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(^_-)-☆気にしない [インドネシア]

 3297 気のなるが気にしない。
メールアドレスを公表しているのだから、仕方がないとはいえ、よくも、まあ、送ってくるなと思うほど、迷惑メールがたくさん入ってくる。必要メールは、一日平均、20通程度、仕事関連がほとんどだ。
 迷惑メールJunk mail,spamですね。殆どが、日本から送られて来る物だ。懲りない連中が多いですね。中国からがその次だ。インドネシア国内からは全くと言っていいほどない。インドネシア内からはフェースブックがほとんどだ。一日平均、40~50だと思う。何やらの売り込みが多い。一度、ネットで検索したり、買ったりすると、その後、必ず、いつまでも、そこからの宣伝が入る。何やら、買ってもいないのに、請求のメールがある。期限付きで、しつこい。親切に振り込み先の案内もある。
迷惑メールの方に自動的に保存するようになっているので、一応、必要が含まれているかどうか確認して、すぐに,空にしてしまう。それでも、受信の方に、日、数通、明らかに迷惑メールが入ってきてしまうので、次から入らないように、迷惑メールに入れてしまう。
そのメールにどこにもクリックはしない。絶対に開かないようにしている。

客先の製造担当者から、メールや電話で、その部門で使う部品の注文が来る。パーチャシングシングから、POは、すぐに出されるから、納期を知らせれほしいといってくる。そして、待てど暮らせど、POが入ってこない。何を作るのか、数量は?だから、返事ができない。催促がある。POが来ていないよと返事、結局、最初のメールから2週間ほど後にPOが、届いた。poの日付は週間前になっている。納期にその日から2週間後を希望していた。POが届いた日だ。その客先とは、日系の上場会社。いや、台湾系になったのかな。

こちらは、そのPOを見て、原料が足りない。輸入原料PCだ。こちてにいれらの工場長、原料の手配をします。商社に電話しました。その商社から、私がいない間にその原料を手に入れて、試作をして、OKでした。それでは、直ぐ手配した方がいいよ、と、私は言う。その返事が、もう手配しようとして、在庫があるかどうか確認の電話を入れたが、商社の担当者が、父親が病気でカンプン(田舎)に帰っていて、休んでいる。オマケにどうでもいいが、奥さん、もうすぐ子供が生まれえるという。要するに、だから、在庫については分からないという。
おいおい、彼の上司や他に、在庫をチェックできる人はいないのか、その人をいつまで待つの?分からないという。試作をした時に単価が分かっているなら、在庫があるなしに関わらず、POを出しておきなさいと、頼んでおいた。

そんなこんなで、客先に製品の頭出しの返事ができていない。いつ返事ができるか、これじゃ分からないね。と、私が言うと、「太田さん、いつもこんなものですよ。どこも、大体、社内的に、コミニケーションができていないから、遅れても、仕方がないし、文句も言われませんよ」だって。これぞ、インドネシアです。でも、日系のインドネシア人です。

選抜に、また、静高がでるね。東海四県で勝ったのだから、当然だが、甲子園で、出ると負けだけ、は止めてほしいね。
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ワイファイのプルサを買いにいった帰り道、左前方、田んぼの向こうに、私が住む分譲住宅地が見える。その後上に黒雲がせまっている。これから、二月末にかけてが、雨季のピークだ。
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買ってきてくれた昼食、サバナのアヤムゴレンとナシブンクス(フライドチキンとご飯の包み)ハラル(イスラムではOK)、満喫できる、栄養がある、家族が選ぶ、などと、書いてる、ころもの内側に、トウガラシの粉がまずしたあるから、ちょっと絡め、インドネシアのフライ類(ゴレンガン)は全て、ころもに、七味のようなものが混ぜてある。

はれのひ、すばらしい晴れの日でしたね。そして、石川遼の報道は、止めてほしい。
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(^_-)-☆Macam-macam [生活]

 3296 jumlah rumah yang rusak akibat gempa Lebak, Banten mencapai 3.669 unit. Adapun rincian jumlah rumah yang rusak hingga Rabu, (24/1/2018) malam ini yakni untuk rusak berat sebanyak 513 unit, rusak sedang 716 unit dan 2.440 rusak ringan.レバックの地震によって壊れた家の合計が3669戸。513が全壊、716が半壊、2440が軽微だ。
ま、インドネシアの田舎の一般的な家のつくりは、ちょっと,押せば、簡単に倒れるし、素焼きの瓦を載せてある家が多いから、重さで家はもともと傾いているし、直ぐに、落ちるし、レンガを積んだ壁もすぐ倒れるし、竹やヤシの葉で包まれたような家が多いし、壊れるのは当たり前、10日もすれば、立て直している。それに、家がなくても、野宿でいい。食料もどこにでもなっている。亡くなった人はほとんどいない。津浪がなければ、それほど、深刻な事態にはならないのが、インドネシアだ。
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移る予定の家を再チェックに行ってきた。私が使っている白っぽい車の右。電柱が前にある。今と同じコンプレクスの奥にある。住所は、家の数字が変わるだけだ。
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家賃は、一年、15ジュタRp(12万円)一か月1万円、安いでしょ。
電気が点かないことだけ指摘した。一つの部屋に雨漏りがあった跡、天井の一部が黒くなっていた。それを指摘したら、そこは、もう、直したよ、という返事。それなら,黒くなっている場所を白く塗っておけよ、と、思った。電気が点くか点かないかくらいは、人を案内する前に、見ておけよ。しかし、ONにしてから、点かないね、という。引っ越しは、29日が目標だが、どうでしょうか。何もないが、別に、何もいらない。
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家をチェックして、会社へ戻る途中、ミーバソの店に寄った。Mie Ayam Baso kecir 15000Rp(120円くらい)です。これが、美味しかった。クチルでも、結構の大盛りで、やっと、食べつくした。Dawerダウェルというのは、バソ(肉団子)が大きいし、野菜が多く盛られる、大盛りだ。何人かで、突っついて食べる。ソスロは、写真のボトルだ。私には、甘すぎて、飲めない。最後に飲んだのは15年ほど以前になる。

私がインドネシアに居ない間に、KIICのシャープ セミコンで、動きがあって、LEDチューブランプ部門が、出てしまって、別会社になった。場所はバンドゥン、遠くなってしまった。本社はボゴールのソーラーパネル屋さんだという、バンドゥンはランプの組み立て工場だとか、元シャープの6人が移動した。そして、その客先は変わらず、今まで通り、シャープショーケース内のLEDランプにも使われるという。そこから、ENDOTAに、2月末納期で、POが入っている。一寸、複雑で、何が何だか分からないが、注文はジャカルタのPT.DMTから来ていて、納品はボゴールのPT,SKY ENERGYへ、そして、元シャープの連中は、そこのバンドゥンにいる。よくわかりませ~~ン。ドキュメンは、何処へ出せばいいの。質問をしている。

ネクタイを借りて写真を撮った件、定款は今まで通りにして、結局、私はエポをして、海外のインドネシア大使館へ行って、ダイレクター ウタマとしてのヴィザを取り直すことにしたが、日程がほぼ決まった。二月20日頃、エポ(今のヴィザを取り消す)して、その一週間以内に国外に出る。今回はクアラルンプールへ行くことにした。二三日、遊べる。シンガポールじゃ、つまらない。マチャムマチャム いろいろという意味ですね。 
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(^_-)-☆どうなるかな [思うこと]

 3295 ルフトさんは、中高速鉄道やMRTなどで、日本を一番押している人だ。
https://www.youtube.com/watch?v=NgHJNXXaj8k ジャカルタ、スラバヤ中高速鉄道に関する最新報道です。中間のスマランまで先に着工することになるでしょう。
MANTAP..!!! すごい!!!Jepang akan bangun Kereta Api semicepat di Indonesia rute Jakarta-Surabaya日本がインドネシアのジャカルタースラバヤ間、中高速鉄道を起こすだろう。
2017/01/18 に公開
Menko Kemaritiman Luhut Binsar Panjaitan mengatakan, mengatakan, pemerintah Jepang telah sepakat membangun proyek kereta api semi-cepat Jakarta-Surabaya dengan skema private public partnership (PPP).
日本政府は半高速鉄道ジャカルタ-スラバヤ専用公共のパートナーシップ (PPP) の鉄道プロジェクトを構築することで合意しました。

Menteri BUMN Rini Soemarno 国営企業大臣リニさん,女性が、こちらの中国ひいきで張り切っている、中国を押した張本人だ。思うようにいかないが、それでも、土地は、確保できたといっているし、ハリム(ジャカルタ側の駅が、予定されている場所、)では、工事が進んでいるといっている。
しかし、とっくに、資金が流れてきているはずの資金がまだ、届いていない。
Proyek Kereta Cepat Jakarta-Bandung masih abu-abu. 高速鉄道プロジェクト ジャカルタ バンドゥンはまだ灰色です。Belum ada kejelasan progres pembangunan. 開発の進捗状況は、まだ、はっきりしていない。。 Apalagi hal ini ditambah dengan belum cairnya pinjaman dari China Development Bank (CDB) senilai USD 5,5 miliar atau setara dengan Rp 73 triliun (kurs Rp 13.400). また、これは 55 億米ドル(または Rp 73 兆に相当する 、為替レート Rp 13,400)が中国の開発銀行 (CDB) からまだ、流れていない。

ナンブのディッキを訪ねた。チカランバラットから、MMの出口まで、一時間かかった。
この橋の下の向こう50mほどのところに、MMへの斜め出口道路がある。左の工事ブロックや壁がなければ、路肩から、すっと出ることができるはずだが、動かない。
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ここから、10分ほど、かかって出口に出た。出れば、空き空きで、MMだが、この先、ジャカルタ方面、何処まで大渋滞なのでしょうか。

MMの中に入ると、まっすぐの道の真ん中にMM2100(チビトゥン)内の会社の名前が書かかれている大看板がある。その向こうから、中央分離帯を兼ねた川がある。その川の上に、どうも、高速道路から高架道でその先に出口を作るのでしょうか、そのあたりの看板を見ると、チマンギスとここチビトゥン間の高速道路、セクション2の工事だそうだが、出来上がてみないと、何処をどう通ってくるのか想像がつかない。
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そして、この出口、ジャバベカ1に直接出入りできるはずの道、もう、遠くの昔にできているが、いつ、開通するのか、はっきりしない。ゲートの工事が始まっていない。ドライポート方向と書いてあるが、まっすぐ行った方向のルマーアバンの手前がドライポートだから、この看板も妙な気がする。
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帰り途中、ファーマーズマーケットによって買い物をした。安いでしょ、イガ(鎖骨周囲の肉)が100g130円くらい、普通の牛肉は100円ちょっとだ。各、1kg以上買った、一週間分だ。ソプ イガ、ソプ ダビン サピMasak sendiri Sop Iga,Sop dagin sapi,enak bange~~t,
タグ:Ruhut Rini Joko
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(^_-)-☆記憶から [思うこと]

 3294 youtubeで音楽を流しながら、洗い物をしていたら、何やら、君が代行進曲や軍艦マーチが飛び込んできた。そのままにしていたら、“ふるさと“が聞こえてきた。そして、cutiやmasakを中断して、画面を見てしまった。自衛隊の演奏、ショーのようなものを日本ではないところの様子だった。思わず、一緒に歌ってしまった。そして、ウルっと来てしまった。昔々、ある頃のことがよみがえってしまったからだ。
物心がついたころには、お前は、加藤隼戦闘隊の歌を歌っていたと、父親に小学校のころ言われた。自分は覚えていなかった。しかし、その小学校のころは、故郷や朧月夜やブンガワンソロやノナマニスを歌っていたが、空の神兵や露営の歌なども歌っていた。“勝ってくるぞと勇ましく“なんてね。

