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(^_-)-☆高速なんとやら [インドネシア]

 2994 ペレタイザーを作った。インドネシアの町工場で、仕様を伝えて、作ってもらった。出来は抜群、後はいつまで刃が持つかだ。30ジュタ、26万円くらいかな、安いでしょ。メイド イン インドネシアです。
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Published 27 Mar 2017 at 9:30 pm
Kementerian Pekerjaan Umum dan Perumahan Rakyat (PUPR) kembali membuka Jembatan Cisomang Ruas Tol Purbaleunyi untuk dilewati semua kendaraan mulai 1 April 2017. Kendaraan yang boleh melintas sampai 5 gandar (golongan V) dengan beban maksimum 45 ton.
27日発表で、チソマン橋の修復が終え、チプララン高速道路、(チカンペックーパダジャラン間)4月1日から、従来通り、大型車も通行できるようになる。多分、他の高架橋も強化工事を継続するでしょう。

ところで、この高速道路の近くのどこかで、高速鉄道路線の建設工事が再開されたと1月に聞いていたが、その後、全く、これに関するニュースがないと思っていたら、つい先日、交通大臣、リニさん、から、ぼやきの発言があった。

Rini mengungkapkan, pihak China mensyaratkan supaya pinjamannya bisa segera cair, maka harus ada RTRW. Dengan demikian, penetapan lokasi (penlok) untuk pembangunan proyek ini tidak berubah.中国からの貸付け金がすぐに必要です、その後、Rencana Tata Ruang Wilayah (RTRW) の必要があります。したがって、プロジェクトの建設のための場所 の決定は変更されていません。
"Oo itu bisa dilakukan, tapi yang utama RTRW harus fix. Pembicaraan kita dengan CDB, RTRW harus fix sehingga penloknya tidak bisa berubah. Selama bisa demikian, CDB tidak masalah,"
それは行うことができますが、主なもの RTRW を修正する必要があります。China Development Bank (CDB). と話して RTRW 必要があります penloknya を修正するので、それは変更できません。CDB が問題ではない場合は。
中国からの資金が提供されていないのです。

スラバヤまでの方はどうなっているのでしょうか。日本が5月には案を出すことになっているらしい。
Pembangunan kereta semi cepat Jakarta-Surabaya mulai masuk fase awal studi kelayakan atau feasibility study. Rencananya studi kelayakan digelar Mei 2017. ジャカルタ-スラバヤ初期段階調査またはビジネス検討開始から半高速列車の開発。計画の実現可能性研究発表 2017年 5月
 

(^_-)-☆お別れ [人生]

 2993 海へ行ったのに、腿がパンパンに張って痛む、座椅子からの立ち上がりが大変、両手を卓袱台につかまって、体を持ち上げなければならない。原因は、島に上陸してから、ちょっと高台に上がるのに、両手を前について上がるような、梯子のような急は階段を上る、それを、何回か、繰り返したからだ。また、島での移動はタクシーより、オジェックが主だった。オジェックって長時間乗ったことがなかったが、意外に、後ろに捕まっていると腹筋を使うし、股を大きく開くので、内腿の足の付け根の筋肉を突っ張らせている。また、両足に力が入る。かなり不自然な状態になっている。歳を取ると痛みは長い時間差でやってくる。
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リッポチカランのシロアムへ行ってきた。なんというか、ついこの前まで、一緒のカートでゴルフをしていた方が、この世から消えてしまうとは、この世の習いとはいえ、言いようがない悲しみがこみ上げてくる。栗崎さんにお世話になった方が非常に多いので、私と同じような気持ちの人も多いと思う。場所は、建物の右端、ちょっと、地下へ降りた場所でした。息子さんや奥さんと、栗崎さんは、多分、私が同じカートに乗って、ゴルフをしたのが、最後だと思う、こんな話をしながら、つい涙が流れた。「人生是離別」

お別れは、30日の夜8時までです。

会社はこの連休中、私が遊んでいる最中、オーバータイムで継続生産をしていた。とにかく、電力不足で、フル稼働できないので、仕方がないらしい。内の会社は、三交代勤務の人達は、土曜日は通常出勤なので、今回の連休は、28日を27日に移動し、日、月、二日連休になっていたが、その二日とも出勤してもらった。日系、コリアン系各社、冷蔵庫の販売が好調の様子、それ関係のプロファイルやチューブの注文が増えているからだ。

http://otaenplaext.net/newpage125.html 旅行記 
http://otaenplaext.net/newpage126.html 写真集
Raja Ampatの記録です。早速、ウェブサイトに移しました。


(^_-)-☆現実に戻った [旅]

 2992 午前中は、ソロンの海岸散歩などでのんびり休んだ。水浴びを楽しんでいる家族連れが多く出ていた。
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ワイゴホテル、西海岸道路沿い、目の前が海だが、天候に恵まれなかった、サンセットは厚い雲の中だった。ワイファイは部屋内で完璧、ローディングが早かった。ただし、最初に入った部屋で繋げようとしたが、ネットの名前が現れない、フロントに電話し、どうも、繋がらないことを理解できないらしい、ルームサービスに部屋に来てもらった。彼、納得、受信、発信機のランプが消えている。これじゃだめだという、二階だったが、三回なら、繋がるからと言い、三階の部屋に移動した次第、ここの通路にある受信機はランプが点いていた。とにかく、持って行ったデモムは、圏外、どうにもならないから、ホテルのワイファイに頼るしかない。

11時にホテルに迎えに来てもらった。途中、トコ オレ オレToko oleh oleh(土産物の店)に寄ってもらうつもりだったが、休日でほとんどの店は閉まっていて、土産物屋もクローズ。町を素通りで空港に入った。残念、土産物を買えず、仕方がないから、マッカサールのトランジットの時に、従業員への土産をまとめて買った。コテカは、空港で売っていたが、滅茶苦茶高いし、もらっても嬉しくないだろうから、買うのは止めた。空港で写真を撮っただけだった。右端に見える4~5本が、それです。
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もう、何もかも、慣れたものだから、帰宅までの行動は問題なし、ジャカルタへ到着し、テンパット パーキルイナップからの迎えを頼んだ。ブリトゥンの時には、チケットを持って出なかったので、困ったが、今回はHPの番号が書いてあるチケットを持って出たので、呼び出せた。但し、待つ場所を決めていないので、傍にいたセキュリティに変わってもらって、待っている場所を決めてもらった。

空港からは順調、渋滞も最少、それでも、2時間かかって住処に到着、20時だった。また、日本と時差、2時間の場所だ。
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空港に着陸態勢に入った時に、大揺れし、上下にも相当動いた。雷雨の中に突入したからだ。17時前で、まだ、明るいはずが、外は真っ暗とはいわないが、相当、暗くなっていた。空港を出る時には、小雨になっていて、きれいな虹が現れた。ラジャ アンパットでも虹を見た。その一週間前、ブリトゥンは、虹の兵隊さん、ラスカル プランギの島だった。栗崎さんが亡くなった後に、立て続けに虹をみた。朝、ソロンの海岸を散歩して、夜はチカランの田舎の家にいる。明日は、最後のお分けに行く。
 
タグ:現実 帰宅 順調

(^_-)-☆ピアネモ [旅]

 2991 一番近いと言ってもスピードボートで2時間近く掛かるという。インドネシアは、冬至を過ぎたばかり、一番日の出が遅い、日本と同じ時間のこの地の6時ではまだ真っ暗だ。これが、ジャカルタの6時なら、二時間後だから、明るくなっていて、ゴルフのスタートもとっくにしている。ということで、真っ暗の中、ホテルの車で出発する港へ向かった。
出発時は日の出前だが、天気が良かったので、相当明るくなっていて、朝焼けの雲が見事だった。とにかく、ひたすら、ベタナギの海を滑るようにはしる。目的地ピアノモまで1時間半と言っていた。途中、スコールに在った。その時間は、10分くらいだった。思いがけなく虹のゲートが出来あがっていて、その門をくぐるように通過すると、また、青空が広がった。

結局、二時間かかったが、目に入る景色は、ユニークで、ちょっと日本では見られない風景が現れた。良く、写真で紹介されている景色だ。その島?岩?の周りをぬって、展望台の下の船着き場に到着。この階段は、他のインドネシアの階段と同じように、急だし、一段ごとの高さが違うし、幅も違う。インドネシアの手作り階段の見本のようなもの、急ですよ。日本人が想像する以上に急登りですよ。流石に一挙には登れなくて、途中の踊り場で休憩をした。息を切らせてやっと展望台に到着、腿が痛いし、ふらついている。それでも眼下の景色にすぐに目お奪われた。その島々の間を縫ってきたのだが、その印象と違っていて、もっこりとした固まりが不規則に配置されている。石灰岩が土台になっているのだが、桂林の海上版、縮小版だ。
そこから降りて、また、それらの固まりをぬって、次のスポットに向かった。岩に近づくと。その尖った鋭利で、触っただけ怪我をしそうで、ちょっと怖い。そんなことをおもっていると、出来損ないの船着きがに到着した。ここで降りるのかと聞いたら、そうだという。その先に階段がない。言われるままに、登ったのだが、きつい上に、階段ではなく、その尖った岩を上るのだった。女性や高齢者では無理でしょう。一応、行き止まりのちょっとした平らなところから下を見ると、星の形をした入り江が目に入った。これを、見せたかったのだった。時間は9時を過ぎていた。

次はどこへ連れて行ってくれるの、訳が分からないが、まだ、時間がたっぷりあるから、他の島へ行くという。30分ほど飛ばすと、何やら、桟橋に多くのダイビング客が立って居た。ダイビングスポットが近くにある島のようだ。この島の名前は、トランスウィサタだという、本来の島の名前はないのかと聞いたら、名前はなかったという。

次に行ったのが、パシールプティ、要するに、満潮時には消えるが干潮の時には、現れるという、白い砂浜だ。ブリトゥンにもあったし、あちこちにある種類の砂浜だ。ダイビング途中の欧米人やジャカルタからの人達が立ち寄っていた。ここで、一泳ぎ、これもブリトゥン以来、ぷかぷかと浮いているのが気持ちいい。

14時発のエクスプレスカパルに乗って、ソロンへ、20分遅れ発、所要時間はやはり二時間、やっぱり、明日9時発では、12;25発のフライトには間に合わないことを確認した。遅れることが、足り前なのでしょう。遅れていることに全く、御免なさいのアナウンスはない。
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ピアネモの展望台から。ワイサイからひたすら西に走る。
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出発時と帰港時に天国への入り口が見えた。四次元の入り口のようだ。

夕食はホテルの隣にあったさえないワルンでソトアヤムしかないというので、食べた。どの土地のソトアヤムも同じような味だ。ブンブがマサコで同じだからだと思う。

やはり負けたか二回戦、早実も負けたし、一勝一敗ならいい方だ。静高、夏は、また、頑張って!!
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170317-00000016-nkgendai-life ちょっとね。
 
http://otaenplaext.net/newpage26.html
http://otaenplaext.net/newpage28.html 同じパプアのジャヤプラとメラオケの写真です。

