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(^_-)-☆気になる [生活]

 2631 通信販売で、孫のピアノ発表会のドレスの注文をした。それで、気になることがある。ネット販売に接続して、購入しなくても、検索しただけで。そのことに関連した広告が開いたページに現れることです。要するに私が買ったもの、探したものを世間に公表してしまっているということです。私が開くページの隅に広告が添えられて出てくる。ジャカルタまでの航空券を購入したくて、価格や空きをチェックしたら、そのことが、画面が現れた。以前、笑い袋やノギスを買ったことがあった。そのときも、次に利用をしないので、何か月も同じ広告がくっついていた。何か、危ない物を検索したら、それが、いつまでも、出てきてしまうのでしょう。滅多なものを検索できませんね。

迷惑メールが異常に増えている。インドネシア語でオバッ クアッObat kuatやチャリ パチャールCari pacarやジュアル パルスjual palsuミンタ バヤールMinta bayarなどが主だが、なかに、受信トレイに残ってしまっている、怪しい添付文章やhttpを開け、というやつがある。いかにも危なそう。絶対に開かない、そして、迷惑メールにしてしまう。

昨日の手伝いで、右肩が痛み出し、マウスを操作していると、チクチク痛む、近所の整形外科へ行ってきた。顔なじみのだ。この医者、デング熱のことを話したがる。かなり、久しぶりなので、問診票を書いた。肩の痛みと一年以上前から、気になっていた、体中のかゆみを書いた。そのかゆみの正体を私には分からない、インドネシアだから、何か、怪しい病気じゃないかと気になっている、ずっと。かゆい場所は一定しない、以前、パニック障害の時に、ちくっと、する場所が決まっていないのと、同じだという意識だ。そして、かゆい場所が、腫れたり、赤くなったりしていないことも気になる。皮膚ではなく、体の内部から、その場所が移動していると感じるからだった。

肩の痛みは、昨日の仕事、手伝いが原因ではない、原因は確定できないが、マウスの使い過ぎだと思う。何年も、一日、何時間も、動かしている。肘は付けの上にのせているが、そうでない時もある。痛みを感じ始めたのは、やはり、一年ほど前からだ。腰や首の先天性ヘルニアとは、別の話だ。
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孫とドッチボールのボール投げをしていた場所の道端の花。桜は遅れているが、小さな花は、春だ。
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(^_-)-☆手伝い疲れ [日常]

 2630 昨日、近くの“ナフコ”で買ったミニダンスの組み立てをした。これが、思ったより難しい。買った人。皆さん、自分で簡単に組み立てるとは思えない。二つのカートンボックスの中に入っているのだが、まず、それぞれが重たい、それを、開いて、中身を点検する。何が入っているのか、表があるが、番号を刻印してある場所もわかりにくいし、部品が多いので、確認も大変。引き出しの組み立てから始めたが、ボルトを最後まで締め付けるには、きつ過ぎて最後まで締めるには、プライヤーでドライバーを掴んで回さなければならなかった。座ったり、立ち上がったり、中腰になったりしながら、重いものを持ち上げた入り、支えたりしながらの作業、腰が痛みだして、休みながらになってしまう。
何とか、完成したが、何本かの小さなボルトが余ってしまった。説明書を確認しなおいしたが、どこか分からない。ま、いいか、で、作業は、終了。腰に加えて右肩も両掌も痛い。

以前私が買ってやった本棚、かなり、本や何やら、一杯になっていて、その上に地震などの時に、倒れないようにする支え棒をつけてほしいと、妻に、頼まれた。天井までの間隔は6~70cmを確認し、近くのホームセンターに行く、広い売り場を探して回った。突っ張り棒、と書いてある看板の下へ行ってみた、違った、ここは、タオルや小さなカーテンを吊るすための棒だった。インドネシアでも金属パイプにコーティングして作っている。結局、名前がわからないので、ゼスチャーをしながら付き方を話し、店員に場所を聞いた。なんと、聞いた場所は、そのコーナーの前だった。目立たないが、防災グッズが並んでいた。そういわれても、どこか分からない、私が探していたのは、見て、それと直ぐわかる白い直径5cmくらいの棒だった。それが、そこでも見当たらない。そして、まだ、その場にいた店員が、これでしょうか、と、指さした最下段の足元の箱を指さした。「家具転倒防止伸縮棒」と書かれていた。そして、小さな絵が印刷されていて、確認した。長さが三種類あり、一番長い二本セットを、やっと、手に入れた。2800円。
家で、開梱、長くするための15cmくらいのパイプも入っていた。それを、繋げなけなければ、長さが足りない、繋げるためにねじ込んでみた。しかし、入らない、逆ねじだったのです。繋げようとした側は正ねじだったのでした。反対側に、ねじ込まなければならなかったのでした。要するに、真ん中のパイプを回すことによって、長さを伸縮され、調整するようになっているので、逆ねじ、正ねじになっているのでした、そして、つなぎパイプは逆ねじ側だったのでした。納得、それが分かれば、取り付けは簡単でした。
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どちらも、説明書や部品表はある、しかし、私は読まない、先ず、読むには、老眼鏡を持ってこなければならないし、読まなくてもできると思っている。それほど難しいと思わないからだ。しかし、これらのことは、高齢者にとっては、探すこと、読むこと、組み立てること、難しいことだと思う。
  

