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(^_-)-☆ショッピング [孫たち]

 3223 先月末で、消えてしまうはずだった、私の最初のウェブサイト、http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/ と、dionがhttpに含まれるページが、どういうわけか、昨日まで開くことができた。そして、やっと、今日、開くことができなくなった。10年くらい前にスタートしたウェブサイトが消えてなくなることは、一抹の寂しさを思う。既に、案内したように、http://otaenplaext.net/newpage300.html
「遊心」として、アップデートして、アップしてあります。
 http://otaenplaext.net/welcome1.html これは、新たに「遊神2」として、気ままに書き込んでいます。これは、完全に予備としてのページです。これからも主な新規書き込み場所は、http://otaenplaext.net/newpage0.html
こちら、「太田勝夫 enpla ext indonesi new」です。
 中一の孫が、今日は代休、町へ買い物に連れて行ってほしいのというので、午後から出かけた。百円ショップで、彼女に手つくりアクセサリーの材料をいくつか買う、その中にUVレジンというものがあった、UVは、知っている、レジンも知っている。しかし、UVレジンは知らない。それ、何?

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妹にもお菓子類、ガリガリ君が二個で百円、自動販売機の飲み物、すべて、100円、彼女、驚いていた。この店、過去、三回、買い物をしているが、消費税を取らなかった。しかし、今日は、しっかり、取られていた。曜日によって、変わるのでしょうか、聞かなかった。
 私は、酒を絞り用に、ペットボトル用の漏斗を買った。

 私は寒さ対策として、高校、大学と冬に勉強するときには、いつも羽織って、背中や腰から、風邪を引かないようにしていた。半纏(ハンテン)だが、綿入りだった。チャンチャンコと言っていた、袖なしの綿入り半纏も使っていた。私用に、綿入り半纏を売っている店を探した、「かわにし」という店にあった。妻には、ちょっと厚手の作務衣、孫達には、チャンチャンコって何?と聞かれたが、それを、買ってあげた。さっそく、それを着て、勉強机に向かっていた。

 靴、中一の女の子、24,5cm、気に入ったデザインで、その大きさのものが、なかなか見つからなかったが、店員を呼んで、一緒に探してもらって、やっと、見つけた。私に似て、甲高段広、そのサイズでも、紐をかなり緩めないと入らない。多分、片足一本立ちでは、誰にも負けないでしょう。

 今日の支出は、ディスカウントショップでしか買わなかったので、15000円ほどだった。
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(^_-)-☆君の名は [孫たち]

 2890 評判の“君の名は“ という映画を見に行ってきた。セノバという、総合施設ビルの中にある。昔の新静岡ビルだ。孫にせがまれて、ネットで前売りを購入した。画面は実に繊細できれいだと思う。いわゆるCGではなく、昔ながらの手書き風で、相当な人数と手間(時間)が掛けられた作品だと思う。日本だなと思った。
物語については、どうだろうか、何故、ヒットするのか、私には分からなかった。というより、話自体が私にはチンプンカンプン、男と女の子が入れ替わる、いつ戻ったのか、変わったのかも分からないし、隕石が落ちる位置もあり得ないし、最後には、ほとんど助かったと言っているが、三年前の報道では、500人以上犠牲になっていると言っているし、なぜ、東京で、何年後かに会えるのかも、不愉快なくらい、不可解。私にわからないのだから、小学生のアニメ好きの子供に、何が分かるというのでしょうか。創造力?想像力?が素晴らしい?前衛的設定?ま、とにかく、画面は綺麗だ。と、映画については、眠かった。