(^_-)-☆ワイサイ [旅]

 2990 9時に船が出るはずなのに、9時半にやっと出帆、そして、1時間半と言っていたが、2時間以上掛かって、11時半過ぎにワイサイの港に到着した。それで、27日(明日)の計画は全て、白紙に戻し、14時出発の船に乗ってソロンに戻るしかなくなった。28日9時出発では、ソロンに着くのが11時半を過ぎてしまう可能性が高く、12;25のフライトには間に合わないかもしれないからだ。

明日、一番近くの島々PIANEMOへ半日スケジュールで行くことにした。そのほかの島々は1日掛かりでないと無理だという。それに、一人でスピードボートをチャーターすると、一日にレンタル料が8ジュタになるという、半日なら4.5ジュタ、だから、明日は6時に出発、戻りは船の出発前13時頃に、戻るスケジュールで行くことにした。ぶっつけ本番、下調べ何もなし、では、仕方がない。旅の後で、こうすればよかったという文章を書くことにする。
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ワイサイ(WAISAI)に向かう船の中、ラウラさん、アンジェリーナさん、お爺ちゃんはこんな遠くに来ているよ、一緒にいつか旅をしたいね。そんなことを考えながら、先日、亡くなった栗崎さんのことも頭をよぎっていた。曇り空だが、この海と空をなんとなく眺めていた。南の島々の天国だね。旅ができるっていいねっと。
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港近くのホテルに入ったのが12時過ぎ、島々に行くことはできないから、この島を巡ってみることにした。オジャッククで、1時間半ほど、海浜公園が意外にきれいに整備されていて、夕方にも歩いていってみた。オジェックの運ちゃんが撮ってくれた。“バッパ ダリマナ“と聞かれる。そして、続けて、マナード? アンボン?比較的近くから来たインドネシア人だと思うらしい。こんな格好で、ビーチサンダルの老人を見て、日本人だと誰も思うわけがない。
  

(^_-)-☆コタ ソロン [旅]

 2989 マッカサール(ジャヤプラやムラオケに行くときは、必ず経由する。スラウェジ島の南部にあり、タナトラジャに行った時にはここで降りた)でトランジット、時差が1時間、バリなどと同じ時間だ。03:00到着、5;20に出発、私が乗ってきた飛行機はアンボン行きだったので、別の便に乗り換える、今度の便はソロン経由マヌクアリ行だ。



ソロンに到着して、さて、何をしようか考えた。観光インフォメーションを探したがない。いかつい顔をしたおじさんが、大勢、そこら辺りにたむろしていて、皆さんが、タクシー?とつぶやいてくる。適当に、その中でも、一番、体つき、顔つきが一番怖そうな人に、話しかけた。ラジャ アンパッへ行きたいことと、先ず、ホテルで寝たいと。すると、周りに数人の友達?同業者?が集まってきた。皆さんがOK.OKという。私に任せろと名乗りあげている。最初の人に、頼むことにした。先ず、港に近いらしいホテルに案内される。ワイファイを使えるというので、そこにした。70万Rpだった。パプアの物価はジャカルタと同じくらい高いことは、今までの経験から分かっていて、このくらいかなと納得した。ネットで調べても40万Rpが最低で、70万Rpは平均だった。



ところで、使えると言われたワイファイ、各部屋では使えなくて、ロビーでしか使えなかった。生憎、其のロビーで、結構、派手な結婚パーティーが模様されていて、その中のソファーに座って、作業しなければならないので、外出した帰りにちょっと寄って、確認しただけだった。また、持って行った、スマートフレンのモデム、圏外になっていて使いもにならない。マッカサールでは、使えた。



ここは、日本タイムと同じだ。先ほど頼んだタクシーの運転手に、一眠りした後13時頃から、ソロンを案内してもらった。特に、これといった観光地がなく、海岸をいくつか歩いた。その前に肝心な、ラジャ アンパットへどんな方法でいつ行くか、いつ帰ってくるのか、宿泊はどうするのか、だった。このいかつい顔を運ちゃん、かなり、親切に、港へ行ったり、旅に会社に寄ったりして、色々確認してくれた。28日の昼前に空港に戻らなければならないことと、島めぐりを、できれば、丸一日することが条件だった。



結局、ソロンの港から、定期便が9時と14時に出る。ワイサイからも同じ9時と14時にでる。所要時間は1時間半だと確認したので、明日、9時に出発して、28日の朝、向こうから出発することにした。それで、大丈夫ということし、実際1時間半以上かかるとしたら、27日の14時にワイサイから出ようと思う。泊まる場所はいくらでもあるという。島めぐりなどの手伝いをしてくれる人は、向こうに着いてから、行き当たりばったりで、頼むことにした。いつものやり方だ。



5時間ほど付き合ってもらって、60万Rp払った。明日、8時にホテルに迎えに来てもらって港まで送ってもらうことにした。明日からの天気次第だ。どうなることでしょうか。ここ二日は雨が降っていないという。もう、乾季に入ったようだと言っていた。
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何ともない、普通の海の景色、ワイサイの方向だ。雲が何にみえますか。私にはフェニックスにみえた。

 

(^_-)-☆私もスルガへ出発 [旅]

 2988 平日なので、渋滞のことを考えて、18時には家から出て、空港へ向かった。チカランバラットのゲートに入ったとたんに、車が動かなくなってしまった。大渋滞の始まりは、ここからだった。MM2100通過がすでに20時、ダメだ、こりゃ、キャンセルを覚悟した。路肩を走り続けて、ブカシバラットで、20:30、そこから、不思議なことに渋滞が消えてしまった。21:30に、パーキルに入った。ガルーダドメスティックは、ターミナル3に変わっていることを送りの運転手から、知った。トニック、間に合って、ほっとした。



その駐車場、ブリトゥン行きの時に、既に使ったことがあった、しかし、ターミナル3の方へ行ってしまったので、また、ジャカルタ方面に引き返し、Uターン場所まで戻り、今度は、間違いなく、コンテナトラック方面に向かい、それを過ぎた場所にイナップの看板があり、車の宿泊駐車場(パーキル イナップ)に駐車した。



今から、機内に入る。23;30発、ガルーダで、パプア “ラジャ アンパット”というスルガ(天国)に向かう。途中、マッカサール、トランジットで、現地時間8;45(日本時間と同じになる)ソロン着、待ち時間を含めて、11時間の旅になる。戻りは,28日の夜。栗崎さんに、メールで、今度の休日はゴルフ、キャンセルと、報告すると、また、例の処?という返事が返ってくる。例の処とは、パンガンダランである。しかし、今回は、じゃなくて、パプアだよと、報告してあった。



パプアは、ジャヤプラ(パプアの北東端)とムラオケ(パプアの南東端)は既に行ったことがある。それぞれ、日本にいては想像もできないほど、別の世界が広がっていたが、今回は、パプアの北西端のソロンという町を目指す。写真では見ているが、実際、どんな景色が目に入ってくるだろうか、期待が膨らむ。

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リッポチカランのシロアム病院です。栗崎さん、三日間ここで皆様の見送りを待つ。手前のサヒッドリッポ ホテルとの間を曲がって、駐車場に入れますが、満車の場合が多い。隣のCIMB NIAGA銀行の駐車場は広い。運転手は路上駐車で待っているでしょう。



先ほど、甲子園選抜で静高が勝った。失礼だが、相手に恵まれた。“甲子園、出ると負けの静高”小学校のころから、そう思っていた。「何だ、また、静高か、静商(セイショウ)が行けばいい」と思っていた。ところが、二年の時に、夏、準優勝しちゃった。私の同級生たちだった。よかったねという印象だった。それから、何十年も過ぎて、何度も甲子園へ行っているが、一度だけ、準優勝したのかな。やはり、出ると負けか、二回戦負けが続いているという印象だ。今回はどうでしょうか。過去、選抜は15回出場、15敗ということは、優勝していないということ。そして、9勝しかしていないということは、一回戦負けが6回以上ということを示している。例えばの話、三回、二回戦で負けたとすれば、一回戦で9回負けたことになる。どうですか、期待しても無駄だよと言っているようなもの。今回は、どんな理由で特別枠をもらったのか知らないが、相手を一回戦だけは勝たせてやろうというようなチームと当たった籤運が良かったみたいでしたね。自分の出身校をけなしてはいけないが、統計的には、こんなものです。



甲子園に出場となれば、何回出たって、その都度、寄付金の集まりがすごいが、直ぐ帰ってきてしまうから、余ってしまうと聞いている。商店街や県庁や市役所で募金箱を持って回れば、またかよ、と言われながらも、直ぐに箱が一杯になるらしい。私の処には家に振り込み用紙が送られてくる。何回か振り込んだことがある。

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午前三時過ぎのマッカサールの搭乗ゲート付近、結構、賑わっている。土産物店やレストランも全部、営業している。それだけ、パプア各地に行く人が多いということだろう。


(^_-)-☆贅沢な使いかた [インドネシア]

 2987 私からもメール発信。 皆様 お疲れ様です
栗崎さんとのお別れは、28日 リッポチカラン シロアム病院のメモリアルホールで、
昼過ぎから、仏式で写真とお骨が置かれ、ご焼香ぐらいはできる状態にするそうです。特に儀式はない可能性が高いそうです。
29,30日も 8時から20時まで、借り切っているので、焼香は可能とのことです。

最新情報です。Berikut acara Ceremony duka :
1. Hari/Tanggal : Kamis, 23 Maret 2017, pukul 15.00 waktu Jepang, Jenazah telah dikremasi.
2. Hari/Tanggal : Selasa s/d Kamis, 28 s/d 30 Maret 2017, acara ceremony duka di San Diego Suites RS. Siloam Lippo Cikarang, mulai pukul 09.00 wib. Abu Jenazah akan disemayamkan di sana.
お別れ式は28日午前9時から午後8時まで 29日、30日は午前8時から午後8時まで3日間行われます。
お別れ式ですが日本のような葬儀ではないようです。各人がお線香をあげていただき、お別れをしていただく
ことのようです。23日に日本で火葬されましたので、遺骨をインドネシアに持ち帰り、お別れ式が行われます。