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(^_-)-☆手伝い [日常]

 2629 今回、あと何日日本にいられるでしょうか、インビテーション レター待ち、ではあるが、ビザ手続きの段取りは、進んでいるし、大使館行きの日も近づいている。もう、二週間程度になっているかもしれない。手伝いができる時間も少なくなっている。

孫のピアノ発表会が4月の20何日かにあるという、おじいちゃん、発表会用にドレスと靴を買って、という分けで、また、彼女たちの衣服の数が増えてきて、仕舞う場所が狭くなっているから、タンスも買って、とせがまれて、靴とタイツとタンスを仕入れに行ってきた。とにかく、安売り店を回った。
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その前に、妻の染物同好会の会場、岡部まで、送っていった。宇津ノ谷のトンネルを抜けて、バイパスから左に出ると、昔は峠を越えると、旧東海道の岡部の宿場町にでる。車で通ったことはあるが、どこにも寄ったことはない、今日も通っただけである。歴史に興味のある人は、立ち寄り場所が沢山あると思う、それらしき、たたずまいに建物が目に入る。閑散とした通り。

小学五年生の算数に復習ドリルをやって、私に丸付けを頼んでくる。割り算の応用問題、図形では、円の面積や立体の体積の問題。よくできていると思う。ただし、せっかく、式は正しいが、計算が間違っているものがある。私が子供のころと同じだと思ってしまい、そんな話をしてやる。
 完全におじいちゃんバカをやっている。出来るのは今のうち、ゴルフと散歩以外は、自分の外出はなくなっているので、隠居生活なら、こんなものでしょうね。
 

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(^_-)-☆風光明媚 [思うこと]

 2628 山部赤人“田子の浦にうち出でてみれば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ”百人一首の中の得意札です。妻に付き合って、富士市の会館で催されている染物展を見てきた。今日も、また、1号線で太田石材店の前を通って、富士川橋を渡り、富士市街に入った。富士川橋を渡ることはほとんどなく、何十年ぶりということで、その沿線の様子が記憶と全く違っていて、目的地へ着くまで、不安だったが、目立つ建物で、杞憂だった。天気は良く、傘雲の富士山がよく見えた。さすが、富士市という感じ。

帰りは同じ道を引き返すのではなく、南のバイパスを選んだ。そこで、先ず、富士市内を南下し、田子の浦港に向かった。昔の一時期、製紙工場から排出されたヘドロの港として、全国区になったことがあったが、今では、平安、奈良時代にここを通過した人たちが、多分、見ただろう景色と海の色になっているのではないかと思う。
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港の西海岸沿いに公園が整備されていて、多くの家族ずれが来ていて、その一番港側に小高い丘が作れていて、津波からの避難場所にもなっているようだが、富士山を背景にした港を見下ろすのに絶好の場所になっていた。末の防風林の様子も見下ろせる。
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その丘の海側下に歌碑がある、その左から三番目の石柱にこの歌が漢字のまま記されている。田子の浦の向こうには何もなかったはず、宝永山もなかった、右の愛鷹山と真正面の富士山、その、雄大な景色には、誰もが、一句歌ってみたくなるに違いなかったと思う。

田子の浦から富士市の南側にあるバイパスを西に進む、すぐ、旭化成やポリプラが目に入る。40年以上前に何度も訪問した会社だ。ポリプラの技術研究所には、ジュラコンの物性改善の希望で、また、東プラ精工を止めた時に、高野所長から、ぜひ,内に来てほしいと頼まれて、そのことで、お話をしに来たことがあった。
 


