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(^_-)-☆ボケたか [思うこと]

 3024 先週、製品見積もり、二回間違えた。一回は、客先から、高すぎるといってきた。もう一回は、受け取った注文書に値段が,安すぎたと感じたと思ったのにそのままの価格価格で、納品書、請求書を切っていた。
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二週間ぶりのゴルフ、最近は夕方に、雷雨に見舞われるが、朝から、昼間は快晴に近い、乾季の空の中、快適だったが、そのプレー中、その価格のことを考えてしまっていた。

高く出しすぎてしまったのは、客先から、輸入している値段の三倍もするよ、間違いじゃないの?と、指摘された、そんなわけがないと思うが、と言いながら、出した見積書を見た途端、製品の長さを書いた欄があることに気が付いた。はっとした。1Mの価格を出すと。打ち合わせの時に約束してあったのに、なぜか、0,3Mというカット長の値段を出してしまっていた。そして、その価格は、計算した1Mの価格だった。一体、何を考えながら、勝手にカット長を決めて、それの価格にしてしまったのか、思い出せない。HENI君もチェックをしている。 彼曰く、なぜ、カットした長さで見積もり書を書いたのか、変に思ったが、太田さんが書いたのだから、間違いないと、そのままにしたという。

安すぎた方は、カット長が示されていなかったので、1Mで、見積もりを提出した。そして、その価格は原料の約2倍で出してあった。その後、注文書受け取った。本数と単価が書いてあり、合計金額も書いてあった。何も、変わっていない、普通である。受注のサインをして、受け取ったとメールで返した。別に、変わったことはない。そのまま、製造をして、その価格で請求もした。その請求金額が、なんとなく、ちょっと安すぎたかな、と、感じていた。 原料の注文書にも目を通してサインをしているのだが、どうも、原料を注文価格と売り上げがほとんど同じだなと感じだした。そんなに大量にロスを出しているのかな、試作でも原料をかなり使ったし、なかなかうまくできなかったから、そんなものかなと、思っていた。しかし、それにしても、安すぎる、変だと、追加の注文を受け取った時、やはり変だと思った。製品の長さは2.04M、やはり、製品重量からすると安すぎる、見積書をチェックしてみた。1Mの価格が、そのまま、製品の一本の価格になって注文書が来ていたのでした。

この、二つのこと、ショックだ。こんな間違い、勘違いをしたことがない、それどころか、ほかの人の誤りを指摘する側に常にいた。忘れ物が多くなったり、つまずくことが多くなったりしていることは、徐々に、歳を感じることだったが、今回のことは、何やら、一挙にボケが来たようなショックだった。やはり、レバラン明けに帰国は正解かなと思った。

指摘されて気が付いたし、感じて、気が付いたし、まだ、気が付かないまま、というより、マシかな。
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ゴルフの後、会社へ寄るため、その道に入った途端、前で、トラックの後輪が沈み込んでいて脱出できない状態で道を塞いでいた。積んでいる土砂をスコップで下している、軽くして脱出しようとしている。20分待ったやっと通りぬけることができた。
 
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(^_-)-☆切羽詰まる [状況]

 3023 いよいよ、電気容量不足が深刻になってきた。不足で粉砕機やコンプレッサーを動かせない事態は続いていたが、4ラインで何とか、現状客先の注文量は何とか、こなせていた。それでも、徐々に受注量が増えていて、いよいよ、4ラインでは足りなくなってきた。休日出勤でこなすしかなくなってきた。昨日も今日も雷雨で停電、4ラインとも4時間ストップした。
すでに、5ライン目は、電気さえ十分なら動かせるようになっている。しかし、動かせない。もう、何か月も待っている、最後は、一か月半ほど前に、一か月後には増やせるという約束がされていた。まだ、である。問い合わせても、返事がない。コミサリスがこの工場の買取の責任者だし、契約者になっているので、コミサリスにも、問い合わせているが、返事がない。どうなっちゃているの?