そして静商(せいしょう)が家から近かったので、何となく通りかかる機会があった。ブラスバンドの練習が聞こえてくる。ほとんどが、勇ましい行進曲だった。スーザ作曲が多かったが、日本軍の行進曲も多かった。軍艦マーチや君が代行進曲、静かになって、海行かば、も、聞こえてきた。側を通るとき、何となく行進曲に合わせて歩いた。当時、静商のブラスバンドは、全国でも優秀だったと聞かされていた。
事実、静高と静商の野球定期戦の時には、その前のセレモニーで、静商のマーチングバンドが拍手喝采だった。
静高生は、それを見ているだけで、部もあったと思うが、一緒にやれる実力がなかったと思う。近かったし、小学校の時には、私は、静商を応援していた。甲子園で活躍もしていたし。
“守も攻も黒鋼の”https://www.youtube.com/watch?v=XEGtOOxsj5U
そして、高齢者になった今、ほとんどインドネシア人のようになっているが、こんな曲や歌が聞こえてくると、ほろっと来るのも自然かなと思う。
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VISAの申請に、写真が必要だが、ワイシャツ、背広とネクタイでなければならくなった。全然持っていない。インドネシアでは、バティックが正装だから、背広など売っている場所を探したことないし、見たこともない。そのためにわざわざ買いたくない。フォトスタジオが近所にあるよと聞いて、寄ってみた。ところが、そこには、着る服がなかった。ジャバベカ2に、もう一軒あるのを知っていたので、そちらへ、行ってみた。あった、あった。汚いし、よれよれだが、問題なし、ネクタイは黒を出しいてきた。こりゃ葬式だよ、他の色はないの?赤を持ってきた。首の後ろで止めるやつだ。これでいい。OK,出来上がりは、上々だった。明日、メールでSAKURAへ送る。

地震 インドネシア、ジャカルタタイム、13:35ころ、横揺れ、多分震度2~3の地震を感じた。少なくとも100Km以上離れている場所が震源だと感じた。事務所内に5人いたが、私以外、皆さん、慌てて、外に出てしまった。現場は天井の蛍光灯が揺れていたが、生産が止まることはなかった。それ、一回きりで、余震は感じなかった。インドネシアで、地震の揺れを感じたのは、10年以上ぶりだ。
面白いことに、インドネシアではすぐのニュースにはならない。日本からのニュースで、ジャカルタの西、ジャワ島の西橋の州、バンテンが震源でM6,4とか、ジャカルタは、大いに揺れたと思う。パニック状態になったと思う。そして、バンテンには、石油コンビナートがあるし、製鉄所、鉄鋼メーカーもある工業地帯だ。日系企業も多い。まだ、詳しいニュースが入っていないので心配だ。
https://www.youtube.com/watch?v=JDMvDTi3Mgg
震源はジャワ島の西端のインド洋側、ジャカルタからは、200km以上離れている。プラブハンラトゥという。観光スポットがあり、サーフィンスポットでもある。パンガンダランはそこから東に300kmほどなので、今回の地震の影響は全くない。
特に目立った被害はなかったようですね。
それより、草津、大変ですね。スキーも温泉も冬の書き入れ時なのに、困りましたね。
 
 2018/01/10 に公開 ほとんど、情報がない中、これは、一応、ジャカルタ、バンドゥン高速鉄道に関する最新の情報だ。ワリニという、山の中で工事を本格的に始めたといわれたのが、1年以上前、まったく、工事に関して報道が無くなってしまっている。日本が手掛けだした、ジャカルタ、スラバヤの中高速鉄道を推し進めているルフトさんの発言です。
Tak Ada Kemajuan, Luhut: Presiden Minta Proyek Kereta Cepat Jakarta-Bandung Dievaluasi
前進がない。大統領が高速鉄道プロジェクト ジャカルタ ・ バンドン評価を求めた
https://www.youtube.com/watch?v=lHS1PjVHxrs
Belum ada kemajuan dari proyek Kereta Cepat Jakarta-Bandung hingga saat ini. Menteri Koordinator Bidang Kemaritiman Luhut Binsar Pandjaitan mengaku, proyek ini tengah dievaluasi oleh Presiden Joko Widodo.
Maksud Luhut
ジャカルタ バンドゥンの高速鉄道プロジェクトの進捗はされなかった。ルフト担当調整相を告白した、ジョコウイドド大統領によってこのプロジェクトの中途評価された。結局、今更だが、バンドゥンまでの140Kmにどんな意味があるのか、問い直しているみたいで、あほくさい状況になっているようだ。意味がないと、誰もがお思う。
高速道路の車線を増やしているし、LRTのカラワンまでを目指して建設中だし、どう見ても、高速鉄道は意味がない。140kmを30分で走ったって、家から家を考えれば、車の方がよっぽど速い人の方が多いはずだし、費用も遥かに安い。
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雨季の象徴的な空模様ですね。
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(^_-)-☆MM2100 [情報]

 3293 二社訪問をした。S-PVCメーカー、PT,RAPINDOと医療、介護用ベッドで大有名のP.BED。ラピンドは、日本の理研ビニールの関係会社だ。私は、PVC以外の樹脂については、扱いに自信があるが、PVCについては、自信がない。
PVCの成型は楽すぎて、どこの誰でもできるから、面白みがない、最初から扱いたくなかった。事実、チューブやH-PVCのプロファイルの成型は、インドネシアでも、日本でも多くの会社がやっている。私が、手掛けるときには、事情があって止む負えないときだけにしていた。そして、現在、プロファイルを引き受けて壁にぶっつかっている。

透明で軟質にしては、硬めの塩ビ、ちょっと大きめのプロファイル(異形)少しでも凸凹が目立ってしまう。完全に表面が平らでなければならないことが要求される。軟質だから、表面を規制することができない。何かに擦りつけながら引くことができない。水でも空気でも、掛けて冷やすしかない。溶融して金型から出てきたとき、ちょっとでも凸凹が見えると、それは、そのまま凸凹のままで、消すことができない。

金型から出てきたとき、完全でなければならない。金型の中に溜まりがなくす必要があるが、形状の関係で、それが、完全には、できないでいる。そこで、滑りが良い樹脂があればと、相談に行った。ある樹脂から、該当するものがあればいいと思う。

 e-tollのカードで、4回、出入りで使った結果、すべてが分かった。タッチパネルにカードを当てれば、一寸前方に、残りの金額が表示される。入るときに払う場合は、支払った金額と残りが出る。出るとき払いの時は、残りの金額だけが表示される。出るときの金額を知っておくことが必要だ。足りないと思えば、途中のサービスエリアのコンビニで、追加をしておけばいい。高速へ入る前に足りないと思うなら、コンビニならどこでもいいから補充しておく。それでも、出るときに足りなかったら、ゲートで係を呼ぶしかない。後続に迷惑を掛けるしかない。ちなみに、私が会社から貰った、カードには、まだ、残りが75万Rpもあった。3000km以上使えるかな。

P,BEDの方は、少しだが、必要とされる、3分の2円の異形品。用途を聞いて、作り方の提案をした。プロファイルとして作ることになれば、20万円くらいの金型費になる、もったいないので、チューブを作って、ナイフを二か所に入れ、3分の1を切り落とした方が簡単に安くできると。

なお、ついでに、SAKURAに寄った。例のVISAの関係だ。定款のポジションを変えた方が安く簡単にできるし、私の方は、国内で更新できると、しかし、その線で進めることを全く、考えていなかったらしい。すでに、私のヴィザを無効(エポ)にして、海外で定款通りのポジションで取り直す手続きを進めてしまっているという。わざわざ、厄介な金のかかるやり方で、その上、卒業証明はオリジナルのカラーコピーでなければならないという規則が新たにできたという。今まで、何度も,申請や更新をしたが、20年以上前の白黒コピーで問題なかった。オリジナルを探したが出てこない。これについては、エージェントの手腕次第で何とかするから、現在の手続きを進行させてほしいというので、そうしてもらうことにした。
もう一いつ、シンガポールでなくて、クアラルンプールのインドネシア大使館でとれるように、書類申請をしてほしいと頼んだ。エージェントとして、ちょっと厄介だし、代理人がいないから、私自身が大使館に出向いて、自分で、その場で必要な書類を書かなければならないことになる。SAKURAがそうして、くれるかどうか。
20年前は、シンガポールでも、自分で大使館へ行ったものでした。午前中に申請して、15時過ぎに、受け取りに行ったことがある。
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行きは高速を使った。MMに入る当たりの高架高速道路工事、ここは中央分離帯側にある。
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帰りは、EJIPを通ったが、この渋滞。ここをまっすぐ行きたいのだが、閉鎖されて、EJIPの中から、デルタスリコン1を通って、高速へ入る車と合流して、左折し、暫く行って、Uターンして、ここを直進しうる道に戻る。競り合いに中、遠回り。
  

地震 2018-1-23インドネシア、ジャカルタタイム、13:35ころ、横揺れ、多分震度2~3の地震を感じた。少なくとも100Km以上離れている場所が震源だと感じた。事務所内に5人いたが、私以外、皆さん、慌てて、外に出てしまった。現場は天井の蛍光灯が揺れていたが、生産が止まることはなかった。それ、一回きりで、余震は感じなかった。インドネシアで、地震の揺れを感じたのは、10年以上ぶりだ。
面白いことに、インドネシアではすぐのニュースにはならない。日本からのニュースで、ジャカルタの西、ジャワ島の西橋の州、バンテンが震源でM6,4とか、ジャカルタは、大いに揺れたと思う。パニック状態になったと思う。そして、バンテンには、石油コンビナートがあるし、製鉄所、鉄鋼メーカーもある工業地帯だ。日系企業も多い。まだ、詳しいニュースが入っていないので心配だ。
https://www.youtube.com/watch?v=JDMvDTi3Mgg 直後のジャカルタの様子。
https://www.youtube.com/watch?v=aRSz6opkjwY
https://www.youtube.com/watch?v=aAe6KQyDfXQ 震源は、インド洋川らしいから、津波は。プラブハン ラトゥが心配だ。

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(^_-)-☆チカンペック [行動]

 3292 インドネシアで一緒の会社にいた人で、私がそこから出ても、一緒にゴルフをしていた。その人が定年退職し、日本に帰ったところまでは知っていた。今回、私がインドネシアに戻ったら、その知人から、その人、インドネシアに来て仕事をしているよと、電話番号を教えてくれた。早速、連絡し、今日のゴルフになった。その彼、ゴルフの時にはいつも、私が住処まで、送り迎えをしていた。ところが今日は、どうすると聞いたら、免許を買ったし、車も与えられているから、自分で運転していくから、迎えはいらないといった。

6時スタートも彼が提案した。私は、目覚ましをセットするのを忘れて、目が覚めたら5時だった。チカンペックまで1時間以上かかるのが普通だから、これは大変、着の身着のままでクルマを走らせた、チバトゥインターに入ったのが5:16、空いていてよかった。ゴルフ場には5;50に滑り込みセーフ。ロッカーで着替え中、電話が鳴った。もう来ているよという知らせかと思ったら、道を間違えてインターに今はいるところだという、それなら、そこから30分以上かかるはず、案の定、到着したのは、6;50、一時間待たされた。

どうして?間違えるのか私には、想像ができなかった。ご本人曰く、ブキットインダーから出る手前の左に入るとバンドゥン方面へ行く道に入ってしまったという。そこへ入って南に向ってしまえば、スバンの出口まで行くしかない、そこから引き返すにしても、往復20Km以上は余分に走るし、それも、引き返す道を知っているのが条件、本人にしてみれば、まったく知らない田舎へ行ってしまったのだから、慌ててしまったという。今から、インターに入るといった場所は、方向違いのインターだった。