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(^_-)-☆見学会 [思うこと]

 2627 “ふじのくに地球環境史ミュージアム”今日、オープンの県立博物館でした。県立南高校をクローズした建物をそのまま、内部を改造して博物館にしたのだそうだ。少子化の影響ですね。教室をそのまま利用し、小さいテーマごとに、まとめてあった。どこかに、置いてあったのでしょうね、それを、ここに、集めたのでしょう。一か所に集まて、管理保存することは良いことだと思うし、見たい人に、まとめて見てもらえることは良いことだと思う。それに、建物のリサイクル利用もいいともう。
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北海道新幹線が運行開始されましたね。始発の利用状況は、満席以上だったようですね。その後の予約率は24%だとか。沿線への経済効果は、当然、望めるが、新幹線自体の収支はどうでしょうか。多分、経営は難しいでしょうね。規模は全然小さいが、県立博物館の運営も難しいでしょうね。オープンの今日、多分、有料入場者は500人ほどだったでしょう。これが、ピークだと思う。

ボランティアが大多数だと思うが、職員というか世話係というか、そんな人が、ざっと見て、50人はいたと思う。どういう方たちか知らないが、妙に丁寧、だが、不慣れで、ぎこちない。多分、二三日後には、10人くらいになってしまうと思うが、それで、十分な来場者数になってしまうでしょう。そういうものです。

ということで、オープン初日に人体や動物の骸骨に会って、話をしてきた。ついでに、県立美術館に足を延ばした。孫たちの見学会である。こちらは、ロダンの彫刻を見るのが目的でした。何度か来たことがあるが、多分、訪れる人は少ない、静かな散歩道の途中にある建物になっていて、立ち寄る人、ここが目的で来る人は少ないと思う。今日も、そんな感じで、空いていた。考える人、カレーの市民、地獄の門は、超有名ですね。孫たちは、印象に残ったと思う。

両方とも、時々、何かのグループの趣味の発表会で使われるための会場になるでしょう。その関係者が訪れるときだけ、その一角だけ、ちょっと賑やかになるでしょう。絵画、彫刻、音楽、演劇などですね。

家から出て、数時間のツアーでした。小学生、70歳以上は無料、撮影はどちらもOK、しかし、フラッシュはNG。只での見学会でした。
  

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(^_-)-☆申請ビザ [行動]

 2626 静岡の宣伝、生シラス 梅ちりめん 郵便局へいったついでに用宗港へ寄って、今、旬の生シラスを手に入れた、醤油とおろし生姜に会いますね。私は、酢醤油をかけて、丼で食べる。有れば、生桜エビも混ぜて。薬味にネギなどを散らすと良いですね。また、ついでに、梅ちりめんも買ってみた。いわしの稚魚(駿河湾 用宗産)、梅を主体にオキアミや昆布や桜エビを混ぜてあるという。これは、多分、この辺りでしか作っていないものだと思う。シラスは、例年になく豊漁だとか。
黒はんぺんのフライと共に、食べれば、もう、大満足である。夕食にそれを食べた。
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今回、初めて、日本で、ビザを取ることにしている。インビテーションレター、招請状ですね。勤める予定の会社からのものです。ワーキングビザを取るときに必要な書類の一つです。会社に頼んであるが、まだ、それを受け取っていない。

Passport (original) Visa during the remaining period of validity is visa field blank page that continuously for more than 18 months is three or more pages

Copy of passport Data surface (A4)
Application form The distribution at the window at the time of application application form sample
English curriculum vitae The distribution at the window at the time of application resume sample
 ID photo Color 3x4cm (taken within 3 months) one
English letter of recommendation (not copy) And fill in the details of the letter travel purposes from affiliation (company-size-company seal, job title by pressing the mark. Use the paper with a letterhead)

Invitation (copy not accepted) Letter from the local guarantor (Indonesian / English) * In the case of the company and that the destination is in the Japanese company. Applicant's name, purpose of entry, that the stay has been described. Issuance date, the issuer name, has indicated job title company mark (rubber stamp) which is are pressed. Use the paper with a letterhead.

