会社がほとんどらしい。
デルタマスの奥のほうにあるブカシの県庁に押し掛けるという情報があって、イジップの方から通り道になるヒュンダイとデルタシリコン4,5,6辺りの会社はちょっと、気になるところです。ただし,通過ですから、アッという間だったという会社もある。帰りにまた通過したと言っていた。明日、もう一日ですね。
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ジャバベカの放水車、イジップの放水車、MM2100の放水車、同じでしょうか。ちょっとずつ、違いますね。

インドネシア人の言い訳には、キョトンとさせられる。客先のこのことを確認してと、昨日の夕方、頼んだ。そして、今日、夕方、頼んだ人間に会ったので、昨日、頼んだこと、確認してくれた?と聞いたら、昨日は、担当者が帰ってしまって確認できなかった、という返事。何か変ですね。結局、今日も確認していないのです。昨日頼んだ時刻を過ぎているので、また、頼めば、帰ってしまったというのでしょうか。結局、その次の朝、自分で確認した。彼の勉強になると思って、頼んでみたが、勉強以前の問題だね。

客先から、納期の問い合わせのメールがインドネシア人担当者に入っていた。一昨日の18;00過ぎでした。私にもCCで入っていた。私は昨日の夜、それを読んだ。昨日、昼ごろ、返事をしたのか本人に聞いた。曰く、先ほど、太田さんから言われるちょっと前に読んだばかりだから、返事をしていないという。すぐ返事をしなさいよと、言っておいた。夕方、返事をしたのかと聞いたら、原料がないので、原料の催促をしているところだから、返事をしていないという。原料はそれで、いつ入るのか、商社に確認したのか、と、聞いたら、まだ、返事がないという。それならそれで、現状を伝えておきなさいよ、と言っておいた。今朝、もう、返事をしたのかと、また、聞いた。まだだと言う。いつになったら客先と話をするの、と聞いたら、原料が入ってからだという。原料がいつ入るか返事をもらえないので、仕方がないという。
何かが変だと思うが、御本人にとっては、全然,変ではないようだ。結局、客先の担当者は、怒って、私に電話をしてきた。やはり、客先にとっても変なのでした。私から原料商社に、電話して、納品日を確約させて、納期を伝えた。今日の夕方でした。インドネシア人担当者は、なんとも、思っていないようだった。インドネシア人のことだけではない。

こういう、わけのわからない言い訳や知らないふりをする人はインドネシア人とは限らない、日本人にもいるときいている。従業員が会社を辞める時に退職金を支払わない経営者、赤字の責任はお前だと言って、最終月の給料も払わない経営者、一人や二人ではい。いるのです。組合がない会社です。


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(^_-)-☆パージ材 [押出成形]

 2505 警備の警官やセキュリティーの姿は目立つが、デモのほうは、通り過ぎるだけらしいので、なかなか、お目にかかれない。昨日の状態で、各社、心配が少なくなったようで、通常の操業をしている会社が多かったようでした。

Purgeパージ材 清めるとか浄化するという意味ですね。射出成型をしている人なら知っているでしょう。スクリューやシリンダーをきれいにします。押出機も使います。くっ付いてしまって、なかなか取れない樹脂や不純物を剥がしてしまう樹脂を使います。削り取るのですから、堅いほうがいい、しかし、金属を剥がしてしまってはいけません、だから、堅いプラスチックを使います。

普通に原料を流すように流すが、温度条件が重要ですね。このもの自体が溶けてしまっては、くっ付いている樹脂を削り取れません。

そもそも、掃除が必要かというと、理由は二つです。一つは、樹脂変えや色変えをするときに、前の樹脂や顔料をシリンダー内からきれいに出してしまいたいからです。もう一つの理由は、スクリューの供給部に樹脂が付着してしまって、それが邪魔をし、吐出量が一定しなくなってしまっているので、その付着物を、取りたいからです。温度設定が適切ではなく、早めに供給部で溶けてしまうような運転をしていて、短時間でも止めた場合に、付着して固まってしまうことがあります。その後流れる樹脂は、それを乗り越えて流れるようなります。樹脂は、本来、スクリューの表面を滑っていなければなりません。一部がスクリューに付着して、一緒に回ってしまって、その樹脂は前に進まないで邪魔をしているのです。自然に散れる場合もあるし、次第に大きくなってしまう場合もあります。“吐出むら“と、言っています。金型の先端から出てくる樹脂量が一定ではなくなるのです。

固まってしまってくっ付いている樹脂を取るにはどうしたらいいでしょうか。一番、大変の方法は、先端の溶融部に樹脂がのこっているまま、強引にスクリューを抜いて、スクリューから樹脂をへらなどを使って剥がすやり方です。熱いうちに早くやらないと、固まってしまって、難しくなります。供給部にくっ付いている樹脂は固まっているのだから、何か鋭利なもので削り取るしかない。

そこで、パージ材が登場する。何とかクリンというやつです。基本は、溶けてしまわない状態で高回転で流し、樹脂や焼けを剥がし取るのです。供給部で固まった樹脂は、溶けるまでの温度に上げます。パージ材は、その温度の溶けないはずです。だから、溶けた邪魔だった樹脂を巻き込んで進むにです。汚れを巻き込んで出てくるから、汚れがなくなって出てくるまで流します。

理屈は供給部は溶けない状態で、前方にある溶けた樹脂を押す場所ですから、ここで、溶けてはいけないのです。私たちは、溶けてしまって、固まった状態の煮ることを、おこし、と言っていました。インドネシアではそう言いませんが。お菓子のおこしの状態を想定しています。噛みこみは悪くなる原因です。プラスチックの丸棒などでホッパーの上から一生懸命押して、流れを良くなるようにすることもしばしばです。50年の間に、何度、押しこみの作業をしたでしょうか。一年に10回平均でも500回ですね。

射出の会社は必需品ですね。日本からの輸入でしょうが、在庫を持って売っているインドネシアの会社もあるかもしれませんね。大量にはいらないが、ないと困るものですね。
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パージ材をもらいにMM2100の会社に行ってきた。懐かしい、オープニング セレモニーの日、植樹の手伝いをした、一目も二も置くどころではなく、星目風鈴でも勝てそうもない方、北川工業の創業者でした。植えたときには5cmくらいの太さで、2mくらいでした。ビンタローですかね。こんな大木になっていて、白い花を一杯に付けていた。その時のことを思い出してちょっと、うるっとした。いまでも、時々思い出す。25歳の時でした。「太田君、これ、作ってみるか」エッジングとグロメットでした。その時、私の人生の方向がほとんど決まった瞬間でした。ナイロン溶融押出プロファイルの日本、第一号でした。
 

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(^_-)-☆スト [インドネシア]

 2504 ストやデモの様子はどうだったでしょうか。9時に決められた場所に集合して、三々五々、決められたコースへ行くということになっていたらしい、私は8:15頃会社に到着した。会社のテンプラ油の製造工場の従業員、前に100人ほど屯していた。間もなくして、歩いて、どこかへ出かけて行ったが、1時間後には、戻ってきてしまった。歩きでは、参加できなかったという。バイクで行ける人はこれから、また出かけると言っていた。
9時半過ぎに、チビトゥンまで、用事があっていってきた、そこで、打ち合わせが終わって、外に出た途端、後100mほど後ろに道いっぱいに広がったバイクのデモ行進が見えた。追いつかれないように、先を急いだ。ちょっと、びっくりした、後ろに気がつかないで吸収されることはあり得ないと思うが、それでも、大集団が後ろに迫っていると思うと、ドッキリだった。
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ジャバベカ2の隅っこにある会社だから、世間が大騒ぎになっていても気がつきそうもない場所だから、一日中、会社内にいては、各、工業団地のデモ状況など分からない。それでも、何人かも友人同士の情報交換が、ついでのように私にも入ってくる。それによると、午前中はカラワン、デルタシリコン、デルタマスが賑やかで、午後はイジップとジャバベカが賑やかだったという。高速道路が封鎖などの、過激行動は無かったという。ジャカルタはどうだったのでしょうか、ニュースに取り上げられていないということは、大きな騒ぎは無かったのでしょう。よかったですね、今日のところは。

スルヤチプタのお客さん、16;00ころまで、会社の前の道が封鎖されて、出られなかったが、今、こちらに向かっているという連絡が、16;15に入った。結局、17;20ころ、到着した。

スト、デモも日イ交流会もテレビではニュースにならなかった。インドネシアでは、どちらも、印象的ではなかったということです、
  

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(^_-)-☆明日に期待 [インドネシア]

 2503 西ジャワ州知事から、来年一月からの最低賃金表が発表されました。さすがというか、ブカシとカラワンは3,3ジュタ以上ですね。今のレートで3万円くらいですね。上昇率は、US$比較では、10%以下ですね。これでは、労働者はストの予定を見直さないでしょう。明日は、スト、デモ決行ですね。どうなる事でしょう。

 バイクで走り回って、各工場からの参加者を増やして回る、場合によっては、会社内に侵入して誘い出す。だから、操業をしていれば止められる。だから、多くの企業は操業を自粛し、従業員の多くや日本人はどこかに潜んでいる。一部分の組員だけが、門から出てゆく。大雨が降るか、17時になれば、収まるので、夕方から、明け方までの操業はする。日本人は、明日は出社するが、外出はしない。大きな会社でジャカルタに住んでいるい人が多い場合は、工業団地近くのホテルを予約してある。日本からの出張者は今週、受け入れない。
 とにかく、明日の様子で、金曜日までの組合の行動が確認できるでしょう。

インドネシア、日本の政治、経済関係者を対象にした、交流促進を目的のレセプション? Shangri-La Hotelと Mulia Senayan Hotelどちらのでしょうか、両方でしょうか、昨日あたりから、いろいろな集まり、催しが開かれているようです。私には、まったく、興味がないが、興味があることは、多分の日本から見えられた方々は、25日ごろまで、ジャカルタ市内中心にいろいろな行動予定が組まれていると思う。予定通りに進むかです。既に、昨日、今日の行動で、渋滞ぶりを経験したことでしょう。大雨が降らなくてよかったですね。そして、明日です。ジャカルタの南北、東西幹線道路の混乱ぶりは、何がどうなるか分からないでしょう。何事もないことを祈ります。各工業団地の訪問を予定していた方たちは、ほとんどキャンセルでしょうね。
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今朝、車のバッテリーが上がってしまっていて、どうにもならなかった。会社に電話して、手伝いを頼んだ。ケーブルを会社の車で持ってきて、と、頼んだのに、昼ごろ、やっとやってきて、バイクでバッテリー液を持ってきただけ、バッテリー液を追加しただけ、エンジンがかかるわけがない。どうにもならないので、仕方がないから、バッテリーを交換することにした。オジェックの兄ちゃんに、買ってきてもらって、交換した。70万Rp(約6千円)でした。ということで、在宅勤務になった。
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ばらで、量り売りのインドネシアの卵の状態、日本の卵より大きいが、白味は水のよう、黄味は、ぺしゃんこ、半分は、割れてしまう。目玉焼きは半分ほどでしかできない。これは、一番いい状態だ。生で食べようとは、まったく、思わない。10っ個入りパックのほうはもっと状態が悪い。