私は、28日、都合が悪いので、29日に、お別れをしに行くつもりです。

カラワンのプレス屋さんに行ってきた。私たちが作った製品に沢山の打ち抜きをする工場だ。以前、一度、打ち合わせに行ったことがあったが、今回は、実際に打ち抜きをしている現場の様子を確認するためだった。結論から言うと、気の毒なくらい、手間取っているし、戸惑っている。穴の数や種類が沢山あり、打ち欠きする場所もあり、2mの製品に15カ所以上、抜き欠かなければならない。二台のプレス機を使ってやっているが、なかなか、はかどらない。その上、まだ、金型の一部が出来ていないので、ナイフで切り欠いている。見ていると、一本完成させるのに、10分以上かかっている。それも、四人がかりだ。 
一日7時間やったとしても、40本くらいしかできない。今回、900本だから、一か月掛かることになる。私たちの生産は三日間で終わっている。
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この会社、広大な土地に、広い工場をいくつも建ててある。それぞれが、使っているのは使っていないのか、人が殆どいないし、車もおいてない。このプレス工場も、だだっ広い場所のほんの片隅に機会が並んでいて、風通しのよさそうな状態で仕事をしている。事務所の一角もない。新品、未使用のプレス機が、難題も並んでいる。仕事の当てがあって入れたのだと思うが、聞くと、いつから、どんな仕事をするのか、聞いていないという。日本の岡山のプレス工場で研修生として3年仕事をしていたという日本語上手な青年が、そう言っていた。

10以上ある建屋に中は、全て、こんな様子、中に設置されている装置を全部、集めてきても、この工場、一杯にならないと思うくらい、無駄な使いかたをしている。どういう経営者なのだろうか。道楽としか思えない贅沢な工場だ。大赤字に違いない。

この会社、今日の仕事ぶりをみて、これでいいのか?と、思う。いいはずがない。

(^_-)-☆尾を引いている [思うこと]

 2986 惜しい人を亡くしたtelah kehilangan orang terkasih
もったいないね Sayang sekali! 惜しいSayang 惜しかった itu adalah disesalkan
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栗崎さんの何げない普段でした。
太田様  無沙汰しています。
先週 1週間 寒い日本におりました。新宿にある東京医科大病院とのお付き合いも5年になりましたが、まだドクターのOKがでず、しばらくは“月一で”日本通いです。

従来の治療法が、効果が出ないため、今月末から新薬による治療となります。航空券代、滞在費等結構出費も多く太田さんからお借りしているルピアの返済が出来なくて大変申し訳ありません。今しばらくお待ちください。

太田さんのブログは欠かさず読んでおります、昨日でしたか”ぎっくり腰“になったと書かれてましたがいかがですか?
チカランに住んでいながらジャバベカに行けないのは本当につらいですね。いつまでも会社に迷惑をかけるわけにいかないんで、
そろそろ”決断“しなくては、と思ってます。
足の痛みがとれないうちは運動ができないので、ひたすら我慢です。

新規工場でご苦労されているようですが、「ここはインドネシア」ですので70~80%くらいの期待値で頑張ってください。
栗崎からでした。

融通したRpは、お渡ししたものですから、返していただかなくてもいいのに、既に、返していただいた。

最近のジャカルタ、スラバヤ中高速鉄道の報道のほんの一部
Kereta Cepat Jakarta-Surabaya Masuk Proyek Strategis Nasional 2017国家戦略プロジェクト
PT Kereta Api Indonesia akan menghilangkan sejumlah perlintasan dalam kajian kereta cepat lintas Jakarta--Surabaya yang menjadi usulan kepada pemerintah Jepang.
PT Kereta Api インドネシアは、踏切を無くす。 ジャカルタ-スラバヤ日本政府への提言した。
Direktur Utama PT KAI Edi Sukmoro mengatakan dalam hasil kajian proyek kereta cepat bersama tersebut rencananya menggunakan jalur yang sudah ada. Edi Sukmoroは述べている、既存のラインを使用して計画に沿って研究結果プロジェクト。Pihaknya hanya akan membeli kereta bermesin diesel baru dan menghilangkan perlintasan. それは、新しいディーゼル列車と交差を排除させる。

"‎Jadi akan dibuat lebih rinci berapa perlintasan yang harus dihilangkan. Adapun, jumlah perlintasan saat ini mencapai 980 unit, termasuk yang liar," 「だから、インターチェンジを除去する必要があります。現在の交差の数は980 台、違法も含む"
と、こんなことを言っている。当たり前でしょ。そんなことは、提言するほどのこともない、と、思う。

ジャカルターバンドゥンの工事はワリニ付近で始まっているという報道は一月にあったが、その後、関連ニュースがない。土地の買収が90%に達したというニュースがあったが、この頃は、85%という報道に替わっている。ハリムとプロワカルタ付近の買収が進んでいない。それでも、2019年に開業という目標は訂正していない。
 

(^_-)-☆18年お世話になった [人生]

 2985 私がインドネシアで知り合った人の中で、一番、お付き合いの長い方でした。赤旗を立てでもまたゴルフをしましょうよ、と、声を掛けていたがかなわぬことになってしまった。

私がゴルフを始めたのが1998年、暴動の直ぐ後でした。その半年後位にある初心者歓迎というゴルフの集まりを知り、その仲間に入れてもらうことした。アクラブ会でした。その会の世話役をしておられたのが栗崎さんでした。その時も今も、ヤマニの方でした。私も栗崎さんもその会を何年後かに止めて、ジャバベカで毎週ゴルフを小グループでやるようになっていた。それは、昨年の末、10月ころまで続いていた。

その1年前くらいから、肺がんが見つかり、日本やマレーシアなどで手術を受けたり、治療をしながらも、インドネシアにいる時には、一緒のカートでゴルフ場を回っていた。その内、激やせで、体力も無くなり、ゴルフどころでは無くなっていた。それでも、会社に出勤していたし、ゴルフの夢を見ると言っていた。

今年に入って、月に一回、日本に帰り、投薬をしていたようだった。今回、半年ほど会社から休暇をもらうよ、と、話しながら、一週間ほど前に帰国した時には、病院で投薬もない状態で、静かに亡くなったとか。

ドライバーの飛距離が殆ど同じだったので、同じカートに乗ることが多かった。二打目も同じくらいのところに行くので、カートに戻らないで、無駄口をたたきながら一緒に歩くことも多かった。仕事上の付き合いはなかったが、ジャバベカでのゴルフの付き合いは、10年以上はあった。私はインドネシアでお付き合いしている日本人は少ないが、栗崎さんは、インドネシアには35年以上関わっていて、県人会をはじめ、工業団地の付き合い、何やら、ボランテャアの仲間、現地警察にも知人ガ多かった、多くの世話役をやっておられて、栗崎さんを何かと頼りにした人も多かったと思う。事件に巻き込まれた時に、栗崎さんに相談した人も多かったと思う。時々、そんなことを、ゴルフコースを回りながら、話をしていた。私は、聞き役だった。

事件やデモ、ストライキの事前情報もこまめにメールで流してくれていた。

ゴルフ場でも超有名人で、しばらく、顔を出さない時には、私に、栗崎さんどうした?今日はいないね。と、多くの人が聞く。栗崎さんは、今、日本だよと、紙に書いて貼っておきたいくらい、会う人ごとに聞かれる。

インドネシアにいて、お世話になった方が亡くなったという知らせを聞くのは非常に辛い。今朝、その知らせを聞いて、しばらく、涙が止まらなかった。人生の先輩として、尊敬をしていたし、非常に身近な方だった。ご冥福を祈る。

そう、多くはないが、尊敬している方、目標にしている方、生き方の手本にさせていただいている方が、次第に会えない世界に行ってしまう。
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元気だったころの姿。ともに愛でた花。Surgaで眺めていることでしょう。栗崎敏敬(くりざき としのり)さん、ありがとうございました。
日本で荼毘に付し、インドネシアで告別式、埋葬するそうですが、詳しいことはまだ決まっていません。


(^_-)-☆孫中学生 [思うこと]

 2984 契約電力は十分の量を確保しているが、どういう分けか、実際に使える容量が少ない。この地域の今までの電線をそのまま使っているので、必要ない容量が流せないのだという。それは、当初から分かっていて、移転をするために暫定的に、使っていて、直ぐに、太いケーブルに交換するという話だった。ところが、いつまでたってもその気配なし、何度も催促していて、そのたびに、いつまで遣るという返事、オオカミと少年の話、もう、この工場の準備をした人の言葉は信じない、信じないからと言って、矢張り、いつになることやらわからない。電圧低下はあるし、停電は頻繁にするし、容量は足りないし、準備しつつある押出ラインの準備を止めている。

停電の度に、余計なロスが増えるし、粉砕機を使う時には、1ラインを止めなければならないので、なかなか、ロスの再生ができない。不良品が積もり積もって、粉砕室に山になっている。キロ2000円や1000円の原料もある。再生ペレットにして使いたいが、できないでいる。もったいない話だ。

近所から、騒音にクレームが入っている。一番近い民家まで50Mほど離れている、二番目に近い家は100Mほど離れた場所に数軒ある。役場の人が、来るのだが、どの家からのクレーム化は、言わない。ただ、クレームが入っていると言ってきている。この工場がなかったときには、夜、静まり返っていたでしょうこの地域、工場が来てから、工場からの音が夜中中出ているんだから、今まで聞こえていなかった音が聞こえてきているのだから、大きい、小さいにかかわらず、気になる人には気になると思う。私の家でも、500M以上離れた鉄道線路から、列車が通過する音が聞こえてくるのだから。
幾らかの金額を出して、お帰り願っている。多分、時々、お金を渡すことになるだろう。そんな地域だ。

ドイツから日本に移り住んでいる孫の上の子が小学校を卒業した。校門での記念撮影の写真を送ってきた。自分の孫とは思えないほどしっかりした顔立ちをしている。暮れ正月に日本にいた時に、一緒に、“君の名は”を見にいったり、ボーリングをしたり、カラオケに一緒にいった子だ。実に感慨深い、年に何日しか会っていないが、当たり前だが、そのたびに、大きくなっていて、大人びてきていた。今度、中学生の彼女に会うのは、楽しみだ。
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この子が、もう、中学生。歳を取るわけだ。

尊敬するインドネシアでの大先輩、栗崎さんが日本の病院で亡くなられたという知らせが入った。がっくりだ。

タグ:卒業 容量 騒音

(^_-)-☆これからの予定 [思うこと]

 2983 7月中に,インドネシアから日本に帰る。新しい仕事に対する対応をすればいいだけの環境になりつつある。経営的には私がいなくても大丈夫になりつつある。新しい仕事でも、金型の設計と修正が主なので、日本にいても、多くの場合は可能だ。 今年の後半は日本にいるつもりだ。

予定としては、5月末辺りからラマダンになり、6月末辺りでレバラン休暇が10日ほどある。それを過ぎてから、航空券が安くなる時期に帰国だ。そして、今月末のニュピ(バリを主体でヒンドゥー新年?)を使っての、四連休は、ラジャ アンパッRaja Ampatパプア北西部の小島群へ行く。つい先日、
https://www.youtube.com/watch?v=3wMDcKqIUoE
https://www.youtube.com/watch?v=Xph4Y732fQM
イギリスの客船が座礁して、多くのサンゴ礁を破壊した。再生には200年かかるという。そんな場所へ行ってくる。
また、4月には14~16日、22~24日、そして、29~5月1日、それぞれ三連休がある。忙しいぞ。行き先候補は、パンガンダラン、ブキッ ティンギ、コタキナバルでラフレシア探しをしようかなと思う。5月がまた、11~14日、25~28日の二回、その気になれば、それぞれ四連休にしていい。そして、断食月に入る。
忙しいですね。ゴルフをやる回数が極端に少なくなりそう。