また、上がっていて、55万Rpになっていた。それでも安い。遅れたお詫びにと、カートを頼んでくれた。カートはいくらか聞かなかった。初めてカートで回った。そりゃ楽だ。特に、10~18番は、上りが多いから。カートを使いたい人が増えているのでしょう。台数が増えていた。以前、一緒にまわった人で、こんなに登りばかりじゃやっていられないといって、途中でやめてしまった人がいたくらいだ。ほとんど、フェアウェーのどこでも入ることができるので、高齢者にといっては、大いに役立つ。ただし、私は、急な登りの時以外は乗らない。
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とにかく、久しぶりの再会、今の職場には満足しているようで良かった。ただし、楽しみのゴルフが、あまりできないことが不満のようだ。ヤマニの友人が、インドネシアへ戻ったら、三人で、又、チカンペックでやろうといことになった。ジャバベカが二年メンバーで80ジュタRpでは、とてもできない。
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東に向かう高速道路では、真っ暗で、ほとんど見えなかったが、両側で高架工事が進んでいることは、わかっていた。帰りに確認した。ジャカルタからカラワンバラット付近まで建設が進んでいた。表示を見ると、ACSETと書いてある。道路建設企業の一社だ。ジャカルタ、チカンペック間の高架高速道路の建設だ。この辺りは両側にあった。
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家の電灯の大部分が切れていて点かない。高い天井に着いているので交換ができない。そこで、壁のコンセントにセットできる、なんという名前なのでしょうか、道具を買ってきた。これは便利、日本では見たことがない、売っているのでしょか。
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建設ラッシュのジャバベカ、デルタシリコン、リッポチカラン、デルタマスなどのすぐ近くだが、私の家のすぐそばに戻ると、相変わらず、こんな風景だ、ギャップが大きい。
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(^_-)-☆ゴルフと汗 [行動]

 3291 6;40に家から出てゴルフ場へ、6;50に着く、支払いを受付でして、ロッカー行き、直ぐにスタートホールの一番へ行く、一緒の連中は、レストランで食事をして出てくる。7;10ティーオフ。デンソウのコンペが、7時前にショットガンスタートだった。私たちの仲間は、今日は11人、3フライトだった。雨季にも拘わらず、時折、乾季のような雰囲気になっていて、日差しが強かった。ゴルフは、こうでなくちゃ、分厚い服、カイロを幾つも体に付け、鼻水をかみながらやるのは、ゴルフじゃない。単なる、我慢大会、それに、高額を支払うのは、ばかばかしいと思う。

 で、本日のカートの同乗者の方、インドネシアではよく、一緒に回っている人だったが、カートが一緒は初めてだった。76才、この人、85くらいらしい、うまい。40才台の時には、70台で回っていたとか。350Mミドルで、200M先のバンカーに入れた。私は150Mのバンカーに入れた。私は、バンカーから出しただけ、三打目は120M以上残った、そして、4オン、2パットのダボ、その人、バンカーから、パーオン、2パットでパーだった。呆気に取られてしまった。

 ゴルフについて、いろいろ,語ってくれる。カートに乗り方にこだわりがあった。向こう側に回って乗らない主義だそうで、ティーショットの後二打目に向かう時、グリーンから次のティーグランドに移動するとき、2人で乗る。その時、その人が先に乗るなら、左右どちらから乗っても、運転席に座る。だから、左(運転席側)から乗るときは、その人が運転席にいるから、私は、カートの前か後ろを回って、右に座る。それでは、私が先に乗る場合、左の運転席いてはダメなのです。運転席にいると、その人が来て、右へ移るように言われ、移ると、その人は運転席に座る。右側から乗るときには、私は左の運転席に座って待っていていい、その人は、右からきて右に座るからだ。三ホール目くらいで、私が運転する気で、先に座っていたら、あとから乗りに来て、向こうへ行けと、私を押した。運転をしたいのですかと、聞いたら、いや、向こうへ回りたくないと、説明した。その後、私は、カートに乗るとき、いちいち、その人のために、気を使った。

 その人、同伴者やキャディーの居場所、特にグリーン上での位置について、気にするようで、パットの方向から左右45度以内に立っていること、たとえ、その人の後ろでも、ちょっとでも,動きが感じられるときには、パットの動作を止めてしまって、仕切り直しをする。私のキャディーがそのことを知っていて、グリーン上では、キャディーから。私の立ち位置を注意される。時には腕を引っ張られる。

 私がいろいろ気を使っていることを、本人、気にしていないばかりか、私が、その人のしゃべりを、相槌を打ちながら熱心に聞いてくれていると思ってくれたのでしょう。よくしゃべること、ティーショットの順番が来ているのに、カートに座ったまま話続ける。私は立って、離れたいのに、話が止まらないので、待つしかなかった。尼崎の人で、23年まえの地震の話になった時には、転勤を命ぜられて、今までの職場だったら、まだ、寝ていた時間だったが、新しい勤務先に出勤するために、以前より、一時間早く起きなければならなかった。そのおかげで、起きてすぐの大地震だった。私が寝ていた場所に、瞬時に重い箪笥が倒れたという。転勤させられていたから助かったという話。その転勤が、上司と仕事のことで衝突していて、いわば、嫌われて、遠ざけられた左遷のようなものだったという。
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 田植えとゴルフ場、日本とは、違うね。

 ジャバベカゴルフのプレー費のキャンセル料について、先日触れたが、今日、もう一つのことを知った。メンバー日についてだ。このゴルフ場、一年限定会員という制度がった。個人の場合、永久会員と一年会員がった。しかし、今年から、一年会員は無くなって、二年会員になった。そして、費用は、80ジュタRp(70万円くらい)だそうだ。いままでの一年会員は、10年くらい前には、20ジュタくらいだったが、年々、上がってきていて、昨年は35ジュタだった。そして、今年からは、40ジュタになり、それも、二年になったということだ。厳しいですね。なかなか、個人で二年会員になる人は、いないのではないかと思うが、勤務先が、出してくれる人が、結構多いようで、相変わらず、会員でも、ブッキングが難しいとか。
 私は、19年ほど前に、永久会員になっているが、いつ、売ろうかなと思っている。売りでも250ジュタくらいだそうだ。永久会員でも、今年は、17ジュタ払った。これも、年々、上がっている。休眠にする場合は10ジュタ払う必要がある。
タグ:会員 拘り 夢中
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(^_-)-☆厄介な押出 [押出成形]

 3290 ここはどこ?インドネシアの北西の端です。キロメートル0ポイント、です。スマトラの北西の島、ウェーです。サバンという村の端です。大地震、津波があった場所です。ウェー島には、タイやマレーシアから欧米系の人が大勢来ています。
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page231.html
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ここはどこ?インドネシアの南東の端です。ニューギニアのほぼ真ん中の南北に、国境線がある。線の東がパプアニューギニアです。西側が、イリアンジャヤ、インドネシアですね。ムラウケから、なお西に2時間ほど車で国境線に向かうと、ソタという、国境も部落に着く。
http://otaenplaext.net/newpage29.html
http://otaenplaext.net/newpage28.html
どうですか、どちらも、地の果てのようなところです。話のタネに、行ってみませんか。
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押出の何が厄介かって、どんな仕事か、聞かれた時だ。とにかく、説明のしようがない。仕方がないから、「ストローのようなものを作る仕事です」と、答えておく。それで、会話は終わりだ。どんな作り方をするのか、知っている人は、いないといっていいから、説明しても仕方がない

そして、それ以上に厄介は、上司に不満をいわれた時だ。知らないから、要求は、思い付きで何でもできる。それに、答えようがない。何を言おうが知らないのだから、納得はしない。始末が悪い

そして、大きな問題は、金型の消耗や修正やメンテナンスのことをインドネシア技術者に、なぜだ、なぜだ、なぜできないのかと、問いかけることだ。問いかけられても、その人に、説明のしようがない、ということを、知らないからだ。例えば、修正して使えないのか、どうしても、新しく作らなければいけないのかは、押出成形の基本から教えなければならないし、教えても分かってもらえないから、返事をしようがない。すると、聞いた方は、自分がダメなのに、こいつ、だめだと思う。インドネシア人としてはいい迷惑だ。

自分への評価を上げたいから、生産性のアップ、生産速度をもっと上げなさいという。気持はわかる、やれることは、今までやっていて、今の速度になっている。やれることの内容を知らない人が、速度を上げられるはずだという。単に、引取速度と吐出量を上げれば、いいと、思っている。
速度を上げるには、それなりの金型が必要になる。それまでの金型より金がかかる、大きな、長いものにしなければならない。それを、認めてくれるのでしょうか、それに、何パーセント上げられるのかも、やって見なければ分からない。
たとえ、寸法ができたとしても、速度を上げれば、冷却速度が遅くなる。表面と内部の密度の違いが、それまでより、大きくなる、ということは、歪が大きくなり、後に変形をしやすくなるし、加工を加えたときにも、問題が起きやすくなる。何より、物理的強度のなど物性が、落ちることが懸念させる。OKだった強度が、OKでなくなる可能性もある。

客先の承認も得なければならない。総合的知識とマネージメント能力も必要になる。何もわかっていない人が、ただ、生産速度を上げろ、上げることができないのか、と、評価を下げる。

言われた方は、「そんなに言うなら、自分でやってみろよ」、と言いたくなるが、我慢をする。

何度か書いたと思うが、私が20歳台のサラリーマンの時代、40歳、50歳の上司が、なかなか、製品ができなくて,すったもんだしながら悩んでいる私のところへきて、「何で、できないんだ、お前が引き受けたんだろう、早くなんとかしろよ」と、おっしゃる。またかよ、と、思った。仕事をできない人が、給料を沢山もらっていて、仕事ができない人が、できる人を評価する。矛盾だらけの組織には、いられない。会社を辞めて、自分で始めた理由の一つだった。
私が社長だった時以外は、50年以上前から、時の上司?に、言われていた。

このことが、インドネシアの押出に関する会社のなかで起きている。TPRの工場長が飛び出して、自社を作って、クドゥス(ポリトロンの企業城下町風)ではじめている。ほかにも、その動きがある。
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(^_-)-☆気の毒 [行動]

 3289 第二工場の売り出しの話、赤字軽減のためという理由で、成形は今月末で終了し、金型を返却する。そして、売却をする。この工場、1995年にキタガワが購入して、操業をした。私もこの中にいた。キタガワが撤退した後、私の仲介で、ナンブが購入した。背中合わせのオリエンタルという会社が先に身売りができる状態になったので、そちらを先購入し、本社もそちらにした。遅れて、キタガワの手続きが済んだので、購入した。
押出は、本社の中の一角に、先頭を切って、稼働させた。その後、次々と、射出、塗装、蒸着などの部門が始まった。そして、押出エリアは、どんどん狭められ、ついに、完全に隙間が無くなってしまっている。その間に、本社の主要株主が二転した。そして、ドタバタしたようだ。どいう判断なのか知らないが、第二工場をクローズすることになった。

クローズにしないで、第二工場へ押出部門を移して、独立、自立させれば、成長が見込まれるのに、それをせず、新規の注文や現在の客先からの増える注文を拒否せざるを無くなっている、そのままにしておくという。

年間予算を立てているのでしょうか。目標を設定しているのでしょうか。当然、毎会計年度初めには、建てているはずである。売上げや利益目標、それに対する,設備投資や必要経費、支出計画も当然作っているはずだが、その中に、設備増強計画なし、エリアの拡張もなしらしい。増員無しで、生産速度アップ、歩留まり改善、装置稼働率120%という、計画なのでしょうか。現状のインドネシア人スタッフにそんな計画なら、納得しているとは思えない。
客先の一社の社長さんが、私に、こうおっしゃった。「社長に、納期厳守について頼んだら、休日全てを出勤させてでも、必ず間に合わせると約束してくれた」と。どうも、それが、予算達成の唯一の手段なっていることが、伺われる話だ。