タグ:有効 友好 遊行
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(^_-)-☆クローバー [インドネシア]

 2502 私にとっては大発見でした。他の人にはどうでもいいことだろう。
そうです、トランプにある三つ葉のクローバーです。一般の人には私の感激ぶりは分からないでしょうが、私は大感激をしている。というのは、子供のころから、四葉のクローバーを意識して探すことが多かった。日本には、当たり前にあちこちにある。四葉を見つけるというより、なんとなく目に入る時があって、それを摘んで、押し葉にして、しおりのようにしていた。シンガポールでも見つけてドイツの孫に持っていったことがあったし、スイスのサンモリッツでもホテルの庭のブランコの下に見つけて、孫と一緒に、五つ見つけた。

インドネシアではどうか、サバンからムラオケまで、旅をしたし、歩き回った。そのどこでも、目に入る植物には、何気なく、目をやっていた。珍しいものがあれば写真に収めた。インドネシアでは、自然の場所は乾ききった茶色の地が表れているところはまずない。植物、草に覆われている。当然、地面の草も意識しなくても目に入る。時にはクローバーを意識して探してみることある。しかし、ない。19年のうち、最近の10年前には、それまで、会わないので、インドネシアにはないのではないかと思うようになり、それ以降は、意識して、地面を見るようになった。ゴルフ場では芝以外の植物を沢山見る良い機会だ。外との仕切りの柵の内側には背が低い植物や小さい花がいっぱいある。しかし、クローバーは無い。

トランプにあるような葉っぱを見たことがあるかと、インドネシア人に聞いても、見たことがないという。もっとも、インドネシア人は、桜以外の花や木や草にまったく興味がない、名前も知らない。インドネシアにいる日本人もクローバーにあったことがある人はいないと思う。
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ところが、きょう、思いがけなく見つけた。ゴルフ場のコースの途中の休憩所の一角にあるコンクリートブロックを敷いた場所のそのブロックのほんの10cm四方の隙間の土の上に見つけた。葉は大きいもので1cmもない。いくつかの同じような隙間にも見つけた。しかし、全部の面積を合計しての30平方センチメートル以下だった。そこで見つけてから、完全に意識して、最後までの数ホールを移動しながら、同じようの場所を探したが、見つけることは出来なかった。ロータスレークやスダナにも以前意識して探したことがあったが、なかった。
ここの土は、別の場所から持ってきたものだと思うが、外国からということは無いと思うので、インドネシアのどこかにあるはずだ。もっとも、そのどこかの土は外国からかもしれない。外国から、種を持ち込んでわざわざここのまいたという感じもない。とにかく、インドネシアで初めて見つけたクローバーでした。一緒に回った人に話したが、反応は無かった。

ところで、インドネシアの各地の広大な田んぼで紫のレンゲを見たことがない。
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このゴルフ場は、国営の化学肥料会社、クププ クジャンの所有なので、どうか、トマトやナスの畑が点在している。育ちはいいような気がする。


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(^_-)-☆どうなるでしょうか [インドネシア]

 2501 来週火曜日24日から木曜日までの四日間、全国でストライキが行われる。労働組合からの要求に対し22日までの政府からの回答がない場合は、四日間実施される。
Sekitar 5 juta buruh akan menggelar aksi mogok nasional selama empat hari pada mulai 24-27 November 2015. Aksi mogok ini rencananya akan digelar secara serentak di 22 provinsi.
 ブカシ 東ジャワ、北スマトラなどの工業地帯(工業団地) 
“Di Bekasi akan dikonsentrasikan pada tujuh kawasan industri yang akan di sana, seperti Cibitung dan Cikarang. Di Jawa Timur seperti di Moro, Krungkut, PIER (Pasuruan Industrial Estate Rembang). Di Sumatera Utara seperti kawasan industri medan. Di Jawa Tengah yaitu di Kawasan Industri Candi,"

来週は、多くの日系企業も操業ができなくなるでしょう。場合によっては、日本人が閉じ込められたり、出勤できなくなったりする可能性もある。対策を練る必要があると思う。出勤ができないからゴルフ場に出勤というのもありでしょうね。

昨日、20日に日本の経済界や政府の代表者が続々とジャカルタ入りをしている。今日から23日まで、ジャカルタのホテルや見本市会場で、さまざまな催しや会合がある。インドネシアと日本の主に経済の連携関係の催しだ。前に、書いたが、23日のジャコウィ大統領と日本の何とかという団体の共催といわれるレセプションに私も招かれたが、沢山の理由があって、丁重にお断りした。両国それぞれ1000人、合計2000人の集まりだそうだ。収容できるのでしょうか。

私が期待するのは、日本からやってくる日本人の参加者がインドネシアを離れるのが、24日になると思う。その日は、デモ、ストライキの初日に当たる。経済関係連携強化のために、インドネシアの各種環境の情報を仕入れたい人たちにとって、どう映るでしょうか。実態に直面することです。進出するのは問題も多いですよ。
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昨日夜のテレビから、雨季の始まりのころ、コガネムシの炒め物が売り出される。ユニークな習慣として紹介された。また、同じ時期、ドリアンの収穫時期になる。マンガやパパヤもこの時期だが、木から取って、すぐ食べる様子が報道された。

IMG_5023.JPGそして、昆虫を食べるニュースの後に、日本からの代表団とインドネシアの代表に人たちの顔合わせの様子が報道された。その組み合わせが、どういう意味だろうか。面白いと思った。
 

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(^_-)-☆どうでしょうか [押出成形]

 2500 2500回って、何日、何年、2500÷365=6.85ですね。番号をつけなかったことがあったから、約7年、大したことないですね。毎日、書きました。毎日、書くことができました。それだけ、体や頭に余り異常がなかったということでしょうね。毎日、送信できました。送信できる場所にいたということですね。だから、余り、とんでもない場所には行っていなかったということになりましね。近くに鉄塔がある場所しか、行かなかったということですね。次の目標は3000回(日)ですね。

来年から頼りにしていた新しく迎える予定だった人が、断ってきた。そして、困ったことに、どうでしょうか、今日のミーティングで、状態が大きく変化した。昨日の夕方までは、2月一杯で退職できることになっていたが、それが、出来なくなった。決定ではないが、来年、もう一年、インドネシアの仕事を延長しなければならないことになった。多くの人に、もう、インドネシアでの仕事は終わりだよ、と言ってあったのに、困ったことになった。「まだ、やるの~~」と、いわれそう。客先には、ほっとする人が多いと思う。
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調理をする材料が冷蔵庫から消えてしまったので、ちょっと、会社から早く抜け出して、また、リッポチカランのファーマーズマーケットに行ってきた。土日はレジで長時間待たなければならないので、行くなら、できるだけ平日にしている。ジャガイモなどのばら売り野菜を袋に詰めて計ってもらう。そんな買い物をする。
ところで、ジャガイモは、私の食に欠かせない。とにかく、毎日食べる。今日は、3kgほど買った。小学校のころ、午後3時ころ家に戻ってくると、ジャガイモを半分に切って、なべに入れ煮た。煮あがると、蓋を少し開け、斜めにして、煮たお湯をほとんど流してしまう。そして、火にかける。水がほとんど蒸発したのをみて、火を止め、蓋を取って、なべの取っ手をとって、なべを上下にしてジャガイモを中で転がし躍らせる、すると、二つに切った面の皮との間が白くなり、粉をふいた様になる、この状態で皮をペロッと剥く、塩かマーガリンを付けて食べる。お八つである。また、黒はんぺんのフライトともに売られている。小さめのジャガイモのフライ、これが、また、両方とも絶品、小遣いで、よく買って食べた。中、高の購買でも、弁当のおかずの足しとして売っていた。大学のときには、ブドウもそうだったが、ジャガイモやサツマイモなどは、愛宕山ではなく、武田神社を通り過ぎて積水寺まで、ランニングをする通りがかりの畑で、人がいて、下さいと言えば、いくらでも持っていっていいよ、と、いられるので、それに乗じて、リックサックに詰めさせてもらったことは何度もあった。梨大の学生さん、には、みなさん、寛容だった。ジャガイモは欠かせない。
http://otaenplaext.net/newpage36.html
http://otaenplaext.net/newpage35.html
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage003.html
http://otaenplaext.net/newpage10.html
インドネシアではディエン高原じゃのクリピック クンタン(日本ではポテトチップスという)これは、絶品。ジャガイモは大きい、日本に一般的に売られているものの二倍以上だ。へこみが少なく、丸いので、皮をむくときのきれいに剥けるし、ロスが少ない。日本のジャガイモは、小さいうえに、へこんでいる部分がたくさんあって、面倒だ。
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シティーヲークのレストラン通り、ローカルレストランばかりで、日本人が経営する日本食レストランは無いが、ラーメン店、すし屋はあって、安い値段で、案外おいしい。インドネシア料理のレストランは、何軒かあって、どこもお勧め、私にとっては、お客さんと一緒の場合は、連れてゆく、そして、満足してもらえる。先日、富山からのお客さんもここで、食事をしていただいた。すべてのレストランのメニューは日本語も書かれているし、料理の写真付きだ。
  

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(^_-)-☆水槽内パイプ [押出成形]

 2499 これも、結構厄介、先ず原料、透明のPVCなのだが、色が気に入らない。茶色っぽかったり、青が強すぎたり、丁度いいものがなかなかできない。その都度、10日ほどの間隔が開いてしまう。先ほど、客先が見えて、製造現場を見ながら打ち合わせをした。

要求は、色と温水につけた時の白化現象と曲がりについての許容範囲についてだったが、いずれも、要求がきつい。即答は出来ずになお検討ということにしたが、生産が12月に入って直ぐというので、急がなければならないが、この会社の人達、どうも、動きが鈍いので、客先は心配をしている。バリ取りについても、返事や対策が遅いのでいらいらしている。私にやれることは余りない、見ているしかない。

コミサリスがご主人と一緒に現れた。会社の業績について、ダイレクターに確認していたが、その内容について、私に聞いてきた。やっと、利益が出てきたようだが、もっと、儲かるようになるのかと。儲かるようになりますよ、装置を増やして、人も増やして、新しい仕事を取ればいいのです、と、答えた。投資が必要ですねと。

