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(^_-)-☆再発か? [パニック障害]

 3022 机に向かって、メールのチェックと返信をしていた時、なにやら、頭の中で、ぴちっと、なった。次第に、目が回ってきた。何やら、体中が、ジーンとしてきた。意識が薄れるような気がした。焦った、動機も激しくなった。まずい、このまま、この状態がひどく成ったら、事務所の周りを見回した。4人いたが、下を向いて、何やら、書いたり、パソコンをいじったりしている。目の前の、ヘニー君に、この状態を知らせようかどうしようか迷った。このまま、気を失ってしまうかもしれない恐怖があったから、じっと、様子を伺っていた、椅子の背にもたれて、じっとしていた。目を閉じたが眠ってしまいそうなので、目は開けていた。パソコンの画面を見ているが、操作はできない、なにやら、手が、微妙に震えている。

パニック障害の時のように、心臓が一時止まって、目眩がし、くらっとなって、座っていられない状態までにはならなかった。とにかく、そのまま、動かず、じっと、何かが収まるまでそのままにしていようと思った。周りの人は、私の異常には気が付いていない。パニック障害の薬、もう、6年くらい前にもらった、それを、お守りのように持っていた。その一回分を飲んだ。聞いたのかどうか、何回かの目眩を繰り返しながら、だんだん、収まってきた。1時間ほどの後、体や頭の異変は無くなった。その間、時々、私のサインを求めに来る、字が細かいので、老眼鏡を掛けなければ読めない、どうでもいい、いい加減にサインをして返した。

それらは、11時ころのことだった。12時過ぎ、皆さんがキャンティーンへ行って、いなくなった時には、喃語ともなかったように、見積もりの案を考えていた。そして、夕方には、運転して自宅に戻った。何事もない。

パニック障害(http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0063.html)再発か、事情が違う、環境が全然違う、発症したときには、強烈なPHを受けていた時だった。いまは、快適環境である。初期症状も異なる。だから、違うと思う。じゃ、何だったのか。数年前、シロアムに夜中に駆け込んだ時とも症状が違う、その時も目眩がひどく、何とか、運転して、たどり着いたが、着いたとたんに、治ってしまっていた。その時も、何だっただろうと思った、ことがあった。
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今朝、7時半に工場に入った時に、8時に終わる夜勤の一人がトイレ掃除をしていた。やってるやってる、と、思った。
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朦朧としながら、PCをシャットダウンした。体が微妙に震えている。寒気もしてきた。真ん前にいて、給料計算をしているヘニー君に、万が一を頼もうかと思いながら、もしかしたら、私が写す最後の写真になるかもしれないと,撮った写真。KITAGAWAの時から一緒のブディ君もいる。

休日の変更を、また、やった。5月の11日と25日は出勤にし、15日と29日に移動する。しかし、個人手金は、11~14日はワカトビ決行を、変えない。

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(^_-)-☆脈が止まる [パニック障害]

 2599 2005年の今頃だった。勿論、インドネシアでのこと、家にいて、ソファーに座っていたとき、突然、頭がポ~~となった。どうしたのだろうか、一瞬のことで、すぐ直った。それから、数日、同じようなことが、繰り返された。一瞬、気を失いかけるが、気を失わない。絶対、何かあると感じ、近くの病院に行った。症状が出なくなった。血液、尿のチェック、心電図、全く以上ない。何やら点滴を受けながら二時間ほど横になり、その間、異常がないままで、病院から出た。薬は何ももらわなかった。それが、パニック障害の初めての症状だったことは、後に、あの時が、予兆だったんだと思い出した。
それから、一年後、会社の自分の席で、終業時、一年前と同じ目眩を感じ、椅子に座り込んでしまった。治って、立ち上がろうとしたら、また、同じ、めまいがした。その後駐車場に向かった時も途中で、歩いていられないどころか、立ってもいられなくなってしまった。自分の席に戻り、座って、オーバータイムで残っている連中に、ピグサンになりそうだから、もし、なったら、病院に連れて行ってくれ、などと、話をしているうちに、また、結構、頻繁に目眩がした。ピグサンにはならない。これは、車を運転して帰れないと思い、デリバリーの運転手に、私を家まで送ってもらうように頼んだ。そして、会社を後にしたが、車の中で、また、何回も繰り返したので、これは、家に戻っても危ないと思い、ちょっと方向を変えて、リッポチカランのシロアム病院に行ってもらった。
ところが、病院に到着したら、症状が出なくなってしまった。一応、一泊したが、何もなかった。翌日は会社に出勤した。しかし、その日から、強烈な試練が始まった。症状と扱いがきつかった。強硬帰国をするまで続いた。
いくつかの病院に行っている間に、目まいがする原因は、脈が無くなっているときと気が付いた。しかし、24時間チェックでも、どの医者も異常ではないという。