昨日の症状は、どこへ行ったのでしょうか、今日は、来ない。原因は、何でしょうか、医者にもわからない、そういえば、一年半ほど前に、ジャババカ2の工場の時にも、めまいがして、ハラパン クルアルガの救急病棟に行って、着いた時には、治っていたことがあった。今、思い出した。体の中(外傷で痛いことや筋肉痛は日常茶飯事)の痛みは、この何十年も一回もない。日本人が苦しむ、食あたりのような、下痢もない。食欲も排便も順調、だから、目眩の原因は、やはり、歳のせい、神経回路の乱れ、頭脳のどこかが損傷し始めている、のかな。パニック障害の沢山の症状はすでに経験済でよく知っている。そのうち、一つや二つ出ても、パニックにはならない。だから、していれば、パニック障害とは言えなくなる。
躁鬱病でもない。極端な感情が出ることは、まったくない。むしろ、全てのことで、多くの人より、落ち着いている。感情的になることは、まったくと言っていいほどない。頭に血が上るなどということは、ない。どなったこともない。昔、訳のわからないことをいう人が、私に怒鳴ったことがある。即座に、どなり返したことがある。威張るやつは嫌いだ。どなるやつも嫌いだ。

その、流石の私も、ちょっと、腹が立っている。そして、何やら、明日、電力会社が来るという。売主は来ない。何しに来るのか、聞いたら、容量を増やしに来るという。本当かな、ヘニー君も私も信じない。

ここにきて、LEDランプ用PCカバーパイプの大量注文が入ってしまった。納期の催促が入っている。返事をしなければならないが、他の客先との調性をしてからになる。
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この製品も増えている一つ、硬質と軟質塩ビの二色成型品です。名前は、これもガスケット。

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1 Mei, Penerbangan Internasional Garuda Indonesia Pindah ke Terminal 3 Bandara Soekarno-Hatta, Tangerang, Selasa (28/3/2017).
国内線のガルーダとスリウンジャヤ、国際線のエアーアジアとメッカ巡礼がターミナル3だったが、5月1日ガルーダインドネシアの国際線もターミナル3に引っ越す。
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Pembangunan proyek Simpang Susun Semanggi telah mencapai di Jakarta, 75 persen. 25 April 2017.
ジャカルタのシンボル的なスマンギの四葉型の立体交差の外側に改善工事が進められている。8月の独立記念日前には、開通する予定になっている。
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雷雨、豪雨の後、東に虹、西に落日。“ひんがしの のににじたつみえて かえりみすれば ひかたぶきぬ”
  
タグ:容量 不足 切迫
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(^_-)-☆再発か? [パニック障害]

 3022 机に向かって、メールのチェックと返信をしていた時、なにやら、頭の中で、ぴちっと、なった。次第に、目が回ってきた。何やら、体中が、ジーンとしてきた。意識が薄れるような気がした。焦った、動機も激しくなった。まずい、このまま、この状態がひどく成ったら、事務所の周りを見回した。4人いたが、下を向いて、何やら、書いたり、パソコンをいじったりしている。目の前の、ヘニー君に、この状態を知らせようかどうしようか迷った。このまま、気を失ってしまうかもしれない恐怖があったから、じっと、様子を伺っていた、椅子の背にもたれて、じっとしていた。目を閉じたが眠ってしまいそうなので、目は開けていた。パソコンの画面を見ているが、操作はできない、なにやら、手が、微妙に震えている。

パニック障害の時のように、心臓が一時止まって、目眩がし、くらっとなって、座っていられない状態までにはならなかった。とにかく、そのまま、動かず、じっと、何かが収まるまでそのままにしていようと思った。周りの人は、私の異常には気が付いていない。パニック障害の薬、もう、6年くらい前にもらった、それを、お守りのように持っていた。その一回分を飲んだ。聞いたのかどうか、何回かの目眩を繰り返しながら、だんだん、収まってきた。1時間ほどの後、体や頭の異変は無くなった。その間、時々、私のサインを求めに来る、字が細かいので、老眼鏡を掛けなければ読めない、どうでもいい、いい加減にサインをして返した。

それらは、11時ころのことだった。12時過ぎ、皆さんがキャンティーンへ行って、いなくなった時には、喃語ともなかったように、見積もりの案を考えていた。そして、夕方には、運転して自宅に戻った。何事もない。