もう一つの問題があるらしい。労働組合の過激派と穏健派の絵にかいたような分裂だ。穏健派の代表をしているのが、元押出部門で私の部下だった人、いろいろな要求をしているが、ストライキには、反対をしている。ただし、要求の中に、休日出勤拒否は入っている。穏健派がそう言っているのに、社長は休日出勤させて間に合わせるといっているのだから、話がこじれることになる。危ういことになる。経営が危うく見える。

それにしても、押出部門に日本人がいないこと、設備の償却がずっと前に済んでいることによって、黒字健全経営になっている押出部門の従業員(元私の部下)が,気の毒だ。
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本日の昼食。従業員が買ってきてくれたアヤムバカール、ナシブンクス それに、私が買って持ってきた、パン、中身はミルククリームとカスタード、カタカナで書いてある、山崎パン。全て私にあっている。合計16000Rp(140円くらい)
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(^_-)-☆どうしたのかな [行動]

 3288 ネット用のプルサを20万Rp無駄にした。ANDROMAXという、モデムを使っているのだが、店へ行くと、必ずといていいほど、新しいチップに変えられる。勿論、番号も変わる、その番号はモデムに張られる。そして、店のPCで、つながったことが、確認され、金額分の13GBとでる。これで、OKとなる。ところが、一日後、使ったのは3時間程度、ハビストいう表示が出て、繋がらなくなってしまった。分からませ~~~ン、買った店へもっていっても、そんなことはないはずだ、それだけ、使ってしまったのだろう、と、言われるだけだった。

自分でやると、何やら、ごまかされているような気なするので、会社の事務の人にプルサを頼んだ。32GBで17万Rpだそうだ。二三日後に、ハビスhabisにならないことを祈るしかない。

夜勤から朝勤へ引き継ぎをしているとき、8時、停電mati lampuになった。停電の状況は以前と変わっていないという。9時に、電気が来た。明らかに、予告なしの計画停電だ。稼動していたラインが再稼働しはじめたのは、11時を回っていた。この場所にいる限りは、この状況を受け入れなければならない。


再びMM2100へ、ナンブで仕事の打ち合わせ。押出部門の客先インドネシアほとんどの仕事は、私が引き受け軌道に乗せたもの。昨日も触れたが、それぞれの客先からの注文が増えてきたが、生産設備を増やしていない。増やす場所もない。生産スピードアップの技術を待っている人もいない。今や全休日も休みなしで生産している。それでも、納品が間に合わなくなっている。その中の車関係など、とにかく、納期厳守の客先が優先になり、どちらかというと、強く言えない客先へ納期遅れになってしまう。もともと、私が作り始めた製品なので、それらの会社から私に、何とかしてほしと、言ってきているのです。

で、私のところで、一部を引き受けることになるが、間に合わない分を少しだけ引き受けるというわけにいかない。価格は、今までと同じか、下げてほしいわけだから、ある程度の量がなければ、客先希望の見積もりは出せない。だから、一部でなくて、その客先の仕事を徐々に、私の方で引受けることができるように、一応、お願いということで行ってきた。
金型の問題もある。金型を使わなくなるのだから、固定資産になっていなければ、捨ててください、私が拾うから、と頼んだ。もともと、私が作ったものだし。一寸、考えさせてといわれた。

金曜日に来て、雨期のはずが、曇ってはいたが、雨が、ほとんど降らなかった。今日は、初めての雨季らしい雨だった。大雨で、カリマランなどは使わないで、インドネシアに戻ってから始めて、チカランバラットからジャラントールに入った。カードを使うのは初めてだった。
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タッチパネルをちょっと通り過ぎてしまったので、降りてタッチした。ゲートが開いてほっとした。後続車がなかったので、ちょっとゆっくり、車に乗ろうとしたとき、支払った金額と残り金額が電光で示された。ここは、前払いだから、そういう数字が出たと思うが、前払いでない場合、タッチした時に、いくらカードに残っているか、示されないという。後払いのゲートに入ったときの方が、残りの金額を示されることが必要だと思う。
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チカランウタマのゲートの横を通った時に、インドネシアらしい、風景がった。ゲートとゲートの仕分け部に、コンテナトラックが乗り上げていた。まかよ。こういう姿は、珍しくないのがインドネシア。
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中央分離帯では、高架高速道路の建設中、いつできるのでしょうか、楽しみだ。ここは、マスピオンの辺り。
ところで、ジャバベカ1からのゲートはいつから?5年ほど前にジャカルタ方面からの出口はできていて、ジャカルタ方面に入る高架や侵入道もできている。しかし、ゲートができていないようだ。
タグ:調整 状況 頼み
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(^_-)-☆往来 [行動]

 3287 朝、MM2100へ、P,BEDへ挨拶。ベッドには、頭側、足側、サイドに押出製品が使われている。10数年前から、私が、それら全部をお手伝いしている。主に今は南部だが、すでに、最新のものについては、ENDOTAでも、製造を始めている。
昨日のKOHONOそうだが、南部のキャパシティーに余裕がなくなってきているようで、増産に対応できないし、装置の増強の計画もない、というより、押出工場の面積が一杯一杯で、どうにもならなくなっている。会社の方針として、そのままにしておくだけだという。
そこで私のところをバックアップとして使いたいらしい客先が増えている。他にも、何とかテックや何とかシートも同じ状況だ。
S-PVC以外の押出成形をできる会社がほとんどないから、仕方がない。昨日の訪問先でも、押出成形ができる人はいないと、いろいろな人に聞くと、私の名前が出てくるそうだ。その名前を出した人は、私は面識がない人ばかりだった。その人達、一様に、太田さんは、今どこのいるのか知らないといっていたという。

新しい住宅を見た。同じコンプレックス チタフィラの中の奥の方だった。今が1.5ジュタ、今度の家は、1.4ジュタだ。ただし、台所に屋根がない。洗濯機を置くところは、土や石ころのまま、これが、スンダードだという。スタンダードだといわれても、雨が降る場所で、炊事や洗濯は、私でもできないから、少し高くしてもいいから、床を作って、屋根も頼むよと、言っておいたが、返事がない。別を探すよう、会社の担当者に頼んだ。引っ越し予定は20日だが、見つかるだろうか。
エアコンもない。
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ソプイガを食べた。久しぶりに良い匂いを嗅いだ。紅茶とこれで、3、5万Rp(300円)安い、美味しい。お腹いっぱい。だが、普通のレストランなら7万Rp,ジャカルタ辺りの高級レストランなら15万Rpするでしょう。味と雰囲気は、好みだ。

ナンブの第二工場が売りに出されているという話を初めて聞いた。キタガワの時に私もいた場所だ。私が紹介して、ナンブが買った。しかし、なぜでしょうか。二年ほど前には、射出成型機が10台以上稼動していた。IMG_3029-.JPG
ジャラン カリマランでMMに向かう。この場所でゴミを捨てたやつはトラックに引かれて死ぬ、と書いてある。こんなでは、既に、大勢の人が、トラックにひかれて亡くなっているでしょうね。
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スンガイ カリマランにかかる橋を渡ったときの風景
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(^_-)-☆出勤久しぶり [行動]

 3286 5か月以上ぶりのご対面、新入社員が2人いた。

日本にいるときに、テルコムセルから、妙な電話とメールが入っていて、先ほど、確かめた。以前と変わらず8;10、モーニングミーティング、メンバー全員そろって、出席、挨拶の後、皆さんの報告を聞いた後、ヘニー君と現状についてのミーティング。大きな問題はないが、今後のこと、客先の要請、機械の稼動率のことなど、生産を増やしてゆくための計画、段取り、担当などがテーマになった。
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チバトゥの高架橋を渡って、オレンジカントゥリーに入って、EJIPに向かったが、途中、メイカルタの建設状態がすごかった。こんなに一遍にやってしまって大丈夫かと、思うほど、あちこちに、クレーンが林立していた。びっくりである。

早速、EJIPのKOHONOを訪問する。ここは、16年ほど前、KITAGAWAの時に、ボトルの上につくポンプの下のチューブで手伝いを始めたが、その後、手伝い場所が点々と変化があって、現在はNANBUで、私の教え子がやっている。
しかし、新しいチューブの仕事に対応できないとかで、3カ月ほど前から、ENDOTAでやってほしいといわれていて、現在流れているチューブも、やってほしいといわれているらしく、私に、インドネシアへ戻ったら、すぐ来てほしいと言ってきていた。何代目かの社長さん、担当が変わっていて、昔話から始まったが、どうも、聞いていた話と違っていて、それなりの対応をしなければならないとの印象だった。気が進まない。
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訪問先から近かったので、ついでに、開通したという、MM2100までちょこっと入ってみた。の、つもりだったが、橋を渡って行ってみると、ちょこっとという分けにいかず、かなり、南へ遠回りをさせられる。本当は、すぐそこなのに、すぐそこという感じがしない。工場がある場所に到達しても、MMの高速道路の出入り口まで、工業団地の中を延々と通り過ぎなければならない。私は、そこまで行っていないで、引き返した。
感じとして、MM2100へ向かうというか、通過する車の方が多いようだ。MM丸紅が、よく、承知したと思う。これで、一応、MM2100からデルタマスまで、ジャラントールを使わなくても、大型車以外の車の道は通じたことを確認した。

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(^_-)-☆物価 [思うこと]

 3285 ヘアーサロン 日本でカットとカラーリングをすると、格安のチェーン店で、4000円。日本では、5カ月以上の間に二回行っただけ。最終は、2カ月前だった。寒くなってからは行かなかった。だから、今日は、10万Rp(850円)ですっきりした。ただし、日本人が多く行く、リッポチカランモールの中のヘアーサロンでは、40万Rp(3000円)くらいするでしょう。

ジャバベカのファーマーズマーケットで、牛肉を2Kgほど仕入れた。オーストラリア産だ。100gが13000Rp(110円)くらい、半年前には10000Rp(85円)だったから、30%上がっていたが、日本なら、300円以上だった。日本では、豚も200円くらいしていた。
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ただし、日本の百円ショップで買えるものは、インドネシアの普通の値段より安いから、台所用品や文房具などの小物は、日本から持ってきた方がやすい。

ガソリンや高速道路の料金は、日本では、あきれるほど高すぎる。高速道路料金は、そんなに安いなら、取るなよと思うくらい安い。だからだろうか、現金で払えなくなった。

今回、しばらく、インドネシアに居なかったが、その間に、以前、定年退職などで、日本にも戻っていた友人の何人かが、また、インドネシアに戻って仕事をしていた。私が戻ったことを知って、早速、ゴルフの誘いがあった。
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ここは、EJIPの方から、チカランバラットのトールゲート向う道です。相変わらずの渋滞、そのずっと向こうに、建設中、大分、高くまで延びている多目的ビル、使用が始まれば、もっともっと、大渋滞のもとになることは明らか。どうでもいいが、駐車場はどこになるのでしょうか、地下だと思うが、出入口はどこになるでしょうか。
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家から会社までの狭い道の途中に盛り上がった橋があたらしく出来上がっていた。例によって、この種の端、上り下りが急激の上に、アールがない、橋の向こうがどうなっているのか、見えない、向こうから何が来ているか見えない。よくこんな橋で、OKが出るなと思う。
タグ:友人 渋滞 物価
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(^_-)-☆行動開始 [インドネシア]

 3284 早朝、5時過ぎに会社へ行った。三交代の人たちが仕事をしている。挨拶の後、事務所に行ってみた。机の配列が変わっていた。また、ここで、しばらく、仕事をすることになる。右の端だ。
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早速、ゴルフ。ジャバベカゴルフもキャンセル料を取るようになった。三日前なら、不要、2日前25%、1日前50%、当日75%だそうだ。キャンセル待ちをしている組が多いのに、前々から、何組も予約しておいて、土壇場までキャンセルをしないで、前日になっても、電話連絡もしないまま、フライト数を減らす不届き物が多く、当日になって、空きが出てしまって、ゴルフ場も困っていた。カラワンなどは、すでに、突然のキャンセル料は取っていた。