インドネシアはやたらナショナル ホリデーが多い。

https://www.youtube.com/watch?v=Em6yRjYFPmM
スシ海洋大臣はパンガンダランの人だ。パサールパンガンダランの真ん前に家がある。家にいる時には、その家の前に警察官がウロウロしているので、今いるなとわかる。この放送会話の中にパンガンダランが沢山出てくる。彼女は中国密漁魚船やそのほか麻薬などの密輸船を爆破してしまうことで知られている。スシエアーの経営者でもある。ハリムやバンドゥンからパンガンダランまでのセスナ機を運航している。

ビザの書き換えが4月中旬なので、連休の合間をぬって、ブカシバラットのイミグレへ行くことになる。
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もう、ほとんど、乾季に雰囲気、じりじりの暑さが復活し始めた。雨傘が日傘になる。

タグ: 連休 祭日

(^_-)-☆韓国で思うこと [思うこと]

 2982 先週もやっているが、ブリトゥン旅を挟んでいるので、何か、久しぶりのゴルフのような気がする。明け方、雨がぱらっと来ていたが、天候は崩れることなく、快適な気候の中でプレーが出来た。もうソロソロ、雨季が開けるころだ。

話はガラッと変わって、
私は、少女像(従軍慰安婦像?)に関して、提案を書いた。韓国人の一の部に人が、それらを、あちこちの置こうとしている。それらの人にとっての自己満足を満たすために、留まるところを知らない。それで、日本人の今後の気持ちや行動が変わるはずがないのに、である。まさか、そんな像を一杯設置して、今の日本人が変わると思っているのでしょうか。全く、日本人にとっては、意味のないことを向きになってやっているなと、思うだけだ。気の毒に思う人が多いと思う。だから、10億円を返してもらって、その人たちの為に、その人たちに、その10億円を使って、少女像を世界中に設置するようにしてあげたらいいと提案した。今日の再提案は、日本も予算を組んで、世界中に特に韓国の中に少女像を設置させてもらったらいいと思う。お手伝いです。ついでに、強制労働像も並べたらいい。韓国や中国の各都市に一体ずつどうでしょうか。日本は、あなた達が満足するための資金援助をするのです。公共設備や技術援助の資金では、だめのようですから。少女像のデザインももっと美的にして、大型にしてあげたらいいと思う。そして、それらには、日本の資金援助で設置しましたと書いてもらったらいいと思う。是非、国連にも世界の平和の為に、賛同してもらったらいいと思う。

日本の政治家も、慰安婦問題は韓国だけの大きな問題と理解し、気の毒な国へ、その問題を解決する手段として、韓国の人が満足するなら、大きな気持ちを持って、慰安婦像の設置資金を提供してやってください。像一体、設置場所の借地、運賃、設置費用、合計いくらくらいになるでしょうか。2~300万円でできるのでしょうか。千躰で2~30億円でしょうか。ごめんなさいと言って、そのくらいの予算を計上しましょう。設置委員の方が、銅像費用として集めたお金は、元慰安婦とされている方々にあげてくださいと。

 韓国に提案、韓国から中国に提案したらいい。北朝鮮が核爆弾やミサイルの開発を活発にいている。防衛手段として、THAADの配備をアメリカと共に決定したことを中国は、怒っている、何故でしょうか。北朝鮮に対する防御手段なのに、中国が、自分の国からの防御手段になっていると言って、怒るのでしょうか。中国は、お前の処は。こちらからの攻撃を防御してはならないというのでしょうか。どうも、変ですね。それなら、防御がダメなら、攻撃は良いのでしょうか。中国は北朝鮮の核開発を止められないでいる、むしろ、容認している節がある。それなら、韓国も、北朝鮮のようになりたい、北朝鮮と同じように、核やミサイルの開発を承認してもらったらいい。核兵器を持つのならいいのですかと、中国に打診することをお勧めします。嘘でもいいから、かまをかけるだけでもいいから、一度、提案したらいいと思う。なんという、返事が来るでしょうかね。楽しみにしたらいい。
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 コンビニで買い物をしている間に、大雨、前で暫く雨宿り。バイクが雨宿りで飛び込んできた。
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 行きのフライト。この状態、どう思いますか、こちらが私の足、隣の男、持ち物が大きいとは思えないが、大股開き、見かけ50歳代、結構、いかつい顔と体をしている。肘もこちらに大幅にはみ出してきていた。隣に座っている人のことなど、気に掛ける余裕がないらしい。離着陸の時、もっと、大股開きになり、両手で前の座席の背もたれの上を鷲掴みにして、体をこわばらせていた。結構気が弱いようだ。

(^_-)-☆今回の旅から [情報]

 2981 ブリトゥンの旅は、景色やガイドなど現地の人々との接触は満足だったが、気に入らないこと、気を付けなければならないことに沢山であった。インドネシアだからと言って、ティダ アパ アパ、と、言いたくない。

ホテルのワイファイ、使えることを確認し、止まることにした。フロントでパスワードも教えて貰った。そして、部屋で接続してみた。繋がらない。フロントに電話で聞いたら、修理中だから、10分ほど待ってほしい、できるようになったら、電話するから、と言われた。一向に電話が掛かってこない、30分後に試してみた。ネットワークなし。また、電話した。故障をしているという、いつ治る予定か聞いた、いつになるか分からないという。私が持っているスマートフレンのモデムは、圏外としか出てこないから使えない。結局、ネットに繋ぐことが出来なかった。最後の最後、空港でもネットワークなしだった。

ジャカルタに戻って、先ず、車の宿泊場からの迎えの車について、何処で待つのか案内に聞いたら、決まった指定場所はないという、呼べばいいという。駐車チケットに駐車場に掛かりの電話番号が書いてあるから、そこに電話して呼び出すと言われた。そのチケット、車の中に置いてきたので、持っていない、と言ったら、それじゃ、だまだよ、持ってこないのが間違いと言われた。誰かを送ってきた通り掛かりの車を捕まえるしかないという。それも、到着フロアーで待てという。どうも変、送ってくるのは二階の出発フロアーじゃないのかというと、いや、下に来るから、過去で待てという。一向に、通らない、来ない、40分ほど待っていたが、待ちきれずに、彼らを無視して、二階で待つことにした。二階でも、掛かりに何を待っているのか聞かれ、先ほどと同じことを言われた、しかし、待つしかない。30分ほど待って、やっと来た。外に出て、1時間以上、イライラさせられた。電話して迎えに来てもらうシステムなど知らない、聞かされていない。普通は、シャトルバスの後場と同じように、駐車場からの迎えの車を待つ場所を作っておくと思う。そんな場所かない。

駐車チケットは持って出るのが当たり前だとも言われた。日本のように、買い物をすれば、無料になるなどのシステムなら、持って出るが、インドネシアには、そういうサービスはないから、持って出ることはない。車を盗難されて、チケットがあれば、外に簡単に持っていかれるでしょ、駐車券は車の盗難防止の為に持って出るのが当たり前と言われた。なるほどと思うが、車の盗難など、私の周りで20年以上、聞いたことがない。それより、決まった待機場所がないなら、迎えに車を呼び出すシステムなら、そのことを、チケットを渡すとき言うのが常識でしょ、と言ってやった。運用して、多分、半年以上過ぎると思うが、足りない部分が沢山ある。インドネシア人は、問題ないのでしょうか、不思議だ。

16時半に外に出て、18時前にやった、駐車場から脱出した。それから、ジャカルタ方面に向かい道が分かりにくい、新しい道だが、案内の看板がない。とにかく、山勘で、道を選んで進んだ、LRTの線路に突き当たり、線路沿いの道に出た。どうも、方角が反対、しかし、一方通行、戻れない、レールの反対側の道は、向こうからの一方通行になっている、あちらの道に行かなければならないと思っていた。すると、500mほど先で、その線路を跨いでUターンするように、陸橋の道が出来ていた。ぐるっと回って、先ほどと反対方向(ジャカルタ方向)になった。そして、先ほど線路沿いの曲がった、突き当りの場所も通り過ぎて、100mほどのとことで、やっと、右折、ジャカルタ方向という看板があった。不思議な事に、何故、先ほど線路の突き当たった場所に陸橋を作らないで、500Mも離れた場所に陸橋を作ってUターンさせ、合計1km以上も遠回りをさせなければならないのでしょうか。相当な無駄使いだと思うし、時間や燃料も無駄になるのに。

今度は、渋滞の心配があった。ウイークデー。渋滞は覚悟していた。タマン アングレックのずっと前に大渋滞にハマった。北回りをしようか、迷ったが、グロゴール側を選んだ。20時前にはジャバベカに着くかな、と思いながら、渋滞の中に入っていた。
スマンギまで1時間、そこで、友を下して、ブカシバラットまで2時間、もう20時を回っていた。家に着いたのが21時過ぎ、クラッチを踏む足は、良く、釣らなかったと思う。とにかく、全ての出口の手前では渋滞になる。出口を過ぎると、少し流れが速くなるが、しばらく走ると、また、出口に手前の渋滞になる。

ということで、一日中、PCを開くことはなかった。家に戻って、やっとブリトゥンの投稿が出来た。もう、22時(日本時間0時)ちょっと前だった。やっと、その日に、間に合った。
楽しんだ後の大試練だ。平日のジャカルタは、とんでもないことになるから、絶対に行きたくないが、今回は仕方がなかった。
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パンタイ ブキット ティンギのほんの一部。
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この海岸、素晴らしい景色、しかし、遠浅の海岸は汚染せれていて、色が黒っぽいし、臭い。歩いてみようとしたが、歩ける状態ではなかった。
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ヒラタ美術館(記念館)どぎつい、配色のオンパレード、ヒラタ氏がこれを認めたのか、彼の考えなのか、以前の素朴な自宅のままの時の方が私は好きだったが、今のペンキ塗りの家や周囲の壁は、気分が悪い。彼の作品は,“二十四の瞳“を、模したと言われても仕方がないような内容だが、その世界と、今の展示場の雰囲気は別の次元というか、世界だ。彼の本心が今にあるとしたら、ラスカル プランギは、いったい何なのだろうかと思う。やはり、本当に彼の作品その物かどう疑いたくなる。それに、彼の作品で、これ以外の物を聞かない。

http://otaenplaext.net/newpage48.html  前回
http://otaenplaext.net/newpage49.html

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0075.html 前々回
http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage00092.html
 

(^_-)-☆夢中の二日間 [旅]