来年の私にことも話した。新しい契約にする事、従業員にならないで、日本に住む私とコンサルタント契約にする事、私は、リタイヤビザを取って、日本とインドネシアを適当な間隔で行ったり来たりする事、私からの貸付金は、毎月決まった金額をかえして、2,5年で、返済完了にする事、などを一応、決めた。12月後半から1月初旬には日本にいるが、インドネシアに戻って、直ちに。その準備を始める。

来年から、余り仕事をしないで、遊びが主体になる。それでも、日本での年金の他に、借金を返していただく毎月の収入があるし、もう一つ、他の会社に貸してあるお金を返してもらおうかと思っている。これからの交渉次第、何とか、まともになってほしい人がいる。そろそろ、そのことで動き始めた。
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ジャバベカ2のMACの近くの新しいホテル、並んでいる。40万Rpだそうです。先ほどの夕食ミーティングで、食べたソトアヤムのセット、クルプックの大きいやつがついてきた。ミーティングの結果は、思うように行かなかった。


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(^_-)-☆ルバイ [押出成形]

 2498 シンガポール向けのLEDチューブランプのカラーというか光の透過度の何種類かのサンプルを提出してきた。若きダイレクターの怠慢で、客先が怒ってしまって、私に何とかしてほしいと頼まれた代物でした。ダイレクター曰く、一つの指定された原料で試作をして届けるように頼まれたという。私はそれを信用して、その原料で製品を作って昨日届けた。すると、先方の担当者は、「顔料を混ぜて、その量を変えて何種類かの製品を提出してほしいと、ダイレクターに一週間以上前にメールしてあって、彼からも、13日の提出する」という返事が来ているという。 「しかし、13日の提出されなかったので、催促していたところだった」という。私は、それも知らない状態で、ダイレクターに今、顧客先とはどういう状態になっているのかと、16日になんとなく聞いてみたら、「一種類の指定原料でサンプルを出すことになっているが、その原料で、上手く製品ができていない」という。工場長も、「初めて経験するグレードで、上手くいかない」という。その原料のデータシートはチェックしての蚊、と聞いたら、していないという。「どんな原料かも知らずに、客先が指定したから、それでやるのか、できるかできないか、物性をチェックしないのか」、と、聞いたら、「やれと言われたからやっている」という。

17日の午前中にトライして、何とか製品を作った。どうも、原料の状態が変、ネットでそのグレードの物性をチェックしてみた。びっくり、インジェクション用の原料で溶融粘度が低い、これじゃ、上手くできないわけだ。
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それでも、何とか作って、サンプルを、昨日、持っていったら、先に書いたように、色々な配合で何種類かのサンプルを作ってもらって、シンガポールのお客さんに、どれがいいのか、判断をしてもらうつもりだったという。仕方がないから、明日の朝までまってほしいと、お願いし、早々、会社に戻って、何種類かのサンプルを作り、今朝、10時前という約束でKIICまで届けた。客先は、呆れてしまっていたが、「太田さんがいてくれて良かった、何とか、客先を怒らせばいですみそうだ」と。先ほど、夕方、シンガポールへ発送したそうだ。

ここ製品、原料の配合が決まっていないのに、既に、注文書が入っている。ダイレクター、一体何を考えているのでしょうか。私が「どうなっているのか」と、聞かなかったら、とんでもないことになっていただろうと思うが、彼は、どう思っているのだろうか。多分、何とも思わないと思う。

この話は、決して、ルバイではありません。

lebai(ルバイです、レバイではない)この単語を使える人はインドネシアの生活をエンジョイできる人です。意味を知っていますか。辞書に載っていますか、多分、載っていないでしょう。私は確かめたことがないので知りません。”大袈裟”、”オーバーアクション”、という意味ですね。
Jangan lebaiジャンガン ルバイ、大袈裟なことを言うな。大袈裟がね。Biasa sajayaと付け加えるのがビアサですね。私は、ジャンガン ルバイという歌を聞いて、意味をたずねて、知ったのでした。案外頻繁に使います、冗談交じりに使います。誰かが、ちょっと、大袈裟に、何かを言った時に、いいます。結構、受けます。歌のメロディのように言うと、なお、受ける。

ちょっとそれて、janganを辞書で調べると、そのすぐ上にjandaというのがあります。キャディーから教えられたことですが、ゴルフでボールがバンカーに入った時に、masuk lobang jandaマスク ロバン ジャンダ、そう言ってみてください。キャディーに受けますよ。
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炭カルのトラックを見て感激した。炭酸カルシウム、カルシウム カーボネートですね。タンマグとかタンカルは鉄棒を使う時の手につけますね。プラスチックに混ぜて、強度を上げたり、耐摩耗性を上げたりしますね。パラマウントベッドのサイドバンパーは、PPに30%の炭カルを混ぜてあります。余談の余談です、ステアリン酸カルシウムやバリュームは、スルリューの負荷を下げるための潤滑材としても使いますね。
  

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(^_-)-☆LEDチューブランプ [押出成形]

 2497 大変難しい。何が難しいか、原料の調合が大変難しい。色は白が基調だが、黄色み、青み、の要求が各社違う。LEDランプの見え具合が違う。ルックス(明るさ)が違う。そして、客先は、今まで輸入しているものと同じものを要求する。そして、原料を指定してくる場合が多。その指定された原料を使っても、同じものは100%出来ない。ということは、どういうことかというと、今までの製造会社は、指定原料を使わないで、他の原料を使って作っていたか、使っていたとしても、色々と、混ぜていたということです。それぞれは、注文者を満足させるために、よく言えば、色々、工夫をしていたのです。企業秘密というか、ノウハウの世界でしょう。そういう、技術がないと、対応できないのです。

そして、今、私がやっていることは、そういうことです。客先の要求を満たすために、色々やっているのです。色々とやらなければ、製品ができないのです。射出グレードを指定してくる会社もある。滅茶苦茶だ、今までの会社はようやったなと思う。
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先ほども、サンプルを提出してきた。シンガポールに輸出するのだそうだ。その客先が、どんな、明るさを求めているのかはっきりしないので、何種類かの顔料配合のサンプルを提出して、どの、配合がいいのか、選んでもらうのだそうだ。要するにランプメーカーも自社販売品の清算でなく、注文生産なら、いちいち、客先の要望に合わせるのです。

一社に大量に出すなら、面倒も少ないでしょうが、今のところ、各社、せいぜい、月、200kgくらいなので、原料購入も面倒。多品種少量の原料在庫の管理もしなければならない、全て、輸入だ。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage011.html
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0201.html

アメリカからのサンプルは、66ナイロン(ザイテル)だったが、上手く出来ずに6ナイロンでOKを貰って、エッジングやグロメットを完成させた、その前のテーマでした。
昔々ある時、今から45年ほど昔、エスカレーターが製造されはじまた頃の話、両脇の手摺、今と全く変わっていない形状、だから、その中も、変わっていないと思う。その中に、6ナイロンの二硫化モリブデン10%くらい入りの原料の馬蹄形の開いた方がほとんど閉じた状態の(脚の長さ10mmくらい、幅が7mmくらい)プロファイルが入っているはずです。東レCM1021が主原料でした。

当時の6Nは押出用がなく、溶融粘度が低すぎて、上手く引っ張る事が出来なかった。東レに頼んでも高粘度の原料を作ってくれない。ザイテルも試したがやはり粘度が低い。そこで、どうしたかというと、熱硬化性樹脂の液体のエポキシ樹脂を混ぜた。混ぜる量を変えてトライし、丁度いい溶融粘度の状態を作り出し、見事に製品化した。40数年過ぎたいまでも同じ会社で製造をしている。そこしか、今でも、信頼して製造を任せられる会社がないからである。多分、今でも、一時間に100mくらいの速度でしか出来ないと思う。

その数年後、ある後発ナイロン原料メーカーが、独立開業したばかりの太田化工に売り込みに来た。押出用の原料を作っていたが、既存のナイロンメーカーに勝つには、もっと、高粘度の原料を作ることを勧めた。私も当時、6Nを月数トン使っていたので、もっと、作りやすい原料を望んでいた。そこで、私の希望と後発会社の意欲が一致して、高粘度の原料を作ってくれた。その原料とは、一般正攻法の重合度を上げるために時間や圧力を掛けるのではなく、私が与えたヒント通りに、エポキシを適当量混ぜて、何種類かの何度の違いのあるグレードを作って販売した。この会社の販売数量が飛躍的に伸びた。私も、その後、毎月10トンほど、この高粘度6Nを消化した。
今でも、この原料は、メーカーが変わったが、同じ品番で売られている。


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(^_-)-☆気が効いた方法 [インドネシア]

 2496 インドネシア人への土産の話です。日本人には当てはまらないと思う話です。
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富山と山梨からの土産ですね。名物といえるのでしょうか、良くわかりません。持ってきてくれた方には、申し訳ないが、日本のお菓子類は過剰包装ですね。包み代が、かなりの%を占めているような気がする。こうしないと、何か、問題があるのでしょうね。インドネシアなら、ばらで売っている代物です。そして、また、申し訳ないが、インドネシア人好みの味ではないと思う。私の率直な気持ちです。日本人がインドネシア人のためにと、わざわざ、選んで持ってきた物の大半は、インドネシア人に取っては、そう好きではない。信玄餅は、非常に食べ難いし、インドネシアにも餅は、普通にいろいろな味付けで売っている。だから、美味しいとは思わない。しかし、美味しいと言ってくれるでしょう。

日本では高級っぽい、食べ物、特に、和菓子、「この菓子、高いぞ、高級和菓子だぞ、どうだ、うまいだろ」という意識は100%NGです。前にも書いているは、日本では、一包装、100円以下で売られているもの、駄菓子類です。これが一番喜ばれる。どら焼きは和菓子と言えるかどうか。これも、ばら売りの安い方が、インドネシア人に好まれる。ドラエモンが好きだということは有名、皆さん、一度は食べてみたいと思っている。安い、小さいものでいい、5個で200円くらいのものがいい。駄菓子屋で売っているどら焼きがいい。かっぱえびせんの類いもいい、インドネシアならクルプックだ。これは、日本人も喜ぶ、昔、食べた味だし、摘まみにもいいという。
もう一つの重要な、条件は、大勢の人に分けてあげられることです。

インドネネシアで何かを売りたい人へ
日本からのお客さん、私と同じとは言えないが、似たような仕事をしている人、インドネシアで販売したいと考えているようで、市場調査と販売の手伝いをしてくれるインドネシア人に接触しているようだ。グロドックに行ったことがないというので、是非とお勧めした。日本からインドネシアに輸出して何かを売りたい時には、まず、グロドックへ行ってみることです。どんな商品がどこから仕入れて売られているか、そして、うりたい商品に関しては、いくらで売られているか先ず知ってほしい。それだけでも、作戦を練る根拠になる。