パニック障害(http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0063.html)再発か、事情が違う、環境が全然違う、発症したときには、強烈なPHを受けていた時だった。いまは、快適環境である。初期症状も異なる。だから、違うと思う。じゃ、何だったのか。数年前、シロアムに夜中に駆け込んだ時とも症状が違う、その時も目眩がひどく、何とか、運転して、たどり着いたが、着いたとたんに、治ってしまっていた。その時も、何だっただろうと思った、ことがあった。
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今朝、7時半に工場に入った時に、8時に終わる夜勤の一人がトイレ掃除をしていた。やってるやってる、と、思った。
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朦朧としながら、PCをシャットダウンした。体が微妙に震えている。寒気もしてきた。真ん前にいて、給料計算をしているヘニー君に、万が一を頼もうかと思いながら、もしかしたら、私が写す最後の写真になるかもしれないと,撮った写真。KITAGAWAの時から一緒のブディ君もいる。

休日の変更を、また、やった。5月の11日と25日は出勤にし、15日と29日に移動する。しかし、個人手金は、11~14日はワカトビ決行を、変えない。

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(^_-)-☆基本中の基本 [押出成形]

 3021 “スタンダード オペレシ”作業標準書は、各種作業別に書かせているが、ついつい忘れがちな、ポントを書いて、作業者が目にする場所に張っておいてある。いくつものことを、考えながら作業していると、肝心なことから、目がそれてしまう。 20年前から、インドネシア人の若者に、押出職人Pengrajin atau tukangプロフェッショナルの集団としては、これくらいことは、コツとしても、話しかけている。 
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Rugi jika Anda tidak tahu. sebagai professional ekstrusi
1 Kencangkan baut pada posisi diagonal
2 Dalam kondisi pengetatan sabuk pickup, kecepatan tarik berubah dan panjang potong juga berubah
3 Produk bend ke lebih tebal benkok arah sebelah tebal
4 Bahan baku yang meleleh,ketika keluar dari cetakan, itu lebih baik untuk menjadi keras.
5 Jika Sabuk terlalu kencang mudah rusak
6 penting air gap(antara melting dan cooling dies)
7 Bengkok Warping Twist Bending Kontami inilah malu sebagai tukang Extrusi
知らなければ損押出職人
1 ボルトは対角の位置で締める。
2 引取ベルトの締め具合で、引き取り速度が変わる。
3 製品は厚い方に曲がる。
4 溶けた原料が金型から出てくるとき、固い方がいい。
5 ベルトを締めすぎると壊れやすい。
6 エアー ギャップは重要。
7 ゆがみ 反り ねじれ 曲がり 異物は、押出職人として恥
まだ、まだ、沢山あるが、ほんの一部です。

ウェブサイトに写真をアップしました。ジャングルの様子がちょっとわかると思います。
http://otaenplaext.net/newpage128.html
http://otaenplaext.net/newpage129.html

余談 tukangとtekan カタカナで書けば、どちらもトゥカンですね。実際にインドネシア語の発生も、私にとっては、どちらもトゥカンにしか聞こえない。使う状況で意味は分かります。書けと言われたとき、させ、UかE、Gをつけるか、つけないか、迷う。意味は職と圧。インドネシア語ではこんなのが一杯ある。
 
タグ:職人 プロ コツ
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(^_-)-☆仕事に戻ったが [旅]

 3020 左足の弁慶の泣き所の左側一帯が。黒ずんでいる。痛みはない。擦り傷がその上にかすかに付いている。いつどこで、打撲したのか、気が付かなかったが、かなり、ひどい黒さだ。お尻の右側が痛い。ここは、見えない。外観どうなっているのでしょうか。強烈な尻もちを着いたからだということは分かっている。特別、動き回る仕事はないから、支障はない。現実に戻っている。
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棲み処の案内板とゲート

昨日の続き。半島が頭とすれば、地図を見ると頭が下を向いている。その上、首の部分は、パンガンダランへの入場料を払ってはいる。そして、半島(頭)に入るには、また、入場料を払ってはいる。東西一か所ずつゲートがある。多くの人は西から入る。西海岸は、頭の部分に延びていて、今は、座礁船があるパシール プティーに続いている、海岸を歩いてゆけないように頑丈な柵が、不格好に、行く手を塞いでいる。それでは、西海岸からボートで、パシール プティーに行く人はどうなの?払わなくていい、船で、また、西海岸に戻るなら、それでいいが、上陸して、船に戻らず、頭に入ろうとする人は、しっかり、入場料を取られる。パシール プティーからジャングル方面に入る細い道が二か所ある、それらに、しっかり、料金を徴収する人が控えている。勿論、東西のゲートから払って入った人は、パシール プティーに行って、また、チャガールアラムに戻っても、かまわない。ちょっとややっこしいが、とにかく、頭の部分のチャガールアラムに入るのは、払わなければ、入れさせないぞという、システムになっている。
http://otaenplaext.net/newpage21.html ここに地図も乗っている。 