 2980 ほとんど半日のジャランジャラン、まず、ラスカル プランギの撮影学校へ行ってみる。雰囲気が以前と全く変わっていた。俗っぽくなっている。以前は、撮影学校の他に何もなかったが、今回は、土産物屋やワルンが10軒ほどある一角が出来ていて、そこが駐車場になっていて、そこを通らないと、学校へ行けなくなっている。結局、以前は学校の下の方から出来損ないのような門(校門)をくぐって学校に近づいたが、今回は横から入っているので、その門までは、降りて行って改めて上る。それと、以前にはあった、校舎の左側の建物が無くなっていて、新たに休憩場所が作られえ、分校の雰囲気を壊している。
そういえば、泊まったホテルに面する海岸、遠目にはきれいに見えうるが、近づくと臭いし、油汚れやプラスチックのゴミが埋まっていて、とんでもないことになっている。多分、数年間ホテルからの排出水やボミで、かなり汚染されている。折角の自然が売り物のブリトゥン、行政は、何とかしなければならないと思う。汚染はそこに限ったことではない。アンドレ ヒラタの博物館?へ行った。会館前だったので、直ぐ近くにあるという、アホックさんの記念館へ行って見た。その向かいに彼の母親が住んでいる家があった。彼は、ブリトゥンの出身だったのです。それなら、なおの事、スハルトの息子のトミーが広大な土地を所有していて、ゴルフ場やホテルを造成中だというから、なおの事、彼らが。先頭に立って、島の汚染防止と浄化を進めてほしいものだ。

現在の雰囲気では、島の環境が悪化するばかりだ。近い将来、日本人に勧めたくなくなる。

今回の旅で、色々な不満はあったが、あっという間の二日、日常にない雰囲気の中、十分に満足。気分は若返りだった。pura-pura kembari ke mudah それでも。体中が痛むし、疲労困憊だ。
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ブリトゥン、タンジュン パンダンの空港ターミナル。
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順調に進んでいる?空港LRT。
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タマン アングレック このときは夕暮れ前、手前1kmくらいから、大渋滞の始まりだった。

タグ: 若返り 堪能

(^_-)-☆ブリトゥン [行動]

 2979 日本からのお客さんを二人連れて、ブリトゥンBelitungに来ている。仕事の具合によっては、キャンセルかと思っていたが、幸い、平日、会社を離れることができる雰囲気になっていた。ブリトゥンは、三度目である。
4時半に家から出発、ジャカルタで友をピックアップし、空港へ、8;30発 スリウイジャヤは、 ターミナル2である。一晩車を泊めるので、それ専用の駐車場(pakir inap)に駐車、こちらも時間単位だが、単価が安い。ターミナル1,2へ曲がらず、タ-ミナル3方向にまっすぐ行くと、ちょっと、分かりにくいと思うが、PARKIR INAPの看板が出てくる。ゲートで、HPの番号を聞かれる。適当に駐車し、ゲートの方に戻るとその左側に、各ターミナルへ送ってくれる車を待つ場所がある。小型の数人以下の乗り物、乗ると、使う航空会社を聞かれる。そのターミナルへ送ってくれる。私はタクシーを使うより、ここに止める方が安いし便利だと思う。

9;40 タンジュン パンダン空港に到着、出ると、すぐ右にタクシーのカウンターがある。北の灯台をはじめ、観光地を案内してもらって、最終は、街のホテルまで送ってもらう。それで幾らか、夕方の5時ごろまでで、50万Rp、それでOK,すぐに北に向かった。

船乗り場がある海岸に着いたには、11:00 途中、錫など鉱物資源露天掘り地帯を通る。4つの島めぐりと、昼食、シーフードセット、シュノーケリングセット、ライフジャケットそれぞれ二人分、合計88万RpでOK,

以前と同じなので、私としては、感激も薄れているが、連れにとっては、天国のようだ、と思う。天気もまあまあ、途中、ひと泳ぎをした。ここは、インド洋ではない、波はおとなしいものだ。パンタイ ティンギ、ここが、ラスカル プランギの撮影の場所の一つ。とにかく、大岩の芸術的配置には、何度来ても、素晴らしい景色だと思う。

18時過ぎにホテルに入る。丁度サンセットの時間だった。しかし、このホテル、WiFiが使えない。失敗だった。
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灯台がある島、大岩の間から、灯台を望む。
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サンセットが間もなくの海岸。

(^_-)-☆落す 躓く 滑る [思うこと]

 2978 その他にも、昨日書いたようにいろいろあるが、今朝、茶碗に卵を割って入れ、かき混ぜようと、持ち上げた。取ろうと右手を箸に、伸ばした瞬間、左手から、茶碗が、するりと離れて、タイルの床に落ちてしまった。木っ端みじん、小さいかけらが飛び散った。全てが、鋭利に尖った状態だ。インドネシアの床はタイル。落とせば、大概のものは木っ端みじんに砕け散る。また、やった、と思いながら、床を掃除した。やりきれない。

 雨漏りがする台所の部屋、洗濯機を置く場所もその一角にある。雨季の今まで、ほとんど毎日、床に水が広がっていた。一寸でも、気を抜くとツルッと滑る。一部に玄関マットのような滑り止め用にシートを置いている。その上を歩くようにしている。インドネシアでは,風呂場で転んで怪我をしたという話は、よく聞く。先日もある知り合いの女性から、転んで、肘を強打したという話を聞いた。若い人でも、日本より遥かに危険な床だと思う。ゴルフシューズも良く滑る。何故、ゴルフシューズは、イボのようなものが沢山ついていなければならないのか理由が分からないが、階段の上り下りに滑って入り人を良く見かける。私も、何回か経験がある。普通の運動靴で何が悪いのでしょうか。打つときに、滑らないようにというなら、滑っても構わないから、スニーカーにしたい。以前の鋲が付いている靴は禁止なっているのに、今の鋲の靴でなければならないのでしょうか。多分、普通の靴でいいと思うが、どこかの誰かが、何かの都合で、ゴルフシューズでなければならないと言っているのだと思う。芝を傷めやすいのも普通の靴よりゴルフシューズの方だ。良く、引きずっている人がいて、そういう人は、それに、気が付いていない。

 引きずると言えば、床に這っている線を良く引っかける。普通は足を上げる高さなど気に掛けないで歩く。何も気にしないで歩く足を上げる高さが低くなっていることを意識するようになった。以前なら、引っかけない線に引っかける。また、ちょっとした、段差とも言えないような段差、1Cmもない、そこの躓く、5Cmもあれば、意識して足を上げるだろうが、1Cmでは意識をしない。最近は、普通にあること機でも、意識をして、足を上げるようにしている。
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 昨日のカルフール、広々とした駐車場に一台しか見えない。
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 我が工場の裏の塀の外は、釣り堀?


タグ:滑る 落す 躓く

(^_-)-☆腰痛再々発 [日常]

 2977 強行軍のジャングル探検や山登りをしたわけではない。長時間、立ち続け、歩き続け、睡眠も不足、食事も不規則、それで、二日連続ゴルフ、バッカじゃないの、と自分で思う。ゴルフ二日目の朝、足がつって、目が覚めた。伸びをしたら、釣っていなかった方の足もつった。腰が痛い、釣った足が何とか収まり、起き上がろうとしたときに、腰がギクッと来た。

それほどでもなかったのでゴルフにやった。ボールを置いたり拾ったりするときには、膝をしっかり曲げて、できるだけ、前かがみにならに様にしなければならなかった。そして、少しずつ、痛さが増していって、何かを掴まなければ、立ちあがれなくなっていた。

ゴルフに出かけるのは、スタートの30分前、10分程度でゴルフ場に着く、着替えは家出していくので、15分前には、スタートホール脇にいる。という、余裕のない行動をして一応大丈夫。ところが、昨日は、余裕があり過ぎて、なんとなく、出発前にズボンを履き替えた。その時に財布を、履いていたズボンから出してテーブルの上に置いた。履き替えたズボンに入れたはず、で、出発前にチェックをしなかった。ゴルフ場について、メンバーズカードをだそうとして、財布を忘れてきたことに気が付いた。待てよ、その時、家の鍵を閉めたかな。記憶がないことにも気が付いた。幸い、着替えを入れてあるリックサックにプレー費にもチップにも十分な金額の予備のお金があるのでそれを使った。メンバーズカードは、私の顔で問題ない。家の鍵は?もう時間がない。その後、このことは意識していなっかった。家に戻って、扉を押したら、開いてしまった。また、鍵をかけるのを忘れたのでした。幸い、財布も大した金額でもない中身もATMカードも全て無事だった。鍵のかけ忘れは二回目だ。前回は、強風で、開いてしまっていたのをセキュルティーが気が付いて、締めて、私が帰るまで、見ていてくれて、帰った時に注意された。工事関係者が家の周りに屯していて、にやにや笑っていた。
全く、もう、間が抜けている。間抜け!!!な奴だ。どこのどいつだ。

イジップへ夕方出かけた。途中、久しぶりに、カルフールに寄ってみた。まだ、営業をしていることにびっくり。入ると、超閑散、店員もほとんどいない。テナントは一軒も無くなっていた。生鮮コーナーは、無くなっていた。全体の売り場面積は3分の1以下になっていて、如何にも、在庫整理という雰囲気。インドネシア語でチュチ グダンCuci gudang,直訳は倉庫を洗う、である。在庫一掃セール、である。数少ない、店員に、いつトゥトゥップ?いつ閉店かと聞いたが、しらない、4月かな、と言っていた。それにしても、二年ほど前から、閑散となり始めていたので、いつまで持つのかなと思っていた。やっと、閉店になるらしい。とにかく場所が悪い、誰がこんな場所に進出を決めたのでしょうか。フランス人でしょうか。Uターン場所が遠すぎる。
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イジップの入り口付近でサンセット。

タグ:ボケ 閉鎖 腰痛

(^_-)-☆疲れても [ゴルフ]

 2976 サウジの王様がバリで5日ほど遊んで、日本に向かったらしい。1000人とも1500人ともいわれる大移動だ。何機で来るのでしょうか。皆さんが泊るところの手配だけでも大変だ。エスカレーターのタラップを持参してきている。81才だというが、エスカレーターはどこ製でしょうかね。日本の後は中国に向かう。石油成金世界一でしょうか。何年持つでしょうか。

足や腰が痛むのに、今日もゴルフ。今のグループに名前は、“愉快な仲間”というらしい、それが、なかなか愉快という分けにかない、私もそうだが、ストレス解消の為にやっている人が多いが、ストレスが増すと言っている人が多い。「乗ったら自動竿、OKパットなし」というルールがあるからだ。サオの長さ以下は対象外だが、サオは、宣言ではなく、どんなに遠いところにオンしてもサオ宣言をしたことになる。スリーパットは-3だ。私が観察した限りでは、皆さんの平均スリーパット回数は、三回から四回だ。-9から−12だ。ツーパット目は、OKなしだから、皆さん、どんなに近くても緊張しているのが分かる。