日本ですね。インドネシアではあり得ない。映画が終了。製作スタッフなどの名前が、真っ黒い画面に、白の小さい文字で流される。総勢何人でしょうか。数えようと思わないが、思っても、数え切れないでしょう。中国人と思われる名前も、あった。そんなことより、何が日本的かというと、音声や歌が流れない静か中で、文字だけが、下から出てきて上に消える。何分くらいでしょうか。少なくとも5分以上だと思う。皆さん、誰もしゃべらない、誰も席を立たない。じっとしている。全部終わってもまだ、そのままだ。何秒か後に、あかりが着きだした。やっと、誰かが立ち上がった。それを、皆さん待っていたように、立ち上がって、歩きだした。私としては、滅茶苦茶その時間が長かったし、窮屈だった。私が端っこの席なら、文字が流れ始める前に、席を立って外に出ている。
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映画館から出て、車に戻るまで300mほど歩いた。途中、何屋さんでしょうか、店の前の行列を三か所見た。これも、日本だね。行列を見て、うれしくなってしまった。私なら、並ばない、というか、行列になっている店は避ける。
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この橋は、駿河大橋、国道一号線だ。快晴、今日の富士はくっきりはっきりでした。
  

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(^_-)-☆大浜プール [孫たち]

 2760 このプールはいつごろからあったのでしょうか。私が小学校の時には既にあった。偶に、友達から行ってきたという話を聞いた。それと、これも、行ったことがなかったが、初日の出を大浜海岸へ行ったという話も聞いた。私は、孫と行ったのが最初だから、子供のころの大浜プールを知らない。水泳は安倍川の安西橋近くと三番町小学校のプールという近場で十分だったし、初日の出は浅間さんに行っていたからだ。
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そして、三年前から、孫と一緒に行きだした。海岸とは、隔離されているのが寂しいが、かなり、人気のプールになっているようで、この時期、駐車場を探すのも大変だ。かなり、離れた場所から歩くことになる。入場は無料だが、駐車料金が1000円、これが、入場料のようなもの。
私はプールにほとんど入らないで、ベンチに座っていたが、時々、居眠りをした。その居眠りが心地いい。何やら遠くから子供のはしゃぐ声、笑いこえ。そして、水の音が聞こえてくる。そして、それが聞こえなくなってきて、静寂になる。そして、多分、しばらくすると、監視員のメガホンからの声が聞こえて、ふと、我に返る。そして、それを繰り返したくて、また、目をつむる。

帰る途中、花火と私が明日持ってゆく、納豆と黒はんぺんを仕入れた。
この日は、それだけでは終わらない、長田体育館で新体操の練習があるという上の子を送り迎え、自転車で行けばいいが、おじいちゃんがいるのだから、送って行ってと言われ、しょうがないな、行ってやるよと、言った次第。
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夜は花火大会、我が家の庭で、毎年、恒例の花火大会、最終日に実施した次第。
明日、早朝出発の準備ができた。
 

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(^_-)-☆西伊豆半島 [孫たち]

 2600 久しぶりに三津シーパラダイスへ、沼津のインターから南下し、沼津の町を通り、狩野川を渡り、なお南下する。ちょっと、40年以上前に独立した時の工場に寄ってみたくなって、本線からわき道にそれて、行ってみた。志下(シゲ)という地名だ。周りには干物の工場が沢山あって、ちょっと臭かった。今はどうか、季節ではないかもしれないが、臭くはなかった。50坪ほどの貸工場、並んだ、奥の方だ。ここで、ポリカペンダント用のPCチューブを冬でも曲げてもクラックが入らないチューブを工夫してつくった。おかげで、1ラインで、毎月4トン(900円×4000Kg=360万円)の原料を使い、700万円程売り上げた。また、オンラインでの6ナイロン面取りスパイラルチューブも日本で初めて作った。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage007.html
孫と一緒だったが、彼女たちにとっては、何の意味もないことは分かっているが、ここが、おじいちゃんが、会社を作った場所だよと、つぶやいた。
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そこから、なお南下し、三津シーパラダイスへ、お決まりのイルカショーそして、餌やりなど、彼女たち、二回目だが、初めてのように、十分、楽しんだようだった。私も、十分、満足した。昼食は、彼女たちの希望でパスタ、大盛を注文、すごい食欲、数年前には、フライドポテトで十分だったのに。こいつら、遺伝子、四分の一かあと、眺めてしまった。
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なお南下し、大瀬崎を通過、土肥に向かった。フェエリーで帰るためだった。14時半過ぎに港に着いたが、10分ほど前に出港したばかりだった。次は17時20分だという。さてどうしよう。すぐ近くの金山跡へ行ってみた。私は眺めていたが、砂金採り体験に夢中、時間を十分、つぶすことができた。老眼では見えない、小さな金をいくつか手にして大喜び、家について、第一に報告したことは、そのことだった。私は、何より金は重いってことを、比重の概念を理屈っぽく,おじいちゃんは物知りだぞと、彼女たちに話してやって、分かったかどうか、自己満足した。
http://otaenplaext.net/newpage107.html
フェリーの中も、追いかけっこで走り回っていた。そして、それを見ていて、おじいちゃんをするのも、そんなに長い期間は残っていないなと思う。二三年すれば、相手にされないだろうなと思う。