脈が以上になって、車の運転どころではなくなるという現象は、体験上分かるが、私は車の運転をしているときに気持ちが悪くなったこと、目まいを感じたことは、不思議に一度もなかった。パニック障害と指摘されてから、なるほど、心臓そのものの異常ではなかったから、車の運転時やゴルフをしているときには、何事もなく、案外、リラックスしている状態の時に、症状が出ていたのだなと思った。そして、二三か月苦しんで、今は、全く、症状はない。機会がなければ思い出すこともない。

https://www.youtube.com/watch?v=sNVvN-QU4hc 心のプラカード、インドネシア語ですね。
Kokoro no Placard - JKT48 at Honda HR-V Launching Event
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清水港まで行ってきたその帰り、1号線を走った。バイクを久しぶりに見た。この写真に三台、多いほうだ。一方、インドネシア、少ない方です。 

Kawasan Istana Merdeka di Jalan Medan Merdeka Utara terendam lagi akibat genangan banjir.
 
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(^_-)-☆パニック症状 [パニック障害]

 2170 “おじいちゃん“と、二階から孫たちの声、5時半ごろでした。ドドドっと階段を下りてきて、プラスチックの袋を見せながら、”これもらった”そのあとが良い、“眠れなくて、ただ目をつぶっていた時、おばあちゃんが入ってきて、袋を置いて行った、と、報告、”袋に温泉に入りに行った松風閣って印刷があるよ“ともいっていた。ばれてる。と、思いきや、どうもばれてはいない様子。

来年からインドネシアの短期ビザ(観光など)が必要なくなるという情報は二か月前からあったが、まだ、実施の決定はだされていない。しかし、ガソリンの値上げもそうだが、やるぞという話が出れば、それはやるのです。ですから、2015年1月1日からフリーになるでしょう。それは、それとして、私のワーキングビザのことだが、どういうわけか、申請が遅れていて、1月末にシンガポールへ行ければ良いという状況になっている。それも、確定ではない。そこで、慌てて、インドネシアへ行っても、手続きが一か月以内に完了しない可能性が高いので、1月中旬過ぎにインドネシアに行くことにした。

途中で寝てしまったので、結末がどうなったのか分からないが、パニック障害がテーマのドラマを見た。私の場合と比較して、違いがあった。
パニック障害の症状に関して、重さについては分からないが、単純でした。私の場合は、遥かに複雑でした。
また、題名の途中下車の意味だが、症状が出ることで、社会生活、会社勤めができ無きなり、一旦、それらから離れるという意味なら、分かるが、通勤電車に乗れない、多くの他人の中に入ることができなくて、電車の中にいられなくて途中下車というなら、私と違う。私は一人になることが恐怖でした、いつどこで、どんな症状が現れるか分からないので、誰でもいいから、身近に人がいる方が安心でした。実際、他人に助けられることの連続でした。病院にいる時が一番、安心で、症状も病院へ行けば収まってしまったことも何回かあった。
それと、大きな違いは、パニック障害と指摘され、薬を処方されて、一日二日で、全ての症状が、無くなってしまったことでした。出るのではないかという不安は二三カ月あったが、完全にパニック障害が原因だと言えるような症状は現れなかった。そして、あれから、8年過ぎるが、症状はない。ドラマでは、飲んだ機関は分からないが、薬では治らなかったようで、カウンセラーに通っていた。最後まで見なかったので、治っとかどうか、治ったとしたら、どういう毛以下でなおったのか知らない。
 ということで、環境も様々だし、症状も様々、治すための方法も様々、神経が誤差作動を起こすのですから、何が起きるか分からない、死んでしまう~~~と感じる症状が、何種類か襲うのですから、その不安は、凄まじいものです。
 http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0066.html
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百人一首とUNO なぜかAQUAのボトルが置いてある。
   