だから、オリンピックの合計点数が、+ちょっとにしかならない。今日の私たち四人の合計点は、-10でした・三人が-。一人だけがプラス。マイナスの一人も配当を受け取った。何故、この制度にしたのでしょうか。この制度、止めたらいいと思うのだが。
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11番のグリーン方面(東)とそのグリーンから振り返る(西)。東方面は霧が残っていて太陽も眩しい、ボールの行方が見えにくい。振り返って西は、既に明るく、青空と風が清々しい。間もなく雨季が開ける兆候の空だ。昨日今日と、天候に恵まれている。


ちょっと別の話。ずっと気になっていること。国会に何とか委員会の質疑応答の仕方が、実に効率的で面白い。いつから、今のような状況にしたのでしょうか。質問する人は同じ場所で居座って立ったり座ったりしている。答える人は指名されて、手を挙げて、マイクのある場所まで行って話をする。そして、直ぐ、自分の席に戻るか戻らないかの内に、質問者が回答者を指名して質問する。同じ人の場合は、何度も、何度も往復をする。いちいち、手を挙げて、お辞儀もそのたびに二回する。そのロスタイムは、質問時間になる。

戻らないで、その答えでいいのかどうか、ちょっとだけでもいいから、その場で、待てばいいと思うのだが、それは、いけないのでしょうかね。質問者が、分かりました、もう結構ですというか、他の人に質問します、というまで、待ったらいいと思う。立ったり座ったり、行ったり来たり、なんと、効率のいい運動をして、時間を有効に使っているのでしょうかね。国の最高機関が面白い儀式をしている。こういうのを見ると、ずっと昔から、国の全ての行政は、こういう動きが基本になっていて、不思議に思わない人たちが、担っていると思うと、面白くなってしまいますね。

(^_-)-☆停電なし [行動]

 2975 停電がないこと、電圧の低下がないことを願った。祈った。祈りが通じたのか、停電が今のところないし、電圧低下で、モーターが止まってしまうこともない。継続生産をしている。
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曜日を間違えてこうどうしてしまっていたが、早朝、ゴルフを一緒にするために、日本からのお客さんを迎えにジャバベカ2のホテルへ迎えに行った。ちょっと早くついてしまって、丁度、そのお客さんが食事中だった。朝食券が二人分有るというので、私も朝食を戴くことにした。バイキング形式だった。卵を焼くか、と聞かれたので、目玉焼き二個(マタサピ ドゥア)と頼んだ。マタン?(しっかり焼く)と聞かれたので、その通るだと、答えた。一般的な話、インドネシアに卵は、日本の卵より大きい。そして。肝心の中身は白身はほとんど水、割ると時に注しなければなならい。ドンブリの縁で割った瞬間、どんなに素早く閉じ返しても、白味がドンブリの外に流れ出てしまう。テーブルの上でそれをやれば、テーブルを汚してしまう。インドネシアの人たちは。割る時は容器の上でもって、スプーンなどで卵を割る、白味は容器の中に流れ落ちる、テーブルなど容器の外を汚すことはない。
気味はどうか、盛り上がることはない、ベタ~~と低く広がる、そして、割れてしまっている場合も多い。こんなだから、新鮮のシの字もない。とにかく、生卵のまま、食べるのは危険だということは直ぐわかる。そして、目玉焼きも無理というか、半熟も無理、スクランブルなら、問題ない。それでも頼んでみた。案の定、目玉状態になっていなかった。目玉が壊れてしまっていた。

このホテル、日本人客で一杯だそうで、土曜日の早朝なのに、レストランには日本人だけがうじゃうじゃいた。
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睡眠不足でも、仕事が一段落で、キャンセルすることなく、お客さんと楽しむ?ことができた。旨く行かなかった仕事の客先の日本人も一緒にプレーした。とにかく、生産は続行していることを確認していた。15時前に日本からのお客さんを見送って、会社に入った。他の製品と共に、製造は継続していて、安心をする。定尺化カットやバリ取りも並行していた。20時ころまで会社にいて、製品を確認していた。

ハイアール イジップとパナソニック ボゴールからの注文は、1,5倍になっていた。よく売れているらしい。インドネシアもいよいよ、冷蔵庫を各家庭で置くようになったというこちらしい。


タグ: 不安

(^_-)-☆参ってしまった [押出成形]

 2974 製品がうまくできない。一旦は、何とか、うまくいっていたが、いざ、本生産になって、状況がガラッと変わってしまった。金型からの樹脂に出方が変わってしまった。そのたびに修正して寸法公差に入れていたが、一度、止めて、再スタートすると、また、出方が変わっている。その原因が分からない。金型を取り付ける本体の方もチェックしたが、何ら、異常がない。そんなことを繰り返し、昨日は出来上がって流したのも確認して帰宅した。そして、夜10時頃電話したら、また、厚さが変わってしまっているという。夜中に会社へ入った。また、何回か修正して、やっと製品が出来たのが、今朝8時、9時に寝た。14時に目が覚めた。そして、14時半に会社に戻った。私が帰ったあと、また、寸法が変わってしまって、二度修正し、今は流し続けていた。もう、頭の中が、パニック障害ではないが、パニック。

各先も心配するし、製品が出来なければ、彼らの責任にもなるし、彼らにとってもただ事では収まらない状態らしい。それが分かっているので、なお、焦ってしまう。製品を作ってこんな、袋小路にハマったのは、経験がない。解決方法のアイディアが出てこない。やはり、オッタクOTAKが衰えている。どうにもならない状態。アッラーさんも含めて、八百万の神様に祈るしかない。アーミン。

夕方、客先の担当者が見えて、チェックして戴いた。何とかスペシャルOKでコンティニューと、指示をしてもらった。最低数量、3日間、順調に製造できることをマタ祈るのみ。

とにかく眠くて仕方がない。それでも、製造継続のほっとした気持ちは、得難い満足。

曜日を間違えていた。今日は木曜日だとばかり、思っていて、まだ、明日金曜日、明日も出勤だね。という話をしていたら、太田さん、睡眠不足で明日ゴルフでしょ、と言われた。え、明日?明後日だよ。と言ったら、今日は金曜日だよ、と言われた。日本からからのお客さん、一緒にゴルフをするために、ホテルへ迎えに行かなければならない日だった。夕方、キャディーから、明日、何時スタート?と、メール入った。も~~、ぼけていた。一日損した気分。

そして、停電にならないことも祈る。
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工場からサンセットとサンライズ
 

(^_-)-☆疲れた [押出成形]

 2973 朝6時過ぎに寝て、10時過ぎに無駄覚めた。10時半には、会社に入った。早く、生産状態を確認したかった。ほっとした。流れている。製品の出来栄えも良いようだ。定尺カットもバリ取りや検査、梱包に作業もしていた。これで、今日中にはプレス屋へ持って行ける。そして、昼過ぎに客先の検査担当者が到着し、一応、OKが出たが、まだ、ちょっと趨勢が必要だ。

私の方も、製品の形状について、ちょっと不満が有って、コンタミが出だしたので、バラスと言ってきたのを機会に、組む前に少しの修正をしようをした。夕方、再スタート、修正部分の良くなっていて、安堵しながら、18時過ぎ、家に戻った。

仕事中、何度も足がつった。フクラハギが、突っ張って、激痛。パニック障害の時の一つの症状として、有って以来の激痛だ。イジェン登山の時も、これほど、ではなかった。立ちっぱなし、歩きっぱなしだったからだと思う。歳を取っても、止められない、止まらない、だ。

明け方近くになって、へニー君が、私が、ウトウトしながら水槽に寄りかかっているのを見て、“太田さん、後はやるから、寝てください“という。その時、ふと、我に返って、”私の死に方の理想は、押出ラインのそばで、こうしていて眠るように逝くことだよ“と、何気なくつぶやいた。私の本心だ。インドネシアへ赴任する前からそう思っていた。彼曰く、ここじゃなくて、”他の場所にしてほしい”と言っていた。
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そして、今また、もう一度修正とコンタミの掃除で、会社に来ている。夜の10時を回った。間もなく、帰宅する。疲れた。

タグ:修正 眠い 疲労

(^_-)-☆ぎりぎり [押出成形]

 2972 ギリアイルやギリガハナではありません。やっと何とか製品になったということです。それは、今朝、6時でした。

マスターバッチが届かない、ジャカルタのプロガドンから、朝8時に運転手が持って出たという。昼前に着くだろうといっていた。真に受けて、製造の準備をして待っていた。客先も製品のチェックの為に、工場に到着していた。14時になっても15時になっても来ない。営業に電話するが切っていてでない。会社に電話しても要領を得ない。ナチュラルで流し始めた。これが、また、思うようにいかない。前回試作の時と金型からの出方が違っていて、全体の厚さのバランスが崩れてしまって、金型に通しても厚い部分が引っかかり、製品にならない。金型をばらし、調整をしなければならない。お客さんに申し訳ないが、直ぐには良品が取れないことを説明し、明日に朝、一番で来ていただくことにした。マスターバッチは16時過ぎにやっと届いた。一番遠いから、何か所の納品を終えて、最後が内だったという。おいおい、最初に一番遠い処に届けてよ。

それからが、大変、金型の修正を何度も繰り返し、テストも繰り返した。それでも、うまくできなかった。日を跨いで9日になった。製品が金型に引っかかって引取が出来なくなってしまう。全体の厚さを規格内ギリギリまで薄くしても、つっかえてしまう。もう、パニック状態、どうしても、9日中には製品を届けなければならない。焦るが、焦れば焦るほど、只、同じことを繰り返すだけの、堂々巡り。

ここで、問題点を整理した。1 表面に注ぐ後の波模様が付いている、これを、なくさなければならない。なぜ、直接水を掛けているかというと、冷却金型の中に注いで、バキュームで引っ張る場所の冷却をするのが一般的だが、それをすると、矢張り、金型の中で、波模様が出来てしまうので、金型の後ろ、製品が出てきたところに水を掛けて製品と金型を同時に冷やしていた。2 厚さを厚くすると、引取れなくなる。始め、製品厚さが0.8mmの処、隙間が1mmにしていた。PAやPCの場合は、それでうまくできる。今回のABSの場合も経験上、それで、行けるはずだった。しかし、引っかかる、そこで、隙間を1.2mmにした。それで、製品のサンプルを作り客先のOKをもらってあった。ところが、今回はうまく引っ張れない。3 試作の時もそうだったが、コの字型が閉じてしまって、後工程のプレス加工の金型にセットができないから、図面通りに開いたものを作らなければならなかった。