タグ:遺伝子 元気
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(^_-)-☆登呂遺跡 [孫たち]

 2535 年に二回、孫達が着るものを買ってやることにしている。子供服の安売り屋、中国人が観光バスを連ねて爆買いにやってくる、静岡駅周辺のデパートや老舗の服やは、目が飛び出るほど値段が高い。そんなところは駐車するにも満車が多くて、時間がかかる。郊外の安売り店のほうが、品揃いは多いし、安いし、駐車場も敷地内にあるから、無駄に時間を使うこともない。沢山買えるから、孫達も大喜びだ。しかし、私はいいと思うのだが、客は少ない、というより、ガラガラだ。外国人による、超高価なものを爆買いの世界から二、三キロ離れた場所では、安値でも閑散、変な世の中だ。

何も、羨ましいとは思わない、逆に、何か間違えていると思う。インドネシアにでは、バイクがあふれかえっていて、子供もバイクに乗って通学や遊びに使っている。そして、車は排気量が多いものを求める。日本はどうか、インドネシア人に、日本ではバイクは全くないといっていいほど、見ないし、車は、オートマで、1000ccくらいが多いよ、ランクルやパジェロを見る機会はほとんどないよ、と、言ってやるが、信じない。貧富の差が、どんどん広がっているのでしょうね。
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静岡市街の南の方に、行ったので、ついでにと思い、登呂遺跡に寄って見た。私は、何年ぶりでしょうか、20年ぶり以上来ていなかったと思う。小学校のころには遠足で何度も来ていたし、個人的にも自転車で、何回か来ていた。安西5丁目の家から、静岡駅まで4Kmそこから、2Kmくらいもっと南、そのそばに女子商があったので、小学校のころは、珠算の検定試験や珠算選手権のために、高校になってからは、卓球の中部選手権のために、自転車で多分10回以上は、行っていて、ついでにというか、行きがかりで、友達と一緒に、登呂遺跡でぶらぶらしたことも何度もあった。弥生時代の遺跡として、当時から教科書にも載っていた。その後、どんな時だったか忘れたが、敷地内のある芹沢 銈介の美術館に何回か他人を案内したことがあった。
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今は、駐車場や入り口が敷地の南になっているが、ずっと以前は、北側にあった。今回は孫達と初めてでした。孫達と同じ年のころ、ここに来ていたことを思うと、感慨深いものがあった。竪穴式住居と高床式倉庫は多分、何度も何度も作りかえられていると思うが、当然だが、それぞれ、第一号の一棟ずつしかなかった。今は、何棟かに増えていた。そのひとつの前で、火起こし体験を孫達はしていた。田植えや脱穀、土器つくりの疑似体験もした。彼女たちにとってはいい経験になったと思う。なかなか、もう帰ろうよとは言わなかった。あれもやりたい、次はそれと、動き回っていた。田んぼのあぜ道を歩くのも楽しそうだった。爺さんとしては、寄ってみてよかったと思う。

子供を連れて、2000年前の生活をちょっと体験するには、個人的になんとなく行ったほうがいい。団体で行くと、限られた代表だけの体験になってしまうでしょう。ボランティアの方たちでしょうか、懇切丁寧に指導してくれるし、一緒にやってくれる。いい体験メモリーになるでしょう。ここには、中国人などの爆買い団体は来ないようだ。


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(^_-)-☆まだ、やれる [孫たち]