約半年振りに、現れた私に、皆さん、寄ってきて、元気でしたか、そして、一時的ですか、仕事ですかと、聞く。仕事だよ、というと、また、しばらく、一緒ですねと言われる。人畜無害の私だから、歓迎してくれる。皆さんが話しやすいのだと思う。

ゴルフの後、何やかやの買い物に出かけた。途中の果物屋で、ドリアンが入荷したばかりでしょうか、匂いをチェックしながら、店の前に吊るしていた。季節だ~~。すぐに一個買ってしまった。そして、すぐに食べた。うまい!!!IMG_3009.JPG
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(^_-)-☆インドネシア [思うこと]

 3283 早朝、6時に家から出た。6;22発、こだまで、品川へ、7;51京急で、羽田、到着8;15ころ、Lカウンターで搭乗手続き、バゲジが28kg、ヘビーのマークを付けられた。しかし、私の場合、何故か、46kgまでOKだ。8;55、イミグレ通過が9:10、搭乗予定時間まで、2時間以上、余裕ありすぎ。

HANEDA-FREE WIFI(2,4G)パスワードいらずで、ネットに接続できる。機内は、有料になる。

日本人のCAが何人か、混じっているが、日本人かインドネシア人か、顔だけでは、わかりにくい。日本語対応とスッテッカーでも、張っておいてもらった方がいい。インドネシア語か日本語か迷う。

小田原付近でサンライズ。
11:45オンタイムで出発、シートは右の窓際Kだ。何故かというと、右の方が地上の景色が良いからだ。場合によっては、機長が本州の南海岸に沿ったルートをとる。今日は快晴、富士山も昨日に写真のように、かなり下まで雪が来ている。この頃の富士山が一番見栄えがする。はやりのインスタバエだ。どうですか。
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ターミナル 3に到着。また、インドネシアに居る。21時半に我が家に着いた。いきなりびっくり、部屋の電灯の大部分が付かない。ランプを変えようにも、高すぎて届かない、そして、水の出は、以前から改善されていないので、漏れるし、溢れるし、排水は詰まっていた。この家、契約が今月いっぱいだから、次をさがしているらしい、まだ決まっていないが、この家にはそう長くいない。

空港を出たのが、17時を回っていた。相変わらず、ターミナルが新しくなっても、18時ちょっとすぎに機内から出たのに、バゲジが出てくるのが遅い、イミグレは、キタスホルダーとして問題なく通過なので、ほとんど。バゲジを待っていた。そして、やっぱりというか、当然というか、やたら重い、バゲジなので、チョークのマークが左右と上の三か所に付いていた。カスタム通貨の時にX線チェックをされたが、無視されたように通過した。酒2Lを二本、米麹が1kg×3袋、その他、何だろう、プラスチックハンマーや小型シャコマンが怪しいといれば怪しいが、何でもなかった。ということで、入国は、スムーズだった。
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マネーチェンジ、ATMの暗証番号をうろ覚えで、間違ってしまうかもしれないので、ATMを探すより先に、マネーチェンジャへ行った。3万円、ゴルフ二回やタクシー代で、最低、1,5ジュタは必要だからだ。新デザインの札が渡された。初物である。

タクシー乗り場が遠い、聞きながら、ちょっとずつ近づいていると、タクシーか、アバンザどう?と、例の通りの誘いがあった。最初ジャバベカまで70万Rpだったが、50万Rpで、トールフィー込みでまとまった。日本にはないシステムでしょうね。個人交渉でタクシーのように使う、もちろん、メーターはついていない。運ちゃん、
渋滞だよ、金曜の夜だから、3時間かかるかもしれないねという。案の定、ジャカルタに入る前に渋滞が始まった、アンチョールに回った。チャワンでも大渋滞、ブカシバラット、ティムールずっと渋滞、運ちゃん、カーナビにチタフィラコンプレックスをインプットして、チェックしている。渋滞情報も入っていた。そこで、チビトゥンから国道を使うことした。そこから、順調になって、空港から2時間半後21;30に到着した。

 途中、高速道路の北側に沿って、LRTの工事が着々と進んでいるようだし、中央分離帯だったところと中央車線二車線で、工事をしている、聞いたら、フライオーバー(高架高速道路)を作っているという。何やら、どんどん、新しいものが出来てきて、それが、加速されている印象だ。高速鉄道はどこでやっているのか?と、聞いたら、ハリムの駅の工事は始まっているらしいが、チカンペックまで高速道路から見えるところでは、工事を見たことがないという。今になって、まだ、計画路線の買収が完了していないとも言っていた。

 インドネシアもカーナビが、まともに使えるようになったんだと思った。

 空港までのLRTの運行が始まったと聞いていたので、使ってみようかと、ちょっと、思って、どこまで行っているのか聞いたら、タンゲランまでだという。タンゲランのどこかは知らないが、タンゲランで、下ろされても、困るから、タクシーにした。

 高速道路の支払いは、現金はダメになっていた。いろいろ、呼び名はあるらしいが、e-toll cardもその一つでしょう。システムについて、聞かなければならない。高速に入るときには、カードでタッチすれば、いいが、出るときに、足りなかったらどうなるの?これを,解決しなければならないと思っている。
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(^_-)-☆最終日 [生活]

 3282 最後の買い物、例によって,納豆と黒はんぺんを仕入れた。インドネシアになく、日本でも安い。業務スーパーへ行った。安い。一般スーパーより2~30%安いような気がする。30人ほどにばらまく、どら焼きとキットカットも仕入れてしまった。これらは空港の免税店でも売っているが、三分に一の価格だ。納豆三パックで53円、黒はんぺん一パック10枚入っていて、75円、この辺りにスーパーでは、85円と100円だ。
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日本の夏に来て、その時には使っていたインドネシアからの衣服をそのまま持ってゆく。しかし、いつも、迷うのは、空港までどんな服を着てゆくかだ。結局、着て来た服そのままで行く、周りからは、非常に薄着に見えられると思うが、我慢するのは、移動中とホームだけだ。車内や空港内は、暖かい。

爺が女高生を引いてしまったしまった事件が起きたばかり、ブレーキを踏んでいなかったという、私も間一髪の急停車をさせられた。太田化工から自宅に向かう途中、左右の見通しが悪い、交差点、横断歩道のマークがある。普通に40kくらいではしていた。急に左から自転車がその横断ほどに入ってきた。止まって、左右の確認した様子はない、突然、前を横切った。急ブレーキをかけて、1mくらい手前でストップした。その老人、まったく、右の私の車を見ないまま、横切って行ってしまった。ご本人、何事もなかったようだった。 

「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず、未だ覚めず池塘春草の夢階前の梧葉すでに秋声」
若者はアッという間に年をとってしまい、学問はなかなか完成しにくい。だから、少しの時間でも軽軽しく過ごしてはならない。
 池の堤の若草の上でまどろんだ春の日の夢がまだ覚めないうちに、階段の前の青桐(あおぎり)の葉には、もう秋風の音が聞かれるように、月日は速やかに過ぎ去ってしまうものである。
朱 熹(しゅき) 1130-1200 南宋の哲学者・詩人

中学のころ、こんな漢詩にあっていた。私自身は今やその最後の秋声に至っている。おじさん、動いていないと死んじゃうマグロのようだね、と、甥辺りから言われる。すると、“カツオだから”と答える。納得らしい。

「ふゆのえんがわ ひねもす のたりのたりかな」春の海、ではないが、買い物に出る以外、最後の爪切りや金魚がいなくなった水槽の掃除など、縁側で日向ぼっこをしながら、過ごした。隠居老人はこんなものかと思うが、今日一日だけである。
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富士山の雪は5合目辺りまで降りてきていた。
タグ:光陰 業務 秋声
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(^_-)-☆最終ゴルフ [思うこと]

 3281 明後日、出発というのに、付き合い。義理堅いというか、暇だねというか、真面目というか、私も体を動かしていたいというか、ちょっと、遠出の運転をしたいというか、何でしょうか。6時出発、藤枝岡谷インターから、新東名に入り、西に向かう。スタート時間は8時45分、初めての場所で、時間が読めないので、早めに出発した。浜松浜北付近には7時前についてしまった。早すぎ、そのあたりのPAで休憩して時間をつぶした。日の出の時だった。新城で降りたのが、7時20分ごろ、早すぎる。151号線で、なお、西に向かう。301号に右折すれば、もう、到着したも同じだが、そこで、7時40分、コンビニでお握りを買い、駐車場でまた休んだ。日が差して明るい、ゴルフ場の方向を見ながら、こんなところまで、来たもんだと思う。8時を回って、301号線でゴルフ場へ、8時10分到着、駐車場はガラガラ、三組しかいないという。ロッカールームは広いし、明るい。日本では6っか所でしかやっていないが、初めてのここが一番いい。
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平野部から、ちょっと山の中に入ったところにある山岳ゴルフ場だが、コースは平坦、そして、コースの両側が盛り上がっている。プレーヤーにとっては親切なレイアウトになっている。OBになりにくい。球拾いで谷底まで降りるというコースはないし、崖の上に上るコースもない。コース方向で登りくだりもほとんどない。
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静岡よりちょっと寒いのでしょうか、バンカーはコチコチ、グリーンも凍っていた。日が当たる場所は溶けだしていたが、日陰の部分はツルツルに凍っていた。
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途中、一本だけ柿の木があった。その柿は、小さかった。こんな小さな柿は初めて見た。誰も取らないのでしょう。多分、鳥がつっ付くだけでしょうか、下に、食べかけの実や種が散らばっていた。
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右が9番、左が18番。池を迂回するか超えるか、どちらも迷う位置がある。

とにかく、日本のゴルフの付き合いは滞りなく終わった。次は7月かそれとも12月か、今回のような長期滞在はないと思う。またいつか、元気でいてください。

金魚が20匹以上、大きくなった。3cmくらいだったが、5cm以上になっている。しかし、私がいなくなれば、面倒を見る人がいなくなる。仕方がないから、太田化工へくれてやることにした。迷惑なら、従業員の誰かにやってもいいと。たまたま、太田化工へ来ていた水野さんに会った。肩が痛い、膝が痛いなどといて、ゴルフどころではなくなっていた。同年齢の友人、H-PVC押出の職人をしていた人で、ゴルフを一緒にしていた人だ。3月からやれるから、次に、私が戻ったら、やろうということにした。

http://animalkun.org/archives/757 この文章、ひどい。ラフレシアを知らない。適当に書いている。自分で確認していない。気の毒なほど、匂いについてはでたらめ。マレー語、インドネシア語でブンガ バンカイといわれている意味など全く知らない。匂いがきついというのは嘘、開いたばかりの花でも、相当、においに敏感な人でなければ、感じることができない、かすかな、においだ。私は、何十回とそのにおいをかいで、わかるようになった。地元の人、ガイドでも、感じる人と、頼りにならない人がいるくらいだ。
探すとき、花を探すというより、まず、匂いを探す。感じたら、風向きを確かめて、匂いを発する方向を確認して、探し始める。

この人、ドリアンと間違えているのでしょうか。多分、ドリアンのことも知らないのだと思うが。
タグ:金魚 最終 平坦
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(^_-)-☆気持ちは南 [生活]