この前までは、キジャン(鹿)が首の頭寄りに、放されていた。東西チャガールアラムへのゲート付近には、うろうろしていた。今回行ったら、いなくなっていた。そして、ジャングルに入る途中の柵で囲われた場所に、鹿が集められていた。理由を聞いたら、やはり、鹿が悪さをするからだそうだ、人、子供に危害を加えたり、食べ物を食べてしまう被害も多くなったそうだ。ホテルやプンギナパンもドンドン増え、それらに入り込んで、食料をあさる場面も多くなって、クレームが増え、たまらず、一か所に集めてしまったそうだ。

サルの被害は相変わらずだ。入場者に、注意をしているが、カメラ、HP,ボトル、ハンドバック、お菓子などなど、サルが奪い取る事例は跡を絶たない。一般人が歩き回れる、パシール プティーから、ゴア ジャパンがある広場、そこから、東ゲートまで、開けた場所が、観光客は歩ける場所だ。サルに襲いかかられる可能性が高い場所だ。私は、通過するだけだが、すれ違う観光客に、必ず、声をかける、セルフィーで撮影中のカメラ、HPを持っていかれた人が、さっきいたよと。どろんこの靴を履いて、ズボンもTシャツも泥だらけの得体のしれない、何人だかわからない爺さんから、声を掛けられて、引いてしまう子供もいる。余談、以前、一緒にいた、日本人が、サルの脛を噛まれたこともあった。何かおいしそうな食べ物に見えたのでしょう。その人、市民マラソン人で、バリやジャカルタマラソンに参加したことがある。すらっとした、きれいな足をしていた。

ゲートから入ってすぐの広場から、多分、2~300mくらい東西と南の部分に観光客はガイドと一緒に入ることができる。私がいつも入る自然保護地区へ入るには、ゲートで許可を取らなければならない。要するに、ラフレシアを探したり、滝つぼまで行ったりするには、本人が申請をしなければならないことになっている。しかし、私はフリ-パス、そこのいるほとんどすべて、何の役目か知らないが、制服を着た公務員もガイドも、行けば、親しげに、“私は、この日本人を知っているよ”と、周囲に主張したいよな、歓迎ぶりになる。一般の観光客は、何?この人?というような顔をする。
それはさておき、許可を取らないで、ガイドも使わず、入ってしまって、行方不明になった外国人グループ、捜索騒ぎなった例は、何度か知っている。毒蛇やサソリはいるし、ビアワックもいる。崖も多いし、沢にはいくつもの滝があるし、危険な場所は沢山ある。薄暗くなれば、それを、見分けるのも難しくなる。先日も、私の文章を読んで、ここに来た日本人がいたという。必ず、ガイドを使って、身元をはっきりさせて、特に、申請書は用意されていなと思う(私は書いたことがないので)が、ジャングルの入る申請をしてください。健脚の人なら、途中何回かの休憩をしても、5時間くらいのコースになると思う。朝、7時くらいに入って、昼過ぎに出てくるのが普通です。私は、そのまま、シーフードレストランに直行です。

今回、私は行っていないが、ヌサカンバンガンに行くなら、早朝、西海岸から出発がいい、半島の先端まで、潮の流れに逆らうので、相当な三角波を乗り越える。朝のうちのほうが、波の高さは低い。先端を過ぎれば、穏やかになる、ただし、ウネリの高さは、経験したことがない人にとってはびっくりするくらいの上下になる。昼めしを広大な海岸、独り占めで、ロブスターなどシーフードを野性的に堪能できる。遠浅で、水浴びにも適している。はるか向こうに、パンガンダランのこんもりした、亀の背のような。半島が見える。
前日に米やボトルの水、鍋や飯盒、ブンブー(出汁)を予約したボートの持ち主に、お金を渡しで準備をしてもらう。

パンガンダランの両肩や胸の部分、東西や北を見て回りたいなら、行けるところまで、ガイドと一緒にバイクで行くのがいい。
http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage00087.html
http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage00085.html
こんな時もあった。
  
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(^_-)-☆パンガンダラン [旅]

