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(^_-)-☆18年お世話になった [人生]

 2985 私がインドネシアで知り合った人の中で、一番、お付き合いの長い方でした。赤旗を立てでもまたゴルフをしましょうよ、と、声を掛けていたがかなわぬことになってしまった。

私がゴルフを始めたのが1998年、暴動の直ぐ後でした。その半年後位にある初心者歓迎というゴルフの集まりを知り、その仲間に入れてもらうことした。アクラブ会でした。その会の世話役をしておられたのが栗崎さんでした。その時も今も、ヤマニの方でした。私も栗崎さんもその会を何年後かに止めて、ジャバベカで毎週ゴルフを小グループでやるようになっていた。それは、昨年の末、10月ころまで続いていた。

その1年前くらいから、肺がんが見つかり、日本やマレーシアなどで手術を受けたり、治療をしながらも、インドネシアにいる時には、一緒のカートでゴルフ場を回っていた。その内、激やせで、体力も無くなり、ゴルフどころでは無くなっていた。それでも、会社に出勤していたし、ゴルフの夢を見ると言っていた。

今年に入って、月に一回、日本に帰り、投薬をしていたようだった。今回、半年ほど会社から休暇をもらうよ、と、話しながら、一週間ほど前に帰国した時には、病院で投薬もない状態で、静かに亡くなったとか。

ドライバーの飛距離が殆ど同じだったので、同じカートに乗ることが多かった。二打目も同じくらいのところに行くので、カートに戻らないで、無駄口をたたきながら一緒に歩くことも多かった。仕事上の付き合いはなかったが、ジャバベカでのゴルフの付き合いは、10年以上はあった。私はインドネシアでお付き合いしている日本人は少ないが、栗崎さんは、インドネシアには35年以上関わっていて、県人会をはじめ、工業団地の付き合い、何やら、ボランテャアの仲間、現地警察にも知人ガ多かった、多くの世話役をやっておられて、栗崎さんを何かと頼りにした人も多かったと思う。事件に巻き込まれた時に、栗崎さんに相談した人も多かったと思う。時々、そんなことを、ゴルフコースを回りながら、話をしていた。私は、聞き役だった。

事件やデモ、ストライキの事前情報もこまめにメールで流してくれていた。

ゴルフ場でも超有名人で、しばらく、顔を出さない時には、私に、栗崎さんどうした?今日はいないね。と、多くの人が聞く。栗崎さんは、今、日本だよと、紙に書いて貼っておきたいくらい、会う人ごとに聞かれる。

インドネシアにいて、お世話になった方が亡くなったという知らせを聞くのは非常に辛い。今朝、その知らせを聞いて、しばらく、涙が止まらなかった。人生の先輩として、尊敬をしていたし、非常に身近な方だった。ご冥福を祈る。

そう、多くはないが、尊敬している方、目標にしている方、生き方の手本にさせていただいている方が、次第に会えない世界に行ってしまう。
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元気だったころの姿。ともに愛でた花。Surgaで眺めていることでしょう。栗崎敏敬(くりざき としのり)さん、ありがとうございました。
日本で荼毘に付し、インドネシアで告別式、埋葬するそうですが、詳しいことはまだ決まっていません。


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