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(^_-)-☆難しいが [パニック障害]

 1936 この前の話し合いの中で、経営と技術は、別の話で、技術は出来るもの全てを、無償ででも、提供するが、利益が上がるか上がらないかは、私としては、責任を取れない。技術提供と経営は別の問題。資金の流れや管理部門の事は、技術とは違う。ということを話した。技術以外の事で、どうしますかと尋ねられれば、こうした方がいいと答えるが、そのようにして後の結果については、無関係だと思う。私が実施するのではないから、タイミングや微妙に方法の違いや人の能力など、私の意見の他に、他の要素の方が大きいかもしれない。私の管理下にない人にお願いする事柄なので、その人たちにすれば、余計な仕事をしなければならいので、積極的に優先的にやろうなどとは、全く思わない。権利がない場所に責任もない。そして、権利も義務も経営者の立場としては欲しいと思わないし、私には向いていないと思う。

リッポチカランのシティヲークの駐車場で、サクラ祭り、以来、テントの設置が続いていて、何かの催しが続いていた。私にとって、都合が悪いことに、駐車場に車を止められない。周辺も路上駐車をしている車で一杯だし、駐車場に止めるなら、離れた場所しかない。毎日、その前を通るから、買い物に寄りたいが、なかなか、出来ないでいた。今日になって、駐車場を占領していたテントがやっと、除かれたので、会社の帰り、ファーマーズマートに寄ってみた。生野菜類を主に仕入れた。

警察官がパワハラを受けたことが理由で拳銃自殺を図った。可哀そうに思う。その人は犠牲者であって、何も、その場の事では、誰にも迷惑を掛けていないし、周囲の人も、彼の恩恵は受けていたと思う。ただただ、上司という立場にいた人から、パワハラを受けてしまっていた。パワハラをしていた人に私は、怒りを覚える。

私は、多分、この自殺した人より、酷い、パワハラを受けていたと思う。気がくるっているとしか思えないような仕打ちを受けた。言っていることが、ことごとく、自分たちの無知をさらけ出しているようなものだった。それでも、私は耐えた。インドネシアの会社の中の日本人二人(本社から派遣されていた、現地社長とマネージャー)からでした。相当な、思い込みと誤解を根拠に私をアドバイザーというポジションから外し、私が作り上げて量産になっている仕事にもイチャモンをつけて、その仕事を止めさせた。二十人以上の部下がいたが、押出部門ごと、そのマネージャーが、管理することにしてしまった。私はインドネシアにいて、相当な仕事やってきたと思っていたし、これからも、かなり期待される存在だと思っていて、彼等の能力は、全ての点で、私より、劣っていると思っていた。押出しの仕事など手も足も出ない。実際そうだった。勿論、そういうことは、外には、全く出していなかった。しかし、徹底的に、苛めにあった。
事務所で社長の前で、大声で、怒鳴られもした。インドネシア人スタッフがびっくりしていた。全く、身に覚えのない事だったので、別室に移ってもらって、心当たりは無い事を説明したが、通訳兼秘書の女性の告げ口を信じてしまっていて、どうにも、ならなかった。私にしてみれば、その秘書の日本語が、間違いが多く、よくこんな秘書を使って、間違った情報をうのみにしている、変じゃないのと、思ってはいたが、まさか、自分に被害が及ぶとは思っていなかった。また、在庫をドルとルピアを間違えて、半年も、こんな多額の不良在庫を抱えてしまって、どうするつもりだ、と、怒鳴られた。常識で考えれば分かりそうなものを、5万Rpを5万ドルと、思い込んでしまって、私の失敗を発見したと、小躍りしたのでしょう。私を呼びつけて、帳簿を指でさしながら、どうしてくれるんだ、というわけだ。500円と500万円の違いだ。呆れてしまい、よく見てくださいよ、単位が違いますよ、と言ってやったが、どうも、自分の失敗に気がつかないらしい。そして、その500円の品物が何かも見てりない。しばらくして、もう一度、よく調べてみる、ということだった。その事は、それっきりで、謝りもしない。とんでもない人に会ってしまったと思った。
営業の専門家という触れ込みで来たらしいが、全く営業らしい行動は無し、舞い込んだ新規の話も樹脂すらできない。その人が、私に、いきなり、私と一緒に仕事をしましょうと、のたまった。この人は私と一緒になど仕事は出来ないはずなのに、上から目線で、発する言葉ばかりだった。
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0063.html
そんなことが、主な原因だったと思うが、ついにパニック障害(当時は、この病気についての知識が無かったので、何か、とんでもない奇妙な病気に掛かってしまったと思っていた)になってしまった。