 3019 13時には、自宅に到着した。渋滞を気にして、6時に出発、最初から順調で、バンジャールまで、いつものように一時間半(来るときは3時間かかった)だった。その後も順調で、バンドゥン バイパスに入ったのが、5時間の11時丁度だった。チプラランも順調、チカンペック合流から若干混んだが、チバトゥには12時半、我が家まで途中、突然のスコールに見舞われたが、30分で着いた。早く出て、正解だった。途中は、一度も車から降りていない、ウビ チレンビ(焼き芋)を買う時も助手席の窓から、払った。
家に着く前、ハンドルを握る指がつったし、両足も釣った。何とか、途中で休まずに運転ができた。
ニュースによると、各地から大渋滞と事故多発だった。
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汚いものをお見せします。9年目に入った靴です。ジャングルから出てきたばかりです。何処に行くのも、仕事も、この靴です。何度も接着剤で修理をした。履き心地がいい。山登り、谷歩きでも、私に付き合った。最近は、あまりにも汚くなっているので、汚くなる場所だけに浸かっている。会社は、汚くなる場所だし、しパンガンダランのジャングルには最適だ。、
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難破船?ではない。密輸船が銃撃戦の上、座礁させられたものだ。一月にも書いたが、すでに、半年以上この状態で放置してある。パシール プティーという、サンゴの切れ端が転がっているサンゴ浜で、西海岸からボートで、わたる人気の海岸だ。シュノーケリングをちょっと沖で楽しんでいる、そういう場所だったが、どうも、この船が原因か、どうか、サンゴ礁が急に少なくなっているという。また、ちょっと、沖は、サーフィンスポットでも人気があった。ところは、この邪魔物で、波が腹側なっていて、波がサーフィン向きではなくなってしまったとか、密輸、密漁船を爆破してしまう、スシ海洋大臣の地元、多くの人は、これを放置しているスシさんを批判している。

ヌサカンバンガン、上陸ができるようになっている。麻薬犯の脱獄があって、一時、近づけなかったが、今は、どう解決したのか、行けるから、行こうと言われた。
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出発前の西海岸、三日間ともこんな感じで大賑わい、泳ぐ人は一人もいない。平均の2mくらいの波が打ち寄せるし、横への流れもかなり早い。それでも、何年も、ここでの水難事故を聞いたことがない、これなら、津波でも来ない限り、水難事故は考えられない。ライフガードが、監視塔から、常に、注意喚起のアナウンスをしている。
  

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(^_-)-☆これが最後か [旅]

 3018 もう、ここへ来るのは、最後になるかもしれないと、ラシッド君に話をしながら、このジャングルの入り口から入った。何回目だろうか。
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ラフレシア(ブンガ バンカイ)、期待外れというか、予想通りというか、どうも、この地域、雨季が続いているようで、蕾は閉じたままだし、成長も遅いようだ。蕾、一つに会っただけだった。探しに入る人もほとんどいないようで、ジャングルの中は、人が歩いた跡がほとんど消えているし、見つかっても、細い枝が周囲から伸びていて、塞いでいる。沢の苔もかなり目立って濃くなり、歩きにくくしている、何回、滑って転んだろうか。
今回は、アイル トゥルジュン、滝つぼまで降りてみた。急こう配の上り下り、ここへも、日本人を連れて来ることはできない。雨季の終盤、水量はピークだ。本滝へ着く。手前に、滝が現れていて、こちらも結構、豪快だ。この滝は一年のうち、一か月ほどしか、現れない。名前はない。
矢張り、体のあちこちが痛むが、気分は快適だ。パサール イカンでも食事も満腹、美味しかった。とにかく、自分でいうのもおかしいが、ここでは、かなりの有名人、皆さん、寄ってくる。駐車しても切符を渡さない、只でいいという、意思表示だが、私は、出るときに、通常料金より多い金額を渡す。それより。パンガンダランのゲートで入場料は払った時から、多くの人に太田さんが来たぞ、という情報が拡散するらしい。ウミさんのワルンにも情報は伝わっていた。今朝のチャガールアラムの入り口付近でも、待っていましたと言っていた。あらゆる道が大渋滞、駐車場も空きがないのに、私のために、通常は道なのだが、そこに止めさせてもらった。
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帰国する前に。もう一度。入りたいと思いながら、出てきた。どうだろうか。来れるかな。ぜひ、一緒に来てみたい人がいる、最後になるかもしれない、と、言ったのを、取り消した。