今更、ギリギリになって、一つのことを変えるだけで、全てが解決する方法などあり得ない。もう、客先に、もう一日伸ばしてほしいと、お願いするしかない、でも、客先も、ギリギリ状態で、昨日は社長さんも頼み込みにみえていたし、どうしたものかなと、一休さんのポクポクが始まった。
製品が閉じる原因は、外側の冷却が内側の冷却より早いからだ。それなら、直接、上から水を注いで冷やすのは止めよう。
厚めにすると引っかかって、引取れなく原因は、固まるのが早いからその部分が抵抗になってしまう。固まるのを遅く使用、まだ、少し、柔らかいうちに、金型を通過させよう。
表面の模様は、完全に固まっていない表面に水を掛けているから、それを止める。

それらを全て解決するには、水を掛けなければいい。しかし、金型を冷やさなければ、熱くなりすぎて、製品ができない、それでは?思いついた。金型の上に、チョロチョロと水を注げばいい。やってみた。試してガッテン、でした。見事にすべてが解決した。
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それが、今朝、世の中が明るくなったころでした。私の気持ちも明るくなった。二人の若者が私に付き合ったというより、彼らのやる気に、私が加勢したと言った方が良いかもしれない、私は、6時に家に帰って、寝たが、彼らは、そのまま、一睡もしていないまま、9日も仕事をしていた。脱帽である。

(^_-)-☆サンドブラスト命 [押出成形]

 2971 これは、大変なノウハウですよ。これをしないためにエンプラの押出成形がうまくできない会社や人は沢山あるはずだ。硬質塩ビの成形をしている会社や人にとって、塩ビ以外の押出成形が出来ない、また、嫌がる理由のなる一つだ。それも、根本的理由だ。H-PVC用の溶融金型は、樹脂の通り道は、とにかくテカテカに磨く、樹脂の引っ掛かりがないように、クロムメッキをする場合も多い。その考えが冷却金型にも及んでいて、製品の表面をきれいにする目的で、ツルツルにした方が良いと信じられている。これが、大間違い、塩ビの場合はツルツルに磨いても表面の荒れに影響しない、溶融金型から出てくる樹脂の艶がそのまま製品になる。溶融金型にペタペタくっ付いて、表面にビビリができてしまうということはない。だから、考え違いのままで、製品はできてしまうのです。
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ところが、その他の樹脂の場合は、ツルツルに磨くと、溶融樹脂と金型の内面と密着して、滑りにくくなるのです。バキュームでなお密着させるので、引取難くなるのです。綺麗にするために、磨いていて、きれいにならないので、磨き方が足りないと思い、もっともっと、テカテカに磨いてしまうのです。旨くできるはずがない。逆のkとをしていると気が付かないから、温度条件や速度をいじって、なおかつ、できない、できないと悩むのです。

そうです、簡単です。冷却金型の樹脂が通る部分の表面を荒らせばいいのです。一寸粗目のサンドペーパーで流れ方向と直角方向で表面を荒らせばいいのです。冷却金型の話です。溶融金型はテカテカに磨いた方が良いのです。それでも、テカテカに磨いた時よりはきれいにできるでしょう。もっと、有れ状態を均質にするためにサンドブラストをするのです。60や80メッシュが良いと思う。艶消し状態を均質にするのです。目から鱗ですよ。良い状態になって、安心して、いつまでの流していると、金型がツルツル状態になってきます、タイミングをみて、また、表面を荒らします。

私にしてみれば、表面を滑りやすくする常識的な方法だと思うから、50年以上前から、キャリブレーションダイの入り口付近には、サンドブラストを掛けていた。木工細工屋さんが、表面を滑らかにするために使っていたので、言って、お願いして使わせてもらった。その内に自社でも買ってもらった。しかし、なぜか、このことを教えてやっても信じない人が殆どで、騙されたとおもって、一部だけでもいいから、表面を荒らしてみてちょうだいと、言ってやることが多い。いろいろな原料メーカーから相談がある。売っている原料で客先が、うまく、製品を作ることができない、と相談がある。出かけていって、実態を見ると、とにかく、これでもか、というくらい、金型を丁寧に磨いている。ここもかよ、と思う。

サンドブラスターを持っていない、押出成形屋は、本物ではない。技術不足の会社です。カランラマへ行ってクリスボーの交換用エアーガンを仕入れてきた。
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コカコーラのチビトゥン工場、1996年、私がMM2100に赴任してきた時には、既にあった。これは、正門側でなく、脇道側だ。
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このわき道を通って、カリマラン道に出て、ちょっと左に曲がるとMM2100方面に、橋を渡って行く、その先に高速道路を跨ぐ橋があり、MM2100の工業団地に入るが、その橋の幅が1,5車線という中途半端だった。先ほど、新しくできた、2車線の橋。これで、交互通行しなくて済む。最初から、この幅の橋を作っていれば、新しい橋は必要なかったのに、インドネシアがやることは、理解出来ない。


タグ:摩擦 密着 滑り

(^_-)-☆万能水槽 2 [押出成形]

 2970 多品種少量生産なので、一つにラインで同じ製品をずっと流すことはなく、一月内に、何種類もとっかえ引き換え生産しなければならない。一つのラインで、チューブやプロファイル(異形品)を作れるようにしたい。
成型方法は、 1 素引き  アルミなどプレートに穴や隙間を作って、単に通すだけ、ちょろちょろ、前に水
が出てきて落ちている。
        2 密着素引き 素引きと同じようなプレートを使うが、密着させ、しごくようにする。前ら水は出ない。
3 直接バキューム吸引のキャリブレーションダイ。
4 バキューブボックスを使って間接吸引するキャリブレーションダイ(C,Die)
       5 プロファイル用冷却金型
       6 これらの組合せ、例えば、3と4を併用する
 細かく分ければ、もっと種類はあるが、基本が此の5種類だ。これらの金型を取り付けることができる冷却水槽
を、作ることにした。それが、今もそのまま使われている。決まった樹脂や形状しかできない装置では、多くの注文に対応できない。この冷却水槽は、私の足跡がある日本では東プラ精工をはじめ、富士プラ精工と太田化工の流れをくむ、静岡東部の三社、静岡市周辺の三社。そして、インドネシアでは、私が立ち上げたNANBUの押出部門をはじめ4社が使っている。車や弱電器具の押出部品(塩ビ以外)の全てがこの水槽を使って製造されている筈だ。
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 前面にどんな金型で取り付けることができるような板を取り付け、異形の冷却ブロックは、その外にでも中にでも取り付けられるようにし、ボックス内の真空度が安定するように、或いは、C,Dieやそのほかへの水量が安定するように、上のジャケットから落とすようにした。水槽内でワザと曲げないと真っ直ぐにならない製品の為にある程度の幅と深さも必要条件だった。
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 細い柔らかい塩ビのチューブ専用の水槽は、こんな立派なものでなくていい。雨樋のようなもので十分だ。ただ、水に通すだけだから。頑丈な動かない台も必要ない。

(^_-)-☆ちょっとしたこと [思うこと]

 2969 ゴルフは7:15スタート、家から6;45に出た。出た瞬間、タイヤがペチャンコになっているのを見てしまった。ガクッと来た。タイヤの交換である。道具を出して、ジャッキをセットし、タイヤのボルトを外した。外してから、タイヤを持ち上げ、スペーアーと交換した。その間、20分くらい。原因は、何やら薄いタイルのかけらが刺さっていた。幅5cmくらいだった。こんなものが良く刺さるなと思う。ゴルフ場までは、10分くらいだから、何とか、ギリギリ間に合ったが、焦った。ゴルフと食事の後、変える途中、タンバルバン(パンク修理や)によって、直した。釘や針金などが刺さった場合には、その穴にゴムを差し込んで塞ぐが、この場合は、亀裂なので、タイヤの内側からゴムの切れ端を張らなければならない。それでも、30分ほどで治った。8万Rpと、ちょっと高かった。
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ゴルフ、ゴルフ場のカートにはその時の運転心地というものがある。ブレーキペダルが不完全だったり、タイヤの空気が不十分だったり、乗って直ぐ、色々のことを感じる、思う。そして、今日の最初の印象は、加速が悪い、横の人に、バッテリーが少ないのかな、加速が不十分だね、と、印象をつぶやいた。運転するのは私だけでなく、その人も運転するわけだから、一応、言うのが、当たり前。そして、ブレーキの利きが悪いことも言ってやった。そして、何ホールか回って、今度は、このカート、ハンドルが重いね、このカートと言い、おまけに、昔、パワーセテではない時の重さに近いかなと、ちょっと、強調した。点検しているはずなのに、許容範囲なのかな、とも、言った。

そして、しばらくして、その人と一緒の時と、いないときでは、運転心地が違っていることに気が付いた。カートの不調でなく、原因はその人だった。運転の機会は半分半分だったが、その人が運転している時には、それが普通なのでしょうか、運転しにくいようなことは、一言も言っていなかった。
まずいことを言ってしまったかなと思ったが、言わなかった。カートに一緒に乗った人の体重が100kgを遥かに超えていると思う人だった。
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なぜか、印象深い思い出の写真だ。スイスのブリンデルワルト、フィルストのリフト駅から降りてきた場所。娘と妻と孫の一人、そして、エーデルワイズ。ふと、思い出す。これらの写真集はインドネシアが殆どだが、日本やドイツなどの物も入れてある。
http://otaenplaext.net/newpage2.html
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage229.html

(^_-)-☆万能水槽 1 [押出成形]

 2968 約50年前、プラスチックの押出成形に出会った。大学は化学だったが、当時の景気状況が響いて、それに関係した仕事に就くことが出来なかった。一寸でも、それを生かせるかなと思い、プラスチックの成形会社に就職した。ドイツからの技術導入の成形装置を使って、自社(東レ)で作り始めた樹脂で成型をして、原料の消化をすることが目的の会社だった。射出、プレス、押出(固化、溶融、ベルト、シート、ガラスや炭素繊維を混ぜたペレット)のいろいろな成型をしていた。開業して一年半の出来立ての会社だった。扱う樹脂は、当時在った樹脂(塩ビ以外)全てが対象だった。
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半年の全体の実習の後。その中の押出成形の難しさに、興味がわいた。先日亡くなってしまった、大学の先生、”不良の山は宝の山と思いなさい“という言葉の影響を受けていた。志願して、押出部門に関わった。素材とチューブなどの押出成形だ。名古屋にあった東レのプラ研にいた方が、西ドイツからの技術を導入したと思う、しかし、張本人は、この会社に偶に来て、講釈を垂れるだけで、自らがその装置を使って作って見せるということはしなかった。出来なかったのだった。当然、誰がやるということではなく、先輩の塩崎さんと私が、何とかするしかなかった。日本ではこの関係では先駆けだった。他にやる会社はまだなかった。とにかく、市場に出始めたばかりのプラスチックの成形を頼まれた。現在あるエンジニアリングプラスチックの殆どが私が携わってニ三年の間に売られ始めた。売る会社、メーカーは、棒にしてもチューブにしても、どんなものができるか、作ってみてほしいと、原料を送ってきた。柔らかいも、硬い物、その間の中途半端の硬度の物、成形温度も150~300℃、それ以上、多種にわたった。それを、全て、同じ成型方法でできるわけがない。ドイツからのチューブ成形金型は硬質のものしかできなかったし、速度はゆっくりだし、艶も良くなかった。