ただし、自殺などしようとは全く思わなかった。まだまだ、やることは一杯あったし、多くの人から期待されていると思っていた。この、滅茶苦茶な環境から離れれば、また、皆さんの役に立つような仕事が出来ると思っていた。また、この人達が私にした事が、誤りだったと、思ってもらう時期が来ると思っていた。どうでしょうか、あれから8年近く過ぎている。その人たちは今どこでどうしているでしょうか。インドネシアの工場は見込みなしにしてしまって、閉鎖したが、その閉鎖の時間が掛かった事、相当、長期に渡って、会社に損失を与えたと思う。それも、私が、後始末の受け入れ先を紹介し、工場の売り先まで世話をした。1年半前に亡くなった、本社の当時の創業社長からは、感謝されたというのに、ご本人、それも、気に入らなかったと聞いている。どこまでも気の毒な人達だと思う。

パワハラに遭っている人に告ぐ、しばらく後で、徹底的に、攻撃を仕返しましょう。それまで、我慢をしましょう。逃げたり、自殺などしたりしては、やられっぱなしです。あなたの身内の人が気の毒です。必ず、やり返す時は来ます。立場から離れた時どうするか、どうやり返すかの準備をしましょう。負けないでほしい。苛めた人は、必ず、将来、惨めな気持ちになるでしょう。必ず、です。勝ち誇った気持ちが続くはずがない。反動は、必ず来ると思いなさい。子供の頃のいじめっ子が、将来、大成したという話はないと言っていい。同級会にも出にくい存在になってしまう。それと同じだ。
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赤い実のドリアン、初めて知った。ジャワ島の東の端、バニュワンギ(バリ島との間のフェーリーはここから)パイなどのお菓子を作っているそうだ。行く機会があったら、探してみようと思う。
  

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(^_-)-☆7年過ぎた 3 [パニック障害]

 1767 パニック障害という病名を聞いたことがある人は、非常に少ないと思うし、聞いたことがあっても、どんな病気か知っている人はほとんどいないと思う。私も、全く知らなかった、聞いたことも無かった。それはそうでしょう、私が掛かった多くの医者の全てが、この病気の事を知らなかったのですから、疑いもしなかった。
もう一つ知らなかったことがある、分けのわからない病気になった時、相談に乗ってもらえる総合診療科という科があることを。どちらかでも知っていたなら、遥かに短期間でパニック障害から抜け出すことができていたでしょう。パニック障害に限らず、なかなか、思うように回復しない状況が続くようなら、総合診療科で相談することをお勧めします。
過呼吸症状の私の顔の上にスーパーの紙袋を被せて、「呼吸は出来るだけしないで、してもいいからゆっくりと」と言って、私の苦しみから解放してくれた、救急病棟の看護婦が、「明日の内に総合診療科で様子を見てもらった方が良いですよ」と、分けが分からない体の状態を見て、そう、アドバイスしてくれた。その看護婦がアドバイスしてくれなかったら、私の苦しみは、なお続いたでしょう。

とにかく、パニック障害に限らず、肉体的のも精神的にも、世の中には、原因不明の苦しみや痛みを抱えている人は予想以上にいるのではないかと思う。その人の身になって接してほしいものだと思う。
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page113.html