 3280 ヴィザの問題が指摘されたらしいが、一応、KITASホルダーとして、そのまま、入国できることを確認した。もしだめなら、観光目的で行こうかと思っていた。違いは、エアーチケットを片道でいいか、往復が必要かということだ。片道切符で行く。もし、何か指摘されても、問題を知らなかった、エポをしていないのだから、エポのスタンプが押されていないといえばいいし、それでも、なんだかんだ言うなら、5000円も渡せば、イミグレ通過は、できる。それが、インドネシア。
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以前漢方薬局で、煎じ薬を処方してもらって、頻尿の軽減を狙ったが、約一か月経過、効果があまり見られなかった。そこでもう日にちがないので、別の医者へ相談に行ってきた。処方されたのが、この薬、漢方薬です。そして、効目を確認する時間がないからといって、タムスロン塩酸塩という薬を渡された。三か月分。飲み続けなければならないらしい。手術の話もしたが、どうも、難しいらしい、おしめ生活になってしまう可能性もあるとか。私の場合は、手術の時間がないから、それ以上の話はしなかった。また、何故か、アルコール類は控えた方がいいといわれた。アレルギーだから、まったくの飲んでいませんよ、でも、作って他人にあげる。
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明日のゴルフ仲間のために、濁酒を絞った。三日前に仕込んだ。あげてから出発だ。
あまり寒いと発酵が遅れるので、炬燵で温めていた。こんな状態になれば、多分15%以上になっている。
コメを炊いて、イースト菌、ヨーグルト、米麹、それに水、これらを適当な割合で混ぜ、数時間後には、泡が登り始める、(二日前の写真)これが,確認されれば、あとは、放っておけばいい。
そして、夕方絞った。道具は全て百均で買ったもの、金属は避ける方がいいらしい。米三合で1.8L×3本できた。酒粕は、出発前に、甘酒として私と家族が飲んでしまう。

ショックなニュースが入った。大学の同級生、親友が筋萎縮症で、50歳で亡くなった。一般的には10万人に一人か二人という。それは、書いた。
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0067.html
彼の三女37歳が父親と同じ病で亡くなったという知らせが入った。先月末、父のもとに旅立ったという。難病中の難病、遺伝するのでしょうか。家族性ALS、親子でALSとは。確率的には微小だが、長女や次女も心配でしょう。今回、長泉の家に前を通っただけだったが、次回、訪問する。
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(^_-)-☆いろいろこんな事 [思うこと]

 3279 車が直った。まともになった。保障で只だった。これで、最後のゴルフ、三河へ行ける。新東名の新城インターから近いと聞いているので、調子を確認するために、新東名の藤枝岡部インターまで、下見を兼ねて行ってきた。

孫の一人の誕生日が1月27日、今まで、この日に、日本にいたことがなかった。ほかの家族の誕生日には、日本にいるときがって、いれば、デコレーショオンケーキを買ってやって祝っていたが、彼女にはそれができなかった。そして、今回も不在になるので、先ほど、ケーキの予約をして、27日には、本人が受取りに来ると伝えておいた。

中学の同級会に出席になっていて、当日の三日目前に、ドタキャンをした女性、急に倒れて救急車で病院に、という連絡を、家族の方から受けていた。私と一緒に組の委員をしてくれた人の内の一人だった。そして、その人から、メールが入った。メールが出せるようになったんだ、と、思った。くも膜下出血で、気を失ってから、8時間後、気が付いた時には、手術が終わっていたとか。一か月半、入院していて、今は自宅療養、明日からリハビリに通うとか、よかった。中学の同級生の中に、すでに、何人か、外出できない状態の人がいる。

13,14日は、インドネシア、ジャバベカで早速、ゴルフをする。すでに、予約をした。
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一昨日の霜から一転して、一日中の雨、うすら寒い一日だったが、明日、晴れれば、相当下まで真っ白になった富士山を見ることができるでしょう。

成人の日の催しの晴れ着、大変だったでしょうね。逃げちゃった貸衣装屋、ひどい話だね。逃げちゃった旅行会社もあったよね。いやな世の中だね。詐欺天国日本、ということか。

今年成人の人、私がすでにインドネシアで仕事をしているとき生まれた人たち。思えば、長い間、竜宮城住まいだと思う。
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(^_-)-☆不毛政治 [思うこと]

 3278 是唯足知 天龍寺のつくばい、中学の修学旅行で、しっかり見た。そして、高校の修学旅行、その後ももう一度訪れてみていた。この影響は現在に至っている。
インドネシアの住処は家賃一か月13000円くらいだし、食費は二万円くらい、酒たばこは無し、着るものは作業服(ユニフォーム)かTシャツ、下は、ゴルフも仕事も同じ。ゴルフが2万円くらい、旅に一番使っていると思うが、飛行機代を入れても一回平均3万円で年5回くらい。これでも、旅やゴルフ三昧、“本当に仕事やってるの、遊びに行ってるだけだろう”と、誰かさんに言われても仕方がないような行動ができている。
余談だが、沼津で会社を始めたとき、真向かいに、名取製作所という射出成型の会社があった。駐車場が、私の工場の真横の空き地だった。そこの社長さん、真横の窓から、顔を出して、お前、仕事やっているように見えないな、いつもぶらぶらしていて、どうして、そんなに儲かるんだ、いい商売だな“よくいっていた。後に、その人、私が作った自動スパイラルチューブカッター付きの押出成形ラインをそっくりまねして、作ってしまい、エッジングのラインもそっくりに作ってしまった。その後が、また、面白い、結局、うまくできなくて、私に謝りに来て、装置を買ってくださいと頼みにきた。断った。その後、大安売りで、太田化工の売り先に侵入してきた。しかし、まともな製品を納めることなく、二三年後には、押出製品を売っているのか、どうか分からなくなった。太田化工から客先が逃げることはなかった。

日本の高齢者は、どんどん増える、その増えた人たちが、お金を使わない。貯蓄の総額がどんどん増えている。日本の借金総額をはるかに上回っている。日本の国債が多額なのに暴落しない、そして、日本が破綻しない大きな原因になっていることは確かだが、金が使われなければ、景気は上向きにならない。その大きな原因は、老後の生活費が心配で、節約するといわれているが、そうではなくて、私にしてみれば、買うものがない、今、持っているもので、十分満足だし、新しいものを買っても、今までの方が使いやすいに決まっているからだ。ガラ系が良い例だし、デジカメも手放さない、スマホやアイホーンを使わないのも、軽の車が多いのも、高齢者にとっては、その方が使いやすいからだ。

今後、20年は、国民の貯蓄総額は増える一方だし、人口減少も続くでしょう。デフレ脱却は、進まないでしょう。団塊の世代が就職したころから、少子化防止対策を劇的にしなければならなかった。そして、対策をしなければ、どうにもならなくってしまうことは明らかだったにもかかわらず。政治家も国民もそうしなかった。

デフレ脱却というが、日本の物価、滅茶苦茶高い、今日も、妻の頼みで、10kgのお米などをスーパーへ買いに行った。全く、私自身、買いたくないし、食べてみたいものがあっても妻に、これ買いたい、と、言い出せない。牛肉、どこ産か知らないが、それほど高級ではない、100g250円もする。豚は150円くらい。インドネシアの倍以上だ。果物も野菜も魚もすべてが倍以上だ。これで、インフレに誘導するとはどういうことだ。もっともっと、デフレになってほしい。年金が少なくなっても、その分、デフレになればいい。それと、円高になればいい。こういう発想をする政治家が幅を利かせてほしい。日本の政治は50年以上不毛だ。

娘の誕生日でした。47才だ。当たり前だが、それにしても、彼女も年を重ねたものだ。
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準備の一つ
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(^_-)-☆準備開始 [能力]

 3277 一週間後に迫ったインドネシア行き、準備を始めた。先ず、ラップトップ、予備に買ったラップトップのセッティングの完成をした。今使っているラップトップと同じメールアドレスで受送信ができるようにしよとして、以前、同じようにセティングしたが、受送信のうち、送信ができなかった。何かが、同じになっていないだろうということは、わかるが、どこが違うのか、わからなかった。そして、今日は、どこかに、隠れた数字とか、設定があるのではないかと、詳細設定を開いて見た。そこには、特別気になるところはなかった。その詳細設定の中にまた、詳細設定があった。開いて見ると、受信サーバーと送信サーバーがあった。数字があった。セットしようとする方を確認したら、数字が何故か異なっていた。そして、それを同じに設定した。見事に、受送信できるようになった。一寸、わからないですね。ヤフーやジーメールなど、無料アドレスのネットでのセッティングは、登録するだけで、案外簡単にできるし、移動も簡単だと思う。
ま、とにかく、10は、扱いにくい。

次いで、百円均一によって、駄菓子類を仕入れた。インドネシア人も日本人も空港の免税店で、過剰包装の人気?高級?菓子やチョコレートをあまり喜ばない。安いものを沢山上げた方が喜ばれるし、多くの人にあげられる。嵩張らないのもいい。振りかけやお茶漬けの元など、ご飯にかける物もここがいい。三千円も買えば、十分ばらまける。土産にはしないが、店の前の自動販売機、これも、百円均一だった。
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ところが、26万円の車、何やら、バイクの排気音のように、ないやら、ぼこぼこしだした。急にパワーが小さくなった。ちょっとした登り傾斜道で速度が落ちてしまい、橋の前の登りでは、アクセルを踏み込まないと登れなくなってしまった。三気筒が二気筒になってしまっているようだ。走れないことはなさそうだが、買った中古車店によって、事情を話した。10日には、三河まで行かなければならないから、何とかならないかと。整備屋さんが明日来てくれることになった。ただ、部品が直ぐ手に入るだろうか。心配だ。出発前には、何とか、直しておきたい。

いつものように、米麹も手に入れた。日本でも、好評で、何本かを日本の友人のも置いておくための準備も始めた。
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南アルプスと富士山
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(^_-)-☆今日もゴルフ [思うこと]

 3276 小雨降る中、今日も、うすら寒いゴルフ。なんで、こんな日に、ゴルフ?と思いながら、ただ、付き合っただけだった。そして、途中トイレに頻繁に行く、途中の休憩所だけでは、我慢できない人が全部で、ティーグランドから、ちょこっと、いなくなる人が多い。

中間の休憩の時、食事が終わって、まだ時間がある。私が行っている外国の話から転じて、自分は、ヨーロッパにいたとき、風呂場とトイレが同じ部屋になっているのに、何故か、とんでもないと、びっくりして、その後、どこのホテルでも、同じ、だから、外国へ行きたくないといっていた。確かに、日本以外では、そういうスタイルだ。

そこからトイレの話になっていった。日本式の便座、これは、私もびっくり、未だに、公共のトイレ、公園など、日本式便座が残っている、そればかりではなく、新築にも和式を付けている場所もある。私の家は、長泉に新規した時、50年近く前に洋式にしている。25年以上前に自動式便座を使っている。孫が公園のトイレに行って、飛び出してきて、仕方がわからないと、叫んでいた風景を思い出す。中国や韓国人はびっくりしないだろうが、欧米人は、びっくりだし,抵抗を感じると思う。
ホテルや旅館、公共施設、補助金を出して、洋式に変えるようになってきているようだが、せっかく、世界中で評判な、日本のモダンなトイレとそのシステム、清潔、安全、健康な見本を示して、世界中に普及させたらいいと思う。その道筋ができている。

ところで、また、インドネシアのトイレ事情、基本は、カマールマンディ(kamar mandi水浴び部屋)だから、紙は使わない、水が出て、水を溜める場所がある小部屋。来ていたものをひっかける場所はある。柄杓もある。和式に似ているが、向きが反対に座る便器がある。用を足したら、柄杓の水で、手を使って、きれいにし、便器に水をかけて,流す。立ち上がって、お尻だけを洗うし、体全体を洗う。そして、それは、朝の習慣にしている人が多い。日本人が朝、マンディ(水浴び)をしないことに、不潔だといわれる。
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新しい、住宅は、やはり、カマールマンディだが、便座は、洋式になっていて、水を噴射するホールが伸びる水鉄砲が横に付けられている。そして、会社や家庭トイレでは、ロールティッシュ(トイレットペーパーとは言わない)を置いてある場合も多くなっているが、紙は便器に流しては、詰まるから、禁止になっていて、壺に入れることになっている、うん子が付いた、紙がその中に溜まっていって、ふたができないほどになっている場所も少なくない。紙は水に溶けないということになっているらしい。私は、必ず、トイレットペーパーかティッシュぺーパーを持って入る。