ドイツからの装置の改良をしたが、改良だけでは、全てのことを、同じ一つの装置ではできなかった。固化押出と溶融押出では、全く、別の仕事、全く、違うデザインの装置を使うことと、同じように、溶融押出でも、樹脂により、大きさにより、厚さにより、硬度のより、違った装置を作らなければならなかった。

そこで、大きさはある程度の範囲にして、全ての樹脂の全ての冷却方法、全てのバキュームの吸引方法が一つの水槽の、金型の付け替えだけで、できるようにならないかと考えた。この仕事について、3年後くらいだった。

今でもあるかどうか、昭和丸筒、という会社の製品、ABSのボビンスリーブという、糸巻きの芯になる筒状の製品、納品の帰りにそれ以上の不良品の返品を持ち帰ってきていた。
 
タグ:興味 唯一 多彩

(^_-)-☆買い物は平日 [日常]

 2967 食材の買い物は、一週間に一回、金曜か月曜に決めている。コンビニでの買い物も、急ぎでなければ、平日にしている。土日祭日はレジが混む、何処のスーパーでも、最低10分、長ければ20分は並んで待たなければならない。それに我慢をしたくないからだ。
そもそも、日本人は行列に慣れているという。じっと、待っている姿が日本人の行動として、外国に紹介されている。インドネシア人は、毎年、スンバコの配布の時には、大混乱になるニュースが繰り返される。地震災害の時には、店への乱入は当たり前だ。
ということだが、日本のレジに繋がる人数はせいぜい、3人程度、それ以上、或いは、以下でもちょっと並ぶようなら、店員が飛んできて閉じているレジを開ける、それに慣れているということは、スーパーでもホームセンターでも、日本人も長い行列は絶えられないからだと思う。サービスとして、待ち時間を少なくするというのは、当たり前と考える。

私は、買い物をして、レジで待たされるのは苦手。インドネシアのスーパーは、平日はどこもガラガラ、だから、レジで待たされることはほとんどない。むしろ、近づくと、こちらへ、と、招かれる。
休日はどうか、それほど混んでいないが、平日よりはちょっと多い程度。ところが、レジを見ると、平日より多く、いくつか開いていても行列ができている。何故でしょうか。要するに、一人に掛かる時間が長い。何故でしょうか、
一人当たりの買い物の量が多い。
バーコードの読み取りが時々できないので、数字を打ち込むときがある。
軽量してバーコードを付けてもらう商品だが、それをしないで、持ってきてしまっているから、店の人が売り場まで持って行って測っても持ってきてもらうのを待つ。
バーコードがある商品でも、それが、取れてしまっているものもある。
その場で、買うものを忘れたことに気が付いて、売り場に探しに行く。
レジの人が金額をチェックしながら、商品の種類別に、プラスチックの袋に入れている。
支払いが手間取っている。カードが使えない、その場に、種類によってそのカードをチェックする装置がない。

コンビニでは、店員がうろうろしているのに、レジを一か所しか使わない。
プルサ(HPの前払い)をレジで売っているが、それの登録に時間がかかる。
こんなことが重なって、一人平均、五分以上掛かっているような気がする。待たされるのはばかばかしいと思う。

今日は、外に出たので途中、コンビニで買い物をしようと寄って、かごに入れてレジに並んだ、一か所しか使っていない。四人目だった。最初の人はプルサで手間取ったし、途中で追加商品を取りに奥へ行って戻ってきた。これが5分くらい。二番目は、子供二人連れだった。子供が、あれをほしい、これをほしいとねだっている。幾つか取りに行って戻ってきた。やはり、何かの料金を払っている。コンビニで幾つかの公共料金を払うことができる。やはり、いつまでかかるか分からない。私は、かごに入れた商品を戻して、買うのを止めて出てきてしまった。どうしても、ここでなければならないということはないし、どうしても必要という品物ではなかった。
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大分出来上がってきましたね。チカランバラットとチバトゥのジャラントールゲート横の複合ビルですね。
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ハギノ機工のナイフカッター付の引取機、約30年前のモデルです。45年くらい前に、私の提案で作ってもらったモデルです。インドネシアで今でも、私が持ち込んだものが、TPRとNANBUとENDOTAで合計7台か活躍をしている。これをモデルにして、インドネシアでそっくりさんを作り、それは、6台稼働している。

(^_-)-☆輸入費用 [行動]

 2966 日本から、たったの20kgの原料や添加剤を輸入すると掛かる費用、ばかにならない。その物の価格は2万円だろうが、10万円だろうが、一般的な、宅配便THL、TNT,ヤマトなどなど使う。航空運賃や宅配費用が3万円近く掛かる。そして、凄いのは、通関費用だ、これは、運送会社には分からない、どの時の通関のさじ加減に依るからだ。最近は500US$(6万円)要求される。それを払った証拠を運送会社に渡さなければ、品物が届けられない。2万円の物を輸入するには11万円払う必要があるのだ。
それでも、添加剤を混ぜた原料を輸入するより、遥かに安いから、買い続ける。5%混ぜるだけなら、Kg当たり、30円にもならないから。
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新製品のプレス加工工場を訪問した。カラワンバラットとチムールの中間でカリマラン川に近い、田舎。ローカルの工業団地風の一角にあった。滅茶苦茶広い、この工場の一角のミーティングルームで打ち合わせ。納品はこの工場へすることになった。この工場で穴明などの加工をして、MM2100の客先にここから納品する。

この会社、やたら広い敷地に、広い工場が幾つかある、それぞれは、違う仕事をしているようだが、一つの会社。人の姿が数人しか見ない。セキュリティの人数の方が多いみたい。この建物中も人が見えない、200Mの長さがある。経営が成り立っているのだろうか、憶測だが、地方の有力者が、政治家が、地域の為にと作った工場だが、仕事を取れない、それだけの能力が無い、というところでしょうか。逆に、何処から、こんな会社を知ったのだろうか。初取引になるという。私たちがこの会社に売るのではないから、私が気を使い、心配する必要はない。

ヤント君がやってきた。いろいろな部品を日本から輸入販売する会社の営業をしている。仕事の時はほとんど日本語だそうだ。私と話すときも日本語で、と言われている。給料は20ジュタだそうだ。運転手を使っている。しかし、彼、営業には向いていないと思う。納期のことで悩むことが多いとか、客先が要求する納期に間に合わないことが多いとか、それを、うまく処理できないという。客先の要求納期を伸ばすことをしにくいという。6年以上も面倒を見て、インドネシアでは、愚痴聞き役だ。私に合うと気が枠になるらしい。
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カリマラン川、向こう岸沿いはスダナゴルフ、KIIC工業団地などに勤めている日本人が入っているアパートやホテルがある。この景色、インドネシアらしい、こちらの道、凸凹、ぬかるみ。川には沈下橋(通行料を取っている有料橋)そのそばに、どろ色の中で子供が泳いでいる。岸辺には、水浴場、トイレがある。そして、こちら側は、カフェと言われる、場所が並んでいる。今日行った会社で打ち合わせた人たち曰く、かわいい子が大勢いるよと言っていた。向こう岸とこちらでは雲泥の差だ。
 

(^_-)-☆アラブサウジの王様 [インドネシア]

 2965 4月で切れるビザの申請書類を届けにMM2100のサクラへ行ってきた。今回は、ポジションがそのままの延長なので、国外に出る必要は無し、ブカシのイムグレへ行けばいいだけだ。簡単で安く済む。
行ったついでに、旅のチケットの予約もした。どこへ、でしょうか。インドネシア、行くところが殆どなくなってしまった。一寸、遠いが、RAJA AMPAT(ラジャ アムパッ)に決めた。どの辺りでしょうか。海の景色がいい処だと聞いている。ほとんど僻地のようなところだと思う。こんなところしかなくなった。チケット往復ガルーダ6,5ジュタ(6万円弱)だ、この金額でジャカルタからはかなり遠い場所ということがわかる。

RAJAと言えば、安倍さんがインドネシアに来る前から、サウジアラビアの王様が来るという情報が流されていた。そして、今日、やってきた。マレーシア訪問の次に来た。今は、安倍さんもこの前行ったボゴールの宮殿(イスタナ ボゴール)へ行っていると思う。とにかく、イスラム教の宗主国の王様だ。インドネシアのイスラム教徒にとっては、教祖が来たようなもの、皆さん、大喜びで大歓迎。一週間ほど前から、来る来る、来たあ~、と、大騒ぎ。私にしてみれば、どおってことないのに、宗教というのは、怖いと思うだけだ。
王様、11項目の契約を儀式的に交わし、ジャカルタ辺りに三日いてバリへ移動、五日ほど滞在するらしい。
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ただし、マスコミは一寸、皮肉交じりのコメントをしている。

Ke Indonesia, Raja Arab Saudi Salman bin Abdulaziz Mau Apa?
サウジアラビアのキング ・ アブドゥルアズィーズ ビン サルマン、インドネシアに何しに来たの?
Betul, sejak awal rencana kunjungan ini muncul, rombongan Raja sudah mendapatkan jadwal untuk tetirah ke Pulau Dewata. はい、これらの訪問の計画の初めから、王のグループは神々の島に移動し、しばらく滞在 のスケジュールを取得します。Tepatnya, mereka akan ada di Bali pada 4-9 Maret 2017,4~9日バリにいる。 setelah kunjungan kenegaraan dan beberapa agenda lain di Jakarta dan Bogor pada 1-4 Maret 017. 3月1~ 4 日 公式訪問といくつかの他の話をジャカルタ、ボゴール でし、の後、

Namun, jangan salah. Piknik ke Bali bukan agenda wisata tunggal rombongan Raja Arab Saudi dari keseluruhan rangkaian perjalanan kenegaraannya ke kawasan Asia kali ini. しかし、誤解しないでください。バリ島にピクニックはありません、今回のアジア旅行全体のシリーズとして、王様御一行のツアー。 Sebelum ke Indonesia, rombongan Raja sudah singgah ke Maladewa—salah satu surga wisata bahari dunia. インドネシアにくる前に、王のグループは、世界の海の観光パラダイスの 1 つ、モルディブに寄っている。

私たちがサイジアラビヤと言っているが、インドネシアでは、アラブサウジという。ゴルフで、バンカーに入ると、キャディーはmasuk arab saudi(マスク アラブ サイジ )“アラブサウジに入った””という。砂漠の国だと知っている。ボゴール宮殿の玄関に横付けになった車が、土砂降りの中、強風横風に揺れるくらいだった。王様、びっくりしたでしょうね。ほとんど雨が降らない国からはるばる来て、ずぶ濡れになったのだから。

砂漠の王様。きれいな海に憧れているのだろうか。
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この景色の反対側に民家がある。この風景からは、うるさいという言う家は見えない。