もうひとつ、マリアさんの助け、同居していた女性だが、私が、彼女のドラッグ付けの生活から掬いあげた女性でした。ブロックMのカラオケで働いていたが、プレマンと付き合っていて、麻薬漬けになっていた彼女を家に一緒に住まわせ、色々な嫌がらせがあり、時には身に危険を感じたこともあったが、何とか、薬から解放し、コンピュータの専門学校へ通わせていた。その女性に車の運転も教えてあった。その彼女が、献身的に私の世話をしてくれた。夜中でも、いつでも、私が症状が現れた時にはいろいろな病院へ連れて行ってくれたし、インドネシアから脱出するときまで、色々なことで、彼女が助けてくれた、頼んだことは、何でもそつなくやってくれた。日本人の分けのわからない人たちの邪魔を彼女がうまくすりぬけてくれた。どれだけ、助かったか、彼女が居なかったら、私はどうなっていただろうかと思うほど、彼女は私に面倒をよく見てくれた。今は故郷のブリタール(東ジャワ、スカルノ初代大統領の生誕地、お墓と記念館が隣接してある)で御主人と子供二人と普通に暮らしている。

パニック障害の症状が現れなくなって、しばらく、日本で休養をした。“人の醜さと美しさの両極端”を感じた時期でした。その時にウェブサイトを作った、その後、しばらくして、ブログを投稿し始めた。仕事でも何でも、“継続は力なり”をなんとなく実行している。
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昨日のオランダ戦の先発から外れたメンバー表、控え選手。
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ジャバベカ2へ入ってすぐのロータリー北側にオープンした韓国系のホテル、ジャワ パレス。宣伝として、ジャバベカゴルフのキャディーのユニフォームの3モデルを寄付した。背中に名前とマークが書かれているが目立たない。どんな効果がるのでしょうか、キャディーのユニフォームは、今まで10数年、何十着の寄付で、次々と変わっている。今回のユニフォームは何時まで着るとの契約になっているのでしょうか、しばらくすれば、また、どこからか、新しいユニフォームを寄付されるでしょう。
 

タグ:継続 邪魔 助け
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(^_-)-☆7年過ぎた 2 [パニック障害]

 1766 ある日本人医師は、三半規管に異常があるのでしょう。ということで、耳の中に水を入れて、平衡感覚のチェックをした。脈が止まる時、目眩がすると言っているのに、あなたの平衡感覚に異常があるからかもしれないと判断したのです。脈が止まることと、耳の中の事にどういう関係があるの?と、思うのだが、医者にとっては、目眩、という事だけに集中したいらしい。その結果も、普通より正常だった。しかし、その医者が、あなたの状態では、飛行機乗ってシンガポールへでも行ってはいけない、責任を持てませんという。その時は症状があらわれて10日ほど過ぎたころで、私は、まだ、インドネシアの中で、何とか直せるかもしれない、適切な病名を言ってくれる医者に出会えるかもしれないと思っていたので、インドネシアからの強行脱出は考えていなかった。
 
インドネシアで何とかしようと色々な病院へ相談に行ったが、どうにもならなくて、発症から一ヵ月半ごろ、決死の脱出をした。おバカさんたちに、かまっている状態では無かった。
インドネシアでも、そして、ようやく脱出して戻った日本でも、症状も医師の対応も変わらなかった。パニックになる必要なんかない、と言ったって、パニックになるよ。この症状のあれこれは、だから、パニック障害なんでしょ。パニック障害とはぴったりの名前を付けたものだと思う。

 今私が関わっているのは、直進性のLEDランプの光を、拡散剤を混ぜることによって、広く、光をばら撒くようにしているのは、LEDチューブランプ(蛍光灯直管タイプ)用PCカバーなのです。私が接触した全部の医者は、その、頭の中に、拡散剤が、全く、混ぜられていなかった。ただ一点に集中するだけだった。それでは、患者の気持ちを受け止めることはできないし、症状に全てを考慮して診断することはできない。
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 PCカバー、右と左は私製と中国製です。明るい方はフラッシュ撮影です。PCカバーを半分付けて、そのままのものと、明かりを付けた時。

やっと、パニック障害という言葉を聞いて、その一日後には、信じられないほど、症状の発生が無くなった。勿論、しばらくの間は、また、くるのではないかと不安だったが、とうとう、かすかに、着たかなと思われる程度しか、症状は出ないままだった。それ自体が、症状だったのかどうかわからないくらいの軽微なものだった。薬で治ったのです。それも、ほとんど瞬間にと言っていいくらいの短期間で、でした。ラッキーだったのでしょうか、偶々、その薬が、私の神経や脳の欠陥の修復の役目をしてくれたのでしょうか。その薬は、テストを繰り返し、過去にどなたかにも効果があったのでしょうから、私にも処方したのでしょう。偶然、私に効いたというわけでもないでしょう。「あなたのパニック障害は、絶対直ぐに直ります、治ることを信じて薬を飲んでください」と言われたことは確かです。暗示にかかったのでしょうか。