とにかく、ここに何でも揃っている。ここになければ、インドネシアにない。ただし、ここになくても、注文すれば、輸入をしてくれる。最近は、リッポチカランやチビトゥン辺りに、支店が出てきているので、二三日待てるなら、グロドックまで行かなくても、品物は分かれば、グロドックから取り寄せてくれる。

 日本から何かを売りたい時には、先ず、グロドックへ、見本市などに出展するなら、なおの事、その前に、グロドックを見て置くことです。
 

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(^_-)-☆ホテル ココナッツオイル [インドネシア]

 2495 Whizというホテル、いつオープンしたのでしょうか、日本からの私を訪ねてきた人を、ゴルフを一緒にしようというというので迎えに行くためだった。朝5時過ぎ、ネットの地図をちらと確認してあった、そこのあるだろうと、思った場所に行ってみた。そこは、出来たばかりのかなり大規模なルコ群がある場所だった。イジップの裏口を右に見ながら、直ぐ先、そこの左に、パサールセントラルトイウショッピングモールとヒュンダイ工業団地の入り口を見ながら、その道の200mほど先の右側に、そのルコ群はある。その道を右折して入ることができた。入場は、まだ、無料の様だ。駐車チケット自動発券機がまだ作動していなかった。入ってそのホテルを捜したが、それらしきものがなかった。それどころか、これは、間違いだと、すぐ分かるほど、ほとんどまだ、入居をしていない閑散とした、ゴーストタウンの様相だ。
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そこを出ながら、右側を見ると、あった。右(南)にでて、100mほどのところをUターンして、50mほど戻り、そのホテルには行った。真新しい、きれいな、緑を基調にした建物、駐車場が一杯で、車から降りることができない状態でその人を待った。直ぐに、ロビーから出てきたので、5分もそこにいないで、出てきてしまった。中の様子は全然分からないままだった。ゴルフが終わって送ってきたときにも、前の道路で降ろしたので、この時も中の事は分からない。

夕方、食事を一緒にするために迎えに行った時には、ちょっと、ロビーの様子を見ようと思い、約束の時間より、5分ほど前に、今度は、ガラガラの駐車場に入り、ロビーに入って待つことができた。ラーメンの店と旅行案内所のようなものが目に入った程度だった。宿泊料を聞いたら、安い部屋で3000円くらい、安い。ちょっと、リッポチカランのメインの町並みから離れているので、ここから、歩いて行ってくることはできない場所ない。それで、安いのかもしれない。

とにかく、このリッポチカラン、ルコやホテルやアパートがどんどん建っている。大丈夫かなと思うほどだ。

夕食シティーヲークのインドネシア料理レストランで済まし、ファーマーズマーケットに行ってみたいと言うので行ってみた。私はついでに、他の日本人友人が盛んに、買って帰らなくちゃ、と言っていた。ココナッツオイルがあるか聞いてみた。あった、あった。1Lボトルを600円で二本買った。可燃物だから、日本に持って帰ることで出来るのかなと、ちょっと、思いながら。友人曰く、日本の家族から、テレビで、ボケ防止に効果があるという話が出てから、スーパーから消えてしまった。インドネシアなら一杯売っているでしょう。買って来て、ということらしい。
食料油だ。揚げ物油、サラダ油など、普通の油として使いながら摂取すればいいということか、Coconut Cooking Oilである。田舎へ行けば、道端でこのココナッツが山積みにされているのをよく見かける。これの中の白い部分を削ぐように切り取って、搾り、精製すれば抽出出来るのでしょう。価格は、なぜ、こうもちがうのかと思うほど、1L300~1000円と、安い、高いがあった。
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ボケに聞くというが、効いたかどうか、確認をどうしてしたのだろうか、疑問に思う。摂取した人としなかった人と比較したのでしょうか。ボケが進んでいる人に摂取してもらって、症状が改善したかどうか確認したのでしょうか。どちらも、確認方法としては、変ですよね。ボケが進んだ人には変だとか思えないでしょうが。それでも、聞くと聞けば、摂取したいと思う人が多いのでしょう。私の近くにもいますね。

先日買ったローヤルゼリーとココナッツオイルを毎日、5ccくらいずつ飲んだら、私の頭や体はどんなことになってしまうのでしょうか。ちょっと、やってみたい気がする。

とにかく今日のゴルフは疲れた。認知症の特効薬ではなく、疲労解消の特効薬や効く食料品を紹介してほしい、


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(^_-)-☆ルアル ビアサ [インドネシア]

 2494 ちょっと、インドネシア語教室、biasaについて、一般的基本形は形容詞ですね。“普通の”、“並みの”“一般的な”など、名詞の後ろにつけます。インドネシア語の場合、基本語が形容詞なら、前にke後ろにanをつければ、名詞になります。“習慣”です。Itu kebiasanya“それは、習慣だよ”、という意味です。
前にmemやmenやmemperなどをつけて、後ろにkanをつければ、他動詞になる場合が多い。この場合はmembiasakanで“習慣にする”、とか、“慣れるようにする”、になる。

一番良く使うのは。luar biasaですね。褒め言葉として使う場合が多い。他人が、したことや、他人の状態で、第三者に言われて、大体、良い気分になります。“普通の外“ですが、悪い方では無く、良い方に使います。”素晴らしいね”“凄いね”「ル~~アルビアサ」と、ル~~を強くいうのが、最大のほめ方になります。Cantik Lu~ar biasaと言ってやれば、terima kasih banyakと回りの聞いた女性は皆さん、いいます。ゴルフのナイスショットの時も、キャディーがLu~ar biasaと言ってやると、本人、自分にとっては、普通だよ、と思っている時には、biasayaという。すると、キャディーは、sombongyaという。冗談の会話になる。
同じ意味でbiasa di luarと、いう人もいる。
次に良く使うのは、biasanyaでしょうか。“普通は~する”“いつもなら~だよ”です。

seperti biasaは、“いつもの通り~してね“、“いつものように~だよ“

biasa saja,他の人から、何か、元気がないとか、どうかしたのか、などと、聞かれた時に、普通を強調するいい方です。 別の状態で、誰かが、普通ではない状態の時、声が大きかったり、急いでいたりすると、”そんなに~しなくてもいいよ”とう意味で使います。興奮している時に、なだめる意味で使います。

インドネシアではパンクは、いつもの事、珍しくないという意味で、ビアサのパンク、でした。
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雨季に入って間のない時期の日差しは格別、強い、雨で空気が洗われて、紫外線を遮る塵が無くなっているためである。青空と白い積乱雲と今に雨が落ちてきそうな黒くは、南国の典型的なコントラストだと思う。
Biasanya seperti iniである。
 

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(^_-)-☆遠回りがなお遠く [インドネシア]

 2493 HDPEの角棒について、固化押出しができないので、中に穴を開けて、角パイプなら出来ると返事をし、それでもいいからということで、作ることになった。とにかく、角棒を輸入したり、厚板を輸入し、一定の幅に切って角棒にしたりするという方法でやっていたが、高すぎて、客先から何とかならないかと注文をつけられていたそうだ。それはそうでしょう。こちらからだした見積もりが、今までの方法でやっていたものの半値以下だと、喜ばれた。 そして、すぐに金型の注文が入って、現在試作を重ねている。
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最初の出来そこないです。穴がふさがってしまっている。角に近くはなっているが、角棒と言えるかどうか、エッジがなかなか難しい、アールになってしまう。平面を平面のまま、金型を作ると凹んでしまう。そのへこみ具合を見ながら、平面から膨らませて行くと製品のへこみが、平面に近づく、当たり前の作業だが、単純ではない。なかなか、平らにはならない。昨日、二回目のダンプルを提出した。OKになってくれることを願うばかりだが、私としては、満足していない。これは、近道がない。
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インドネシアにはこういう遮閉道路が実に多い、この場所は、ジャバベカ2のゲート付近です。数年前までは、直進と左折の三叉路だった。ところが、真っ直ぐ行けなくし、左に行かなければならなくした。左に曲がって100mほど行くと、ロータリーがあって、そこもUターンするような形で、先ほどの直進を塞がれた向こうまで戻って来て左折すれば、遠回りだが、先ほどの場所を直進したと同じことになる。
ところが、である、三年ほど前から、ロータリーを回って戻る道が塞がれ、270度回って左折し、また、ずっとむこう500mくらい先のUターン場所まで行って戻ってきて、ロータリーを右に見ながら、左折して、一番最初左折して直進できなかった場所に戻ってくる。結局、直進なら0mのところを、今は、1,2kmほど遠回りする。時間は平均7~8分掛かる。燃料も勿体ない。

実に、こういう道が多い。チカランバラットのゲートから出て、南に向かう道は中央分離帯があるのし車線道路、以前は、イジップの入り口(左折すればイジップの工業団地に入るが、今は左折できないので、入り口とは言えないかもしれない)のロータリー(10数年前はルータリーだった)があった場所まで、途中にUターン場所が4か所あって、対向車線に入って反対方向の戻ることができたが、今は、全て塞がれていて、Uターン場所かイジップの入り口まで2Kmほど行かなければならなくなった上に、ここも、直進も右折も出来なくなり、自然に左折させられ、500m先のUターン場所まで行って戻ってきて、ロータリー後まで来て直進ならイジップに入るし、左折なら、先ほど左折させられた場所を直進したと同じ事になる。

ややこしいが分かったでしょうか、ネットのマップで、確認したしたい人は確認をしてください。
インドネシアは“急がば回れ”ではなく、“急いでいても回れ”である。
  

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(^_-)-☆ビアサのパンク [インドネシア]

 2492 Biasa ban kempes今朝 家を出る時には何ともなかった、車のタイヤ、30分ほど走って、会社についた時に、右後ろのタイヤがぺしゃんこだった。気が付かなかった。いつパンクしたのだろうか。直ぐに修理をしたが、釘が刺さっていた。まさか、ではなく、またか、という感じ。この一年で二回目、私がインドネシアで運転を15年以上しているが、パンクは数えきれない。中には、駐車中に、わざとナイフで傷付けられたというのもある。

Tambal banタンバル バンと書いてるパンク修理屋が、道端に次々とある。エアーコンプレッサーが置いてあれば、看板が見えなくても、そこがそうです。それだけ、商売になるのです。パンク修理をして、走り出して500mも行かない間に、他のタイヤがパンクしたこともある。