 2188 去年の1月4日にいって以来の“グリンパ“、昨年、帰国してから、ずっと、せがまれていて、適当な日が無く、もう、今日しかないので、行って来た。天候に恵まれ、途中、雪や凍結など、何の心配もなく、行くことができた。
一年ぶりのアイススケート、何とか、手摺の世話になることはなしに、滑ることができた。ただ、左右、片足で交互に滑ることができる距離が大分短くなった。普段、時々、片足立ちをしているが、震えが来て、長時間の片足立ちが次第にできなくなっているので、仕方がないと思う。
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孫たちは多いに楽しんだ。一緒に私も楽しんだ。立体迷路やアスレチック迷路、その他にも、ぶら下さがったり、這いつくばって、くぐりぬけたり、駆けあがったり、下りたり、若いお父さんやお母さん連中と一緒に、動き回った。乗り物、遊具に乗ってスリルを味わうというより、頭を使い、体力を使い、平衡感覚を使う遊び方で、子供達も充分楽しめるこの場所を気にいっている。できれば、孫が行きたいと言ってくれるまで、年に一回は、行けたらいいと思う。

片道2時間、場内にいたのが6時間、8時に家を出て、もう、暗くなった18時に戻った。孫たちは、“楽しかった、ありがとう、また、連れて行って“といっていた。
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それにしても、中国人の団体さんが、こんなところまで、押し掛けてきているとは、時代だなと思う。この辺りには、フジサファリパーク、こどもの国、忠チャン牧場、イエティ、そしてグリンパと言った、子供や若者が楽しめそうな場所が纏まってある。そして、何より、富士山の二合目なので、目の前の富士山全体を望むことができる。ここは、ちょうど宝永山の南になる。環境も眺望も素晴らしいと思う、また、この時期の富士山は、眺めが最高だ。海外からのツアーのルートになっていても不思議ではない。
心地よい疲れだった。インドネシアでもまだ、動ける
  

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(^_-)-☆最終日 [孫たち]

 1815 ゆっくりするつもりが、そうもいかなかった。明日、いなくなってしまうから、どうしても、スケートに連れて行けと言ってきかない。そして今日は迷わず、“ぐりんぱ“へ行くことにした。ずっと以前は”日本ランド“と言っていた。長泉町に住んでいたころ、小学校の娘を連れて、そり遊びに出かけた場所で、裾野のフジプラ精工という会社に夜勤で勤めていたこともあって、いわば、地元のアミューズメント プレースだった。忠ちゃん牧場、サファリパークなどもこの辺りだし、別荘分譲地でもあった。

一番心配した天候と道の状態だったが、天気にも恵まれ、道の凍結もなく、順調に着いた。30年ぶりくらいの場所だったが、昔とほとんど変わっていない、アトラクションが少し増えただけのように見えた。ワンデークーポンという一日、色々な遊具を、ほとんど、乗り放題というチケットを買って入場した。アイススケート場になっていた池は、全体ではなく、一部を手摺で囲ってあった。二時間ほど遊んだ後、色々な遊具で楽しんだ。彼女たちは、もう夢中、雪があるだけでも大喜び、何度も何度も気にいった遊具には繰り返し乗っていた。私はもっぱら写真撮影係と彼女たちの荷物保管係だった。

プレッツェル(ブレーツェル、ドイツ語Brezel)というお菓子というかパンを売っている場所が有って、彼女たちいち早く見つけた。私もドイツで食べたことがあるが、ちょっと、違っていた。それでも、彼女たち、うれしそうにほお張っていた。こういうことも、思い出として良かったのでしょう。帰る車の中で、「楽しかった、お爺ちゃんありがとう」と、言っていた。私としても、最終日、彼女たちに冬休み最後の思い出を残せたことで大満足だ。

ところで“ぐりんぱ”の状態だが、もしかしたら、今日が、一年で最高の人出ではないかと思うほど、込み合っていた。駐車場はおそらく500台以上駐車していて、駐車場に入りきれない車が路上に置いてあった。狭いスケート場、昼過ぎには、押し合いへしあい状態だった。全てのアトラクションも30分待ちくらいだったように見えた。中途半端なすごさと古さの遊具は、リニューアルしていない状態は、普段、それほど賑わっていないことを物語っていた。