とにかく酷い目にあった約三か月でした。また、その期間を含めて、それ以前、二年間ほどは、私の人生で最悪の期間でした。本社のNO.2常務からは徹底的なシカトをされるし、現地のアホ社長とアホダイレクターには、気が狂ったようなパワハラを受けるし、絶えた時期でした。

“Terima kasih cinta untuk selama” Afganという歌手が歌ったヒット曲の詩の一部です。何回か、繰り返します。

インドネシアタイム19;15オランダとの試合、キックオフ、ライブをKOMPAS TVやっていた。一点目の失点もそうだったが、何故、前半、日本のデフェンスはバックパスを多用するのか、そのたびにハラハラさせられる。21:05終了でした。2:2ドロー、後半は、安心して見て入られた。日本のプレーは、かなり、紳士的というか、フェアプレーに徹しているように感じた。乱暴なプレーをする相手には苦戦を予想される。
  

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(^_-)-☆7年過ぎた [パニック障害]

 1765 あれから7年過ぎた。しばらくぶりに、パニック障害について書く。7年前に顕著に発症し、約三年後、全く、思うことは無くなった。その一年前に、クラッと来たことが有った、その時には、単なる目まいで気にもしていなかった。顕著になったというのは、その目眩が、頻繁に置きだしたときのことを言います。症状は、それは、単なる一つに過ぎなかった。
そして今、もし、何か、軽い、似たような症状の一つが出た時には、年が年だから、と、思うようになっている。あの時には、あれほど、苦しんだのに、今は嘘のよう。
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page113.html
日本に帰った時に、県立総合病院の総合診療科に、挨拶に行く、その折、一カ月分の、例の薬を処方してもらう。前回は3月に受け取った。なんとなく飲んでみるかと思う時に、飲むだけ。飲まなければ飲まないで別にどうこうということは無い。袴田先生も、そういう飲み方をする人もいるという。気休めとか、不安解消とかではない。なんとなくである。そして、その薬は半分残っている。12月に帰る時には、病院へは行かない。
ということで、パニック障害は完全に直っていると思っている。発症当時の環境(インドネシアで仕事中、最悪)と比べれば、天国の様なもの、仕事の量がなかなか増えないという、不満はあるが、その他の事は、ストレスを感じることは無い。特に、人的環境は、17年、インドネシアにいるが、今が一番、恵まれていると思っている。

パニック障害ならそんなに簡単には直らない、だから、あなたはパニック障害では無く、他の病気だったのですという意見や特効薬は無い、原因は精神的なものだから、まず、薬に頼らず、強い気持ちで、そんな症状くらいではパニックにならないよ、と跳ね返せば治る、死にはしないのだから。そんな意見も寄せてくれた。

インドネシアで、それも、過酷な人間環境の中で、様々な症状に見舞われるのです。原因など分かるはずがない、日本人医師もインドネシア人医師も色々な症状を説明しても、その中の一つだけの原因について調べようとする、そして、その原因だろうと思われる数値や映像に関して、あなたは全く正常です。と、言うだけだった。こんなに多くの症状が有る病気をどなたも知らないのでした。
一つの例だが、クラッとした時に脈が何秒間止まる。医者が聴診器でそれを確認した。そして、24時間心電図を付けてチェックする。クラッとなった時の時間を記録しておく、医者が、その時間の脈をチェックしやすいようにするためだ、そして、その心電図のチェック結果、あなたは何の問題もありません。心臓の動きは平均より正常です。と言われる。要するに、クラッと来ることなど、気にするなと、言っているのです。自分では気絶寸前だと何度も思っても、それを気にするな、大袈裟だ、と言いたいのです。そして、そのことは、症状のたった一つにすぎないのに、他の症状の原因については全く触れないのです。
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駐車違反のバイクのナンバーを外している。25万Rpの罰金らしい。
   

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(^_-)-☆治せないパニック障害 [パニック障害]