ジャカルタでは、ジャカルタに限らないか、ボランティアでやっている人もいるが、磁石を引きずって釘などの鉄類を集めている人の事がニュースになる。その成果というか、かなりの量がくっつく、商売になるのでしょう。逆に、わざと、釘をばらまくやつもいるとか。とにかくインドネシアの道路は、どこでも、路肩は特に釘が落ちているので、路肩を走らない方がいい事は分かっているが、渋滞の時には、どうしても、路肩走行をしてしまう。
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こんなバイクもパンクしやすいと思う。100kg以上、ジャイヤンタイプでドラエモンのヘルメットをかぶっている。

釘で開いた穴の修理は簡単だ。先ず、穴の場所見つけるには、空気を入れて、水の中で回せば、穴の位置が分かる。そこに、長さが5cmくらいで太さが5mmくらいのゴムを二つ折りにして、その真ん中から、穴にねじ込む。しばらくそのままにしていて、中に入りきっていないゴムを切る。空気が漏れないか、他にも穴があるかチェックして終わり。パンクしたタイヤをそのままで、修理屋へ行った場合、タイヤを外して、取りつけ終わるまで、15分も掛からない。料金はタイヤ一個、2万ルピア(180円くらい)。勿論、普通は、予備タイヤと交換して行く。
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昼食は、会社の近くのカキリマから出前のミーウドゥックでした、8000(70円くらい)Rpです。センドッとガルプ(スプーンとフォーク)、鋭利でしょ。ペラペラで、スプーンうあフォーク曲げの超能力を見せ安い。
 

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(^_-)-☆ベースアップ要求 [インドネシア]

 2491 19日まで、各工業団地主体に、頻繁にデモが行われるという情報が入っている。政府の来年の最低賃金上げの計算が気にいらないのです。根拠はどうでもいいから、25%アップを、確保したいと言っているらしい。金土日曜日はやらないと思う。
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今日のジャバベカ2は、どうかというと、10時前に、ピントゥ2に向かった時に、丁度、マテルの前をバイクデモが通過していた。デモ、今のインドネシアのデモは、バイクデモがほとんど、歩くと疲れるから、だそうだ。だから、通過が速い、そして、広範囲を走り回る。出くわしても、5分も待っていれば、行ってしまう。そして、方向が同じ時には、追い抜くことはできないが、デモの速度に合わせていればいい。しばらくすれば、方向が分かれる。
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バイクを持っていない人は、ほとんど参加できない、バイクに何人乗りかで参加するしかない。
工業団地の外の一般道路の場合は、彼等は、工業団地から工業団地への移動なので、おとなしい。片側二車線なら、中央寄り車線をバイクデモは行くので、左車線は、スムーズに走ることができる場合が多い。

スルヤチプタに午後3時ごろ行ったが、この地方はその時間、デモの気配は、全くなかった。警察も機動隊もいなかった。ミトゥラ カラワンの方も、何もなかったようだ。明日、来るのではないかと、訪問した会社の人はいいていた。

要求の根拠など、どうでもいい。インフレ率とGDPの増加率から、最低賃金のアップ率を計算すると。5%程度のアップになるという、労働省の案が提示されているが、こんな5%程度では、とんでもない、とにかく25%上げよという要求だ。各組合の執行部にしてみれば、上納金というか、組合費の収入アップが狙いで、組合員と労働者に収入を上げたいのでしょう。逆に従業員の数を減らされる事を考えていない。各社とも、製造に自動化を進めている。ということで、今日、訪問した会社のある作業の自動化を考えてみてほしいと頼まれた。押出成型の事ではないが、考えてみようと思う。他の仕事にも応用が聞くからだ。

今朝、ある人にメールで修正をお願いした。まだ、回答がない。今週待って、次のアクションを起こす。
 

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(^_-)-☆呼び出し好き [インドネシア]

 2490 ジャカルタ方面から既に充分なMacetマチェッ、ボゴールからもマチェッ、マチェッとマチェッが合流、ここは8車線ほどの広さ、一杯一杯詰まっている。
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これが、この先、ブカシバラット辺りで路4車線になる。私が助手席に座って、会社の運転手が運転している。斜め前に入ってきた車の後ろ左端に接触した、黒い車のその部分が、白くなっているのが見える。接触事故があった。私はこちらの方が悪いと思うのだが、その車、何ともなかったように前を走っている、渋滞に中なので、ずっと1kmほど、ついて行っていたが、その内、途中の出口から出て行ってしまった。こんなものでしょうか。ぶっつけられた車の運転手、見えないので、どんな人か分からない。その人の方が、事態を心配していたのかもしれない。

何日何時に来てください、と、頻繁に呼び出す会社がある。その会社へ行ってきた。言ってみれば、見積もりの金額が高い、下げてほしいということだけ。このために、私とダイレクターが出かけた。私が行ったのは、ダイレクターから、新製品の技術的な話をしたいからと言っているから、一緒に行って欲しいと言われたからでした。行ってみれば、私が行く必要などなかった。そのうえ、ダイレクターも行く必要は無かった。電話かメールで充分の話だ。行きが1時間、帰りが1時間半、先方にいたのが30分、その内、またされたのが20分。打合せは10分でした。

この会社、頻繁に呼び出す。メールで呼び出す。今日の見積もり訂正の新製品(現行品のデザイン変更)、これの見積もり依頼の時も、呼び出された。図面を送ってもらえれば、見積もりは出来る。わざわざ、呼び出される必要は無い。呼び出しのメールを書く時に、図面を送って、見積もりを依頼すればいいのにと、思う。

ダイレクターと工場長、頻繁にその会社へ出かけて行く、それが、全て、10分も、向こうにいない、という。話の内容はと聞くと、担当者が変わったので、挨拶とか、納品の時間帯や回数が変わったとか、寸法公差の変更依頼で、0.1mm隙間を広げてほしいとか、全く、行く必要がないことばかりだそうだ。それでも、大切なお客さん、呼び出されれば、出かけて行く。


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(^_-)-☆詰まった道路 [インドネシア]

 2489 疲れていたのだろう、21時前に寝てしまった。
HDPE角棒のトライ、前回は、失敗、外側の面が凹んでしまって、機能的に問題は無いが、見てくれで、NGだった。金型を改良した、つもりだった。しかし、今回も失敗した。改良が中途半端だったのでした。と思う。そして、また、金型屋に改良をお願いしに行ってきた。

場所は、チビトゥンとチカランの中間、ジャラン ラヤにある。行く時には、ジャバベカ2から出てジャバベカ1に入る。ジャバベカ1を北に進み、北の端のピントゥ(出入り口)から出て、ジャラン ラヤにはいる。西(チビトゥン方面)に一方通行を行くと、直ぐ左側に目的の会社はある。この会社なの入り口が狭くて5mくらい道から入っているので、前を見ていては、通り過ぎてしまう。その手前、50mくらいから最徐行をして、左を注意してみていなければかならないことは、分かっている。しかし、今日は、何を考えていたのだろうか、気がついた時には、既に通り過ぎてしまっていた。もう、もどれない。500m先でユーターンし、戻ってきて、この工場を右に見ながら、通り過ぎ、200先で、ユーターンして、今度は、しっかり、工場に入った。この道、やっと、コンクリート舗装が終わって、流れは、順調だったので良かった。

そこで、改造の依頼をして、さて、会社に帰る。どの道を選ぼうか、迷う。いくつかの方法は有るが、今日は、ジャラン カリマランを東に行くことにした。工場を出て、西に向かい、先ほどユーターンしたところを通り過ぎて、100mほど行ったところを左折(南)してMM2100の東ゲートの方に向かう。案外順調な時が多いのでこの道を選んだ。ところが今日は、違った。この道カリマランまで500mほどの距離、入った途端に車が進まない。結局、ジャラン カリマランに出るのに、1時間掛かった。道の右側沿いに穴を掘って、コンクリートパイプを埋める作業をしている。20m間隔で、縦の穴を掘り、そこから土を掘り出しているのです。その場所が狭くなっているために、大型の車はすれ違うことができない、何か所かに、交通整理員がいて、仕切っているが、従う人は少ない、一旦、詰まってしまうと、もう、少しずつ、どちらかが、移動して、通過できるようになるまでまたなければならない、その上、バイクが、ちょっとでも隙間ができれば、対向車線らしき方まで、楔を打ち込むように、詰めてしまう。
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インドネシアは、工事中の道はこうなる事が普通で、交互通行という、方法を知らない。譲り合うことを知らない。とにかく、競り合いが好きらしい。私は、この道に入って、10分もして10mほど進んだ時に、もう、諦めた。動くまで、エンジンを切った。

結局、行きは30分、帰りは、2時間かかった。他の道を選んでいれば良かったと、後で、思うことが多いのが、インドネシアの道路事情だ。雨季に入り、こう思う這い数が多くなる。
  

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(^_-)-☆食事スタイル [インドネシア]

 2488 昨日は、工場の中にいて、雨が降ったのが、気が付かなかった。帰る時に知った。今日は、ゴルフを午前中やって、午後は、皆さんと食事、家に帰って、掃除洗濯、そして、洗濯機を回している間に、強風が吹いてきて、にわかに、辺りが暗くなり、遠くで雷鳴がした。洗った物を干し終わった夕方5時ごろ、本当に、久しぶりの雨の音を聞いた。テレビの音が消されるほどの豪雨になった。雨季ですね。来ましたね。山火事、煙害の乾季から、洪水の雨季なりましたね。早速、ボゴールで河川の氾濫による洪水のニュースが入ってきました。崖崩れで犠牲者も出た。ジャカルタでは各地で街路樹が倒れて道路を塞いでいる。今、22時を回ったが、まだ、雨はやまない。

フォークとスプーン 今さらだが、インドネシアの食事スタイルは、床に胡坐をかいて坐り、右手で食べる、です。これが、基本です。今でも、多分、人口の半分以上は、このままです。だから、ジャカルタや大都会のレストランやホテルでも、食事場所の隅に、食事の前後に手を洗うための手洗い場があります。洒落たレストランなら、フィンガーボールを出します。
 イスラムは、左手は不浄として、使わないのが原則で、食事は勿論、手を上げて挨拶する時、人を招く時も右手を使うといいます。しかし、見ていると、食事の時、ほとんどすべての人が両手を使っています。そりゃそうでしょ、右手だけでは、千切る事ができないし、大きいものにかぶりつく時でも、右手だけでは不安定です。左手も使うのが自然です。それで、いちいち、文句を言う人はいない。要するにお尻を拭いたり、汚いものを触る時には左を使うから、普段は右手だけを使いなさい、ということらしいが、全く、現実的ではないので、どうでも、いいことになっている。と、私は思う。

 さて、多くのレストランやワルン、カキリマでも、両手で食べる人は、必要ないが、最近は、スプーンとフォーク(sendok dan garpu、センドックとガルプ)を出す。洋食のようなナイフとフォークではないのが、特徴。とにかく、ナイフは出てこない、箸は、頼むとだしてくれるところはありが、道端のテントレストランやその類いはナイフを全く備えていない。