先ほど、近くのスーパーへ行って、黒はんぺんと納豆と紙パックの日本酒を仕入れに行ってきて、バゲジに詰め込み、明日出発の準備を済ませた。妻が非常食の期限切れがあるから、良かったら持って行ってというから、それも詰め込んだ。ご飯や肉じゃがなどのアルミパックだ。
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冬以外の季節には池でボート遊び場になっているアイススケート場。
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スタースウィンガーというゆうアトラクションと観覧車と富士山、宝永山と一直線になっている。
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富士川サービスエリアの下り側からの夕焼け富士、私のお墓から見る富士とか立ち位置が500mほど離れているだけだ。
  

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(^_-)-☆アイススケート [孫たち]

 1809 いつ以来でしょうか、もう10年ほど前になるでしょう、最後にアイススケートをやったのは。ジャカルタのタマンアングレックのスケートリンク、PT.KITAGAWAの押出部門の従業員を主体に30人ほど、私が引率し、招待した。その前、メガまモール プルウィッで3回、タマンアングレックで3回彼らと一緒にやっている。皆さん、おおはしゃぎ、感激された。
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ということで、孫たちも7才と9才、アイススケートをやってみたいという、今日以外にチャンスはないので連れて行った。昨日よりも寒い、出がけに庭の霜柱を潰して、ちょっと滑る真似をしてから出かけた。家を出て国道に出る50mの間、西へ行こう東へ行こうか迷っていた。静岡にはスケートリンクがない。浜松のスポーツセンター(屋内)へ行くか、富士山裾野の“ぐりんぱ“旧日本ランドへ行くか、結局、浜松へ行ったのだが、理由は、道の凍結が心配だったのと、池なので、手摺がない、小さい子供だし、初めてなので、手摺は必要だと思った。ということで、屋内リンクを選んだ。

アイススケート歴は高校の二年の時から、大学では、武田神社のすぐ東側の灌漑用水が凍ったので毎年、30日ほどは滑っていた。スピードスケートだった。今回のスケートは10年ぶりくらいだし、年齢も70だし。靴はフィギアーようだし、かなり、厳しい条件だったが、孫たちから、頼りにされながら、何とか、4時間ばかり、スケート靴を履いて、足が何度も吊りながら、くるくる回っていた。見渡すと最年長かもしれない。靴の中が痛い、最後はその痛さを我慢することができなくなってやめた。
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孫たちは、ドイツでもやったことはなく、初めてだった。最初の30分ほどだけ、手摺から手を離すことができなかったし、離しても、私にしがみついて来ていたが、一時間名もすると、「お爺ちゃん、自由にやるから、付いてこないで」とまで言うようになっていた。私が彼女たちにアドバイスしたことは、たったの一つ、「歩くのと同じこと、右、左と歩くように、交互に片方の足に体重を乗せてなさい」ということでした。早い、直ぐに、手摺から手を離して歩けるようになった。その後は、私がもう帰ろうというまで、ちょっと休んで、またすぐにリンクに戻った、それを何度も繰り返していた。残念ながら、また、行けるという環境ではない。

彼女たちのおかげで、まだ、やれるなと思いながら、家に向かったが、右足の土ふまずが何度も吊って、親指が上を向いてしまって、アクセルやブレーキを普通に踏めなくて、高速道路の途中で休憩をした。
 

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(^_-)-☆X`マスイブ [孫たち]

 1440 ちょっとだけ遠出、富士山の麓、そり遊びに連れてゆく。ルートは初めて使う新東名、静岡から清水インターを過ぎた清水ジャンクションを北上して新東名に入って東に向かい、新富士で一般道にはいり富士山と愛鷹山の間の道の途中、富士山こどもの国へ向かった。途中、雪の気配は全くなし、富士山に雲は掛かっていたが頂上は見えていた。“頭を雲の上に出し“の状態だった。