写真を沢山乗せたいが、後日のウェブサイトに回す。
蕾 ジャングル ラフレシア

日本人が書いた文章を読んだ。「ジャワ鉄道、中国から日本へ」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170422-00010000-jindepth-int
インドネシアの高速鉄道について、インドネシアは、日本に任せる意向ということを書いている。この人の書いた内容、事情に詳しいようだ。しかし、致命的な間違いがある。地図だ。この地図を使ってはいけない。完全にぼろを出している。この地図を見せられると、日本が、中国が建設受注のバンドゥンまで、それを完成させ、その次、バンドゥンかラスラバヤまでを日本が引き受けるか、バンドゥンまでも、中国は断って、全線、日本に任せるのか、どちらでしょうか、見た人は迷う。そのことの説明がない。書いた人、なぜ、この地図をしましたのでしょうか。意味不明ですね。
私は以前から何度も書いているが、日本に任せようとしているルートは、バンドゥンを迂回しない。はっきりしている。この人も触れているように、もともと、なぜ、バンドゥン?という疑問は、インドネシア人大多数が持っている。
もう一つ、メガワティとジャクウィ大統領の不仲説、これも、大きな疑問です。メガワティさんは、常にジョコさんをバックアップしている。リニさん、言動や判断に疑問を持つ他の閣僚も多いことは確か。中国からの資金のうち10%だけ、高速鉄道関節会社に振込まれたそうですが、もう、2019年中の開業も絶望でしょう。昨日、通ってきた、建設予定地では、その雰囲気はゼロ、ここが建設ルートの近くという、景色は一切、なかった。リニさんは、大丈夫だと、繰り返しているが、これの関係の仕事は無理だ。知識が少なすぎるし、説明も不足。何やら、中国に操られているだけの人のように見える。ジョコさん、彼女を無視するでしょう。


(^_-)-☆Pangandaran  [思うこと]

3017 三連休の初日、渋滞になる前にできるだけ近くに行きたいと思い、2時に出発しようと思っていたが、実際に出発したのは、5時半過ぎだった。案外、順調に、進んだ。タスクのバイパスを過ぎたあたりでは、四時間、これなら、7時間くらいでつくかなと思っていたら、バンジャールから、突然、車がつかえだした。そして、自転車の数が以上に増えた。1時間半のバンシャールとパンガンダラン間、今日は、4時間近くかかってしまった。この間も上り下りで曲がりくなった道、大量の自転車が道をふさいでいるし、サポートの小型トラックも路肩駐車している。モスクの付近には、休憩している集団が道をふさぐ、とんでもない渋滞だ。結局、9時間かかって、到着したのが15時過ぎ。足がつってしまった。
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そのまま、パサール パンガンダランの中のヘーアーサロンに直行、散髪とカラーリングをした。そこでいうには、タシクからの自転車ツアーだという、3000人。
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いつものホテルに入ったが、予約が一杯で、今日だけとれた。明日は別の場所を予約した。西海岸のウミさんのワルンで食事をしながら、ラシッド君に明日のガイドを頼んだ。その西海岸の人出、いつもこうだ。予想通りの賑わい、ずっと西の方まで、海岸、人で埋めつくされていた。

ちょっと、話は変わる。ちょっと補足
ジャカルタ新聞で、今日、通った高速道路を途中で降りて、スバンの街を通過し、南に向かいバンドゥン方向の山の中、途中にある温泉地チアトルを紹介していた。ここへ行くなら、温泉もいいが、その周辺の環境もいい、インドネシア~~という感じがする。馬にゆられて、茶畑やカカオ農園や滝を巡るのもいい、そして、せっかく、そのあたりへ行くなら、ちょっと南のタンクバンプラフ、ここも、セットでしょ。レンバンまで行けば、サテ クリンチ(ウサギの焼肉)もいいですよ。インドネシアの温泉に浸かっても、何の感激もない、温泉はやはり日本ですから。温泉といえば、一泊二日なら、タシクマラヤの手前からちょっと南のガルットゥが、チアトルより、雰囲気はいいと思う。そして、ちょっと、元気なら、何とっても、エーデルワイズのパパンダヤンでしょ。タンクバンプラフも活火山ですが、そこも活火山です。硫黄が噴き出ています。先日行ったバニュワンギのイジェンに負けていません。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage027.html 
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page005.html
ファミリー ギャザリングで、私は、ジャティルフールを押したのですが、皆さんの意見は、おちびちゃんも楽しめるであろう、チカラカランからひたすら南のボゴール方面に向かう途中のムカールサリという、遊園地に決まったしまった。大分前に前を通過したことがあった、寄る気になれなかった場所で、老人が行っても、小さい孫と一緒ならいいが、一人じゃ、何をしたらいいの、という所だと思う。行きたくないが、話のタネに行くしかない。皆からも参加を期待されている。ゴルフをしていたほうが、いいに決まっている。
  