インドネシアに居れば昨日も今日も午前中はゴルフです。ところが、日本では、何もすることがない。近所を散歩するだけならいざ知らず、何かすればお金を使う。節約がモットーだから、物価が高い日本ではじっと家にこもっていることしかない。
 息が出来ない、吸うにも吐くにも喉というより気管が狭くなっているようで困難。苦しくなる。頭がボーとしてくる。苦しいのでなお深呼吸をしようとする。しかし、苦しさは無くならない。もう、完全に、パニック状態になる。このままでは死んでしまうと思う。
 本当はしっかり呼吸が出来ているのにそう感じるのです。其のうち、体の手足が冷たくなり、体全体が冷たくなり寒気を感じてくる。体がぶるぶる震えてくる。バイブ微動で震えるのを通り越して、ガタガタ体が動き出すようになる。頭はしっかりしている。もう、黙って我慢はできない。大声で叫んでしまう。「もう駄目だ、なんとかしてくれ」と。典型的に過呼吸症状です。血液中の酸素の量が多くなりすぎているのです。
 耐えていれば自然に治る。しかし、呼吸を止めれば早く治る。自分や周囲の人がそういう知識を持っているかいないかで苦しみは大いに違ってくる。
 
 心臓の脈が抜けて目が回り気を失いそうになることは何度も書いていますが、その逆で、脈拍数が異常に上昇するのです。体中がカッカとほてってくると共に、頭にもずきずきと血が回る。体中が真っ赤になる。目が充血してくるのも分かる。ドンドン体温があがってくるのを感じがする。体温は40℃以上になる。この時も、もう、心臓が飛び出しそうにがんがん動いているので、ただ事ではない、もうだめかと思う。この時も、介護する人は、ただ、とにかく、冷すしかない。一時間ぐらいで正常に戻る。

本人にとっては症状としては大変なことだが、死ぬことはないのです。気を失くことも無いのです。だから、冷静になり行きが過ぎるのも待っていればいいのです。パニックになる必要はないのです。しかし、この症状でパニックになることはない、と言われたって、冷静でいられるはずがない。だから、病名がパニック障害なのです。決して、大げさに書いてはいません。事実です。

目に見えない、自分の体に何の症状も無い、そればかりか、地域の人に何の症状も無い、しかし、パニックになっている人がいる。放射線のことです。それも、半端な数ではない。レディ ガガのように日本を応援に来る有名タレントもいれば、ジャスティン ビーバー本人ではなく、スタッフのように尻ごみして日本公演を中止?してしまっている外国人タレントも多い。日本からの野菜や魚は全部、放射能に汚染されていて食べれば癌になるとか、日本人は放射能に頭を犯されていて、言っていることは信用できないとか、言っている人種もある。パニック障害なら私のように薬で治る可能性があるが、放射線パニック症候群には付ける薬も飲ませる薬も無い。無駄な介護はせず、見放すしかない。
IMG_0549.JPGIMG_0453.JPGこの魚のから揚げは頭から尻尾までパリッと美味しい~~。
  
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(^_-)-☆パニック障害の症状 [パニック障害]

先日書いたことの追加です。
体のあちこちが頻繁につるようになった。それが、また、強烈になり、じっとこらえていてもなかなか治らない。手足がつることは今まであったが、おなかや肩から首にかけて、脇腹、アキレス腱やその前の足と脛の間の筋だったり、思いもかけない場所が突っ張る。
ゴルフが終わった後は必ず吊るようになった。車の運転で帰る途中、高速道路の脇で止めて暫く休むこともあった。ハイウェーパトロールから何回もどうした、とたずねられたことがあった。ハザードランプを付けていれば、ペナルティーは取られなかった。オートマに変えても右足が吊るので同じことだった。コンペ後の表彰式や会食をしている時も途中で吊ってしまって、皆さんに何度も心配を掛けた。以前は、こんなはずではなかったのに、歳のせいかなと思ったりしたが、自分みたいな人は他にいないわけで、異常だと感じていた。
子供のころから力が無いことは知っていた。ゴルフを始めた時56歳でした。その時、ドライバーでランを入れて、170m平均でした。ところが、60才を過ぎたころから距離がすくなくなって今は150m平均です。100mは5番ウッドを使います。アイアンは7番より短いものしか使えなくなった。
ボルトを締める力、何かを持ち上げる力これ等も少なくなっているのが分かる。ホk他の人に頼むと、私が占めた後、同じ道具でもっと締まるし、他の人が締めたボルトを緩めようとすると緩められない。長い、パイプを使わなければならない。その度合いが多くなっている。歳のせいばかりとは言えない。
難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)ではないことは分かっています。この病気の人を何人か知っていますが、進行速度や症状は似た処はあるが全く違うことの方が多い。
力が無いこと、力が減少していることを他人に話しても全く信じてもらえない。
ついでに、信じてもらえないことが私にはある。それは、近眼がまったく治ってしまったことです。これは、パニック障害と関係はないと思いますが、色々な症状が現れたころから、18才から掛けていた近眼のメガネが邪魔になってきた。老眼(遠視)のメガネが必要になり、その前までは、いちいち、交換して使っていたが、そのころから、交換しないで、近くを見るときだけ老眼を使うだけになった。運転免許証、パスポートの写真はメガネを掛けない顔に変わっている。