スプーンが必要なのは、ソトやソプ(スープ類)が多いし、また、それをご飯に掛けたり、(日本で言う猫飯)、逆にご飯をスープに中に入れたりして食べるからだ。もう一つ、スプーンの大きな役割があります。ナイフの役目です。インドネシアのスプーンもフォークも薄くて、面取りがしてないのです。だから、よく切れます。だから、ナイフはいらないのです。ただし、口や指を切らないように注意してください。
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91歳の蜂蜜売りです。とてもそうは見えないが、それを証明するように。必ず、日本軍とオランダの戦いの話をする。ローヤルゼリーの600mlボトルを一本1800円で、二本買った。高いのか安いのか知らない。日本へ土産です。この人に、あげる。左は普通の蜂蜜。どんな効果があるのか、どんなに味方?摂取の仕方があるのか知らない、知りたければ、ネットで調べればいいのだが。
 

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(^_-)-☆この人へ [人]

 2487 インドネシアで仕事をしている時には、日本へ帰るのは、年平均2、5回、合計で50日間くらいだ。そして、冬の寒い時と、夏の暑い時が多い。私の部屋は、自分であると思っていて、帰れば、その部屋に落ち着く、南の庭に面した明るい広い部屋だ。畳一畳の掘り炬燵が真ん中にあり、冬は、勿論、炬燵として使うが、その他の時期には、単なる机として使う、北側の襖の向こうが台所と食堂になっていて、その食堂は、孫たちの勉強部屋にもなっている。襖を開けておけば、それらの全てが見通せる。しかし、私が部屋にいる時には、きっちり締めて置く場合が多い。というのは、開けておくと、私の部屋の温度を私が思うように保てないからだ。夏は暑すぎるから、冷房を利かす、冬は寒すぎるから、暖房を利かす。開けておくと、その効果を保てないからだ。
だから、ご飯だよと、呼ばれて、襖を開けると、冬は寒すぎるし、夏は暑すぎる。そちらの部屋も私と同じように調整してくれればいいのだが、意見は平行線、私がこの点では孤立状態。

私が外に出かけると、私の部屋の温度を他の部屋と同じにしてしまう。空気を入れ替えると言って、襖も窓の開放してしまうからだ。帰ってきて、部屋に入ると、周りの開けてある全てを閉じて、エアコンをオンにする。冬はコタツもオンにする。冬は、水蒸気発生装置もオンにする。嫌がられる。

12月中旬から帰るが、脛に赤い斑点が出来てしまう。オロナインやメンタムを塗っても、あまり効果がない。ということで、私の部屋の中の状態は、私が望むようにしたいので、協力してほしい。
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一週間ほど前に、ジャカルタは雨季に入ったと、気象庁から、宣言があった。しかし、今週のチカランは全く雨が降らなかった。そして、今日、先ほど、15時ごろから30分ほどスコールがあった。久しぶりに雨音を聞いた。工場からの帰りが16時過ぎ、雨はとっくに止んでいたが、水たまりがあちこちに出来ていた。水捌けが悪いから、当たり前だが、間もなく、これがもっとひどくなった、渋滞も酷くなる。
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カキリマで買ったブンクスのソトサピとご飯、25000Rpです。これが、例えば、ジャバベカゴルフのレスタランなら、税も足されて、80000Rpになる。そして、にはカキリマの味の方があっていて、美味しい。
 

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(^_-)-☆この人の [人]

 2486 癌で胃の摘出手術を受けた後、仲人をいくつか二人で務め、社長を辞め、弐年半ほど準備期間があったが、1996年、52才半ばで、この家から、そして、日本から出た。インドネシアへきてしまった。娘は海外勤務、妻は、静岡市内の学校に勤めている時でした。妻を一人残して、単身赴任、断続的に日本にいたこともあるが、今になって、足掛け19年、実質は17年くらいだと思う。

暮れ正月の2週間ほどは、毎年欠かさず、日本にいた。インドネシアで正月を迎えたことは、一度もない。新年は必ず、身内の集まりにいるようにした。結婚前から、クリスマスイブの仕事帰りにケーキ屋に寄って、買うのは、モンブランに決まっていた。今でも欠かさない。当時は50円だったが、今では250円もする。昔も今も高いと思いながら買う。これも、欠かしたことは無い。そして、スイスからフランスに入り、シャモニー、エギーユ・デュ・ミディから本物のモンブランを眺めに連れて行ったのは結婚して12年後だったと思う。
正月は、身内が集まった時に、インドネシアであまり食べられないので、私の気持ちを込めて、寿司の大盤振る舞いをする。

妻は7年前に中田小を最後に退職し、二年間ほど、天下り的にどこかの図書館の職員をしていたが、そちらも辞めて、完全な年金生活に入っている。しかし、歩いて5分もかからない地元の長田西小でも教鞭を取っていたことがあって、地元ではかなり知られた存在になっているし、今では、孫が、時々、その小学校に通っているし、また、本人、何かと世話をするのが嫌いではないし、町内や学区の催しには引っ張られるし、役員もいくつかやっているようだし、その上、染め物とか生け花とか、家庭菜園とか、趣味のようなものも熱心にやっている。体の具合も、万全というわけではないが、寝込むようなことはないらしい。私も土曜、日曜教室などの準備を手伝わされることがある。

娘がドイツで結婚してからは、日本から、インドネシアから、ドイツの家に何回か行っている。向こうで、妻とも合流する。そして、ドイツ各地やオーストリア、スイスは、婿殿や孫と一緒の旅のコースになっていた。昔、訪れたことがある場所が多かったが、孫が一緒なら、また、別格だった。三世代で、フィルストまでハイキングなんて、思ってもみなかった。サンモリッツからイタリアのティラノ散策も、フランクフルトでソーセージをほおばったことも、全て、記憶に仕舞いこんである。ほとんど、夢の中にいるようだった。
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太田化工のカレンダーを毎年、貰ってくるが、それに妻の予定がびっしり書き込んである。私はゴルフの日を書き込むだけ。私が偶に帰った時でも、家にいないことが多く、私が、留守番役になる。それでも、最近は、孫の世話も加わって、非常に忙しい様子で、私に手伝いのために、そろそろ、帰って来てほしいようなことをほのめかすようになった。私も、そろそろかな、と思って、来年の二月からは、日本主体の生活にすると決めている。その事を話してある。ゴルフの予約のための帰国日程を、先日、会長に送ったついでに、二月からの予定も伝えた。

パニック障害に掛かって、日本での一カ月間、非常に困惑した日々が続いた。どうなってしまうのだろうかと。その時、老後は二人揃って暮らす期間が長い方がいいと思った。出来ると思う。

気の赴くまま、結構、自由に生きさせてもらったこれまで、私のような、人生を過ごす人は少ないと思う。自分の性格や能力もさることながら、自由にさせてくれたこの人に、大感謝。
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妻は出かけて行っていない、冬の日だまりの縁側で、ぼやっと、庭を眺めている、将来の自分を想像する。


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 2485 子供が小学校卒業時期に合わせて、長泉の田舎から、家族で静岡に引っ越そうと考え、先ず、敷地が50坪ほどの丸子の中古住宅を手に入れた。家の前は100坪ほどだったが田んぼが、まだ残っていた。1982年、私も40歳前、静岡に引っ越した。子供は近くの中学校、妻は、先ず、どこだったか、静岡市の北の方の麻機(あさばた)小学校だったと思う。一時期、ちょっとここを離れたが、直ぐ戻って、現在に至っている。

お互いに、それぞれで忙しかったが、別に不満がなかった。転居も多かったが、それはそれで、発展的だったと思っていた。夏の家族3人の旅は恒例だった。海外にも多く出かけた。娘が小学校に入ったころから、国内旅行、山陰地方、北海道や沖縄、星の砂の与論島、そして、“坂の上の雲“の松山地方など、4年の時に、初めて海外へ、香港、広州、桂林、次の年は、シンガポールだったか、その次は、スイス2年連続、山歩き、その次が北欧三国とデンマーク、それから、モスクワ、ポーランド、東ドイツ、この年の10月に壁が崩壊した。直前のブランデンブルク門やポイントチャーリーを東西から見た。家族3人で自由行動、毎年の夏が楽しみだった。二人にとっても、良い思い出になったと思う。こういうことが、娘がその後、ヨーロッパ滞在のツアーコンダクターになった要因の一つだったと思う。ブロンズの髪の孫がいる遠因にもなっている。

バブルの真っただ中、仕事は求めなくても入ってきた。値下げなど言ってくる客先は一軒もない。儲かってしょうがない時期でした。しかし、私は、リクルートという雑誌に、将来の社長募集というコピーで広告を出した。1983年には、大卒工学部を出た人を3人入社させ、条件は、この3人の内、誰かを10年後に社長にする。と宣言した。その後も仕事は増える一方、貸し工場から自前の工場に移った。それが、今の場所である。それでも、パートの女性約20人を含めて、全員で30名の規模だった。毎年、社員海外旅行を敢行した。スキーや食事会を全額補助で、希望者で実施した。大崩海岸の松風閣で忘年会も恒例だった。

家の方はというと、妻も中堅の教師、子供は、高校、大学(東京に下宿)と進学、波風なしの安定期、中古住宅を新築に立て替えた。土地も目の前にあった田んぼを購入し、150坪くらいになった。土地建物の名義は妻と半々にした。妻もそれなりの収入があったので、何の問題もなかった。それが、今の家である。既に築25年になるが、未だに、そう、古くは見えない。ここが、“終の棲家”になるだろう。100坪の庭の3分の1は妻の趣味の家庭菜園にしている。趣味だが、上手ではないと思う。出来あがった野菜は、食べさせられるが、姿形は今イチだし、味もいまイチ、近所の人も配られても、困ってしまうのではないかと思う。偶に学校の子供が収穫を手伝いに来て、持って帰って行った。今でも、続けている。さつま芋、ジャガイモは、保存してあるので、いつ帰っても、それを食べさせられる。庭の次郎柿は、私が楽しみ、熟柿が大好き。石和から送ってくる山梨のコロ柿が好きだ。

娘は、長泉町の田舎から、静岡市に移動し、東京の青山へ、そして、ヨーロッパへと家から遠くなっていた、そして、今は、孫と静岡の家にいることが多くなった。
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毎年恒例のプラスチック、ゴムの国際見本市の広告、18~21NOVジャカルタ クマヨランの見本市会場です。最初に二回ほど出かけたが、ずっと、いっていない。押出は、日本も同じだが、出展が極端に少ないから、行く意味がないし、こちらが教えてやりたいくらいで、私が得るものは何もない。
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ジャカルタ方面のヘイズ、太陽が赤くぼやけている。
 