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(^_-)-☆寄付贈与援助 [情報]

 3016 韓国系の会社と付き合いがある。S―PVCチューブを納品している。ボゴールにあるワイヤーハーネスを作っている会社だ。その会社、経営者の韓国人、知っていたのかどうか、インドネシア人スタッフになかに、いわゆるフィーを要求するやつがいて、利益が30%くらいなのに20%を要求していて、私の前のダイレクターが、それを、プロモーション費として、支払っていた。見返りの本人も何パーセントか受け取っていた。私に代わってから、それは、きっぱり、やめにした。それで、仕事がなくなってもいいと思っていた。払っていれば、どうせ、やっていても、利益がないからだ。ところが、その後、ほかの会社に、一時 一部、生産を回していたが、品質的に無理があったようで、元に戻ったばかりではなく、冷蔵庫の関係の仕事が増え、こちらにも注文が増えている。

ところが、そのフィーを要求していた連中が、一年ほど前に、韓国人の社長に、私がお酒を渡したのを覚えていて、同じものを欲しいと言ってきた。それなら、安いし、会社からの出費ではないし、品物だし。OKした。今日、納品のついでに渡したようだ。私に感謝と言っていたという。イスラムもこんなものです。

ところで、アホックさんに対して、1年の禁錮が検察から求刑されたそうですね。

あの世へ財産を持って行けにという話、私は、40歳(会社を作って10年後)くらいの時に、そう確認している。土日も含めて一日平均16時間は仕事をしていた。税金は、当時の私にしてみれば、相当多額を納めていた。その使い方、配分は気にいらなかった。そこで、とにかく、利益を少なくするように手を打った。従業員への配分をできるだけ多くした。会社負担で何かと皆さんに補助も出した。それでも、高額納税を続けた。それが、たまらなく、嫌だった。
仕事をしている時間16時間のうち、10時間分の利益を納税していた。ばかばかしいと思った。そして、そのころ、従業員に10年後に会社を辞めると宣言した。そして、その通り、社長を50歳で辞めた。そして、3年後にインドネシアに来た。当時、毎月100万円の使い道を任せられた(当時も今も、日本人一人に平均、月100万円かかるといわれていたし、言われている)。それを、私は、機械を買ったり、原料を買ったりして、技術指導の資金にした。当時から、家はルマーアバンの田舎に住み、車は自分で買い、運転手は使わず、できるだけ、技術指導、従業員の生活援助や日本語学校費用、また、皆さんと食事やボーリングやアイススケートなど体験、卓球台を寄付したり、工場の裏にバドミントンコートを作ったり、社内のバレーた卓球、チャトルなどの競技会も主催していた。お金を貯めるどころか、自分は節約し、皆さんのために使った。

当時の一緒にいた日本人は、社長を含めて、それが、私に対してPHをする理由になった。その後も、会社が変わっても、やはり、その会社の経営を任せられている人からは、追い出された。それでも、お金を持っていても仕方がないし、余分なお金を受けとっても仕方がないから、日本への留学生の保証人になり、資金を提供し、数人の日本での授業料や生活資金の援助もした。20年で、受け取らなかったお金と、使ったお金を合われれば、数億円になっていると思う。今でも、給料は8万円くらい、電気代や電話代は自己負担、車(納品にも使う)は貸してもらっているが運転手はいない、お手伝いさんもいない。お金を貯める必要はない、旅は自己資金、ゴルフは会員費用もプレー費も自己負担、これで、十分の生活をしているし、お客さんへの手伝いもできているし、若い従業員への技術指導もやっている。