 パニック障害が治ってしまったと思われる今、体のあちこちが吊るという症状は無くなった。しかし、力が衰えていること、近眼が治ってしまったことは其のままになっている。薬の所為かどうか、分からないが、疲れやすいこと、いつも、眠いことなどは、若い時に比べれば、歯がゆいことですが、年齢の所為かと、思っている。
 IMG_0665.JPGIMG_0665-.JPGインドネシアの赤とんぼ、一年中いる。IFU MIE(かた焼きそば)リッポチカラン、ルコ、タムリン内のメトロポリタンという中華レストランで。
  
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(^_-)-☆コンスタンを離せない [パニック障害]

IMG_0528.JPGIMG_0515.JPG口や目の渇き以外にも、2006年辺りから意識し始めたことが多い。
右足の真ん中の三本の指の付け根がしびれて、感覚がないような気がする。しびれているが実際は痛みも厚さも感じる。だから、気になる存在になっている。足裏マッサージをしてもらっているときにそのしびれ具合が強調される。神経がどのようにか知らないが、正常に届いていないと思う。それは、心当たりはないが、ある日突然にそうなった。40代後半の頃、ある日、首が回らくなった。運転するときに首を回すことが出来ないので、後ろを確認するのが大変だったことを覚えている。二三日、その痛みが取れないまま、首も其のままだったので医者へ行った、ぎっくり腰になったときに注射一発で治す医者です。X線で確認したところ、「あなたの首は先天性ヘルニアです。通常、横から見ると湾曲していて重力を分散できるようになっていが、あなたの首の骨は真っ直ぐに近いので、一か所に重さが集中してそこの神経が圧迫されて痛みをおこしています。手足のしびれは有りませんか、歳を取るにつれて、手足の先がしびれてきますよ、最終的には手足を動かせなくなります」と真面目とも脅かしとも取れるようなことを云われた。その時は、首の痛みは注射で治ってしまって、その後、寝違えたりして首が変になることはない。医者に云われたことを気にしていなかった。
しかし、右足に突然しびれがいた時に、医者に云われたことを思い出した。いよいよ、来たかと思った。しかし、そのころからパニック障害になって、しびれを気にするどころではなくなった。パニック障害が治り、ちょっと気になる一つに再びなったが、その後、しびれの箇所が増えることは全くないし、その場所の痺れが増すこともない。結局、突然、今の中途半端なしびれのままである。痺れだけでこれだけのことを書く自分の方が気になる。・変!!
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0063.html
痺れと言えば、ちょっと違うが、こめかみの高さで頭の脳の外側をぐるっと回るものがある。一瞬の内に二三周する。勿論、形があるものではない。また時々、同じものが後頭部から飛び出すような気がする。勿論、実際は何も飛び出していない。技術的なことを考えている時、文章を案がえている時など、何かに集中している時この現象は起きる。何回か繰り返す。頭がフラッとするのでしょう。その時に、薬を飲むと治ることがわかっているので、コンスタンとパキシルをパスポートと共に常に持ち歩いている。何度も脈が止まって、血液が脳に送られなかったことを繰り返した、パニック障害の後遺症かもしれないと思っている。
日の出前と日の出
  
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