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(^_-)-☆この人が [人]

 2484 労働組合の仕事の中で、雇用促進住宅制度を使って、社宅を建てもらった。2年後、社宅の入居者、第一号で、建ったばかりの社宅に入った。会社の敷地内だったので、妻の学校は遠くなってしまった。保育園も変わった。私がほとんど、子供の送り迎えをするようになった。近所の世話好きの、奥さんに面倒を見ていただくこともあった。社宅に入ったのが1号なら、出てしまったのも1号でした。結婚して、二年半後には、20年ローンで2300万円の分譲住宅を購入、そちらに移ってしまった。長泉北小学校の丘の下でした。
仕事は、日本にはまだないという製品を次々に完成したし、その頃初めて登場した樹脂を色々な製品を試すこともした。原料メーカーから、日本で新しく売り出そうとする樹脂で、どんな製品ができるか、丸棒や板やチューブを作ってみてほしいという依頼が次々と入ってきていたのです。今では聞かない、GL樹脂や名前は忘れたが水に溶ける樹脂、PA11,12,などなどでした。EVAやPA6,10それにガラス繊維や炭素繊維で強化した樹脂も、だった。いたずらで、PAとPCを混ぜて真珠のような光沢の板も作ってみた。今で言う、アロイです。当時は、その言葉は無かった。
公私ともに充実とはこのことか、そして、幸い、日本にいる間、ずっと、何もかも上手くいきすぎていたと、今になって、思う。体力的に良く持つなと言われたり、凄い努力だな、と、いってくれる人が多かったが、自信は、努力をしていなかったし、体力もあまり使っているとは思っていなかった。流れるままに行動していた。

その長泉北小学校に子供が入学した。学校まで丘を上って5分くらいの近い場所、妻の学校もその学校の時があって、随分、家庭での忙しさは少なくなった。ただし、授業参観や運動会など学校の行事には私が参加した。卒業式も私でした。
 結婚して、三年足らずの時に会社を止めた、そして、資金稼ぎのために、夜勤専門12時間(18時から6時)の仕事を1年半やった。フジプラ精工でした。給料は当時、破格の月20万円稼いだ。その時期は、案外、家の仕事の分担は、上手くいった。子供の送り迎えは。全面的に私がした。
そして、沼津の志下シゲという干物の産地の真っただ中の50坪の貸し工場で太田化工という会社を立ち上げた。それからが、また、順調過ぎて大変、仕事は増えるし、納品時間を含めて、朝、6時前には家を出て、家に帰って来るのは12時を回っていることが多かった。最初は1ラインからだったが、3年後には3ラインになっていた。装置の償却を特別50%にしても、月600万円売りあげて、200万円の利益だった。それは、それでいいのだが、沼津の工場は狭くなってしまったので、どこか新工場をと考えていた時に、親がいる静岡にもそろそろ、戻らなければならないと思うようになっていた。そして、用宗港の脇の貸し工場に本社工場を移した。子供が小学校の5年になったころでした。私は、1日おきに、車で通勤、安西と下長窪、交互に寝泊りした。沼津の仕事はそのままに、静岡で新しい仕事も増やした。東プラ時代に手伝った北川工業や南部化成、地元の葵プラスチックなど直接取引も始まった。東京や名古屋の電材屋さんからも頼まれた。V0-PPやVO-PAのプロファイルは、日本で初めてだったと思う。

 私と入ったばかりの男性とパートのおばさん3人で2ラインを稼働していた。ある日、30m/分で引っ張っていた製品のベルトに左の親。人指し、中指を挟まれた、隙間は2mmほど、慌てて、引っ張ってしまった。親指の爪がついている部分が千切れてしまった。左手を頭に載せて運転して近くの外科医に飛び込んだ。直ぐに、離れた指先を縫い付けて貰った。爪を取って縫ったので、しっかり、爪があった側を間違いないように練ってほしいと頼んだ。二週間ほどして、ちゃんと、上から爪が出てきた。人指し、中指も裂けた場所を10針ほど縫って閉じた。

入院して一週間ほど点滴をしなさいと言われたが、三日ほど、点滴に通うという条件で入院しなかった。包帯をぐるグル巻きにしながら、休まず仕事をした。しかし、何日間は痛かった。痛くて眠れない日もあった。包帯は水浸し、通院で、医者に叱られた、膿んでも知らないよと。そのための点滴でしょ、と、言い返した。十日後には、抜糸、その後は、仕事に差し支えるので包帯もしなかった。私は、その方が、直りが早いと思っていた。妻は呆れるばかり。
この人がいたから、独立開業ができたし、静岡に通うこともできた。お陰さまでというところでしょうか。
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カリマラン川沿いの道、ジャラン カリマランからの名物景色、ゴミの焼却とテンパッ マンディ(トイレ兼水浴場)です。車の免許証発行所の近くでもこんな様子です。


バリ島、ウングラライ空港閉鎖
10月25日に噴火したリンジャニ山の火口湖の中のバルジャリとい山(リンジャニの子供)、活発な活動が続いている。バリ ロンボック バニュワンギの空港が閉鎖されている。バリに行く予定の方は現地の情報に注意ですね。
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http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/pageo407.html
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/page0406.html
Gunung Barujari dengan ketinggian 2.296 - 2376 meter dari permukaan laut (mdpl) dan berada di sisi timur kaldera Gunung Rinjani, meletus hari ini sekitar pukul 10.45 WITA, dan hingga saat ini masih mengeluarkan asap dan debu dalam skala kecil.
Diperkirakan, hingga Kamis 5 November ada 3 bandara yang masih ditutup akibat erupsi anak Gunung Rinjani. "Sehingga diperkirakan sampai besok pagi ada 3 Bandara ditutup yaitu Ngurah Rai Bali, Selaparang Lombok (bukan Lombok Praya), dan Banyuwangi," tutup Brata.
こちらは東ジャワの6月から8月にかけてのラウンという山の噴火の事です。この時もこの辺りの空港が閉鎖された。現在の閉鎖は、こちらが原因ではない。ブロモ山も関係なし。
Badan Nasional Penanggulangan Bencana (BNPB) menyebutkan aktivitas vulkanik Gunung Raung di Jawa Timur sudah semakin menurun sejak beberapa hari terakhir.

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(^_-)-☆この人と [人]

 2483 文化の日 日本国憲法が公布された日でした。戦前は明治節 明治天の誕生日でした。日本国憲法に施行日を5月1日にしようとしたが、メーデーなので、施行の日としてはまずいと考え、5月3日とした。憲法記念日になった。その半年前の11月3日を公布日とした。明治節と重なって休日だったので、文化の日ということにした。5月5日の施行にしたいという説もあったが、端午の節句だったので、中間の3日にしたらしい。

ですが、私の誕生日は2日、その日は、まだ、明治節の一日前、なぜ、私の誕生日を一日遅らせて、明治天皇と同じ3日で届けなかったのか、子供の頃、両親に不満を言ったことがあった。その時は、文化の日にしなかったのかと,言った。父親は、お前の誕生日の次の日が必ず休みになるからいいだろう、と言っていた。私は、休みの日になり、文化の日、生まれが、自分にふさわしいと思っていたからだ。

5月1日メーデーが、施行日にまずいということは分かるが、2日にしなかったのだろうか。そうすれば、明治節と公布日が重ならなかったのに。
http://otaenplaext.net/newpage89.html

静岡県東部の長泉町という所に、フジプラ精工の塩崎さんが世話をしてくれた借家で新婚生活をスタートさせた。この人は、横浜の学校まで通った。毎朝、毎晩三島駅まで送り迎え、日曜日に農協のスーパーに一週間分の食料品や菓子類を買い出しに行く、当時は、まだ、共稼ぎという夫婦はそういなかった。大きなカート一杯に一週間分買う人は私達しかいなかった時代でした。1週間分で4000円でした。私たちの給料は合計8万円くらいでした。家賃が2万円、結構、スタートから余裕がある生活ではあったが、時間的には厳しかった。
この人、翌年の三月まで、横浜の学校に通ったが、その年の夏に、静岡の教員採用試験を受け、合格し、4月から、地元の長泉南小へ赴任した。夏の採用試験の時には静岡の県庁まで行って、面接試験を受けた、既に,大きなお腹を抱えてだった。私が当然、送り迎え付添いでした。良く、うかったなと思った。横浜の小学校の校長先生からの強力なコネがあったからだと思う。その後もこの先生とはずっとお付き合いがあった。

子供が生まれたばかりの3月末には、学校勤務がはじまった。私も仕事が忙しい、3交替から抜け出して、押出部門のトップになっていたので、出張も多くなっていたし、早く帰ってしまうわけにもいかなくなっていた。それでも、近所の家に子供を預けたり、静岡の私の実家に預けたり、あちこち、たらい回しにして、生まれたばかりの子供も面喰らったと思う。

1.5才になって、保育園にお世話になることにした。交替で送り迎えをしたが、時には、夜、遅くまで、迎えに行けなくて、暗くなって迎えに行くと、保母さんと娘が二人きりで、出口付近の階段で座って外を眺めている様子が見えた。私を見つけると駆け足で、飛びついてきた。3才から幼稚園に。

家事は分業、洗濯、掃除は私、台所関係は妻、子供に関しては交互に、といった具合。これは、静岡に引っ越すまで続いた。金銭の負担は、食料品や日用品など現金支払いは妻が負担、支払いが通帳から自動でできる物は、全部、私が負担、これは、現在でも続いている。日本にほとんどいない今でも、私の通帳から引き落とされている。地方税、所得税、年金、新聞もガスも電気も妻の固定資産税も、である。完全分業、そして、自立です。負担を掛けない、頼らない。私がサラリーマンを止めて独立開業した時にも、その気持ちだったが、私が余りにも忙しかったので、家にいる時間が極端に少なくなった。3年間ほどは、私は妻に近所付き合いなどで大きな負担を掛けたと思う。
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チカランバラット、ゲート付近、また、また、大規模なショッピングモールなどの多目的ビルの建設工事が始まっている。地下二階、まではありそうに、掘りこんでいる。
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再び、フライオーバーの橋脚と向こうのバイク一時預かりの建物。
 

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(^_-)-☆この人を [人]

 2482 そして、私の誕生日、おじいちゃんは、72になったよ。還暦+一周ですね。もう一周できるでしょうか。という年齢ですね。インドネシア人で一人だけ、SMSを送ってくれた人がいる。ブリタールのマリアさんからでした。彼女の中に、まだ、私は生きていたようだ。会社の連中に言うと面倒なことになるので、いわない。