 Round-trip ticket copy (E ticket Allowed) Yes in one way if the return path open Allowed 12 months or more of the permission has come out that the ticket number is entered

Visa issuance authorization Permission from Jakarta Immigration Bureau (copy available)

Stay possible dates 1 month to 24 months (extendable at the local immigration office)

Visa fee ¥ 5,650 (within six months) ¥ 10,750 (within 12 months) ¥ 18,410 (within 24 months)

Acquisition dates Two days later of the application date (Saturday, Sunday and holidays the two countries is not included)

Visa validity period The entry within 90 days

東京へ二往復しなければならないようだし、面倒くさいことになりそうだ。シンガポールで取った方がよかったかないと思う。
  

タグ:宣伝 ビザ 用宗
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(^_-)-☆後継者 [押出成形]

 2625 私は、後継者について、30歳で会社を立ち上げた時に、後継者について考えていた。子供に継がせることは全く考えなかったというより、身内に後を継がせることにはよくないことだと思っていたし、特殊な仕事だから、身内のだれかに、継げる能力を伝えることは不可能だと思っていた。そこで、創業時から、能力が有りそうで、自らこの仕事をしたいという人間を探し始めていた。幸い、沼津の時に、富士プラ精工で一緒に仕事をしていた人が、私の後をついてきた。もし、私が沼津のまま、仕事をしていれば、そのまま、太田化工の後継者にするつもりだった。しかし、私の都合で、沼津が満杯になったとき、静岡に本社工場を移し、沼津が工場長として、任せた。そして、静岡は、私が50歳になった年末に社長を任せるという約束で、後継者の候補として三人いれた。そして、思うとおりに50歳で、その中の一人の社長をゆずった。沼津は、静岡の社長の方が若いし、後輩なので、部下にするのは、どちらもやりにくいので、その前に沼津は独立させた。いずれも、独立という形にしたのは私が50歳を過ぎて直ぐだった。いずれも、無償で譲渡した。ただし、静岡からは退職金を、受け取った。そして、その二年半後に、インドネシアにいた。

 そして、それから、二十年、双方の社長共に、後継者を育てていない。さてどうするか、ということで、太田化工へ、このことで、話をしに行ってきた。早いうちに、面倒を見てもらっている会計士さんを挟んで、打ち合わせをするように、ということになった。太田化工も後継者のことを、そろそろ、真剣に考えなければならない状況になっている。

 この仕事、後継者を作るには相当難しい。数年ではできないので、インドネシアでは、技術を伝えたすべての会社、集団の中に、芯の後継者はできていないままだ。そして、私の代わりの役目をするはずの、本社から派遣されている日本人は、すべて、技術的には、私に後継者になっていない。新しい仕事は取れない。
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太田化工への最寄り駅、用宗駅。昭和というより、明治風ですね。 
 

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(^_-)-☆ルーツ [思い出]

 2624 父親が亡くなったとき、もう、二十年以上前になる、私がお墓を作った。富士川町に住む、いとこの内、本家の石材店以外は全員、本家のお墓(江戸時代からの墓標がある)の周りに、自分たちの親が亡くなった時にお墓を作った。だから、このお墓の周りは、太田家と彫られたお墓が沢山ある。本家が石材屋だから、静岡に引っ越しても夏休みには、毎年、富士川の橋のたもとの本家に遊びに来ていた。富士の方から国道一号線の橋を渡ると、国道は、その渡りきったところで急カーブを描いて左折している。左折しないで、認知症老人のごとく、真っ直ぐ行ってしまうと、太田石材店に突っ込む、そんなところにある。今でも、いとこがその石材店をやっている。信号がまだない時代、よく、太田石材店にトラックが突っ込んだという話は、聞いていた。
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 で、お墓を作るのは、簡単で、安い、お寺も先祖代々、子供のころから、そのお寺の周りの山で遊んでいたし、お寺の坊さんとも、仲が良かった。今は,年に一回か二回しか行かないし、父母だけしか入っていないお墓に、次に入るのは私である。準備は万端である。この地より出でて、この地に戻るはずである。
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 この鉄のパイプはなにか分かりますよね。日本軽金属蒲原工場の第二発電所の取水パイプです。私が生まれた年に利用され始めたという。私の父親は重電の専門家で、その仕事に携わっていた。ボーキサイトから最後に電気分解、アルミニウムの抽出に携わっていたのでした。富士川の芝川辺りの第一発電所からの放水を使っている。二三歳のころ、会社の運動会に行ったことを覚えている。発電所についても、分からないながらも説明をされていた。四歳の時に、どういう分けか、静岡に引っ越した。なぜ、日軽金を止めて、静岡で荒物屋を始めたのか、説明を聞いていない。サラリーマンには向いていないと思うが、何故か、分からない。商人にも、向いていないと思うのだが。