日本人が利用するホテル、アパートはトイレ、バスタブ一帯の洋式になっているし、ショッピングモールやデパートなどは、洋式(ただ、便座に座って用を足すだけ、温水洗浄便座ではない)になっている。

やはり、欧米人に評判が悪い、和式トイレは、高齢者にとっても、苦労の一つになる。リラックスしすぎて、便座に座って、長時間、スマホをいじっているなどは禁止にしなければならないほどの、気持ちのいい環境のトイレに全部がなればいいと思う。それと、日本人にとっては、トイレと風呂場は別ですよね。
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家に戻ったのは18時ころ、丸、一日ゴルフで使ってしまった。
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(^_-)-☆初打ち [ゴルフ]

 3275 極寒の中、6時半に出発、日の出前、スーパームーンが西の空高く輝く幻想的な雰囲気。7時過ぎ、牧之原インター手前で、サンライズ。パット、茶畑が明るくなった。と、間もなく、ゴルフ場に到着。車から降りると、ゾクッ寒い。空は真っ青、風が強い。8時スタートだったが、その前に、パッティングの練習場へ、ポケットからボールを二個つかんで、グリーンに落とした。コツンと音がした。凍っている。
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スタートの順番が来た。ティーグランドが凍っている。ティーが刺さらない。そこで、穴あけ道具が活躍をする。この道具を使う時が来た。一寸、持ち上げておいて,すとんと落とし、穴をあける道具だ。正式な名前は知らない。毎ホール、前に行った人たちが作った穴を探すが、適当な場所に見つからないときには、自分で開ける。

急な坂道が多いコース、滑りやすい、斜面が左右交代である。そして、斜面に突き刺さっていて、下から見ると、いろいろな色のボールが見える。多分、斜面が叢だったのでしょう。その草を刈った後で、ボールを回収していないからだと思う。そこに登って、取る人がいないのでしょう。穴あけ器といい、ボールが壁になっている景色といい、インドネシアなら、想像できないことだ。

もう一つ、インドネシアにはないものを上げるとすれば、早くやれ、渋滞をなくせの意味である制度の矛盾、前四や前三という制度、OBの場合に、そこで、打ち直さないで、前方から四打目や三打目で打つ制度だ。なるほど、プレーを早める制度だ。しかし、一番、渋滞しやすいショートホールで、コールオンを進めていない、あるいは、後ろの組が来ているときには、必ずコールオンをしなければならないという制度がないこと。こちらは、プレーが遅くなることを、黙認している。

手がかじかむ、鼻水が滴る、厚着なので、腕が回らない、こんなゴルフは、あと二回、藤枝、そして、三河だ。もう、日本での付き合いは、それで終わる。
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行き、大井川からの日の出。
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帰り、大井川にかかる木造の橋、蓬莱橋が見える。
タグ:矛盾 鼻水 極寒
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(^_-)-☆縁側 [思うこと]

 3274 ヴィザに書かれているポジションと定款に書かれているポジションが違うと指摘された件、まだ、どうなるか、インドネシアから、知らせが入っていない。12日フライト、片道だけ確保してある。何も問題なければ、それで十分のはずだが、どうなるやら。

何十年ぶりに疑問が解けたことがあった。昨日の集まりで、現在は無くなってしまっている、以前、住んでいた頃の家についての話が出た。ポポーという木の話も出た。食べるのは私だけだった。誰もが、臭いとか、気持ち悪いとか言って嫌っていたが、私だけは、おいしいといって食べていた。大学進学と同時に、私が家から出た、その後、すぐに、切られて無くなってしまった。そして、先日、家の庭に苗を植えたという話をした。

そのついでに、お手洗い(トイレット)の話になった。当時は当たり前のおつりがくる甕式だった。それは、それとして、高校に入ったころ、しゃがむと、目の前の壁に、“この世の中”と書かれた。鉛筆書きだった。毎回、座るたびに目のまえにある。私はおふくろが、書いたとばかり思っていた。誰にも確認しなかった。この世の中のことを考えろ、という、哲学的文字と思いっていた。何年も、この家が壊されるまで消えることはなかった。たまに、家に寄ったとき,薄くなっていれば、なぞって、復元した。そのことを、話題に出した。すると、妹が“それ、私だよ”と、あっさり言った。60年越しの疑問が解けた。大笑いだった。妹は、昨年末まで、静岡ホームの理事長を務め、今年から、フリーになったそうだ。彼女は年女だ。

物心がついたころ、隣の家に遊びに行っていた。その家には縁側があった。その端に、便所があった。その反対側の端には、そば粉を挽く道具が固定されていて、おじいさんがよく挽いていた。その姿がいいなと思ってみていた。そして、縁側の有る家を見るたびに、家を作るときに、縁側を作るぞと決めていた。そして、そこから、庭が広がっていると思っていた。そして、便所は別として、粉ひき道具もないが、その通りにした。
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縁側の碁盤と鳥籠と菜の花。日当たりの縁側で碁敵とのんびり打つのが夢の一つだ。そう思って、碁盤は25年以上前、この家を建てた当時に買って、ここへ置いた。それ以来、一度も使っていない。碁石はどこへしまったか、覚えていないし、探そうともしていない。これを使うために、誘う人もいない。使うのはいつになるだろうか。十姉妹のつがいと、ヒナが入っている。鳥籠を日向に出してある。そして、庭には、菜の花。ここにいれば、のんびり平和に暮らせるのにと思う時だ。
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(^_-)-☆墓参 集い [思うこと]

 3273 習慣の墓参りと安西の家に集合、今年も習慣通り実行。バイパスを通って、富士川の手前、日本軽金属の脇から一号線に降りない東に向かう。坂を下り切ったところから富士市になっていた。そうか、蒲原が静岡市になって、富士川町は富士市になったということらしい、私の生まれ故郷は、庵原郡富士川町岩淵だったが、庵原郡ではなく富士市になった。

富士川駅前の信号を左折して、上りになる。地元では有名な野田山への方向だが、まっすぐ行って、富士川楽座方向に向かう。その手前を右に曲がって右に曲がれば、お寺の駐車場に入る。
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http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage102.html
バイパスを東に向かう、奥津から由比に入る境目、右の崖の上は、薩埵峠(さったとうげ)、そこから見える景色は、広重の作にもある有名な場所だが、この写真は、バイパスができる前は、砂浜を歩いて、行き来した場所だ。
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墓参りが済んで、静岡の集合場所に戻る前に、できたばかりスカイビュー観覧車から、百人一首に出てくる、田子の浦の方向だ。南方向、富士の町、駿河湾、伊豆半島を一望する。ここからの景色を見ると、60年以上前のこの辺りの環境が様変わりだ。足元近くに見える、すべての施設、道路、建物は、何もなかった。
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北の山の方角。ただ、ミカン畑か田んぼ、そして、茶畑だった。高速道路は、その山が削られて通っているが、富士川から、山道をずっと奥まで登りながら、ミカンを頬張りながら、カブトムシ、クワガタやメジロや蝶を追いかけた。この山も川も、私が駆け回る縄張りだった。まさか、昔、こんな風に、鳥のようになってこの景色を見るとは想像できない。
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http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage101.html
お墓、お寺からの景色、故郷の山から、見た景色だ。右の富士川橋のこちら側に私が小学校の時に、毎年、一週間ほど泊っていた、おじさんの家がある、今は、いとこがいる。太田石材店だ。

先ほどの“ぶらタモリ”と“家族に乾杯”のジョイン番組で、“三茄子”が何となく、納得になった。三保というより、それだけでなく、静岡市、駿府、駿河が大いに関係することが分かった。久能山東照宮、日本平の有度山が削られたのは、黒っぽい泥岩で成り立っていて、川(安倍川?)からの流れだという実験をして見せたが、どうも、理解できない、安倍川の河口は、今より、何キロも東にあったということは分かっている、静岡市市街の真ん中を流れていた。それなら、削るというより、川の水で運ばれた山からの土砂が堆積するはずで、削られる、の反対だと思うから、実験は川の流れの影響ではなく、海流がなせる業とすれば、納得できる。それは、それとして、茄子の話は、一応納得だ。 “富士山と鷹と茄子は家康のお気に入り“ということで。

東京からの身内を混ぜて、12人、妹の家(私が小学校に入る直前から高校卒まで住んでいた)に集合、当然、私が最年長、話が合わない点が数々あるが、いることに意味があると思っている。
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(^_-)-☆元旦 [思うこと]

 3272 Selamat tahun baru kepada teman-teman Indonesia 明けましておめでとうございます、インドネシアの友人達。
毎年、決まって、寿司パーティー、予約していないで10時半ごろ買いに行った、10分遅かったら、売り切れていた。売れ行きがよさそう。
 何もない、静かな新春でした。
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 庭の苗木に小さな新芽が付きだしていた。春には、何枚かの葉が出始めるでしょう。

https://www.youtube.com/watch?v=iR3jJK6Sjp0
2017/12/10 に公開 Pada kesempatan kali ini saya mengunjungi proyek pembangunan Mass Rapid Transit (MRT) Jakarta 日本企業が引き受けているインドネシア中、大注目のジャカルタ中心南北道路(ファットゥマワティ、スディルマン、タムリン)の地下を主に貫く、MRTの工事現場の訪問記録です。ここはホテル インドネシアの前です。向かって左前方に日本大使館が映っています。
スカルノハッタ空港までのLRTは完成し、すでに使われているようですね。ほとんど、高速道路沿いで高架のブカシまで、ボゴールまでのLRTもかなり出来上がっていると思う。今年中には、使用になると思う。
https://www.youtube.com/watch?v=m3Arahdc8kw
Progres MRT Jakarta! Kontruksi Rel Dikebut,Interior Kereta, Kunjungan Ke Jepang, Desember 2017
MRTの車両のことですね。
https://www.youtube.com/watch?v=kdvsaulqVd0
Kereta MRT Akan Dikirim Secara Bertahap Mulai 2018
日本製へ信頼と期待が大きい。早ければ今月、輸入が始まる。
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Suasana pesta kembang api saat malam tahun baru 2018 di kawasan Bundaran HI, Jakarta. Sejumlah warga ibukota dan sekitarnya memadati kawasan itu untuk merayakan malam pergantian tahun 2017 ke 2018.
ジャカルタ、ホテル インドネシアのロータリー辺り2018年新年の花火の雰囲気。首都とその周辺地域、年の変わり目を祝うための夜は混雑した。

https://www.youtube.com/watch?v=n8vkkDmuh88 Amazing!! Inilah Detik-Detik Malam Tahun Baru 2018 - CNN Indonesia Outlook 2018, Happy New Year!
youtubeで、3時間に渉るライブです。日本時間と同じパプアなど東インドネシアから新年を迎え、中部インドネシア、バリ、ロンボックなど、一時間遅れ、そして、二時間遅れで、西インドネシア、ジャワやスマトラ、カリマンタンなどが新年を迎える。4月のアジア大会の準備状況なども紹介している。

静岡に縁がある“一富士二鷹三茄子”、これらをテーマにした初夢を見ると、何か良いことがある、と、子供のころ、いわれていた。富士山は街のどこからでも望める、鷹は今の鷹匠町に鷹匠が住んでいた。しかし、茄子は?駿府に縁があるの。こじつけ理由はあるが、どうも、しっくりしない。茄子の有名な産地だったのかな。さて。今年の初夢は何でしょうか。