この人は、私の妻です。
その内、この人の一番上の太平醸造に勤めていたお兄さんが、出張で横浜に来た時に彼女の下宿に泊るといって来ていて、初対面の挨拶をした。また、お父さんが、沼津の知り合いの娘さんの結婚式に招かれてくいるとうので、私と会ってみたいといい、その結婚式が終わったころ、会場で挨拶をした。学生時代に、お互いに顔を合わせたことがあって、私は覚えていたが、お父さんの方は、全く、覚えていなかった。酒を飲めない私は麦茶だったが、お父さんは、大酒のみ、手酌で、やっていた。その数年後、肝臓を患って、亡くなってしまった。

秋にはブドウの収穫、ブドウ狩りのシーズンが終わって、ブドウ棚に残っているブドウは、ブドウ酒用に纏めて出荷してしまう、その手伝いを毎年するようになった。

正式に結婚の申し込みはしていないが、私もこの人も結婚する流れに乗っていると意識していて、付き合いながら、周囲の人達に紹介するようになっていた。この人の学校の同僚や校長とも会ったし、私の会社のクリスマスパーティーにも来てくれて、私の上司や同僚にも紹介したし、静岡の私の家にも来て、私の両親にも会ってもらった。その内、この人の大学の先生や私の研究室の先生にも紹介しあった。自然の流れだった。何の障害もなかった。

1969年2月1日 26才、この方が25才、静岡駅前のクーポール結婚会館で結婚式、披露宴だった。この会館、オープンして間もないころだったと思う。仲人は、私の大学時代の恩人で、日科技連、日本の品質管理の草分け的存在で有名な赤尾洋二先生(当時梨大助教授)ご夫妻にお願いした。非常に短期間でしたが、先生から受けた影響は大きい。卒業直前に受けた言葉、“不良の山を見たら、宝の山と思いなさい“この言葉は、その後、肝に銘じていると共に、多くの人に言っている。

余談だが、卒業間際に赤尾先生と茨城県の水戸へ行ったことがあった。偕楽園で、二人で食事をしたことは、私の人生の途中の重要なポイントになっている。丁度、梅の季節だったが、涙ぐんでいて、全く、梅の事は、楽しめなかった。
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Matikan Lampu Besar Jika Melewati Pos Securitiセキュリティーポスを通る時は大きいランプを消して下さい。
Tamu 1×24jam wajib Lapor訪問者は24時間報告の義務がある。
Wajib Tertib Lalu-Lintas交通規則を守る義務がある。
Bebas Dari Miras &Narkobaアルコールと麻薬禁止。
Bebas Dari Perbuatan Asusila悪いことはしない。
Maksimun Kecepatan 30KM/Jam最高速度30km
http://otaenplaext.net/newpage89.html
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Selera Resto食欲レストランAyam Bakar Goreng 焼き鳥揚げ物Penyet Pedas Gila強烈に辛い


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(^_-)-☆この人に [人]

 2481 孫の眞弓さん、誕生日。おめでとう、間違いでなければ、9才になったのかなあ。何才になっておめでとうと言った時、歳を間違えて叱られたことがあった。ドッジボール大会で優勝した、私は6人に当てた、と、声を弾ませていた。おじいちゃん、明日、誕生日おめでとうとも。

卒業間際になって、二年、三年後輩の何人かから、付き合ってほしいという手紙は貰ったことがあったが、それらはお断りした。卒業をした時には、同級生や後輩の女性、他の何人かと繋がりがあって、連絡し合っていたが、特に、こちらから、交際を求めるような人はいなかった。皆さん、親しい間柄ということだったと思う。半年後の大学祭の時に同じクラブの仲間と集まる機会があって、近況を話す程度だった。そして、この時に学内で、この人を遠くから見かけた。そして、遠くのまま、得しゃく程度の挨拶をした。私は例の友人と一緒だったが、彼も同じような、挨拶だけで、この人の方に行こうとはしなかった。そして、この人は視界からいなくなった。そんなことで、友人に聞いたら、もう、大学の時に彼女とは、付き合いを止めたという。

それから、翌年、この人が卒業した年の暮れに、愛宕山の実家に手紙を送った。会ってほしいと。その返事の中で、横浜の小学校に勤務していて、横浜に住んでいることを知った。そして、会ってもいいというので、その何日か後の日曜日にマリンタワーで待ち合わせた。先ず、聞いたことは、誰か、付き合っている人はいるか、でした。いないという、私の友人とは、何もないという。それなら、暫く、僕と付き合ってほしいと頼んで、良いですよという返事を貰った。後に、この方のお姉さんや妹さんから、この時に、私のことを、いい人だと言っていたと、聞かされた。大学の時のつかの間の共同作業が、印象に残っていたのかなと思う。

卓球部の一年先輩で、IHIに就職し、カナダに二年ほど赴任するという人がいて、その人から、丁度、車の免許を取ったことを知らせた時に、使っているルノーを、向こうに行っている間、しばらく使ってほしいと頼まれた。これ幸い、早速、練馬の家まで受け取りに行って、その帰る途中、横浜のこの方の下宿によって、これからは、この車で来るからと、宣言した。

それから、押しかけデートが始まった。仕事は忙しく、毎週ほとんど、土日の夜勤12時間をしていた。月曜日に年休を取って休んだ。その内の月に一度か二度、昼まで寝て、2時ごろ、清水町柿田(湧水で有名な柿田川に近く)の独身寮から出発、箱根を越えて、小田原を通り、横浜の東神奈川に向かった、5時ごろには下宿に到着、その前で、車を止めて、中で居眠りをしていると、6時過ぎに、この人に起こされる。部屋に入って、食事をして、たわいない話をして、8時過ぎに、そこを出る。
下宿の前の路肩で駐車している不審な車を見て、近所の人が、気になったのでしょう。何をしているのか、聞かれたことがあった。私の説明に、笑いながら、納得してもらった。逆コースで寮に戻るのが、11時過ぎ、翌朝、元気に仕事。若かった。元気でした。何回、通ったでしょうか、数えていない。

勿論、土日が休める日もあって、その時は、朝から出かけて行って、八景園や山下公園界隈、港の見える丘公園、外人墓地辺り、当時はまだ、さびれていた中華街、伊勢佐木町、桜木町辺りも歩いた。磯子のこの人の学校へも行ったことがあった。みなと未来やランドマークタワーなどはまだない。
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蓮と火炎樹。
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プレミウム リッター7400Rp約65円、いつも25万Rpと言って、給油する。


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(^_-)-☆この人 [人]

 2480 この人と初対面は、大学3年の前半だった。この人は、例の昇仙峡へ男二人でいった私の友人と親しくしていた。私は、この人の友人で石和のブドウ園の娘さんと、同じクラブでもあったので親しくしていた。それぞれ、一年後輩だった。はっきり、自分で青春だなと、意識していたころでした。勉強は適当に、家庭教師やアルバイトやクラブ活動やマージャンやスキーやスケートに明け暮れていた。その仲間には多くの学芸学部の男性も女性もいた。大学構内を移動する事が多かった、化学薬品で穴だらけの汚れた白衣をまとって、次々とすれ違う女性と挨拶をしながら、闊歩していた。その人の事を意識することはなくなっていた。もう、住む場所が違っていた。

学生時代には色々なことがありすぎて、何を書いていいか分からないくらいだ。二つだけ、その一、オリンピックの入場券の売り出しが始まっていた、夏休み、7月初め、例の友人と甲府の南の方にあったアイスクリーム製造工場に包装の夜勤のアルバイトに行っていた。ある日、夜勤開けの帰る途中、岡島デパートの外の宝くじを売る場所で行列が出来ているので、何かなと聞いたら、オリンピックの入場券の売り出しの日で、8時から売り出すという。その時6時半だった。じゃ、一緒に買おう、ということになって行列の後ろについた。友人、お金を持っていないという、私は千円持っていて、陸上競技の一番安い500円を二枚かって、例のブドウ園の子を誘うつもりだった。かれは、下宿へ行って、お金をもってくると言って、その場を離れた。しばらくして、戻ってきた。自分たちの番になった。私は国立競技場の第三コーナーの一番上に近い、一番安い、500円を二枚買った。彼、お金を無くしたと言い出した。ポケットに入れてきたはずのお金をどこかに落としてしまったらしい。がっくり、彼は、この人を誘って、四人で行くつもりにしていたから、私も大ショックでした。

結局、付き合っていたそれぞれの女性にこの話はしないで、私は彼を誘って、また、男二人だけで、東京オリンピックの見物に行くことになった。依田さんの80m障害レースを対角の一番遠い所から見た。それでも、深く記憶にのこる出来事だった。

その二、学友会と言って、大学の部活動を仕切る、役目をする機関があった。なんとなく、その幹部の人から後輩を指名して引き継ぐのが習慣になっていた。私は卓球部のキャップテンをしていて、指名された、そして、この人は、合唱部の幹事をやっていて指名された。学園祭や体育祭を仕切ったり、大学から出る補助金の配分を任せられたり、何か所かある掲示版の掲示物の管理をしていた。この人と話をする機会が多くなった。休日に集まるって打ち合わせやビラやポスターを作るなどの共同作業をすることもあった。この人は、家からおにぎりやサンドイッチなどの差し入れを用意して来てくれた。愛宕山の中腹のブドウ園の娘ということも知った。ブドウ液やブドウは当たり前のように、沢山、持ってきてくれた。ブドウの収穫時期には、何人かで手伝いにもいっていて、家の人から大歓迎を受けた。リックサック一杯のブドウを下宿に持って帰って、飢えている後輩に配った。私が付き合っていた石和の子より、友人が付き合っている、この人の方がいいなと思ってしまった。
もっとも、このブドウ園、卓球部や個人で気が向いた時のランニングで、愛宕山の中腹のレストハウスまで行っていた。その山道の途中にあって、金網フェンスの外から手を伸ばせば、摘まめる場所にブドウがなっていて、摘まみながら走っていた。手伝いに行った時に、“梨大の学生さん、ブドウを摘まむなら、房で持っていってくれればいいのに、沢山の房からちょっとずつ、摘まんで行くので、売れなくなる房が多くなって困る“と、言っていた。私だけでなく、摘まんで行くのは梨大性ということは、知っているのでした。そののちは、後輩に、一房だけ、頂くようにと、注意した。

そして、このブドウ園、何年か後に、何年間の間、収穫時期には、二三日、泊って、手伝いをするようになる。
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午前中人仕事でチビトゥンへ行ってきた。その道沿いにある小学校の正門わきの火炎樹、日本の小学校の桜の木のような、印象だ。
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ゴルフ場の火炎樹も今が一番盛り。マンガの実もどんどん大きくなっている。雨季が遅れている。
 

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