 孫にこんな話をし始めている自分に気付く。
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(^_-)-☆故郷ゴルフ [ゴルフ]

 2623 私の生まれ故郷にほど近い、リバー富士で、ゴルフ、実に快適だった。場所は、富士川沿いに北上し、富士川楽座の前を通り、新東名の下を通り過ぎて左折し、道なりに進むと、案内看板がでてくる、山登りの道に入ってから、約4km、くねくねと進めば、開けた場所に出る。初めての場所だが、迷うことなく、家から一号線とそのバイパスと県道10号だけで、1時間ちょっとで到着した。

 ちょっと、早く着きすぎて、富士川楽座の側を通って、昨日、寄ったばかりのお墓に寄って、時間を潰した。朝日に映えた富士が“頭を雲の上に出し”の状態で頂の雪が輝いて見えた。

 山の中のコース、起伏が激しく、ドッグレックも多いが、整備は行き届いると思う。日本のゴルフで、当たり前のことは、4人乗りのカートを使う。キャディーを使わないで、セルフという。食事休憩時間がある。ここも、その通りでした。今回は私が最年長者だったが、私がカートのリモコンを担当する。ほかの方は、足の状態が悪くて、カートに必ず戻る人が一人、そして、目の具合が悪くて、ボールが飛んだ位置が分からない人が私以外の三人、いい運動になった、歩きがほとんどで、他の人のボールの位置を示しつつ、カートの操作をしつつ、そして、他の人のクラブの置忘れがないことをチェックしつつ、富士山やコブシの花の写真を撮りつつ、鶯の鳴き声を聞きながらのプレーだった。それでも、オリンピックは29点、まあまあである。

 プレーの後、世間話、情報交換、まだ、皆さん、仕事をしているが、縛られる状態ではない、平日ゴルフをたまにはできる状態らしい、頑張っている。ただし、車の運転には、そろそろ、若干の危険を感じているらしい、免許返還を迷いっていた。
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 ゴルフ場からの富士山です。子供のころ 毎年、夏休みには、当たり前に見える、こんな富士山をほとんど無視して、セミやカブトムシを追いかけた、川でフナやハヤを追っていた。ウサギはいなかったので追わなかった。秋には、ミカンの収穫の手伝いをして、両手が真っ黄色になった。
   

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(^_-)-☆待機 [思うこと]

 2622 トイレで新聞を見ていたら、中学の時の友達の名前が出てきた。静岡の町中にある碁会所“爛柯”の女将さんというのでしょうか、仕切っている人、多分、ご主人を支えるどころか、主なことは彼女が裏でやっていると思う。日本にいた時には、私もその碁会所には、時々顔を出していたし、中学の同窓会(学年会)の打ち合わせでも、彼女とは、話す機会が多かった。まだ、頑張っているんだ。さすが、中学の時には同じクラスになったことはないが、多分、お互いに、よく知った存在だったと思う。隣の組だったことがあるし、生徒会の役員をお互いによくやっていたからだ。

 ピアノ教室の合同発表会に総合練習会場に、孫たちを送って行き、迎えまで3時間ほどあるので、岩淵のお墓に行ってきた。春分の日は20日、昨日でした。彼岸の中日ですね。一応、24日までお彼岸ですね。

家にいて一か月になる、やっと言いか月過ぎたかと思う。異常に長く感じた。日本に戻っていて、何事もなく、遣らなければならないことは、何もなく、一日中、家の中にいて、何もしなくていい、だれにも、気を使う必要ない、と思える時期は今までこの20年間、無かった。この一か月が、仕事から解放され、完全リタイヤした時の自分の状態を体験しているのだと思う。そして、あと、何日、耐えればいいのだろうと思う。もし、仕事をしない、出来ない状態になれば、この一か月のような生活はしないでしょう。辞めることが分かっていれば、その前に、何かをするように手を打つでしょう。やろうと思えば、押出の技術指導のほかに沢山ある、ボランティアでどれにしようかなと迷うでしょう。今の状態が日常になることはない。
長ければ、もう、一か月このままだが、予定通り4月の上旬には、インドネシアに戻ることができると期待している。
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 今日の富士山は曇っていて全く見えなかった。これは昨日です。蒲原から富士川に掛けて。
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