私が先代の北川弘二創立社長に大変、お世話になり、今は、息子さんが後を継いでいる。業績的には、安定は早かったが、先代からのしがらみ、人的なこと、株式のこと、大変難しい、厄介な状態で後を継いで、それらの解消に、腐心したと思う。そして、昨年末までには、諸問題をほとんど解消した。肩の荷を下ろして、ほっとして、新年を迎えられていると思う二代目、一人、何もできないが、応援している人がここにいます。安定成長を祈っている。50年以上、SPP、SPN,SPF,CE,CSGの製品でお世話になっている。

恒例のウイーンフィルハーモニーオーケストラのニューイヤーコンサートに聞き入った。ラデツキー行進曲まで。聞きながら、この文章を書いた。最後に一緒に拍手をした。 
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(^_-)-☆大晦日 [思うこと]

 3271 ♫昔、昔、浦島は、助けた亀に連れられてえ♫ではなく、助けるつもりで出かけたインドネシアは21年過ぎた。玉手箱は開けないまま、また、できるだけ、早いうちに、インドネシアへ逃げる。♫月日の経つのは夢のうち♫、だ。

今年は、今まで、5カ月日本にいる。久しぶりの長期滞在である。この間に、会っておきたい方の多くに会うことができたし、大学と中学の同級会にも参加することができた。沼津、長泉時代の人たちにも会えた。そして、独立から、譲った工場にも付近まで行ってみた。新婚時代に住んだ場所付近も訪ねた。

ゴルフも誘われるままに、何人かの人達と一緒させてもらった。“今年も無事に通り過ぎた、来年はどうかな”という話が、誰からともなく出る。そのたびに、いちいち、“まだ、まだ、体も口も達者でしょ、来年も、再来年も、まだまだですよ”と、わたしが言ってやる。すると、そういう、“まだ、まだ、というやつが、ぽっくり行くんだから、そういう話は、社交辞令に過ぎないよ”と、理屈っぽいことをいう人もいる。社交辞令で言っているのに、そういう会話が普通になっている。面倒くさい年齢になっている。同年代の5%が亡くなっていて、5%が動けない状態になっているようだ、というのが実感だ。特に山川君、野桜君、静高の同級生どこへ行った。インドネシアでは、栗崎さん。

“逃げるは恥だが役に立つ“説明が必要なフレーズだが、私にはぴったりだと思う。会社から逃げたことは、その裏にある、様々な、面倒なことから逃げるためだ。経営からも逃げた。社員や客先に対する責任から逃げた。日本から逃げた、家庭からも逃げた。いろいろな、役割から逃げた。そして、これからも、逃げる、止む負えないときだけ戻るが、基本は逃げだ。

逃げるが基本だが、一つだけ、言い訳を書く。私がいると、私の周りの人が私に頼りすぎる。私がいると、私がやってしまうので、楽ができる。小学校の時からそうだった。班を作って何かを作るということになると、私がリーダーに自然になってしまって、私一人で作ってしまう。ほかの人は見ているだけだった。仕事でも、私がやってしまうことが多かった。だから、なかなか、自立できない。自立させるために、私が手を引くのです。その時、残った人たちのスタート地点は、マイナスからでなく、プラスからにしているのです。金銭、技術などの十分な資産を残して去っている。当然、一年以上、それ以上前から予告しているのだが、残された方は困るというか、それは仕方がない、自立を促すためだから。

そして、逃げるとき、逃げる前に逃げ先を確保しておかないのが私のポリシーだ。
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逃げて、自分の会社をこの貸工場、左側だった。
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そして、その工場から逃げて、手も引いて、独立してもらった会社がここだ。
この正月、どこへも、出かけられない方、私のウェブサイトで旅をしてください。読む、見るだけで、多分,三日間は、インドネシアの隅から隅まで旅をした気分になれると思う。浮世から逃げれば、こんな旅ができるという証拠です。
http://otaenplaext.net/newpage01.html
http://otaenplaext.net/newpage2.html
http://otaenplaext.net/newpage327.html
http://otaenplaext.net/newpage350.html
近場でお勧めは、ブリトゥン、インドネシア国内で一番遠くでのお勧めは、ムラウケのソタ村です。

http://otaenplaext.net/newpage29.htmlこちらがムラウケ関連。
http://otaenplaext.net/newpage28.html
紅白を全員で見た。  
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(^_-)-☆ラップトップ [生活]

 3270 新しいラップトップを購入し、立ち上げた。買った店で、立ち上げサービスを頼んだらいくらかかるか聞いてみた。1万5千円だとか、インストールやデータの移行など、今、使っているPCと同じような状態にするには、それぞれで、3000円くらいかかるから、いくつかによるが、もし、私が頼めば、合計25000円くらいかかりそうだ。だから、当然ながら、自分で全部やることにした。

これとか、直接関係ないが、Windows 10 の更新プログラムが、突然、現れると、厄介が待っている。その一つ、時間がかかる。更新しています、お待ちください。と出てくる。終わるまで、何回か再起動しますと、出てくる。大体、70%過ぎたころ急に遅くなる。1%に5分以上かかることもある。次に、構成していますで、またかかる。終了まで3時間かかることもある。その間、何もできない。後で、にして、夜、寝る前にやるようにしている。それにしても、見張っていなければならない。パソコン教室など、たくさんのパソコンを持っている職場や教室ではどうしているのでしょうか。

私は、以前の7の方がよっぽど使いやすかったし、へんな操作も必要なかった。10に変わってから、トラブルが多くなったし、操作が厄介になった。何がどこにあるかも分かりにくくなった。それに、エッジは使いこなせない、エクスプローラーのままの方がいい。封筒の絵のメール、これも、厄介で使いたくない。アウトルックのまま、何も不自由がない。

そして、問題は、どういう訳か、今まで使っていたものが使えなくなってしまうこと、訳の分からない説明が出て、アウトルックが開けられなくなった。また、ワイファイが接続しているマークがパスワードを入れる前は出ているに、パスワードを入れて立ち上げると、マークが出てこない、そして、接続してくださいという説明が出てきてしまう。初期化してシステムの回復をしても、接続マークが消えたままだ。

丸一日掛けたが、結局、アウトルックは、セッティングができなかった。メールの受送信がこのPCではできていない。何故だろう分からない。

ゴルフ仲間で、やはり、ネットやブログをアップしている人から同じようなことを相談される。
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私にとって、予備のPCがどうしても必要なのです。
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風花の話を書いたが、静岡の平野部では、快晴が続いている。遥か北の南アルプスだろうなと思う山に雪が見えるが、望める場所は少ない。
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(^_-)-☆TPS後 11 [押出成形]

 3269 逃げの一手、気ままの二手目、行き当たりばったりの三手目。逃げ人生の始まりだった。将来、背負ってたつ気で入った会社から、これじゃ、できそうもいない、持ちそうもないと諦めて、ほうほうの体で逃げ出した。逃げたはいいが、逃げだしてから、何をするのか、まったく、決めていない、手を打っていない、就職先を決めてから,辞めるなどという段取りなど全く考えていない。ただただ、その場から逃げただけだった。説得する人、すべてから聞かれた。それなら、決めてから辞めればいいとも言われたが、そんなことはできないというしかなかった。

さて、どうするか、やめてしまって、考えた。妻の収入があるから、生活にすぐ困ることはい。一応それは計算ずくで、妻からの了解は得ていた。しばらくすると、どこで知ったのか、富士のポリプラのプラ研の所長から、来ないかという誘いがあった。押出に関して研究や指導をしてほしいと。また、大田区の日本エクストロンからも誘いがあった。どちらも、面接には出かけた。しかし、やはり、勤め人は無理だと思った。そして、自分で会社を始めることにした。

貯金がない。どうしよう、親にどうするつもりか聞かれていたが、開業資金を出してもらう訳にはいかない。どうしたかというと、フジプラの塩崎さんのお世話になることにした。この会社、その、二年ほど前に、私が紹介した大学同級生の小山君が、すでに、大番頭として勤めていた。しかし、彼は、営業、そこで、私が現場の手伝いを引き受けることにした。といっても、三交代勤務の現場で、私は夜勤だけ12時間、昼間は工場長?の弟さんがいた。22時から8時までだった。給料か固定で20万円だった。当時の大卒初任給が10万円だったので、夜勤で残業4時間としては、普通だと思うが、当時の29歳の会社員としては、かなり多かった。それを資金に充てた。一年半で、200万円以上溜まっていた。あと半年頑張って、それから、開業準備にかかろうと思っていた。

ところが、ある程度、フジプラも現行の生産に関しては、技術が向上し、私の存在を必要なくなってきたのでしょう。取引先(御殿場のアオイなど)や押出成形関連の装置、例えば五十嵐機械(アイメックス)など、押出機、引取機を作っている会社から是非来てほしいという話を持ち掛けられて、どうか、ということになって、面接に行かされたりした。もう、フジプラ潮時かなと思って、逃げ出した。

東プラ時代の倉庫の係長で、沼津に住んでいる人から、自分でやるなら、貸工場を持っているから、どうだといわれていた。そして、沼津の志下というところで、始めることにした。押出ライン一式、中古、100万円で準備した。当初の原料費やその他設備、50万円、トラック5万円などで始まった。仕事は、お前がやるなら、すぐに、そちらへ回すよ、という、会社から、50万円の仕事(LDPEチューブ、スパイラルチューブ用、当時は、後工程でスパイラルチューブに加工していた)が、すぐに始まった。太田化工の始まりだった。1973年4月、30歳でした。一人で始めた。
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茜色の富士山
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ゴルフ場にあった木。  
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(^_-)-☆TPS 10 [押出成形]

 3268 寒い、昨日、静岡のどこかで風花が舞ったという。しかし、私が移動した時間と範囲には、その雰囲気は全くなかった。
今朝、6時過ぎ、ゴルフに出かけようと外に出た庭に霜柱が立っていた。静岡市街では、霜柱も非常に珍しい。何日か前に、うっすらと、それらしきものは出ていたが、今日は、はっきりした霜柱だった。土を押しのけ、高さは5Cm以上だった。サクサクと踏んでみた。
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今年の打ち納だった。静岡カントゥリー島田コース、私もちょっと在籍していた南部化成本社の前を通って行ってみた。近い、

TPSで、誰よりも生え抜きの従業員から頼りにされていると認識していたし、技術的にも、私がひっぱらなければ、何もできないとも思っていた、そして、入社の時には、この会社のトップになって引っ張ろうと決意していた、その私が辞めよう、いや、見放そう、放り出そう、放棄しようと決めたわけだが、その理由の主なものは既に書いた。要するに、腰掛出向で来ている上司の無責任さと手柄探しと給料の格差とその人が私たちを評価する、その状態が、人が変わっても10年、20年と続くだろう、ということにあきれて、自分が自分で無くなると思ったからだ。

しかし、やめた理由は、それだけではない。会社の経営というより、技術者が自分に向いていると思うようになり、将来、その道に進むと決めた。経営というか、人を束ねるということの難しさを、子供のころから、やっていたというか、その役目をやらされていた。しかし、それは、自分には向かないといつも思っていた。就職して、やめる前には、35~40人ほどの部下を束ねる立場になってしまっていた。このくらいに人数が限界だと思った。また、間接的(部下がその部下を束ねる)にしてもだ。この考えは、自分で会社を作ってからも同じで、社長を他の人に任せたのも、経営者にならざる得なくなってしまったことと、36人以上になってしまったのが大きな理由だった。

そして、もう一つ、望まない付き合いが苦手だったこと、客先との付き合い、社員同士の付き合い、酒を飲めないことが大きな障害だとは思うが、それだけではない。やはり、面倒なのだ。サラリーマンでいる限り、必要なことだと思うので、サラリーマンは向かないと思った。これからも、楽な方に逃げたかった。
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国道150号を焼津から東に向かう、前方は、日本坂トンネルだ。右は新幹線の高架。
 

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