どうですか、貯めようと思えば、おそらく、10億円以上貯めることができたと思う。しかし、貯めてしまってから、あの世に持っていけないからと言って、配分を始める、与えることを始める、では、ニュースになるかもしれないが、気が付くのが遅い。そんなに、貯めないで、何十年も前から、寄付や贈与や提供をしたら、もっと、よかったと思う。金額の多少ではない、気持ちだ。
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ブリトゥン、天国でしょ。
明日は、別の天国パンガンダランだ。


タグ:寄付 贈与 援助
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2017-04-22 [思うこと]

(^_-)-☆寄付贈与援助 3016 韓国系の会社と付き合いがある。S―PVCチューブを納品している。ボゴールにあるワイヤーハーネスを作っている会社だ。その会社、経営者の韓国人、知っていたのかどうか、インドネシア人スタッフになかに、いわゆるフィーを要求するやつがいて、利益が30%くらいなのに20%を要求していて、私の前のダイレクターが、それを、プロモーション費として、支払っていた。見返りの本人も何パーセントか受け取っていた。私に代わってから、それは、きっぱり、やめにした。それで、仕事がなくなってもいいと思っていた。払っていれば、どうせ、やっていても、利益がないからだ。ところが、その後、ほかの会社に、一時 一部、生産を回していたが、品質的に無理があったようで、元に戻ったばかりではなく、冷蔵庫の関係の仕事が増え、こちらにも注文が増えている。

ところが、そのフィーを要求していた連中が、一年ほど前に、韓国人の社長に、私がお酒を渡したのを覚えていて、同じものを欲しいと言ってきた。それなら、安いし、会社からの出費ではないし、品物だし。OKした。今日、納品のついでに渡したようだ。私に感謝と言っていたという。イスラムもこんなものです。

ところで、アホックさんに対して、1年の禁錮が検察から求刑されたそうですね。

あの世へ財産を持って行けにという話、私は、40歳(会社を作って10年後)くらいの時に、そう確認している。土日も含めて一日平均16時間は仕事をしていた。税金は、当時の私にしてみれば、相当多額を納めていた。その使い方、配分は気にいらなかった。そこで、とにかく、利益を少なくするように手を打った。従業員への配分をできるだけ多くした。会社負担で何かと皆さんに補助も出した。それでも、高額納税を続けた。それが、たまらなく、嫌だった。
仕事をしている時間16時間のうち、10時間分の利益を納税していた。ばかばかしいと思った。そして、そのころ、従業員に10年後に会社を辞めると宣言した。そして、その通り、社長を50歳で辞めた。そして、3年後にインドネシアに来た。当時、毎月100万円の使い道を任せられた(当時も今も、日本人一人に平均、月100万円かかるといわれていたし、言われている)。それを、私は、機械を買ったり、原料を買ったりして、技術指導の資金にした。当時から、家はルマーアバンの田舎に住み、車は自分で買い、運転手は使わず、できるだけ、技術指導、従業員の生活援助や日本語学校費用、また、皆さんと食事やボーリングやアイススケートなど体験、卓球台を寄付したり、工場の裏にバドミントンコートを作ったり、社内のバレーた卓球、チャトルなどの競技会も主催していた。お金を貯めるどころか、自分は節約し、皆さんのために使った。

当時の一緒にいた日本人は、社長を含めて、それが、私に対してPHをする理由になった。その後も、会社が変わっても、やはり、その会社の経営を任せられている人からは、追い出された。それでも、お金を持っていても仕方がないし、余分なお金を受けとっても仕方がないから、日本への留学生の保証人になり、資金を提供し、数人の日本での授業料や生活資金の援助もした。20年で、受け取らなかったお金と、使ったお金を合われれば、数億円になっていると思う。今でも、給料は8万円くらい、電気代や電話代は自己負担、車(納品にも使う)は貸してもらっているが運転手はいない、お手伝いさんもいない。お金を貯める必要はない、旅は自己資金、ゴルフは会員費用もプレー費も自己負担、これで、十分の生活をしているし、お客さんへの手伝いもできているし、若い従業員への技術指導もやっている。

どうですか、貯めようと思えば、おそらく、10億円以上貯めることができたと思う。しかし、貯めてしまってから、あの世に持っていけないからと言って、配分を始める、与えることを始める、では、ニュースになるかもしれないが、気が付くのが遅い。そんなに、貯めないで、何十年も前から、寄付や贈与や提供をしたら、もっと、よかったと思う。金額の多少ではない、気持ちだ。
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ブリトゥン、天国でしょ。
明日は、別の天国パンガンダランだ。