 テレビコマーシャルをしているほどだし、三連休の最終日だし、クリスマスイブなので、大勢の客で込んでいると思ったら、さにあらず、閑散としていて、人がほとんど見えない、駐車場は広いが駐車している車は入口の近くに50台ほどだけだった。その駐車場の4分の3が空き、その駐車場の他に第二第三とあるらしい。
 目的はそり遊び、しかし、雪が見当たらない、入場料を払って、広いであろう場内を、それらしき場所方面へ登ってゆく、親子ずれの他の客も少しはいて、登って行っているので、同じ方面へ行く、やっとそれらしき場所が見えてきた、ちらっと、白い場所が見えた。

 ソリの遊び場は、二か所、一か所は10m×50m高低差5mほど、もう一か所は10m×100m高低差10mほどか、ざっと見て200人くらいの人がいた。そり遊びをしているのはそのうちの50人ほど、孫たちは、大喜び、レンタルソリ(2時間200円)を借り、早速、滑り始めた。もう、夢中、日本では初めて、人工雪なので、シャーベット状、それでも、大満足、登りは歩くしかないが、転ぶような急斜面ではないので駆け足でスタート地点に戻っていた。私は、何もすることがない、写真を撮るだけ、とにかく、寒くて仕方がない。ゴルフの時の寒さとは違うが、こちらのほうがはるかに寒い、手が、しびれてしまって、固まってしまっている。人工降雪機からの細かい氷が風に舞って降りかかってくる。
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 そのうちに、黒い雲が広がってきて本物の雪が降り出した。それでも、彼女たちは辞めない。次第に風も出てきて、雪も横殴りになってきた。場内アナウンスでノーマルタイヤの人は早めに山を下るように言いだした。
 まだ遊びたい彼女たちを説得して帰路に就いたが、2時間一杯ソリを使った。もう、彼女たち大満足、帰りの来るもの中ではポカポカ温度で、すぐに眠ってしまった。家に着くまで1時間ほど、ずっと、眠っていた。
 私にとっては、大変つらい一日でした。とにかく、寒い、痛いくらい寒い、インドネシア体質なので、多分、他の日本人よりはるかに寒さをきつく感じるのだと思うが、それにしても、寒むかった。それでも、お爺ちゃんは、家の縁側で日向ぼっこやうたた寝をしているわけにはいかない。
  


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(^_-)-☆リラックスできず [孫たち]

 1298 サッカー女子ブラジルに勝って良かったですね。負けたら何と批判せれたでしょうか。取りあえず批判のトーンが弱くいなるでしょう。男子はすばらしかった。どんどん期待が高まってきます。団体競技なので個人的重荷にはならないでしょうから、ひょっとする、ひょっとするかもしれない。

 日本滞在は四日残すだけになった。やっとここまで来たという感じ。先ほども、どうしても、プールへ連れて行けと約束させられて、忘れもせず、今朝になったら、約束したでしょう、今日、プールへ行くでしょ、と言われ、仕方なく、プールへ連れて行った。流れるプールで、一周150mくらいでしょうか、何周も彼女たちと一緒に水中歩行で回った。深さは1mくらい、二時間も歩いていれば、相当疲れる。一人で泳ぐなら二時間でも三時間でもそれ以上でも、泳いでいることができるし、疲れれば、浮いて休んでいればいい。
しかし、彼女たちについていなければならない状態では、監視しながら、また、引っ張れだ、押せだ、浮き輪を持っていてだ,渡せだ、その都度彼女たちの要求に答えながら、彼女たちが上がって休もうと言うまで、着かず、離れず水の中を歩かなければならない。こんな疲れることは無い。良い運動になると言えば、その通りだが、かなり疲れる。それも、ほとんど、明日までである。間もなく解放されると思えば、少し気が楽になる。

いつも同じことの繰り返しだが、妻や娘や孫たちと離れていれば、会いたいと思うが、会ってしまえば、一週間もすれば、もう、その場にいることによる苦痛の方が大きくなり始める。二週間もすれば、その場から遠ざかりたいと思うようになる。三週間付き合っていれば、完全に苛立ちの方が大きくなる。一カ月が限度である。今回は、ほとんど、その限度と言うことになる。今、すでに、インドネシアへ行くことを楽しみにしている。別の場所に移れることができるのを楽しみにしている。
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背景の松林があるので、リッポチカランのヲーターブームではないことははっきりしている。
  

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